老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「自衛隊」は憲法9条を汲んだ固有名詞、「わが軍」は不適切

2015-03-31 17:25:45 | 安倍内閣
安倍首相は国会答弁で自衛隊を「わが軍」と呼称して野党から追及されている。どうして「わが軍」と言ったのか首相の深層心理は不明だが、集団的自衛権の行使(海外での戦争)には日本だけを護る「自衛隊」より適切と思ったのではないかと思われる。歴代の首相は使っていないことを考え合わせても、「迂闊」だったでは済まされない。

朝日新聞によれば、『首相は、自衛隊について「国際法上は軍隊だという考えを採っている」との政府の立場を説明。その上で、1967年に当時の佐藤栄作首相が「自衛隊を今後とも軍隊と呼称することはしません」と答弁したことに触れ、「国内では憲法との関係で佐藤首相が述べているように(軍隊と)呼称はしない。自衛軍とは呼ばず、自衛隊と申し上げている通りだ」と述べた。』と野党へ答弁している。
http://www.asahi.com/articles/ASH3Z5CRGH3ZUTFK00H.html

上記の答弁からは、佐藤元首相の国会答弁を事前に認知しながら、あえて「わが軍」と言い放った様に見て取れる。

さらに自ら国会内で「わが軍」と言いながら、上記答弁では、「国内では憲法との関係で佐藤首相が述べているように(軍隊と)呼称はしない」と述べて、日本の「国会」を「国内」と認識していないかのような稚拙な論理矛盾がある。

また首相は野党に、「大切な予算委員会の時間がこんなに使われるのであれば、そういう言葉は使わない」と述べて、野党の予算委員会での追求の時間の長短で、「わが軍」を使い分けるととれる詭弁を弄し、野党の追求を逃れている。

最近の首相と官房長官の応答には詭弁による言い逃れがが目に余る。ドイツの副操縦士のように、「日本」という航空機を操縦するパイロットにも急降下の操縦をさせないように、首相のブレーンと日本の大手メディアには注意を怠らないようにして貰いたいものである。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔
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安倍首相に辞職勧告を!

2015-03-30 21:02:47 | 安倍内閣
今から40年ほど前に自衛隊員のなり手が少なかった頃、旧防衛庁の出先事務所が求人募集に使ったセールストークは「自衛隊に入れば、給料をもらいながら各種資格が取得できる」でした。もちろん、PRポスターや募集資料には「日本の国土防衛に若い力を」みたいなキャッチコピーが書いてあり、その志をもって入隊した人もいたと思います。

こうして中卒・高卒で自衛隊へ入隊した私の年代の人たちは、本音と建前はあっても「自衛」隊は「国土防衛」の組織であり、防衛省に昇格しても専守防衛は永劫不変だと思っていたでしょう・・・安倍晋三という男が現れるまでは。まさか海外で、他国の領海・領空で国土防衛する方向へ向かうとは。「専守防衛」が看板倒れになりつつある今、先日の防衛大学の卒業式で安倍首相の訓示を聞かされた卒業生を含めて陸海空の自衛隊員、そして自衛隊OB・OGの方々は心中穏やかではない事でしょう。

「戦力は持たない」と明文化された日本国憲法の下で矛盾した存在である日本の自衛隊。旧ソ連の軍用機が領空侵犯をした際にスクランブル発進しても絶対に実弾を撃たない、撃ってはいけないと対応してきた自衛隊機。肩身の狭い思いをしながらも「それが日本の自衛隊だ」という矜持を持ち続けてきた組織、と私は理解していました。

ところが、安倍首相は勝手な解釈改憲を持ち出して憲法・国会をないがしろにした閣議決定を続け、ついに国会論戦の場で自衛隊を「わが軍」と発言しました。「自衛隊は、アナタの軍隊か?」とのツッコミ然り!そして菅官房長官のくだらない擁護を含め、なんと幼稚で矛盾した言い訳をしたことか。「他国の軍隊と比較して話したから」だって?この男は「軍隊ではない『自衛隊』だから憲法違反ではない」というデリケートな問題を、国家の代表者として最も慎重かつ明確に使うべき語意を、いとも簡単に吹き飛ばしました。

これで首相のクビが飛ばない日本の国会とは何なのでしょう!与党政治家はサラリーマンですか?党首におもねる前に国会議員としての品格・矜持はないのですか?野党政治家には安倍首相に詰め寄るような意地や心意気はないのですか?私は一国民として、安倍首相に辞職勧告を出したい!

