老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

悪党たちの宴 ー安倍一族の権力私物化ー

2019-11-24 11:03:07 | 安倍内閣
森鴎外の短編歴史小説に「阿部一族」がある。江戸時代、肥後細川藩の重臣阿部一族が上意討ちにより一族全滅した話を小説にした。

藩により、武士の面目を傷つけられ阿部一族が、家の名誉を賭けて藩に逆らい、一族全滅の憂き目にあう悲惨な物語である。森鴎外の静かで抑制の利いた文体が、逆に阿部一族の覚悟の見事さと凄さを浮き彫りにした。

阿部一族が上意討ちを知った後、一族全員討ち死にの覚悟を決めた描写は以下の通り。
・・阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、まず邸内を隈(くま)なく掃除し、見苦しい物はことごとく焼きすてた。それから老若(ろうにゃく)打ち寄って酒宴をした。それから老人や女は自殺し、幼いものはてんでに刺し殺した。それから庭に大きい穴を掘って死骸(しがい)を埋めた。あとに残ったのは究竟(くっきょう)の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖(ふすま)を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓(かねたいこ)を鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。これは老人や妻子を弔(とむら)うためだとは言ったが、実は下人(げにん)どもに臆病(おくびょう)の念を起させぬ用心であった。・・・・・

※阿部一族
https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/673_23255.html

浅野家断絶の後、幕府軍が赤穂城受け取りに乗り込んだ時、家老(城代)大石内蔵助は、城内を隅々まで清掃し、城内の武器・物品一つ一つに至るまで詳細に書類にし、見事な引き渡しを行ったとされている。

この後始末は、幕府に対してだけでなく、百姓・町人に対しても行われた。藩札をきちんと両替したと言われている。(当時、取り潰しになった藩で、藩札をきちんと両替した藩はなかった。藩札を所有していた百姓・町人は泣き寝入りが普通だった。)

現在に至るまで、赤穂の人たちが大石内蔵助などを大事にしているのは、こういう後始末の見事さもその一因である。

阿部一族にしろ、大石内蔵助にしろ、滅亡にあたって、見事な終わり方を見せた。このような【散り際の美学】こそ、武士道と言われるものの神髄だろう。

日本人が桜が大好きなのは、「散り際の美しさ」に限りない哀惜の念を抱くからだ。忠臣蔵が未だに人々に愛されるのも、彼らの「散り際の美しさ」が人々の心をつかんで離さないからである。【いさぎよさ】こそ、日本人が愛してやまない美徳。

この阿部一族や大石内蔵助などの【潔さ】【覚悟の見事さ】に比べ、同音異字の「安倍一族」というより「安倍一派」の醜さは何なのだろう。彼らの言動を見ていると、胸に滓のようなものが溜まるのは私だけではないだろう。

息をするように嘘をつく。自らの延命だけに汲々とする。「国会がお決めになったら国会でお答えをする」と大見えを切っておいて、自民党の国対委員長には、予算委員会を開かせず、国会での質疑はしない。

自分は自民党総裁でもあるのだから、自分が予算委員会に出て説明するから、予算委員会を開けと言えば済む話。それを国会での話し合いを尊重するなどともっともらしい理屈をつけて逃げ回る。こんな姑息で卑怯で汚い言動を見ていると、反吐が出る。

見苦しい言い訳を繰り返し、出席者などの資料は改竄、破棄。権力総ぐるみの隠蔽工作はする。虚偽答弁を繰り返す。ただただ、「人の噂も七十五日」。嵐の通り過ぎるのを待つ。

ただこの問題。詳細が分かるにつれて、あまりの税金の私物化に開いた口がふさがらない。

菅官房長官の発表による約1万5千人の招待客の内訳。
●各省庁推薦の功労者や各国大使、国会議員、勲章受章者などは合計約6千人程度
●安倍首相推薦 約1千人
●麻生太郎副総理や菅官房長官、官房副長官の推薦が1千人
●自民党関係者の推薦が6千人
▼安倍昭恵推薦もあった

この内訳をみると、本来の「桜を見る会」の趣旨に即した招待客は6千人程度。その他の9千人は、自民党関係者ばかりと言う事になる。これでは、公金(税金)を使った自民党関係者の選挙活動(後援会活動)と言われても仕方がない。

だから、自民党内から厳しい批判が出てこないはずである。二階幹事長にいたっては、「何が問題なのか」と開き直る。安倍晋三の元秘書で現下関市長は、「総理大臣にその程度の権限があって何が悪い」と擁護する。

こういう汚い連中が【花見の会】を開催する。【散り際の美しさ】などとは、最も縁遠い連中の花見である。彼らが大好きな【日本人の美学】とはかけ離れたよこしまな野心と欲望と汚濁にまみれた【悪党たちの花見】である。

こういう連中ほど「天皇陛下万歳」を強要し、国民には遵法精神を強調し、人は正直でなければならないと「道徳」を強制する。世も末である。

「護憲+コラム」より
流水
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幕引きはダメよ! 桜を見る会に思う

2019-11-18 17:44:06 | 安倍内閣
この政権はいつもそうだ。

大臣が支持者に高価な物品を送った。ばれたら辞任して終わり。大臣の妻である議員が選挙中に買収行為を行った。ばれたら辞任。萩生田文科大臣が「身の丈」発言したら、英語の民間試験は中止。

