老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

思想の違いを超えて

2018-08-29 10:23:03 | 自民党政治
総裁選が安倍の出馬表明(今頃とは姑息だ。それも「西郷どん」の鹿児島で)でいよいよ本格化する中で、実は自民党総裁選が日本社会の現在における「縮図」でもあることが明白になっている。

安倍首相と石破氏は思想的にも憲法改正論でほとんど変わらないタカ派である。いわば「同志」なのである。

しかし、共通点は多いが決定的に異なるのは、石破氏は人格的には尊敬に値する「政治家」であるということだ。

彼は森友・加計問題が終息することを憂いている。安倍首相の悪徳ぶりに我慢がならず、ほとんど「ただ一人」、官邸主導(ファシズム化する自民党)に反旗をひるがえしている。

そして、決定的な違いは、総裁選で候補同士の対話を望んでいるということだ。「公正さ」や「正直さ」を言っているのに党内で攻撃されている。自民党自体が腐食を強め、まっとうな議論でさえ抑え込む卑劣が支配しているのである。

その対話をひたすら拒否する安倍晋三。この人はもう自民党という政治集団でさえ全体主義と体制翼賛化(戦前の思考であり、軍部の進出時代と同じだという坂野先生の指摘もある)を完成させるファシスト以外の何ものでもない。一部のマスコミはそれに賛同し、石破氏さえ排除の対象にしているのである。

犯罪的な指導者(安倍の森友・加計事件は何ら「国政ではない」ことを肝に銘ずるべきだ)を再び総裁にしたい自民党には、「党内民主主義」さえもなくなっている。

これは残念ながら日本全体の政治傾向(特に一部の女性に根強い政治的な無関心;実際このことを年配女性から私自身が何度も指摘された経験もある)なのである。

自民党総裁選は日本の「縮図」でもあるのだ。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
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憲法改正の国会発議・国民投票への日程と野党の対策いかに

2018-08-28 16:47:24 | 政治
奇しくも自民党と国民民主党の代表選挙が9月20日と9月4日に決まったようだ。自民党は安倍総裁と石破元幹事長の戦いのようであるが、何れも憲法改正積極論者である。

一方国民民主党は玉木代表と津村議員の争いだが、大きな争点は来年の参議院選挙の野党共闘の在り方のようで、玉木氏は共産党との共闘には消極的で、津村氏はオール野党との共闘指向のようだ。しかし両者とも安倍内閣が成立した場合主導するであろう憲法改正の国会発議と国民投票への立ち位置と戦い方は今ひとつ不明確である。

安倍首相の最大の政治目標は憲法9条改正であり、あとの政策は国民投票で自民党の憲法改正案に投票されるようなポピュリズム政策のオンパレードが予想される。その一つが先日の菅官房長官の携帯電話の値下げ勧告発言ではなかろうか。

そこで問題は、両院での憲法改正の発議と国民投票の時期である。安倍首相としては与党が衆参とも三分の二を占めている間に憲法改正の発議を済まし、憲法改正の国民投票を参議院選挙と同時か、参院選挙前に単独で実施したいところであろう。

具体的に2019年の関連予定を見ると、来年の参議院議員の任期は7月28日であり、参議院選挙はその30日以内であり、7月28日~6月28日の間の日曜日となる。一方国民投票は憲法改正発議後60日~180日以内との規定に照らすと、国会での改正発議は遅くとも4月28日以前が予想される。以上の日程からすると、安倍内閣は憲法改正の国民投票を来年の参議院選挙前に実施が濃厚と推定される。

このような状況の中、国民民主党は9月4日に代表選が決定され、二人とも来年の参議院選挙で野党共闘を成功させ自民党与党連合を逆転することを目標に掲げているが、安倍内閣が国民投票を参議院選挙前に実施した場合、「憲法改正(特に9条)反対」にどのように対峙するのか、国民にどのような共闘の旗を掲げ訴えるのか、参議院選挙前に共闘すべき大きな課題があるはずである。そこで共闘できずに、国民投票で憲法改正され、参議院選挙の共闘に成功したとしても、共闘の意義半減であろう。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔
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憲法9条私論

2018-08-27 16:46:24 | 憲法
わたしが日本国憲法9条の意味を考えるとき、必ず憲法の前文と併せて考えることにしている。当たり前の事で、日本国憲法前文にこの憲法がなぜ創られたのか、その意味は何かが、書かれている。

わたしが特に重要だと考えている前文。
・・「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」・・・

中でも、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という文章はきわめて重要だと思う。この文章と日本国憲法9条を重ね合わせて考えると、実はこの憲法の草案者たちは、思想的に非常に深いことを語っている、と思われる。

※日本国憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
・・・・

これまで法律上の議論は厭と言うほど繰り返されてきた。人によっては、【神学論争】とまで呼ぶほどである。わたしは、法律上の論争とは別角度からこの問題を考えてみたい。

わたしは、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という文言は、通常理解されているよりはるかに重い意味が隠されていると考えている。

戦争に負け、多くの犠牲者を出し、家を失い、飢えで苦しむ国民と、荒廃した山河を目の当たりにした草案者たちの胸裏に去来したものは何か。この文言からは、彼らの心の底から平和を願う震えるような覚悟が伝わってくる。