最後に、先日就役した海上自衛隊史上最大の護衛艦「いずも」。いくら政権幹部や防衛省トップが「攻撃機能がないから空母じゃない」と下劣な強弁をしようとも、あれは航空母艦の略語「空母」です。あんなに立派な素通しの飛行甲板があるから、諸外国・海外メディアの反応も「空母」です。安倍政権下の勝手な「解釈空母」です。

私は安倍首相の傍らに、ペットとして虎をプレゼントしたい。「これはトラだろう?ペットじゃなく野獣だ、危ないじゃないか!」と怒られたら、こう言います。

「これは猫です。ちょっと大きくて気が荒いですが、猫です。学術的にはネコ科ですから」

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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「自衛隊を軍というなら」(3/30東京新聞「私説・論説室から」より)

2015-03-30 18:15:16 | 集団的自衛権
東京新聞3/30付け記事、「私説・論説室から『自衛隊を軍というなら』」を転載します。

++++++++ ここから +++++++++
 安倍晋三首相が国会答弁で、自衛隊を「わが軍」と呼んだことが波紋を広げている。直後に「自衛隊」と言い直しているから、言い間違いの類だろうが、首相は憲法改正による自衛隊の軍隊化を目指しているので、つい本音が出てしまったのだろう。

 政府見解によると自衛隊は軍隊ではない。憲法9条は「陸海空軍その他戦力は、これを保持しない」と定めているが、自衛のための必要最小限度の実力は戦力に該当せず、自衛隊は軍隊には当たらない、という論法だ。

 軍隊がない前提だから、日本の法律には米軍など外国軍や旧軍を除き、軍隊という記述がほぼ見当たらない。唯一、出てくる海上保安庁法25条も、海上保安庁と職員が軍隊の機能を営むことを禁じる条項である。

 日本への武力攻撃や緊急事態が発生し、自衛隊が出動する際、防衛相は海上保安庁を統制下に置き、指揮できる旨が自衛隊法で定められている。自衛隊が軍隊でないという前提があるからで、軍隊と認めれば、有事でも防衛相の指揮下に入れない恐れが出てくる。

 「わが軍」発言が意図的であれば、自衛隊を合憲とする政府の憲法解釈や、それに基づく法体系を覆す重大な発言である。野党側には速やかに、首相の意図を確かめ、こう切り返してほしかった。「自衛隊を軍隊と言うのなら、憲法を改正する必要なんてないんじゃないですか」と。
++++++++ ここまで +++++++++

要するに、安倍晋三氏に首相の資質がないのは元より、与党・野党とも国会議員は不勉強の塊で、コトバ一つ言い間違えるのは重大なことという認識も緊張感もないのです。

あまりにも刹那的思考の国会議員たち。そのイスと選挙区のことしかアタマにないのか?憲法を変える変えないと騒ぐ前に、自分たちの脳ミソを変えろ~っ!

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より)
猫家五六助
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目前で繰り広げられるファシズムへの道

2015-03-29 07:35:45 | 集団的自衛権
3月27日の報道ステーションで、官邸の恫喝に屈したテレ朝の舞台裏が、元通産官僚の古賀茂明氏の覚悟を決めた捨て身の証言で明らかになった。この日の番組は、後世の歴史家によって『ジャーナリズムの死』の象徴として記録される事は間違いないだろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150328-00000008-mai-soci

古賀氏はマハトマ・ガンジーの次の言葉をフリップにして、提示して「I am not ABE」という自らの立場を再度明らかにした。

「あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。
それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないように するためです。」

全体主義的で、言論統制が行き渡った社会をファシズムとかナチズムと呼ぶとしたら、間違いなく日本はその只中にあると考えてよい。それに対して、古賀氏は一人だけでも抗う姿勢を明らかにしたのである。彼の行動については、これから様々な毀誉褒貶の意見があるだろう。しかし、そういう人は、勝海舟の以下の言葉を反芻した方が良い。【行蔵は我に存す。褒貶は他に存す。我にあらず】