安倍総理は「任命責任は私にある」なんて言いながら、何人の大臣が辞任しても責任を取らない。

それで「桜を見る会疑獄」。公費を私的に流用した疑惑が持たれたら中止。「うるせえなあ~! もう中止にしたんだからガタガタ言うな!」という安倍総理の本心が聞こえてきそうな展開になった。

そして11月17日現在、ニュース速報で沢尻エリカ容疑者が薬物所持容疑で逮捕された、という情報が流れた。嵐の二宮和也結婚のニュースを流しても「桜を見る会」疑惑から国民の目を逸らす事はできなかったから、新しいスピン情報を流した、という人もいる。

11月18日(月)朝からテレビのワイドショーはそのニュースで持ちきり。雛壇に並んで尤もらしい事を言うコメンンテーターの中には、桜を見る会に参加したタレントの顔もちらほら見受けられる。

このままうやむやにしてはいけない。本当にこれで支持率も落ちず(それが真っ当な支持率調査の結果だとして)、選挙の投票率も上がらず、皆が政治に興味や関心をなくしてしまったら、この政権は「成功体験」に気を良くして、憲法改定、緊急事態条項 まで進むだろう。

国民をなめている。歯に衣着せぬどころか、歯から口から嘘と出任せ、国民や国会を舐めきった言葉が溢れだしている。

三権分立を破壊し、私利私欲とお友達のために税金を使い散らし、社会保障を削減して国民のために少しも税金を使わない政府を、何故国民は支持するのだろう。

政府はお上ではない。私達国民が雇った公務員なのだ。

もう一方の公務員である野党がこれらの疑惑を徹底的に追求し、安倍政権を追い落とすまで、野党のお尻を叩こうではないか。沢尻エリカではなく、「尻叩き国民」になって。国会前で声を上げようではないか。

私達が納めた税金の使い途を明確にせよと。むしり取った消費税は何処に行ったのだと。

このままで済ませれば、更なる「安倍政権という災害」が私達の生活を襲って来るだろう。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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映画「i-新聞記者ドキュメント」を観て下さい

2019-11-15 09:06:48 | 社会問題
「新聞記者」の映画が面白かったと評判だったが、そのモデルとなった東京新聞の望月衣塑子記者を追う、この映画は、それを超える面白さ…と言っていてはいけないのだろう。正確には、ドラマを超える「怖いリアル」のドキュメンタリー。

何が怖いかというと、今の政治の酷さ。それが望月記者の追及で炙り出される。他の政治記者はどこに行っちゃったの?という報道の酷さも。

官邸の記者会見で、望月記者が質問をすると、必ず妨害の声が入る。質問前の事実説明に対し、「質問してください」と言い、「時間です」と言うロボットのような機械的な声がとても不気味。

辺野古の埋め立てに、海は赤く染まっている。これでは珊瑚は死ぬだろう。赤土は10%という公約が、あの埋立て用の土を見て誰が信じるだろうか。その責任を追及しても、ひたすらはぐらかし、時間だと打ち切る。

菅氏の「あなたに答える必要はありません」といった回答は、国民に対してあまりにも不真面目・不誠実だ。新聞記者は国民が知りたいことを質問しているのだから。

森友・加計問題でも、疑惑に対し、安倍首相は「関係ない」の一言で済ませる。今や政治家の犯罪は、追及されずに済むのか?政治家に忖度し、おもねる裁判官と官僚。日本の三権分立は腐敗し瓦解した。
 
宮古島の自衛隊基地や石油備蓄の真相が島民には知らされずに設置されたことや、伊藤詩織氏へのセクハラ事件の取材と、現地に飛び、目で見て、聴いて、きちんとインタビューして記事を書く多忙な日々が映し出される。

森監督の取材を邪魔しようと、道路さえ彼を通さない守衛や警官たちも描かれる。日本の「報道の自由」はどこに行ったの?

望月記者の質問によって、日本の政治の酷さが炙り出されてくる。これはまさに、今観るべき映画。どうぞ皆さん、ぜひご覧になってください。

※映画『新聞記者ドキュメント』公式サイト
http://i-shimbunkisha.jp/

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より

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「戦後史ウォッチャー」との出会い

2019-11-14 20:41:04 | 社会問題
日本の「戦後史」を見直している私ですが、日本の現代史家は総じて(一部を除く)ステレオタイプの見方でお茶を濁していることが最近の本でも分かります(注1)。

つまり、図式的で、実証性が欠如し、「戦後」という時空間の緊張感が無いということです。

敗戦直後の惨憺たる日本の都市の状況を、都市生活者の生き死に(サバイバルをかけた生活の過酷さ)に寄り添う感覚が全くない「他人事」の歴史であるということです。

このような敗戦直後の状況の中で、「東京裁判」が開廷されましたが、この軍事法廷には大きな謎がつきまとっています。

実は天皇の免責と731部隊(石井部隊とも)の免責が大きな謎でしたが、これらは主に常石敬一教授や作家の青木富貴子氏の調査(注2)で現在はかなり明らかになっています。(天皇の免責は相当数の著書があります。)