わたしはこの文言の意味を考えるとき、いつも思い出すのが、「日本沈没」の映画の一場面である。(小松左京 原作  森谷司郎監督)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B2%88%E6%B2%A1
https://www.youtube.com/watch?v=qvI1KBOwGQg

いよいよ、日本列島が沈没する事がはっきりした時、時の政府や山本総理は何を考え、どう行動しようとしたか。日本国民1億2千万の運命が彼らの双肩にかかっている。その責任の重さは、言葉では到底語りつくせない。

その時、山本総理は、信頼する京都の福原教授に救済プログラム作成を依頼する。福原教授の答えは、【最善の策は、何もしない事】というものだった。もちろん、福原教授はそんなことができるはずもないことは百も承知で、そう答えた。

福原教授の真意は何か。

日本は、極東の島国でありながら、古い歴史を持ち、優れた科学技術を持ち、経済大国である。国民性はきわめて勤勉でおとなしく規律正しい。このような世界に冠たる国や国民が、海の藻屑に消えるのである。

国それ自体が海に沈むのだから、国民は、命を助かろうと思えば、他国へ移住する以外ない。日本国民全部が、文字通りの難民になるのである。

この難民を受け入れる他国も大変である。有無を言わさない「選別」が始まる。日本国民の中の富裕層と貧困層、若者と高齢者、技術者と非技術者、職人とその他、男と女、高学歴者と低学歴者などなどありとあらゆる選別が始まる。家族の中でもそれが始まる。

政府はあがく以外に方法がない。あがけばあがくほど問題は解決しない。そうこうしているうちに、日本沈没の「タイムリミット」が来る。まさに【蟻地獄】の日々が待っているのである。

福原教授が【何もしないのが最善策】と言ったのは、そういう生存のための「あがき」を止めようというのである。黙って海の藻屑になろうというのである。

極東に日本と言う島国があり、それなりに繁栄していたが、大地震と大噴火が列島を襲い、国もろとも海に沈んでしまった。その時、この島国の国民は、大声で他国に助けを求めるわけでもなく、他国に何の迷惑もかけず、黙って海の藻屑と消え去った。こんな国家や国民があるだろうか。見事な滅び方だった。世界中の人々が語り継ぎ、記憶に残るだろう。

福原教授の考えていたのは、東洋の「アトランティス」として、世界の【聖書的存在】として日本を残すことだった、と考えられる。

小松左京が「日本沈没」を出版したのが、1973年。学生運動も消沈気味で、バブル景気の到来までそんなに時間はなかった。彼は、そういう浮かれた日本国民の姿を苦々しく思っていたのだろう。日本人はどう滅んだら良いのか、を問う事により、日本人はどう生きたら良いのかを問うたのであろう。

わたしは、日本国憲法の前文の【平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。】の草案者たちは、日本沈没の福原教授の覚悟を持っていたと考えている。

憲法9条論議の要諦は、ただ一つ。【他国民の公正と信義】を本当に信頼できるのか、と言う点に尽きる。改正論者は、【信頼できない】と考えている。だから、あれこれ難しい理屈をこねる。

草案者は、そんな形而下の問題は歯牙にもかけていない。攻められたら、戦わずに占領されればよい。しかし、決して降伏はしない。解放されるまで、【非暴力・不服従】の精神で粘り強く戦う。決して諦めない。

草案者は、それより、なにより、【武力を放棄し、戦争をしない国】を作ることが重要であり、そのためには、【平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持】するという【覚悟】が重要だという認識である。

この考え方は、「日本沈没」の処方箋を求められ、【最善の策は何もしない事】と答えた福原教授に相通じる。ありとあらゆる策を講じても、どうにもできない時は、じたばたしないで、成り行きに任せる。じたばたするだけ傷口が広がる。だから、黙って占領される。

この選択は、戦うより勇気がいる。戦前の日本陸軍のように、無茶な【万歳突撃】を決行。無駄に命を落とすより、はるかに勇気がいる。

草案者たちは、きわめて形而上的(哲学的)であり、こういう生き方を選択する以上、ありとあらゆる外交的努力をする覚悟を国民に求めている。当然である。

すすんで占領されたいと願う国民は誰もいない。と言う事は、そうならないための努力をするのは当然。「諸国民の公正と信義」に期待する以上、自らも他国に対し「公正と信義」に値する国際的姿勢と外交努力をしなければならない。武力に頼らず、自国の安全を確保しようと願うなら、他国に倍する外交努力を重ねる必要がある。

戦後日本政府や日本人は、【諸国民の公正と信義】を勝ち取れるような血の滲むような外交努力をしてきただろうか。為政者や外交当事者、海外で活躍した多くの日本人は、広島・長崎の被爆体験を本当の意味で追体験し、真剣に勉強し、それを語ってきただろうか。

それだけではない。厭な過去に目をつぶっていては、本当の意味での新たな未来は訪れない。わたしたちは、加害者としての日本と言う視点で、どれだけ自国の過去に向き合ってきただろうか。