わたしなりに古賀氏の真意を忖度すると、以下の詩に近いと思われる。

「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」 (ドイツの反ナチ運動者マルチン・ニーメラーの詩)

・・・ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった ・・・・・
(ニーメラー財団が提示する詩の邦訳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%8C%E6%9C%80%E5%88%9D%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%82%92%E6%94%BB%E6%92%83%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D

経済学者植草氏は、これに付け加えて以下のガンジーの言葉も紹介している。
・・・
●「恐怖に屈すれば、真実さえも抹殺されてしまう。自らが正しいと信ずることを恐れずに実行するのです。」
●「たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。」
●「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。」
●「臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、1人戦うことを誇りとする。」

そして、このガンジーは、第二次世界大戦中の1942年7月26日に、「すべての日本人に」と題する公開文書を発表した。

「私は、あなたがた日本人に悪意を持っているわけではありません。
あなたがた日本人はアジア人のアジアという崇高な希望を持っていました。
しかし、今では、それも帝国主義の野望にすぎません。
そして、その野望を実現できずにアジアを解体する張本人となってしまうかも知れません。
世界の列強と肩を並べたいというのが、あなたがた日本人の野望でした。
しかし、中国を侵略したり、ドイツやイタリアと同盟を結ぶことによって実現するものではないはずです。
あなたがたは、いかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない。
ただ、剣にのみ耳を貸す民族と聞いています。
それが大きな誤解でありますように。
あなたがたの友 ガンディーより。」 ・・・・・・・・・・
千秋楽古賀対古舘決戦・突き倒しで古賀の勝ち(植草一秀 知られざる真実)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f2e7.html

以前にも書いたが、ファシズムのような政治形態はある日突然出来るものではない。長い政治プロセスを経て生まれる。そして【後から考えたらあれが転換点だったのか】という節目の時がある。マルチン・ニーメラーの詩は、その事を正直に語っている。今声を上げなかったら、【そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった 】という結果になる。

これがファシズムという政治の恐ろしさ。政治を見るには、【想像力】が何より重要であるという一つの証左でもある。

古賀氏の今回の行動は、【ここで声を上げなかったら、生涯自らを悔いる結果になる】と考え、自らのメディアにおける全存在を賭けて、告発したのであろう。

ガンジーの言葉も胸を打つ。彼の言葉は、現在の日本や安倍首相を諭しているように聞こえるのは私だけではないと思う。
●「臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、1人戦うことを誇りとする。」

これは、先週のコラムで紹介した【傲慢】な人格は、臆病者の裏返しという論理に共通する。数の力に屈するものに、ジャーナリストの資格はない。虎は死しても皮を残す。しかし、自らの信念を棄てたジャーナリストに残るものはない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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今、沖縄・辺野古で何が起きているのか(「サロン・ド・朔」例会報告)

2015-03-28 16:47:36 | 沖縄
3月26日の「護憲+」月例会(「サロン・ド・朔」)で、辺野古のカヌーチーム・メンバー水沢澄江さんに「今、沖縄・辺野古で何が起こっているのか」について、お話をしていただきました。

お話に先立って、現在のゲート前の座り込みの人々や海上のカヌー隊が、アルソックや機動隊や海上保安官に暴力的に排除される生々しい様子や、それでも非暴力・不服従を貫いて頑張り続ける様子をビデオで見せていただき、沖縄の闘いが生易しいものではないことを、改めて実感させられました。

お話によると、本土ではほとんど報道されていないので、私達は詳しく知ることがありませんが、今年に入ってから、ゲート前で7名、海上で6名が打撲、捻挫、骨折などで救急搬送されるなど、怪我人が続出しているそうです。

また、ゴムボートに海保艇を追突させたり、ゴムボートで女性に馬乗りになったり、カヌー隊のパドルを投げ捨てたり、カヌーから海に飛び込んだ女性を海中に沈めるなど、海保による想像以上に荒っぽい対応が続いていて、もっと重大事態がいつか起きても不思議は無い状況だとのことでした。