さらに前のコラムでも触れたように安倍首相の祖父岸信介を代表として、おびただしい数の「戦犯容疑者たち」が極秘裏に免責(アメリカによるもの)され、巣鴨プリズンから出所していたことはあまり明らかにされていません。これは歴史家の怠慢です。

以上の事柄は今回コラムの主要なテーマではありません。今回コラムのテーマは、私が実際にお会いして指導を受けた弁護士の仕事(ワークス、業績)に関してです。

今から10年以上前に故遠藤誠弁護士とお会いしました。遠藤氏は平沢貞通死刑囚の最後の弁護人でした。

平沢死刑囚は帝銀事件の犯人容疑で死刑宣告を受けましたが、これといった物証もなく、また動機も見当たらないという不確かなものでした。毒殺を免れた目撃証言からも程遠い人物であり、当時は有名な日本画家(横山大観の直弟子でした)だったことからも、「帝銀事件」の犯行手口から最も遠い犯人像の人物です。(帝展無鑑査の有名画家が銀行員多数を毒殺することは想定外です。)

これらの平沢画伯冤罪の証拠と論理は、遠藤弁護士の著書「平沢貞通と帝銀事件の全貌」に詳しく描写されています。(その全貌を知りたい方は同署に直に当たってください。)

遠藤誠弁護士は10年以上前に病気で亡くなりました(享年72歳)。遠藤弁護士との出会いと自伝などの著書から、その中で私に告げられたことはすべて「遺言」であったと、今は思っています。

遠藤誠弁護士は帝銀事件の真犯人が帝銀事件で犯行に使用した青酸化合物の鑑定を常石教授に依頼しています。そして、遠藤弁護士と常石教授は、平沢画伯が犯人ではなく、真犯人は731部隊の軍医か部隊の技師の中にいる、と「犯行手口」(これは長くなるので割愛します)から割り出しています。

実際に、当時の警察(捜査官数名)は平沢に犯行は無理だとして、731部隊や登戸研究所の部隊の軍医や技師たちを捜査線上でマークして逮捕直前であったことも、今は明らかになっています(常石教授の著書に書かれています)。

それではなぜ、731部隊の軍医や技師が逮捕されず、あまり関係があるとは思えない有名な日本画家(テンペラ画)の平沢氏が有罪とされ、死刑判決を受けたのでしょうか。その解答は東京裁判の「中」にあります。(注3)

結論から言うと、731部隊を東京裁判では戦犯にしない、免責する、とアメリカと731部隊のトップである石井中将との密約があり、その免責条件として731部隊が戦時中に開発した細菌兵器の全資料をアメリカに引き渡すこと、となっています。

こういう密約が存在し、実際に東京裁判が開廷中に、「帝銀事件」が起こり、警察が731部隊や登戸研究所の軍医や技師を容疑者として引っ張るということになれば、「東京裁判」からの免責は国際法廷という裁判の性格上、おかしいという世界の世論の注目を浴びてしまう。つまり、731部隊の中に「帝銀事件」の真犯人がいては「都合が悪い」ことになってしまいます。

それで、GHQは日本の警察に待ったをかけたのです。これが平沢死刑囚が有罪になったからくりです。

そして、奇妙なことに平沢死刑囚は死刑の執行を受けずに長寿を全うしています。このことは日本政府の閣僚(法務大臣など)が平沢が真犯人ではないことを知っていたからにほかなりません。

今回のコラムは遠藤誠弁護士との出会いと別れ(葬儀に参加しました)に触れましたが、次回は弘中惇一郎弁護士との出会いに関して記述します。

注1保坂正康他有名作家著「戦争とこの国の150年」山川出版社2019年刊行
注2常石敬一著「謀略のクロスロードー帝銀事件捜査と731部隊」
青木富貴子著「731」新潮文庫
注3粟屋憲太郎著「東京裁判への道」講談社学術文庫

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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原子力村の不祥事に見るこの国の腐敗・堕落(1)

2019-11-12 17:01:36 | 原発
(1)東京電力経営陣への業務上過失致死に対する東京地裁判決

2019年9月19日の東京電力旧経営陣に対する業務上過失致死に対する東京地裁判決は無罪。

わたしは、福島第一原発事故の時、東京電力経営陣の多くを縄付きにしなければ、福島県の人々の無念は晴れない、と書いた記憶がある。

ところが東京地検は立件を見送り。強制起訴での裁判になったが、案の定東京地裁は無罪判決。

東京新聞の記事を引用する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
強制起訴された東京電力の旧経営陣3人に無罪を言い渡した東京地裁判決は、大津波の襲来をうかがわせる試算の根拠の信用性を否定し、「大津波は予見できなかった」と結論づけた。判決は原発の運転を止めなければ事故は防げなかったと認定したが、本当に3人が取るべき対策はなかったのか。

 市民からなる検察審査会が「起訴すべきだ」と判断したことで実現した公判。不起訴のままなら闇に埋もれていた事実が次々と判明し、津波試算を得た現場社員が上層部に対策を迫っていたことが明るみに出た。

 結局、ほぼ試算通りの高さの津波が原発を襲った。旧経営陣が現場社員の警告に真摯(しんし)に耳を傾けていれば、原子炉を冷やすための電源を高台に移すなど次善の策は取れたはずだ。そうすれば原発の運転を止めなくても被害は軽減できたに違いない。