わたしたちは、自国の恥ずべき戦争の過去に本当に向き合ってきたのだろうか。厭な過去に目をつぶっていては、本当の意味での新たな未来は訪れない。

このような日本の過去に真正面から対峙し、自らの過去として逃げないで向き合う事でしか、憲法前文に込められた深い哲学的意味とそれを具現化した9条の真の精神を汲み取る事はできない。

護憲論者は、現実的でない、という批判がよく語られる。わたしは、憲法前文の精神と9条の精神を大切にした外交こそ、最も現実的な外交だと考えている。

世界中の人々の大半は、「戦争より平和」を願っている。本当の意味で戦争をしたいのは、死の商人と呼ばれる武器商人と国内政治の行き詰まりを戦争で解消したい政治指導者だけと言って良い。

だから、「平和」を希求する外交姿勢をぶれずに続ける事こそ、自国の安全に最も寄与する。なぜなら、それだけ「平和」を希求し、平和構築のために働こうとする国家を、戦争遂行に邪魔だと言う理由で攻撃する国家は、21世紀の世界では生きていけない。その程度には、世界にも、戦争の世紀だった20世紀の反省が生きている。

憲法9条改正派の論拠も分からないではないが、彼らには【現実】は変えられる、と言いたい。

安倍首相の外交姿勢が典型だが、彼には米国が作り上げた現実を変えようという意思はない。そうではなく、【現実を許容し、米国に積極的に加担する】という姿勢が顕著だ。

結局、日本の安全保障上の危機の本当の正体は、米国と中国、米国と北朝鮮、米国とロシアなど米国と世界の安全保障上の危機の「影絵」である。この危機は、日本の外交姿勢が招いた危機だと言う認識が必要だ。彼らが言う現実とは、彼らの外交姿勢が招いた結果だという認識がなさすぎる。

現実は変えられる。日本の安全保障上の危機は、他国に信頼される本当の意味での【平和外交】を行う事により、必ず変えられる。この努力こそ、今最も必要な【外交姿勢】だと思う。

「護憲+コラム」より
流水
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「障害者雇用」水増し 

2018-08-25 15:09:51 | 社会問題
「腐っている」のは安倍内閣だけではない。政府や地方行政まで「水増し」がばれて、この国(行政全体)が障害者を雇う気もないことがはっきりしてきた。

差別の度合いが酷すぎる。彼ら(担当者全員}はすべて憲法違反を平気でやっている。西欧だったら刑罰処分の時代もあった。

静岡県のトップに言い訳がすごい。「事務手続きのミスだと思うが」だと。ふざけた言い訳をするんじゃない。

「喝!」だ。もう役人をやめろ。

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵
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「真の保守主義」と「似非保守主義」(自民党の精神的・理論的堕落の産物)

2018-08-24 16:57:45 | 自民党政治
自民党総裁選のありようを見ていると、もはや自民党は民主主義国家の政党ではない、と断言せざるを得ない。

民主主義のイロハのイだが、異なる意見の持ち主が、侃々諤々の議論をし、それを聞いている人間が投票し、多数の支持を得たほうが勝利する。多くの人が、投票をする参考にするのだから、異なる意見の候補者が【議論】を戦わすのは、当然。その議論を避けたり、嫌がる人間は、そもそも立候補する資格がない。

ところが、今回の総裁選。安倍晋三は議論をしたくないそうだ。その為、正式の立候補をぎりぎりまでせず、時間切れで議論を最小限に抑えるのが選挙戦術だそうだ。そして、その後も東方経済フォーラムに出席するそうだ。外交を口実にした論戦回避。誰がどう考えても、議論をして、ボロを出すのが怖いとしか思えない。

自民党各派閥は、よくもまあ、こんなお粗末な候補を推薦したり、支持できるものだ。おまけに安倍晋三は、地元山口で「現職総裁に挑戦するのは、現職を否定する事だ」などと語り、総裁選挙に立候補する事自体を否定して見せた。「俺に逆らう奴は許さない」と言うわけだ。

森友問題・加計問題、財務省の公文書改竄問題、昭恵夫人の関与問題、文科省の汚職問題、北朝鮮問題で完全に蚊帳の外に置かれた外交の大失敗、米国との間の貿易摩擦問題、日銀の買い支えで株高と円安誘導を行い、実態より経済を良く見せる「粉飾経済」を行うアベノミクスの大失敗(日銀出口戦略はどうなるのか)、その後に襲うかもしれない経済の大失速。格差の拡大、働き方改革に名を借りた「働かせ方改革」による過労死の増加やブラック企業の増加問題。さらに、年金は減額の一途。医療費や税金、生活費は増加の一途。全国の老人は泣いている。

こんな国内外の政治状況、経済状況、社会状況の総括(議論以外にない)もせずに、自民党各派閥が、安倍首相の三選をもろ手を挙げて支持するなどという事態は、過去の自民党ではあり得なかった。

この自民党の惨状は、彼らが拠って立つ【保守主義】の歴史的・理論的理解ができていないのが原因である。少なくとも保守主義の旗を掲げるなら、現在の日本で進行している事態が【真の保守主義】と相いれないばかりか、相反するものだ、くらいの見識は持たなくてはならない。