こちらでも報道されているように、去年の県知事選で「辺野古基地反対」を掲げて立候補し当選した翁長さんは、今年1月には知事検証委を設置して検証終了までの作業中止を要請し、2月には初の知事権限行使によってブロック設置停止を指示しましたが、国は翁長さんのこうした要請・指示への当て付けのように、直後に新たな大掛かりな作業を進めているといいます。

3月23日、沖縄県として「海上作業停止」指示を出すと、国は行政不服審査の申し立てをして、その間現在も作業は継続、辺野古の海の自然破壊も続いています。

また、手続き上の大きな問題は、不服申し立ての審理・決済をするのは農水省ということで、東京新聞(3/25)の「Q&A」コーナーの表現によれば、「裁判に例えれば、原告と裁判長が同じ側だ」ということ。県側指示に対する執行停止の可能性が極めて高いようです。

更に、日本政府だけでなく、嘗ては曲がりなりにも「公正」「民主主義」「住民尊重」の原則を守る姿勢を見せていた米軍・アメリカ政府も、最近は硬直状態に痺れを切らせたのか、なりふり構わない力づくの対応に変わってきていて、例えば、翁長さんがアメリカの正義に訴えにいっても効果は期待できないだろう、ということでした。

こうして、暴力と不条理が吹き荒れる世界と日本の政治・社会状況の中、沖縄はその最前線にあるという現実を、つくづく認識させられます。

そんな状況下、本土の人間としては、「私たちは沖縄のために何ができるのか」と自問するわけですが、水沢さんは、沖縄で闘う人には、「安易に沖縄に同情したり応援したりすることで、自分たちを免罪させてほしくない」という本音があるようだ、と言います。

結局私たちは、沖縄の人たちと同じように本気で政治と向き合い、大らかにしかし不屈の精神で闘う沖縄の人たちに学びながら、自分の足場で、自らの安全や自由や環境を守るための闘いを続けていくことが、沖縄と本当の意味で繋がることではないか、水沢さんのお話を聞きながら、そんな感想を持ちました。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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沖縄県知事の主張に理あり

2015-03-24 08:54:04 | 沖縄
沖縄県知事の主張は、辺野古沖の基地工事で指定区域外でコンクリートブロックが沈められ、岩礁が破壊されている蓋然性があるので、県として実態を調査したいという、政府(沖縄防衛局)への要望のようで、期限内に政府が県の申し出を受け入れない場合は、仲井真前沖縄県知事が許可した埋め立て工事を取り消すとの趣旨内容である。これに対して官房長官と防衛大臣は日本は法治国家ゆえこの期に及んでの知事の言動は疑問とし、一方で粛々と工事を進めるとの趣旨を記者会見で述べている。
(URLはNHKニュース)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150323/k10010025161000.html

「法治国家」と述べ、法を遵守しているならば、指定区域外にコンクリートブロックを沈めて岩礁を破壊していないことを沖縄県に調査させ、「白」と判定されてから「法治国家」と言って欲しいものである。

余談になるが、昨年の沖縄県の衆議院選、県知事選、辺野古のある地元市長選で自民党は全敗である。その沖縄県民の民意を受けた翁長沖縄県知事が上京して安倍首相、管官房長官、防衛長官に再三面談を申し込んでいるらしいが、これまで応じたという報道はない。民主国家としてあるまじきことであり、これでは民主国家としての法治も危うい。一党独裁国家の統治になりかねない。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔
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「安倍政権NO!☆0322大行動」参加報告

2015-03-23 17:45:44 | イベント情報
昨日、日比谷野外音楽堂~国会周辺で行われた「安倍政権NO!☆大行動」に参加しました。

集会開始の1時には、集会会場の日比谷野音は満員。周辺にも会場入場は諦めて、デモ参加のために待機する人たちが大勢集まっていました。

集会では、原発、集団的自衛権、特定秘密保護法、沖縄米軍基地、TPP、農業改革、社会保障、消費税、憲法、雇用、ヘイトスピーチ、と多岐に亘るテーマのリレートークがあり、夫々の問題に関わってきた人たちから、安倍政権の暴政に対する怒りと、絶対に退陣させるという強い決意が語られました。