 組織の規模が大きくなるほど、トップら個人の過失責任は認められにくい。トップが事故の危険情報に敏感に反応し、より危機感を持って対応に当たるためには、組織自体を罰する制度の創設も検討すべきではないか。

 判決は東日本大震災以前は社会通念上、原発事故のリスクについて「絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」と言及した。無罪判決の背景に、安全神話の追認があるとしか思えない。
(池田悌一)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この判決。二重の意味で、罪深い。
① 大津波は予見されていたし、その予見を東電幹部たちは知っていた。(ここまではきちんと立証されている。※安全担当の勇気ある労働者が、事故の三年前に「最大津波15.7M」と言う7予測値が東電経営陣に提示されたと証言していた)

◎(判決)大津波の襲来を予見する試算の根拠に疑問を呈し、予見可能性を否定。
※万が一のリスクに備えるのが、原子力と言う危険なものを取り扱う経営者の最低限のモラル。それすら認定しない判決。

② (判決理由)東日本大震災以前は社会通念上、原発事故のリスクについて「絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」と言及。
●日本国内に原発神話(原発は安全な施設)を振りまいておいて、「絶対的安全性の確保」を前提にしていないなどとよく言えたものだ。「絶対的安全性」の確保ができないなら、原発は廃止すべき、という論理にならないところが、この判決のいやらしいところ。⇒東電幹部の無罪性の証明に使っている。

こういう屁理屈に近い論理を駆使して、東電幹部3人の無罪判決を言い渡すのが日本の裁判。この判決を受けた福島県民の心情は察しても余りある。

普通の人間の論理
(1)福島第一原発の事故がなければ、多くの人が以前と同じ生活を送れていたはず。
(2)それができなくなったのは、福島第一原発の事故。
(3)原発は東電の人工的建造物。その運転は、東京電力が行っている。
(4)だから、原子力施設で起きる全ての事象に全責任がある。
(5)誰がどう見ても、福島第一原発の事故の東電の責任は免れない。
(6)東電の責任者は社長をはじめとする経営陣。
(7)論理の帰結として、経営に責任を持つ東電幹部の責任も免れない。
(8)ところが今回の判決では、経営陣の責任は認めていない。
(9)三段論法の最後だけを外す判決を書くのだから、東京地方裁判所の判事は、上記のような無理でアクロバテイックな論理構築を行い、誰がどう見ても屁理屈に近い論理構成で無罪判決を書かざるを得なかった。

裁判官の「国策への忖度」と言われても仕方がない。こういう判決を書く判事の心の内をのぞいてみたいものだ。

(2)裁判制度への疑問 

🔷裁判員裁判制度への疑問と提言
わたしは、裁判員裁判制度導入の前、「裁判員裁判制度」を導入するのなら、国や県や今回のような大企業などが被告や原告になっているいわゆる「行政訴訟」に限定すべきだと主張した。

個人を懲役にしたり、最悪死刑もありうる刑事裁判に普通の市民を参加させるのは、おかしな話である。死刑判決を下すとなると、その精神的重圧は半端なものではない。もし、それが冤罪だったとするならば、その後悔は一生ついて回る。普通の市民にそんな重圧を課すのなら、それこそプロの裁判官など必要ないことになる。

🔷裁判官の独立の原則
難しい司法試験に合格したプロの裁判官だからこそ、個人を裁く精神的重圧をはねのけ、「事実」と「証拠」に基づいて冷厳に罪を裁くことが求められる。他者の運命を決定する仕事なのだから、その精神的重圧も半端なものではない。その上に、政治への配慮、上司への配慮、社会的身分への配慮などの重圧を加えたら、「事実」と「証拠」だけに基づいた冷静な裁判が不可能になる。

だから、裁判官の「独立の原則」が定められ、他者の運命を決定する精神的重圧を考慮して、身分保障も万全。社会的地位も高く、給料も高くなっている。

その享受する社会的地位や安定した身分保障、給料などの好条件はそのまま。精神的重圧は、普通の市民に押し付けるのでは、つじつまが合わない。しかも、裁判員になれば、仕事を休み、秘密厳守が求められ、一日の報酬(日当)も安い。それでいて、その精神的重圧は半端なものではない。普通の市民にとって、負担だけが重く、得るものはほとんどない。

※裁判員制度 日本弁護士連合会 
https://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/becoming/index.html
※裁判員の報酬など
http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c7_1.html
https://allabout.co.jp/gm/gc/3811/

悪く言えば、犯罪に対する一般市民の処罰感情を利用して、犯罪に対する【厳罰化】の進行を図り、同時に他者を裁く裁判官の【精神的重圧】を軽減するのが、【裁判員制度】の目的だと言えなくもない。こんな「裁判員裁判」制度など、ない方がましと言って良い。

🔷行政裁判
行政裁判とは、 国や地方自治体(都道府県とか市町村、東京23区)などが、行政に認められている権限に基づいてしたことについて、その効力を争ったり、行政に対して一定のことをやめさせたり逆にやるように求めたりする裁判。