安倍晋三は、「保守とはこの国に自信を持ち、今までの日本が紡いできた長い歴史をその時代に生きてきた人たちの視点で見直そうとする姿勢です」と国会で述べている。

この言葉に対して、政治学者中島岳志が、8月22日付け毎日新聞の「特集ワイド」で厳しく批判している。

彼は保守主義の祖とされる英国のエドモンド・バークの主張を引用して安倍を批判する。

「バークはフランス革命の指導者たちの人間観がおかしいと考えました。つまり、旧来の秩序を破壊して自分たちの設計図通りに社会を作ってゆけば必ずうまくいくという人間観です。しかし、歴史上、わたしたちは不完全であり、どんなに頭の良い人でも間違いを犯す。不完全な人間が理想社会を作ろうと無理をすれば、考え方の違う人間を徹底的に排除する暴力が生じる。案の定、フランス革命は粛清が長期間にわたって行われた」
↓ 
中島は、この指摘に続いて以下のように語る。

「本来の保守は、懐疑的な人間観を持っています。それは他者だけではなく、自分も間違えているかもしれないという人間観です。だから、自分とは異なる意見を聞き、合意形成を試み、着地点を見出していくことが重要なのです」※中島氏は、【迷い】が重要であると指摘している。

この視点から見ると、現在の安倍政権の力づくの国会運営や、党内議論や国会議論を軽視(嫌悪)し、合意軽形成を無視する政権運営のやり口は、「真の保守主義」とは相いれないと厳しく批判する。

「このような政権運営は、合意よりも自分の主義主張を押し付ける権力の使い方です。北朝鮮や中国共産党の指導者とよく似た権力の使い方です。保守にとって最も避けなければならない人間観が根底にあります。」

数を背景に少数者を排除する過激な民主主義は、必ずフランス革命のような専制政治を生み出す可能性が高い、と批判する。ナチスドイツの権力掌握も同様である。

中島氏によれば、上記のバークが代表する「真の保守思想」は、「立憲主義」にならざるを得ないという。

「権力を縛る国民とは、その大半が選挙で民意を示す生者ではなく、死者たちを意味します。つまり、過去の為政者たちが犯した失敗や、それに基づく経験知を集め、時の為政者がやってはいけないルールを示したのが憲法」

「多数決に代表される絶対民主制を重視し、合意形成や人間の英知を大切にする保守の理想や立憲的な歯止めを軽視してきた戦後日本の【あだ花】」だと安倍政権を批判している。

バークの言う保守主義とは、おおまかにいえば、下記のような考え方である。

1.人間の理性には限界があるため、是非善悪を全く客観的に判断することはできない。
2.不完全である以上、理性のみに基づいて既存の社会を改革することは、予期せぬ結果をももたらし得るため、危険である。
3.一方で、今の社会、習慣、価値観などは、先人たちが繰り返した試行錯誤の末に生まれてきたものであり、不完全で非合理的であったとしても、間違いが少ないがゆえに生き残ってきたものである。
4.ゆえに、完全な理性を望めない人間は、伝統という「偏見」のなかで生きていかざるを得ないし、それにのっとった生き方の方が正しい。

この考え方は大変良く理解できるし、納得できる。教師のような職業をしていると、「自分の指導が間違っているかもしれない」という怖れは日常的なものである。そう考えて、常に自分の指導を見直さなければ、教師などと言う職業はできない。そうでなければ、「人を指導する事」などできるはずがない。

ここには、以前指摘した、【公】【公共】【私】の基本的考え方が示されている。この思想の基本は、人間に対する【懐疑主義】にある。

◎人間は不完全な生き物(人間の理性に対する懐疑)⇒◎不完全な人間が理想を掲げ、それを絶対視して物事を行えば、悲劇が生まれる⇒◎一人一人が、不完全な人間なのだから、必ず間違うという認識が必要⇒◎その間違いを修正し、さらにそれを修正する。人間の営みは、永遠の「試行錯誤」の連続。⇒◎その中で社会に生き残っているものは、間違いが少なく、社会的に認知されたものだから、大切にしなければならない⇒◎だから、人間は、「歴史」や「伝統」を大切にしなければならない

つまり、【公共】=人々の営みが集積した「伝統」と考えれば良い。【公】はその基盤に立っているのである。つまり、【公共】=人々の営みが集積した【伝統】を無視して、【公】は存在しないのである。

ところが、安倍政権や日本会議や竹中平蔵のような取り巻き連中の口癖は、【改革】【改革】である。「改革」の名のもとに、上記の人間の営みの基本である【試行錯誤】の末に生き残ってきた「伝統」を破壊してしまう。これはどう見ても、「真の保守主義」ではなく、「似非保守主義」と言わざるを得ない。

もう一つどうしても指摘しておかねばならないのは、【構造改革】という言葉である。

日本では、【構造改革】と言う言葉は、まるで水戸黄門の印籠のような扱いを受けているが、これほど危うい話はない。よくよく考えなければならないのは、【構造】とは何かの議論が全くなく、貿易問題の改革程度の議論を全て【構造改革】に落とし込んでいるのが現状。

【構造】を論じるなら、日本と言う国家や社会の基本的ありように対する俯瞰的で全体的な議論が必要であり、その改革をいうなら、その構造の歴史的・時間的な位置をきちんと決めて何をどう改革するかを考えなければならない。つまり、ゼネラル的思考法が絶対に必要であり、それがない【構造改革】ほど危険なものはない。