今回は特に高校生や大学生など若い人たちからの発言が多く、今の政治の結果を負うのは自分達だという危機感に、中高年層の参加者からも共感と応援の拍手が何度も湧き起こりました。

最後はSASPLメンバーの音頭に合わせて「安倍は辞めろ!」のコールを何度も何度も繰り返し、皆の日頃の思いがひとつに繋がり会場に響き渡りました。

2時からは国会に向かって請願デモ。時折「安倍は辞めろ」とコールが上がる以外ほとんどコールも起きず、春の日差しの中、おしゃべりをしながらののんびりしたデモとなりました。

国会周辺ではドラム隊のコールや、反ファシスト・グループのコール、テツさんたちのレゲエ風コールなど、若くて元気なパフォーマンスが随所に起きていて、農協や労組関係者が集まる場所では志位さんが演説をし、SASPLなど学生グループに混じって山本太郎さんや福嶋みずほさんがスピーチをしたりと、思い思いの形で意思表示をしていて、統一感があるような、ないような、でも夫々に盛り上って、さながら「反安倍フェスタ」といった様相でした。

この大行動の参加者は、結局1万4千人だったとのこと。この人数をどう考えるかは微妙だし、安倍政権に直接何らかの影響を与えたとも思えません。この行動を報道すらしていないテレビや新聞がほとんどで、表向きは何事もなかったかのようです。

それでも、私同様、参加して「安倍NO!」と声に出さずにはいられなかった人たちがこれだけ集まって問題意識を分かち合ったことは、参加した人たちは勿論、同じ思いを持ちながらしがらみなどで自由にものが言えない状況にある人たちにとっても、大きな励みになったような気がします。

こうしたことのたゆまぬ積み重ねで、虚飾に満ちた現政権は、遠くないいつか、崩壊に向かうのではないでしょうか。そうでありますように!

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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傲慢トップは経営リスクか

2015-03-22 10:33:00 | 政治
3月16日付朝日新聞に興味深い記事が掲載された。題して≪傲慢トップは経営リスクか 「人格障害」ビジネス界注目 ≫  

多少長いが引用してみる。
・・・・・・・・・・・
「トップが暴走して、会社や組織が存亡の危機に立たされるというケースは多い。これは会社の大小、組織の大小にかかわらない。存亡の危機とまではいかないが、【傲慢】なトップに悩まされる人は多い。
英国では、英国では、傲慢を「人格障害の一種」ととらえ、対策を考える研究が始まっている。ビジネス界も、「傲慢」は経営リスクと見て、注目している。 トップが助言に耳を傾けず、冷静な判断ができなくなって経営につまずく。これを「傲慢症候群」と名づけ、提唱しているのは神経科医の経歴をもつ、英政治家のデービッド・オーエン元外相・厚生相(76)だ。病気ではないが「権力の座に長くいると性格が変わる人格障害の一種と言える。・・・(中略)
長く権力の座にあると、自信過剰になり、周囲が見えなくなる。ニューヨークで、乗務員のサービスに激怒して飛行機をひきかえさせた「ナッツ騒動」も、「傲慢」の代表例だ。・・・(中略)・・

■「傲慢症候群」の14症例

①自己陶酔の傾向があり、「この世は基本的に権力をふるって栄達をめざす劇場だ」と思うことがある
②何かするときは、まずは自分がよく映るようにしたい
③イメージや外見がかなり気になる
④偉大な指導者のような態度をとることがある。話しているうちに気がたかぶり、我を失うこともある
⑤自分のことを「国」や「組織」と重ねあわせるようになり、考えや利害もおなじだと思ってしまう
⑥自分のことを王様のように「わたしたち」と気取って言ったり、自分を大きく見せるため「彼は」「彼女は」などと三人称をつかったりする
⑦自分の判断には大きすぎる自信があるが、ほかの人の助言や批判は見下すことがある
⑧自分の能力を過信する。「私には無限に近い力があるのではないか」とも思う
⑨「私の可否を問うのは、同僚や世論などのありふれたものではない。審判するのは歴史か神だ」と思う
⑩「いずれ私の正しさは歴史か神が判断してくれる」と信じている
⑪現実感覚を失い、ひきこもりがちになることがある
⑫せわしなく、むこうみずで衝動的
⑬大きなビジョンに気をとられがち。「私がやろうとしていることは道義的に正しいので、実用性やコスト、結果についてさほど検討する必要はない」と思うことがある
⑭政策や計画を進めるとき、基本動作をないがしろにしたり、詳細に注意を払わなかったりするので、ミスや失敗を招いてしまう