原子力問題についてみてみると以下の問題が、行政訴訟の対象。
(原子力施設が運転するまでの行政処分)
(裁判の形と裁判で審理の対象となる範囲)
http://www.shomin-law.com/gyoseigenpatu.html

さらに言うと、原子力問題についても、他の行政訴訟(行政裁判)についても、通常の民事訴訟と違って、裁判を起こすこと自体が大変ハードルが高く、簡単には裁判を起こせないようになっている。

・・・ 行政の安定を図るためという理屈で、裁判に様々な制限があります。
 まず、多くの場合、いきなり裁判を起こすことはできません。まず行政に対して不服審査の申し立てをしなければなりません。しかも、たいていは処分の通知から3か月以内にしなければその後は申立ができません。それにもかかわらずそれは様々な法律にバラバラに規定されていて非常にわかりにくくなっています。
 裁判も取消訴訟は行政不服審査の結果が出るなどしてから6か月以内に起こさなければなりません。これは従来は3か月でしたが2005年4月から6か月に変更されました。
 裁判を起こすことができる人も限定されています(業界用語で「原告適格」:げんこくてきかくの問題)。裁判を起こすことができる人の範囲については、空港の飛行差し止めを求める裁判と原発裁判によって次第に広げられてきました。
 元になった処分が期間付のような場合、裁判中にその期間が過ぎると裁判ができなくなることがあります(業界用語で「訴えの利益」の問題)。
 このようなことから、行政裁判では、訴えた人が判断を求めている内容そのものを判断せずに、裁判ができないといって門前払いされる場合が少なくありません・・・・

※行政裁判の話
http://www.shomin-law.com/gyousei1.html
※行政法規のジャングル
http://www.shomin-law.com/gyouseihoukijungle.html

上記で分かるように、「行政訴訟」それ自体を起こす事が難しいうえに、戦後の【行政裁判】の多くが示しているように、行政を忖度する検察の姿勢。行政を追認する事が多い「判決」がどれだけ国民の心を傷つけてきたか。

さらに言えば、たとえ一審で行政が敗訴しても、上級審に上告し、長年月の裁判に持ち込み、訴えた普通の国民が精神的にも肉体的にも訴訟費用の面でも負担に耐えられなくなるまで長引かせる。これが、どれだけ、裁判に対する信頼を傷つけているか。

こういう裁判にこそ、国民の声を生かさなくて、何のための【司法改革】か、と思う。

「憲法裁判」にもこれと同じことが言える。戦後、笹井さんの報告にもあるような憲法裁判が、全国各地で行われた。自衛隊に一審札幌地裁で違憲判決が出た長沼ナイキ訴訟や、沖縄の米軍用地の強制使用を巡る代理署名訴訟をはじめ、多くの合憲違憲を争う裁判が行われた。

その多くで裁判所が憲法判断を避ける判決(門前払い)が出されたが、中には長沼ナイキ訴訟のように違憲判決が出される場合もあった。

※安保法訴訟、原告敗訴 東京地裁も憲法判断せず
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/717dc69d9bf389d2e632fa529f55023e

こういう貴重な憲法判断の記録の約8割が廃棄されたというニュースが流されていた。
※東京新聞 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080502000145.html

安倍内閣の歴史修正主義の思想が司法界にも及んでいることに暗澹とする思いだ。ゴア副大統領ではないが、「不都合な真実」を抹殺しようとする姿勢が、日本の支配体制機構に満ち満ちている。

このような「行政訴訟」に「裁判員裁判」を導入すれば、国や地方公共団体の敗訴が続出する可能性が高い。例えば今回の裁判。裁判員裁判なら、おそらく東電幹部は、間違いなく有罪になっていただろう。もし、そうなったら、「裁判員裁判」という制度に対する国民の信頼感は全く違ったものになるに違いない。

行政にとって、それが一番困る。この国では、お上に逆らう行為は、今も昔もハードルが高い。過去の【行政訴訟】は、国や地方自治体が圧倒的に有利だった。その優位性が崩れる可能性が高い。

それでなくとも、日本の官僚制度は、行政の【無謬性】の原則を崩していない。俺たちは間違っていない、お前たちが間違っている。理由は簡単。俺たちは間違えない。俺たちは偉いんだ、と威張っている。

【行政訴訟】に「裁判員裁判」を導入すれば、行政の【無謬性】や行政に対する【信頼感】が完全に崩壊する。それだけは避けたい。だから、「裁判員制度」は、刑事事件だけに限定されたのだろう。

1956年に公開された「真昼の暗黒」という映画があった。今井正監督の作品。この映画は八海事件(冤罪事件)を題材にした映画。弁護士正木ひろし氏が活躍した事件。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%98%BC%E3%81%AE%E6%9A%97%E9%BB%92_(%E6%98%A0%E7%94%BB)(ウィキペディア)

※八海事件 
http://yabusaka.moo.jp/yakai.htm

この映画のラストシーンで、被告が「まだ、最高裁がある」と叫んでいた。この当時は、裁判に対する信頼がまだあった。

現在の裁判、検察、警察などは、ある意味、政治状況の写し絵的状況になっている。現政権の都合を忖度した捜査、逮捕、起訴が行われ、裁判も現政権の方向性に反する判決は出にくい。

🔷原発訴訟 
特に原発訴訟に関しては、国の方向性(原発再稼働)に反した判決を出した裁判官は、降格などの「懲罰的人事」を受ける場合が多い。

上級裁判所勤務の裁判官と下級裁判所勤務の裁判官では、給料が明確に違う。しかも、上級裁判所勤務での赴任地は大都市。下級裁判所勤務は地方の小都市。子供の教育一つでも違いが出る。

裁判官も人の子。自らの信念に殉ずるか、それとも出世の道を選択するか。ぎりぎりの選択を迫られている。これでは、裁判官の独立などのうたい文句は、絵に描いた餅。

※等級別報酬一覧
裁判官の月給は「 裁判官の報酬等に関する法律」によって決められています。
等級別の報酬は、以下の通りです。
•簡易裁判所判事(十七号~一号):23万3,400円~81万8,000円
•判事補(十二号~一号):23万3,400円~42万1,500円
•判事(八号~一号):51万6,000円~117万5,000円
•高等裁判所官庁(東京以外):130万2,000円
•東京高等裁判所長官:140万6,000円
•最高裁判所判事:146万6,000円
•最高裁判所長官:201万円
参考:e-Gov法令検索-裁判官の報酬等に関する法律
https://career-picks.com/average-salary/saibankan-nenshu/

🔷 裁判官の人事
・・・現在、裁判官は、最高裁判所を含む全国598ヵ所の裁判所に約3008人(簡易裁判所判事を除く)。そのうち、最高裁事務総局で司法行政に携わる「裁判をしない裁判官」を除くと、実質、2855人の裁判官で、あらゆる事件を審理し、判断を下しているのである。
 裁判官一人あたりに割り振られる事件数は、年間200件~350件で、単純計算すると二日に1件、ないし2件の割りで処理していかないと消化できない数だ。・・・
岩瀬達也 -初公開!裁判官の「出世とカネ」こうなっているー
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51651?page=2

彼らの人事評価は、基本的にはこの裁判案件をどのように処理したかによって左右される。裁判所用語でいえば、「星取表」と呼ばれる一覧表にまとめられ、個人別に集計される。そして、最高裁判所事務総局の中の人事課で決定される。

最近は、この人事のありように少しずつ改善がなされているようで、全国の弁護士の評価も取り入れられているようだ。

※「評価が高い裁判官と低い裁判官」 ・・西天満総合法律事務所ブログ ・・
http://mt-law.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-35f2.html

元最高裁判事 瀬木比呂志氏が司法荒廃、司法崩壊を描いた「絶望の裁判所」の内容を読めば、現在の司法の状況が見えてくる。

彼は自著の中身についてこう語る。「日本の裁判官は、実は、裁判官というより、法服を着た「役人」、裁判を行うというより事件を処理している制度のしもべ、囚人です。裁判官という職業名や洋画などからくる既成のイメージは捨てて下さい。」と。さらにこう指摘する。「困難な判断、言葉を換えれば重要な判断であればあるほど、判断を回避したい、つまり、棄却や却下ですませたい、和解で終わらせたい、そういう傾向が強く出てきます。」
・・・・瀬木比呂志氏インタビュー
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/38171?page=4

そして、彼は、司法の根本的な改革のためには、弁護士等を相当期間務めた人々の中から透明性の高い形で裁判官を選出する「法曹一元制度の実現」しかないと考えている。

彼の提言に対して様々な意見はあるだろうが、現在の閉塞した裁判官と裁判の現状を変えるには、思い切った根本的なシステム変更しかないと思う。

かって、日本では、第一審で、国の方向性と反する判決が多く出され、上級審になるほど、国に有利な判決が出た。下級審で国に不利な判決が多く出たのは、形式的でも、国民に対して、「司法の独立」を標榜できる根拠になった。そうしておいて、上級審では、国に忖度した判決を出す。これが、日本における【司法の政治性】だった。

今や、その【政治性】すらかなぐり捨てた【強権的政治性】が前面に押し出されている。ファッショ体制とはこのような司法と行政が一体化した権力体制を指す。

このような司法の荒廃、腐敗に対して『法曹一元化』が何らかの歯止めになるのなら、『法曹一元化』を導入すべきだろう。

以下に瀬木比呂志氏が「論座」に書いた原発訴訟の評論を紹介しておく。非常に参考になる考え方が学べた。

●社会通念という言葉で責任を回避した裁判官[1]
伊方原発3号機運転を禁止した広島高裁の仮処分決定を取り消した理屈
2018年11月20日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500001.html

●原発稼働差止め回避のため考え出した理屈[2]
「破壊的被害をもたらす噴火のリスクは無視し得る」という詭弁
2018年11月28日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500008.html

●科学的で厳密な危険性を恣意的な概念で判断[3]
分かれた原子力規制委員会の「火山影響評価ガイド」に対する裁判官の判断
2018年12月06日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500010.html

●良心に従い裁判しているのは「5~15%」[4]
最高裁による異動など報復への恐れ、問われる裁判所の権力チェック機構
2018年12月19日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500011.html

●当たり前の常識と正義の感覚による審理を[5]
戦後日本の負の遺産を象徴する福島第一原発事故、非合理的前提を信じた電力会社
2018年12月24日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500012.html

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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安保法訴訟、原告敗訴 東京地裁も憲法判断せず

2019-11-09 17:47:53 | 集団的自衛権
***
安保法制違憲訴訟、原告敗訴 東京地裁も憲法判断せず
11月7日朝日新聞DIGITAL
https://www.asahi.com/articles/ASMC754C1MC7UTIL02D.html

集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法が憲法に違反するかが争われた訴訟の判決で、東京地裁(前沢達朗裁判長)は7日、憲法判断をせずに原告の請求を棄却した。全国各地で起こされている一連の訴訟で、判決は札幌地裁に続いて2件目。原告側は控訴する方針。
 
2016年の安保法施行により、憲法前文にある平和に生きる権利(平和的生存権)や人格権が侵害されて精神的苦痛を受けたとして、市民ら約1550人が国に1人10万円の賠償を求めていた。
 判決は「平和とは抽象的な概念で、個人の思想や信条で多様なとらえ方ができる」と指摘した上で、平和的生存権は国民に保障された具体的な権利とはいえないと判断した。
 また、安保法の施行によって「戦争やテロの恐れが切迫し、具体的な危険が発生したとは認めがたい」とも言及。人格権が侵害されたとの訴えも退けた。
 違憲性については、具体的な権利の侵害があったとは認められないとして判断を示す必要はないと結論づけた。
 判決後、原告側の弁護団は会見し、「違憲性の判断を回避し、司法の誇りを捨て去った『忖度(そんたく)』判決と言われてもやむをえない」と批判した。
 安保法制をめぐる訴訟は全国22の裁判所や支部で25件起こされ、原告の数は7700人にのぼる。

***
安保法制判決 司法は本質を直視せよ
11月8日東京新聞社説
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019110802000173.html

安全保障関連法は「違憲だ」とする集団訴訟で東京地裁は訴えを退けた。ただ合憲とも言わず憲法判断を避けたのは、問題の本質を直視しない表れではないか。司法の消極主義は極めて残念だ。

 二〇一四年に政府は従来の解釈を一転させ、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした。それに基づき安保法制がつくられ、一六年に施行された。事実上の解釈改憲であり、大多数の憲法学者から当時、「違憲」「違憲の疑い」と指摘された。
 安保法制は野党や国民からも「戦争法案」と呼ばれ、「戦争ができる国」へと変質しているとの声が上がった。元内閣法制局長官は別の裁判所で「丸ごと違憲」と証言している。
・・・
 例えば海上自衛隊の護衛艦「いずも」は事実上の空母に改修され、F35B戦闘機が搭載予定だからだ。これは憲法九条下で保有できないとされてきた攻撃型空母の機能を果たしうる。・・・防衛費も二〇年度の概算要求は約五兆三千二百億円と過去最大規模に膨らむ。
・・・自衛隊がいずれ中東地域に派遣され、近くの米軍艦船が攻撃されたら、自衛隊は紛争に巻き込まれる恐れはないか。交戦状態にならないか。閣議決定以来、なし崩し的に事は進み始めている。・・・
 この訴訟の本質は、安保法制に対する憲法判断を迫ったものだ。
 それに応答しない判決は肩透かし同然である。ならば「合憲」と言えるのか。違憲なら止めねばならぬ。その役目は今、司法府が負っている。裁判官にはその自覚を持ってもらいたい。
***

私もこの裁判の原告として行方を見守ってきましたが、当初原告の訴えを丁寧に聞いていた裁判官が途中で交代するなどの動きから、残念ながら今回の判決は「予想どおり」との感想を持たざるを得ませんでした。

しかし、今回の判決に対し原告団は控訴の方針を示しており、また、安保関連法をめぐっては賠償や自衛隊の防衛出動などの差し止めを求めた集団訴訟は全国22地裁に計25件に上り、裁判はまだまだ続きます。

今後一連の裁判の中で、三権分立の原則を順守し、政府の顔色を伺うのでなく、独立した司法組織として問題の本質に向き合い、公正な判断を下す裁判所がでてくることを期待して、引き続き、一連の裁判の行方を注視したいと思います。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子
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心に「軽さ」を取り戻す

2019-11-04 21:01:44 | 暮らし
『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』・・・これは、2015年にパリで起きた「シャルリ・エブド襲撃事件」で、当時シャルリで働いていた風刺画家カトリーヌ・ムリスが、たまたま当日遅刻したため殺害を免れたものの、ショックと恐怖、多くの仲間を失った深い喪失感を抱え、やがてそこから回復し「軽やかさ」を取り戻すまでの道のりを、風刺画家としての技術を使って描いたドキュメンタリー漫画(原作2016年・翻訳版2019年発行)のタイトルです。

事件の後、カトリーヌは事件のショックと、24時間警護の息苦しさや、国中に溢れる「私はシャルリ」運動への違和感など、大きな苦悩から来る「内面の失神状態」の救済を求めて、美と芸術に触れる旅にでます。

イタリアのヴィラ・メディチの庭園では彫像に古代の人々の苦しみを感知し、ルーヴル美術館では「メデュース号の筏」の絵に、パリで襲撃にあった自分たちの姿を重ね、イタリア画家で殺人者になったカラヴァッジョの闇を孕む絵に光を見出して、カトリーヌは、絵画・芸術の美によって、心に「軽さ」を取り戻します。