ところが、日本で「構造改革」を叫ぶ連中の大半は、スペシャリスト(専門家)であり、ゼネラリストではない。そんな片肺的視点で行われる【構造改革】など、結局しなければ良かったという結果に終わるのがせいぜいである。

しかも、前の投稿で【日本の支配層の腐敗】を論じたが、彼らの大半は、【構造改革】論者のくせに、腐敗を行う心情は、江戸や明治と変わらない。しかも、わが身可愛さのため、権力者に忖度するのが当然だと考えているへなちょこ野郎が大半。つまり、彼らの人間の【構造改革】こそが、焦眉の急であると言う事には気づかない。こんな連中が叫ぶ【構造改革】など危ういものである。

だから、「真の保守主義」者は、常に60%の成功をねらって新しい試みを行う。しかし、竹中平蔵などは、常に100%の成功を語る。彼が「似非保守主義者」たる所以である。

自民党はこのような「似非保守主義」者たちに権力を保持させようとしている。わたしから言わせれば、彼らは、「似非保守主義者」などという穏健主義ではなく、日本や日本人が営々と築き上げてきた知的遺産(種子法改正)や社会的財産(水道)などを平気で売り渡す「急進的破壊者」であり、文字通りの「売国奴」である。

自民党が【保守主義】者などという幻想は、捨てるべきである。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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「英国総督 最後の家」インドの独立を描く&難民映画祭

2018-08-23 11:53:27 | イベント情報
「英国総督 最後の家」という映画の題では、ほとんどの方が???でしょう。
これは、英国の植民地だったインドの独立、東西パキスタンの分離という、まさに激動の半年を、英国総督マウントバッテン卿一家を通して描いたものです。

ガンジー、ネルー、ジンナーなども登場し、ヒンズー教徒とイスラム教徒の若い男女の恋も絡んで、なかなか面白くできています。

上映館が少ないのですが、映画の初日満足度調査では1位をとったとか。歴史がお好きな方、南アジアや、国家の独立の様相などに興味のある方には、是非お勧めいたします。


もう一つは、難民映画祭。昨年も観に行ったのですが、切実なドキュメンタリーやドラマなど、心に響くものが多かったのです。

現在申し込み受付中ですので、興味のある方は以下をご覧になって、お申込みください。東京以外でも開かれます。
http://unhcr.refugeefilm.org/2018/

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より


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日本支配層の底無しの腐敗

2018-08-21 20:20:42 | 社会問題
相撲・レスリング・アメフト・ボクシング。スポーツ界のスキャンダルが止まらない。東京医科大学の入試不正疑惑は、底なし沼の様相を呈し始めている。日本の各層で噴出し始めたスキャンダルは、この国の支配層の底無し沼のような腐敗と人間としての劣化を容赦なく露呈し始めている。

その中で安倍晋三首相は、平成天皇退位に基づく恩赦にかこつけて、佐川前国税庁長官の公務員懲戒の軽減を言い始めている。あまりにも見え透いた論功行賞。こういう不正義(悪と言って良い)が白昼堂々と行われている日本では、国民や社会が腐るのも無理はない。

悪とは何か。

「悪と言うものがどこかにあるわけではない。醜いものが悪ではないし、邪道が悪ではない。真実でないものが悪でもない。空虚も悪ではない。災害も悪ではない。
悪は何かに固有のものではない。悪はただ、そこに自由がある時に存在する。人間の自由意志。この意志だけが、悪であることができるものなのだ」(ヴィトゲンシュタイン 哲学)

ヴィトゲンシュタインの説を信じれば、現在行われている政治の悪は、安倍晋三や取り巻き連中やお友達の「自由意志」の発露だと言う事になる。完全な「確信犯」だと言う事である。

数年前からこの掲示板で指摘し続けた「魚は頭から腐る」が、日本の支配層の骨がらみの問題として浮かび上がってきた。この国の支配層(エリート)の眼を覆わんばかりの劣化と腐敗は、完全な確信犯の行為だと言う事になる。こんな支配層が支配する国に、未来はない。

日大アメフト問題で浮かび上がった田中理事長の恐怖支配やボクシングの山根会長の言動に象徴される理不尽な力による支配の共通点は、突出した個人の力を背景に、それをさらに増幅し、さらに過激にし、直接的に下の者へ降ろす「取り巻き連中」の存在である。昔から言う「虎の威を借るキツネ」の存在。彼らの存在が際立ち始めると、その組織が「腐っている」という証明になる。

「忖度」という言葉で一括りにされるが、実はこの忖度野郎が一番困る。一番の権力者に近い存在である事を嵩に着て、権力者の意図に自分の都合(利益)を上乗せして、下の者に要求するのである。この上乗せ部分が下の者を大変苦しめる。これは何もボクシング連盟の話だけではない。ありとあらゆる組織で日常的に起こりうる。

わたしも経験した教育界の話でいえば、文部科学省が新たな教育方針を決定し、地方の教育委員会に伝達する。痩せても枯れても文部科学省の職員は官僚。全国の教育に適用できる「普遍性」を持った方針を伝達する。

ところが、その伝達を受けた各地方の教育委員会は、自分たちがやり易くなるような方針を付け加えて、自らが管轄する現場の教師に伝達する。ありていに言えば、自らの権限強化に役立つような方針を付け加える。

当初の文部省の方針だけならそれほどの負担はないのだが、それに付け加えられた各地方教育委員会の方針のため、現場の教師の負担は過重になる。そのため、文部省の教育方針が浸透しなかったものも多々存在する。

このメカニズムこそが日本社会に根深く残っている「忖度文化」の根源にある。

このメカニズムの淵源は、戦前の体制にある。以前にも何度も指摘したが、戦前の天皇制の本質は、人間の言動の「正当性の担保」=「権威」が、「天皇との距離」=「社会的地位」に正比例する。そして、人間の罪の軽重は、天皇との距離に反比例する。

具体的に書くと、戦争映画で上官が直立不動になり、声を張り上げて「畏れ多くも、天皇陛下の御心だ」という場面がよく出てくる。この時、「何が天皇陛下の御心ですか」などと聞こうものなら大変である。間違いなくボコボコにされる。

「天皇陛下の真意」が何なのか、などは、知る必要がない。ただ、天皇との距離が自分より近いと思われる人間(簡単に言うと社会的身分の上下による)が「天皇陛下の大御心」といえばそれが真実。それを疑う事は、「社会的身分」=「社会秩序」を疑う事になる。天皇制国家では、そういう人間は即排除される。

これが天皇制国家(特に戦前の超国家主義=ファシズム国家)の心理的メカニズムだと考えてそれほど間違いはない。

NHKスペシヤルが「ノモンハン事件 責任なき戦い」の特集をしていた。
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180815

これは大変良く出来た作品で、旧日本陸軍指導層の無責任体質を容赦なく暴き出していた。これぞ、天皇制国家のメカニズム(無責任体制)の象徴だと言って良い。

参加した兵士2万人近くが戦死。精神主義と根拠なき(データなき)楽観主義に支配された関東軍幹部の無能力ぶり、その敗戦の責任を現場の将校などに押し付け、自決を迫る。その失敗の反省もなく責任を下に押し付けるため、最後は、事件そのものをないものにする発想になる。太平洋戦争でも同様な過ちを繰り返した。(※現在の歴史修正主義者たちのやり口そっくり)

ノモンハン事件は、司馬遼太郎が最後まで書こうとして書けなかった事件。あまりの無責任ぶりに、司馬の憤怒があまりにも強すぎたのが原因だとされている。

その他では、五味川純平の「ノモンハン事件」がある。五味川純平の「人間の条件」は、旧陸軍の非人間的やり口があますところなく書かれていて、胸が痛くなる。映画では、仲代達也が主人公を演じた。
https://www.youtube.com/watch?v=J3m0e8MTGTI

さらに、ETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」で、超国家主義の国家は、どのような理屈をつけ、どのように国民を弾圧したかが、克明に放送されている。(NHKの放送では、国内・植民地併せて10万人強とされていた)当初、共産党や共産主義弾圧を目的にした法律(1925年)から、如何に一般国民へ弾圧の矛先を拡大したかが、詳細に語られている。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259621/index.html

国民は、ファッショ体制の国家が持つこの理不尽な「暴力性」を厳しく認識し、二度とこのような法律が作られないように監視しなければならない。

ファッシズム体制の恐ろしさ

①無責任体制(責任の軽重は、社会的身分に反比例する。身分が低いほど、責任は重くなる⇒国民の怒りに対するスケープゴートにしやすい)

②体制維持のための「暴力」が日常化する。⇒理性、知性が喪失し、理不尽が支配する体制。⇒管理教育体制≒似非ファシズム体制≒現在の教育体制 ⇒東京オリンピックのボランティアに授業を休んで大学生に参加させろとか中学・高校生なども参加させようとしている(戦前の勤労奉仕とか学徒動員を彷彿とさせる)
※ナチスドイツのベルリンオリンピック利用を彷彿とさせるオリンピックの政治利用

③ファシズム体制は、有能な官僚によって支えられる。⇒戦前は、「革新官僚」と呼ばれた若手の官僚たちが支えた。
⇒現在は、官僚の人事権を掌握した内閣府に有能な官僚が集まりつつある。⇒内閣府が、各省庁を統御、支配している。⇒戦前内務省直轄の「特高警察」が治安維持法取り締まりに当たったように、いずれ内閣調査室や公安などが、内閣府直轄になり、国民弾圧の最前線に立つだろうと予想できる。
⇒その先触れが、前川前文科省事務次官に対するスキャンダル仕掛け事件。今回の文科省幹部の汚職事件摘発なども、内閣府主導事件と読める。(加計事件、森友事件、財務省公文書改竄事件等々を忘れさせるためのスピン事件)
★戦前のファッショ体制の再来だと見てそれほど間違いはない。

このように見てくると、現在問題になっているスポーツ界の不祥事のメカニズムは、戦前の超国家主義を支えた国民の心理的メカニズムと同根である事がよくわかる。戦後70有余年。日本人の権利意識の希薄さは変わっていない。

日大の教職員組合員の恐怖は、戦前の天皇制国家に反逆した共産党員や学者、知識人、労働組合員の恐怖に他ならない。アメフト部の暴力性もこの種のやり口に共通している。チアリーデイング部のパワハラ(というより、いじめ)問題も日大執行部との距離の差により起きている。

治安維持法の恐怖は、これが普通の国民に広がったものである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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「彼女は頭が悪いから」

2018-08-20 11:46:13 | 社会問題
姫野カオルコ作「彼女は頭が悪いから」を読みました。

これはフイクションです。数年前に東大生が集団で女子大生に強制猥褻行為を働いた事件を基に描かれています。

物語の中で被害に合った神立美咲は、家族、親戚同士も仲が良い、善き家庭で育った普通の女子大生でした。長女として母親の手伝いもして、弟妹の面倒も見る。人を疑わない無防備な所はあるにしても、両親を人前では「父母」と言える知性も持ち合わせていました。

東大生の竹内つばさは、広尾で育ち、頭も良く容姿共に恵まれたエリート一族の若者でした。

その二人が出会った半年後に事件は起きました。事件はほんの数時間の出来事だったのですが、つばさと美咲二人の生育歴、家庭環境も含めて数年前から積み重なってきたのです。

東大というブランド、学歴にフィルターをかけて惑わされる人々、憧れる人々、屈折した思いを抱く人々。東大というブランドを一番意識しているのは彼ら自身なのです。

私は偏差値の高い大学に通う人とその人間性は何も関係無いと思っていたはずでした。私は本当に学歴というフイルターを意識していなかったのだろうか。人は考えながら話す言葉よりも無意識の内に出た言葉の方が、内なる感情や意識しない価値観が出るものだと気付かされました。

我が子が逮捕されそうになった時、その「有能な才媛」である母親達は自分の息子だけは守ろうと必死に動きます。その頭の中の「あんなバカ女のせいで優秀な息子に傷が付いたら大変!!」という思いは、見事に被害者の女子大生をバカにする息子達の姿と重なります。この親達少しデフォルメされているような気もしますが。

そしてもっとやりきれないのは、彼等が「彼女は頭が悪いから」自分達の性欲の対象にもしなかった事です。こんな頭の悪いオンナとは性行為すらしたくないと、ただひたすらその身体を弄び嘲笑いバカにしたのです。恐ろしく残酷な方法で。子どもが蛙のお腹に空気を入れて何処まで膨らむか試すように。

彼女に心があり壊れてしまう事など思いもよらなかったのです。つばさは最初に美咲に出会った時、その表情を可愛いと思い暖かな恋心を抱いたときもあったのに。

自分より偏差値の低い大学生を馬鹿にして嘲笑するのが楽しみなんて、心が壊れているのです。そしてその情報を興味本位で拡散して彼女を嘲笑い、罵倒するネット住民も。加害者の心の底をのぞいたら「東大」というブランド以外は何も無い空っぽな彼等がいたのです。

ネットで彼女を罵倒する人々に、事実関係を確認しながら、「この事件についてはもう少し詳しい事が分かってから発言されても遅くはないのではないでしょうか」と投稿した日芸の学生。

加害者の母親が「示談」にしたいと申し立てた時、「被害者と同じ状態になっても示談にしたいと言えるか」と迫った大学の先生も、美咲を思い人の心の苦しみや悲しみに寄りそう人達だったのです。

自分が生きたい人生を模索し始めたつばさの兄の生き方、つばさと同じ進学校で、自分が憧れる文豪が出た私大に進学した女子大生。

「竹内くんは東大だからねすごいね。そう思うよ、自分がそう思うのもいいと思うよ」だけどやり過ぎだよと、彼女の言葉は続くのです。「竹内君には東洋大の私が何を言っても答えないよね」と言いながら、栄養士になり食堂で働く彼女は仕事に戻って行くのです。

本当の賢さとは何だろうと考えさせられた物語でした。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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安倍首相の不可思議な思考

2018-08-18 21:42:35 | 安倍内閣
安倍さんはどんな気持ちでヒロシマ・ナガサキの記念式典に参加しているのだろうか。核兵器は9条の下でも装備可能だと。
どんな頭脳をしているのか。憲法の条文一つ一つも理解できないのか。

9条1項2項を残して、自衛隊も明記する。この前後の矛盾も気にならないのだ。

やはり通常の頭脳の持ち主ではない。

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵
コメント (1)
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宮本太郎『生活保障』を読む

2018-08-15 23:30:28 | 社会問題
私は大学で「労働法」を研究しているが、近年の「労働問題」と「労働社会」は、安倍政権の「働き方改革」に見られるように、隔靴痛痒というものであり、現場の労働者(ほとんどの国民はこの階層)の切実で差し迫った問題には触れず、政権の恣意的な「改革案」を提示し、結果は「強行採決」によるものにとどまった。

つまり、正社員の「長時間労働」(その結果としての「過労死」など)や企業のブラック化による被害に向き合おうとしない。また、非正規労働による「不安定な働き方」にも何らの解決策を示していない。

この問題は安倍政権に限らず、労働法学それ自体にも大きな原因がある。ことは労働法や労働政策という領野に限定する問題ではなく、福祉政策や政治的な解決を同時に考慮しないと本質的な問題に接近できない状況になっているからである。

そんな時に宮本太郎氏の本書に出会った。宮本氏は本書でそのことに端的に触れている。

「生活保障は、社会のグランドデザインが改められる時に必要な視点なのである。大多数の人々が生活に足る見返りのある仕事に就けた時代には、雇用と社会保障はそれぞれ別次元に属する問題のようにも見えた。日常の安定した雇用環境を前提に、社会保障は労災、失業、疾病などまれに起きる所得の中断に備える、という関係である。
 こうした時代には、生活保障といった大きな視点をことさらに持ち出す必要はなく、雇用保障と社会保障それぞれの個別調整が進められれば事足りた。ところが、そのような時代は終わってしまったのである。
 低賃金の非正規労働者が急増して保険料が払えなくなれば、社会保障の中心である社会保険は成り立たない。
 ・・・
 私たちは、雇用と社会保障の関係そのものを、抜本的に再検討しなければならない時代に入っているのである。そのような議論の枠組みになるのが生活保障という視点である。」(宮本太郎著『生活保障』「はじめに」より)

このように宮本氏は「生活保障」というキーコンセプトを切り口として従来のパラダイムである「日本型生活保障」を改革して、新しいパラダイムとしての「生活保障」の具体的なプラン(構想)を本書で提示している。

宮本氏は同じ「はじめに」の箇所で「求められるビジョン」として「大事なことは、これまでの日本型生活保障の特質を改めて考え、また欧米の福祉国家の過去の経験にも学びながら、生活保障の新しいデザインを考えていくことである。」と言う。

さらに続けて、「欧米の福祉国家の経験が示しているのは、社会保障の大小と経済成長の度合いは直接対応しない、ということだ。グローバル化に対応していくために社会保障支出を切り詰めなければならないという見方には根拠がない。北欧諸国のように、社会保障支出が大きくても、経済成長率が高い福祉国家がある。」「これに対して日本の生活保障は、雇用と家族に頼りすぎてきた限界が露わとなっており、これからの社会保障の比重を高める必要がある。」とする。

この視点の転換は、今回の安倍政権の「働き方改革」の空虚さを明白に浮き彫りにしている。安倍政権は従来の日本型生活保障の限界にはなんら手をつけず、高度プロフェショナルによる正社員という改革案を示しているが、それは「長時間労働」のひずみをこれまで以上に増大させるものであり、また、非正規労働の「不安定な働き方」改革にもなんらの救済政策も提起していない。

経営者団体の要望を聞くだけの一方通行の「改革」にとどまり、それは「非政治的で、情けないもの」だったのである。

宮本氏は本論の中の第1章では「断層の拡がり、連帯の困難」というタイトルで今日の日本社会の大きな問題点と核心に触れる。

1では、「分断社会の出現」という見出しを掲げ、今日の日本社会の大きな亀裂・断層である格差社会に迫る。すわわち、正規社員層と非正規労働者の間にある亀裂である。後者は近年拡大化を進めており、現在では全労働者の40パーセントに迫ろうとしている。しかし、実際において非正規労働では生活困難であり、この階層の労働者は親の援助を受けない限り結婚もできないありさまなのである。

このような格差社会の拡大を政治的に放置するとどうなるかは目に見えている。特に年金制度を担う若者において、低賃金では国民年金や健康保険の保険料も払いないという人たちが増大する。年金制度自体が成立不可能な事態が将来に出てくる。

また、宮本氏が本書で指摘した「秋葉原事件」(2008年に秋葉原で起きた大量殺傷事件)の「犯人は、派遣労働者であった。彼は日雇い労働者と同じような匿名的な環境の中で蓄積した孤立感と不安感を爆発させたと見られている。」と言う。

こうした事件を防ぐために宮本氏は、失業などで孤立感に陥る人たちに向けて、「生活保障は、単に所得を保障するでけでなく、人々が他の人々と結び付くことを可能とし、「生きる場」を確保する見通しを提供できるものでなければならない」と言う。
 
また、「派遣の若者が職場のコミュニティの一員となることを強く望み、そのための技能を身につける意志があるのならば、技能訓練の機会が提供され、またメンバーシップを得るための回路が容易されるべきである。」と、提言している。

本書はかなり情報量の多いものであり、序論の部分しか紹介することができなかったが、現在の日本の社会と政治の状況は宮本氏の見解に沿うものではなく、すでに「使い物にならなくなった」旧制度に固執し、社会不安をより一層煽るような言説(安倍官邸がその発信源になっている)が蔓延っているのである。

マスコミも(市民の流言飛語なども含めて)安倍政権の末期的な症状を直視できず、その政権の無意味な延命に手を貸す存在になっている傾向が強い。(「安倍一強」という言説はこれを裏付ける。)

こうした格差社会の政治的なネグレクトによるおかしさは、日本社会の本来あるべき方向性を歪め、取り返しのつかない「暗黒の未来」を招き寄せてしまう。

こうした中で、宮本氏の本書などは今後の日本社会の方向性を示す、一定の「羅針盤」足りえると思えたのである。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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