■権力と人格に密接な関係

「傲慢学会」は、権力に酔った指導者たちが冷静な判断力を失い、政治や企業経営などをあやまる危険性を研究しており、2012年から英国で開いている国際会議を中心に活動している。 ・・(中略)・・
 「過信や高慢は人格を変え、傲慢人間をつくりだす。助言は求めず、まわりに耳もかたむけなくなる。万事につけ、おおまかなことに目が向いてしま い、ことの細部を気にしなくなる」とオーエン氏。これが長びくと、過失が増え、とりかえしのつかない失敗に突き進む危険性がある。
 症候群にかかりやすいのは、年齢を問わず「権力の座についてからも、成功をおさめてきた人」。発症する時期は「実権をにぎってから、ある程度の年 数がたってから」。まわりにごますりの「茶坊主集団」が出没しはじめると要注意だ。在任中に大きな難局を乗り切り、自信を肥大化させた人も発症しやすい。
・・・≪朝日新聞デジタル≫
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「傲慢症候群」の14症例をよく読んでいただければ、当てはまるトップや権力者の如何に多いかが実感されると思う。これは、地位の大小、理念の是非などとあまり関係ない。わたしの経験では、自らを頼む人間、上昇志向の強い人間、差別思考の強い人間に多いように感じられる。

特に我が国のトップの感性、そのお友達のNHK会長や作家と称している曽野なにがしなどの感性は、この【傲慢症候群】の症例にぴったり当てはまると感じる人も多いだろう。

英国では、【傲慢】の症状を【人格障害】と捉えているというところが、この記事の味噌。【傲慢】を精神病理学の対象として理解する、というところが、如何にも欧米的。日本なら、人格の未熟さとして、座禅でも組ますところだろう。

この【傲慢症候群】を人一倍自覚し、自制し続け、天下人に上り詰めた人物がいる。徳川家康である。よく知られているように、家康は、武田信玄との「三方ケ原の戦い」で惨敗する。彼は命からがら浜松城に逃げ帰る。その時の様子は、恐怖のあまり大小便垂れ流しの悲惨な状況だった。同時に、彼を逃がすために多くの三河武士が犠牲になった。その時の事を忘れないために書かせた自画像を生涯傍に置き、自らの慢心を戒めたと語り継がれている。

徳川家康 しかみ像http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h20/03/obj01.html

実は、家康、若いころはきわめて短気で、側近のものに当たり散らしていた。「三方ケ原の戦い」も後年喧伝された織田軍の加勢が少なかった、というのは、眉唾で、相当数の加勢が来ていたのが実情に近いと思われる。と言う事は、この場合、野戦に打って出ず、籠城をするのがベストだったはず。何故なら、当時の足軽たちは大半が農民。籠城して少し粘れば、農繁期に入り、信玄は引き上げざるを得ない。さらに織田軍の援軍も期待できた。野戦に打って出る必然性はなかったのである。おそらく、家康は、信玄軍が浜松城を無視して進んだ事に我慢できなかったのであろう。当時、家康は31歳。若かったため、我慢できなかったのであろう。野戦の名手として喧伝され、多少「傲慢」症候群にかかっていたのかも知れない。

この【傲慢症候群】は、【権力のデーモン】とでも言うべきもので、これから逃れる事が出来た権力者は、きわめて稀である。【権力のデーモン】は、上は、国家権力者から下は会社の課長クラスに至るまで、およそ権力・権限のある場所に生きる人間に必然的に起きるもので、人間社会の業とでもいうべきものである。わたしの経験した小さな組織でも、権力者の【傲慢】は幾度となく経験した。諫言より甘言に弱いのが人の常。こういう【傲慢】な権力者の周りは、甘言を弄する人間で満ち溢れる。

この【傲慢】を制御できるのは、【自分は間違っているかもしれない】という【もう一人の自分の目】以外にない、と思う。諫言をしてくれる部下の言葉を聞く耳を持つ事である。家康の偉さは、【自らの失敗体験】を【自分は間違っているかもしれない】という普遍性に昇華し、常に外からの目で自らの判断を検討したところにある。彼は、部下たちの話を実によく聞いていた。【愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ】と言われるが、家康は単に経験しただけでなく、【経験】を【普遍性】に昇華できる能力があったのであろう。

この自覚なしに権力を行使すれば、いずれ大きな過ちを犯す。独裁政治、専制政治が恐ろしいのは、【自分が間違っているかもしれない】という自覚なしに、ただ権力を恣意的に行使するところにある。こういうタイプの人間は、過去の世界中の独裁者がそうであったように、きわめて【小心】で【臆病】で【猜疑心】が強く、【理性的】でなく【感情的】な場合が多い。その為、その言説は、詐術に満ち、牽強付会の議論が多くなる。英国が、【人格障害】理論を振りかざすのも無理はない。

現在の日本の政治や言論空間の最大の危機は、この種の議論が満ち溢れ、【自分が間違っているかもしれない】という恐れとか不安があまりにも欠落している所にある。破綻しているアベノミクスを正当化するために、無理やり株価操作をする。歴史上ありもしない「トリクルダウン理論」を正当化するために、大企業の賃金に政府が介入する。憲法をなし崩しにするために、無理やりの解釈改憲を行い、それに合わせる屁理屈をこねまわす。これに異を唱える言論人は、大手メデイアから締め出される。今や、政治の言説は、国民を騙すために存在しているとしか思えない状況である。【傲慢】が制御できず、ますます増幅している危機的な状況である。

このまま進展したら、日本の戦後の民主主義の歩みは、全て水の泡に帰してしまう崖っぷちに立っている。わたしたちは、最後までNOという気概を持たなければならない。

「護憲+コラム」より
流水


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「安倍政権NO!☆0322大行動」

2015-03-19 16:52:23 | イベント情報
以下のアクションが呼び掛けられています。

抗議集会もデモも何のその。数の力を嵩に来て、やりたい放題の安倍政権に私たちはどう対峙していけば良いのか、模索の日々が続きます。

しかし、悩んで立ち止まっていても解決にはなりません。安倍政権NO!と正面切って意思表示する人たちが増え続ければ、彼等も、表向きはともかく、本音のところで平然としてはいられなくなるはずです。

とりあえず有効と思われる行動を、正々堂々とやってみましょう。時間のある方は、是非参加を!

+++
「安倍政権NO!☆0322大行動」〜民主主義を取り戻せ!〜

2015年3月22日(日) 13:00〜 集会@日比谷野音(大音楽堂)/14:00〜 巨大請願デモ・国会大包囲

【主催】安倍政権NO!☆0322大行動 実行委員会

+++
http://abe-no.net/

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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平和の党の糸が切れたか、公明党

2015-03-19 16:14:03 | 政治
今日(3/18)のニュースで自公の集団的自衛権行使に関する与党内協議を聞いていると、公明党が自民党ペースに乗せられ、じわっつ、じわっつと土俵際に追い詰められているように見えた。これまで「平和の党」の旗を掲げてきたが、政府与党の権力の魅力に負け、平和の旗を投げ出すのも時間の問題のようである。どうしてこのような党に様変わりしつつあるのであろうか。

そういえば最近公明党の支持母体、創価学会のカリスマ会長であった池田大作氏の動静が全くメディアからも伝わってこない。嘗ては毎年ノーベル平和賞の下馬評に挙がっていただけに、公明党が政府自民党に集団的自衛権の行使で押し切られようとしているこの重大な政局で、支持母体創価学会の実質的な最高権力者から何も声が聞こえてこないのは不思議でならない。またこれまでの公明党と創価学会の関係からも考えられない。平和を信奉する創価学会員は誰より心配ではないだろうか。池田氏の体調の変化で政教分離が進み、凧の糸が切れたのであれば皮肉な結果である。

ところで池田大作氏でインターネットを検索したところ、体調を心配する次のような投稿が見られた。その他にも様々な憶測投稿があるようだ。

http://d.hatena.ne.jp/ashuhokkekoshu/20141208/p2
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12114358967

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔
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