この本のことを今回想起したのは、日本に暮らす私たちが、今年9月から10月の1か月の間に、2度にわたり大きな台風に見舞われ、大災害の苦しみに遭遇したからです。

本の序文でカトリーヌの元同僚フィリップ・ランソンは、この事件のことを「自分たちではどうにも太刀打ちできない嵐に巻き込まれたみたい※」と表現していますが、今回日本では多くの人たちが文字通り「太刀打ちできない嵐」に2度も巻き込まれ、家や田畑を失い、いまだに立ち直れない状態が続いています。そして、10月の消費税アップが彼らや私たちの苦しみに追い打ちを掛けています。

こうした状況下、安倍首相は、国民が直面している厳しい現実には目に見えた反応を示さず、その一方で、天皇即位祝賀行事やラグビーワールドカップなど、華やかな場面には必ず顔を出して、はしゃぎ気味な姿を公けにしています。

それに加えて、大型台風上陸の警報が出ているさ中の組閣で誕生した新閣僚たちは、次々に失言や不祥事でひんしゅくを買い、国民の命と暮らしを守るべき政権のちぐはぐさ、空疎さが際立って、私たちの不安を増幅させています。

このところテレビやツイッターなどのSNSでは、あえて他者を貶め傷つけるような言論が跋扈する一方、日ごろ人権や公正を求める人たちの間にも、ちょっとした齟齬や誤解に過度に反応し非難する風潮が広がって、出口のない重苦しさが蔓延しています。

パンドラさんが「政策的に作られた貧困問題」の中で指摘しているように、『見えない貧しさの中で人々はいろんな事を諦め、我慢しながら生きている。諦めと我慢は無気力を生み、特に若い人達の中に拡がっている』、更に、それが人々の間にネガティヴな感情を生み、時に弱い立場にいるもの同士の攻撃を生んでいる、というのが、日本の現状のような気がします。

こうした現状下、私たちは主権者として、政治家に対し、今一度社会の安心、安全のために働くことを厳しく求めるのは勿論ですが、それと同時に、個々に生きる人としての私たちは、この嵐の時代を「生き延びる戦略※」として、自分自身の中に「軽さ」を維持する努力をする必要があるのではないでしょうか。

折しも文化・芸術の秋。せっかくのこの時期に、時に心を静め深呼吸をして、良質な絵画や音楽、あるいは映画や書物に触れる時間を持つ工夫をしたいと思います。自分自身の中に「軽さという重み※」を育むために。嵐の中にあっても、希望ある未来に向かって、力強い一歩を踏み出すエネルギーを蓄えるために。

(※)『私が「軽さ」を取り戻すために』序文(フィリップ・ランソン(ジャーナリスト・作家))より

「護憲+コラム」より
笹井明子
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政策的に作られた「貧困問題」

2019-11-02 09:20:30 | 暮らし
珠さんのコラム「拡大する日本の貧困問題」、具体的数字をあげてのコラムに深く賛同します。

コラムに書かれていたように、小泉政権の時から派遣での働き方が増え、あれからすっかり定着してしまいました。

特に私が感じているのは、ここ20年の間に中間層だった高齢者の生活が苦しくなって来た事です。厚生年金+国民年金の人達でも、退職金を取り崩さなければ生活が成り立たない人達が多いようです。

唯一の資産は家やマンションですが、それすらも都心に近い郊外でも空き家が目立ち、マンションは修繕費も積み立てが底をついて、やらなければならない修繕も儘ならないマンションも多いと聞いています。

生涯をかけて家や土地を取得し、子どもの教育費に莫大なお金をかけても、その子が新卒一括採用で入社した企業を辞めて転職したら派遣か契約社員。人手不足とは言っても安く使える人が不足しているのです。

既に銀行等は大規模リストラを企てているという話も聞こえてきます。更に自動車には走行税をかけるとか、銀行も口座維持手数料を取るとか。

医療分野では、厚生労働省は市町村等が運営する公立病院と日本赤十字社が運営する公的病院の内、不採算な25%超にあたる全国424の病院のベッド数を減らし、再編統合する検討に入ったと新聞が報じていました。

地域で人の命を守り地域医療を担っている公立病院を、稼働率が低いからと安易に統廃合やベッド数を減らして良いものでしょうか。消費税は何のために増税したのでしょう。

私達の生活が少しづつ、少しづつ蝕まれて行く。その最初の始まりがあの圧倒的支持率を誇った「小泉政権」だったような気がしてならないのです。

既に安倍政権は消費税を上げても支持率がたいして下がらなかったから、何をしても国民の支持率は下がらないと奢り、国民を舐めています。

正にこれは珠さんが書かれたように、政策的に作られた貧困問題です。見えない貧しさの中で人々はいろんな事を諦め、我慢しながら生きているのです。諦めと我慢は無気力を生み、特に若い人達の中に拡がっているような気がして心配です。

それでも私はできる事を諦めずに続けようと思っています。ネットに書き込む事、ツイッターで呟き、時には同じ意思を持つ人達とデモや集会に参加して、来年も元気に生きて行こうと思ってます。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
パンドラ
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