夢夢散歩♪

自然の写真を中心に、日々の出来事を綴ります。

六波羅蜜寺~六道珍皇寺(恐)

2006年02月02日 | お出かけ
29日に京都南座へ行ってきましたが、ちょっと早めに京都入りし、ブラブラと歩きました
京阪線五条駅で下車し、まず向かったのが六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)です。



ここは、第60代醍醐天皇の皇子の空也上人(くうやしょうにん)により、天暦5年(951)に開創されたお寺です。
空也上人は「念仏の祖」と言われています。
悪疫退治のため、市中を念仏を唱えながら観音様を車で曳き、ついに病魔を鎮められたそうです。
空也上人没後、高弟の中信上人により規模を拡大し、平安時代には境域に平家一門の邸館が栄えました。
そう言えば、昨年の大河ドラマ「義経」で、清盛は「六波羅 殿」と呼ばれていました。

宝物館には、空也上人立像や平清盛坐像などの重要文化財が安置されています。


六波羅蜜寺に行った一番の目的は、空也上人立像を見ることでした。教科書に必ずと行っていいほど出てくる像で、胸に金鼓、左手に鹿の角の杖を持ち、念仏を唱える口からは六体の阿弥陀が出ています。
私が思っていたよりも大きな像でした。
宝物館は狭い部屋で、静まりかえっているのですが、ジッと見ていると、今にも念仏が聞こえてきそうでした。
平清盛坐像は本当に穏やかな顔をしていて、全く欲を感じませんでした。
空也上人は六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の行動を説いていますが、難しく厳しい行動だと思います。

境内には阿古屋塚がありました。

 

壇浦兜軍記・阿古屋琴責をご存知の方ならお分かりでしょうが、その阿古屋の菩提を弔うため、鎌倉時代に建立されたそうです。

さて、六波羅蜜寺から5分程歩くと、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)があります。
平安時代、この辺り一帯から山麓にかけて鳥辺野(とりべの)と呼ばれ、埋葬地だったそうです。
その入口にあったのが六道珍皇寺です。



六道というのは仏教でいう「六道輪廻」の事です。
人は死ぬと、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天上という6つの世界のいづれかに生まれるという思想です。
その6つの世界が集まっているのが、ここ六道の辻です。
この世とあの世の境と言われています。

門をくぐると、シーンと物音一つせず、違い世界に入り込んだ感じでした。



入って右側に「閻魔・篁(たかむら)堂」があります。
小さいのぞき窓があり、中を覗くと、目をカッと見開いた何とも恐ろしい閻魔様がこちらを見ていました。
心の準備が出来ていなかった私は、声が出そうになりました。その隣には小野 篁像。

小野篁という人は、昼は宮廷に仕え、夜は珍皇寺の井戸から地獄へ通い、閻魔様に仕えたという伝説が残っています。
閻魔様が「お前は地獄行きじゃ!」などの6つの世界の判定を下す時、アドバイスをしたようです。

本堂の裏庭には、篁が地獄へ行く時に使ったとされる井戸があります。



小さな階段を上り、のぞき窓から見てみると…



遠くて分かりにくいですが、井戸がありました。
この井戸は地獄へ行く時に使い、帰りは嵯峨の大覚寺南付近に明治初め頃まであった福生寺(ふくしょうじ)の井戸を使ったという説もあります。
今はその井戸もお寺も残っていないのが残念です。

井戸の近くに行ってのぞき込んでみたかったです。
でも、だーれもいない所で引きずりこまれでもしたら大変です。
ここへ私が来てることは、誰も知らないのですから…

しかも、帰りに使う井戸がなくなっているという事は、行ってしまったら二度と戻っては来られないということですね。

恐い~

無事にお寺を後にし、南座方面へ向かいました
続く

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする