夢夢散歩♪

自然の写真を中心に、日々の出来事を綴ります。

梅開花

2006年02月28日 | 日常(主に自然の写真)
盆栽の冬至梅が満開になりました

上の写真は二週間前の写真で5分咲きです。
下の写真が先週の写真で満開です。



上の写真の方が綺麗だと思われませんか?
盆栽なので木は小ぶりなのに、花はしっかり普通の大きさなので、満開になるとひしめき合って、汚い感じになっていました

来年も咲いてくれるかな?
梅は虫が付きやすく難しいようなので、今後の手入れが重要です。

庭の梅です







このピンクの梅も、元々は盆栽だったようで、庭に植えて大きくなったそうです。
冬至梅は小さく可愛い盆栽のままでいられるよう、剪定を頑張ろうと思います

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フィギュア最高!!

2006年02月26日 | 日常(主に自然の写真)
大好きなフィギュアスケート
ライブでは全然見られなかったのですが、昨日の夜にテレビで男女シングル、ペア、アイスダンスと堪能しました

荒川静香さんの金メダル、本当に素晴らしかったです

彼女の氷上を舞う優雅な姿に感動し、涙が出ました

あの大舞台で、自分の持っている最高の物を出せるなんて、すごいことだなと思います。
難度の高い技だけでなく、美しさも追求した彼女の最高のスケーティングだったのでしょう。

今までにない感動を与えてくれて、本当に心に残るオリンピックになりました。

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トリノに夢中♪

2006年02月19日 | 日常(主に自然の写真)
トリノオリンピックも、すでに後半に突入です
オリンピックって、いつも始まるまでは力を入れて見る気は全くないのに、いざ始まるとすごく力が入ってしまって、見出すと止まりません

私はフィギュアスケート、スピードスケート、スキージャンプぐらいしか見ていなかったのですが、今回はアルペン、クロスカントリー、バイアスロン、モーグルなどなど、いろんな種類の競技を楽しんでいます

中でも今までで面白かったのが、スノーボード

ハーフパイプは、ちょっとでもつまずいたら、失速して高く飛べないし、転倒なんてしたら、問題にならないくらい低い点数になります
アメリカ男子金メダルのショーンホワイトなんて、やはり他の選手と比べると、スピードもあるし、高さもあるし、完璧だなと感心しました

一番面白かったのが、スノーボードクロスです
これって、自分の能力も大事ですが、運が大きく左右する競技ですね。
4人が一斉に滑って、誰が一番にゴールするかというものですが、転倒すればもう追いつく事が出来ないのでそれで終わりですし、それに巻き込まれた人もそれで終わっちゃうのですから、怖い競技です
でも見てる方にとっては、最後まで全然勝負が分からないので、ドキドキハラハラすごく楽しかったです

女子では大どんでん返しがありました。
アメリカのジャコベリスが余裕のゴールで金メダルだと誰もが思っていたのに、最後のジャンプでボードをつかむパフォーマンスをしたため、着地の時にバランスを崩し転倒…
後ろから来ていたスイスのフリーデンがあっさり抜き、ゴール直前で大逆転。これにはビックリしました。
普通にゴールしていれば金メダルだったのに。着地がきれいに決まってのゴールだったら、素晴らしい金メダルになっていたでしょう。気の毒としか言いようがありません

まだまだ注目競技が続くトリノ。
目が離せそうにありません

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またまた京都④

2006年02月18日 | お出かけ
広隆寺

広隆寺は603年に建立された寺院です。
朝鮮半島からの渡来人である秦河勝が、聖徳太子から賜った弥勒菩薩像をご本尊として建立しました。
秦氏族は大勢で日本に帰化し、大陸文明を取り入れ、地方産業発達に貢献したそうです。

広隆寺の霊宝殿には、私が最も大好きな国宝第一号の『弥勒菩薩半跏思惟像』が安置されています。
弥勒様の前に座ると、「○○してほしい」とか「○○になりますように」とか、そういう欲は全然出てきません。ただ「そこにいて下さるだけでいい」という満たされた気持ちになります



かすかに笑みを浮かべる、とてもとても優しいお顔をされています。
心がスーッと綺麗になっていき、肩の力が抜けるような気がします
いつまでもいつまでも見ていたいお顔です。

霊宝殿の前には、十善戒が掲げられていました。


クリックすると大きくなります。)

十善戒は書いてあるとおり「十の善き戒め」です。
古くから仏教のなかで説かれてきた教えだそうです。
俗世間に生きている限り、この戒めを守るのは、はなかなか難しい事のように思います。



でも弥勒様の前に座ると、時間の流れが変わり、心穏やかになり、自分が美しい心の人間になったような気がします

こういう時間も、とても大切だなと感じます

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またまた京都③

2006年02月14日 | お出かけ
大報恩寺(千本釈迦堂)

北野天満宮から徒歩10分くらいの所にあります。
ここは「おかめ塚」が有名です。
この日は寒かったので、少し雪をかぶったおかめ像です。

このお寺の本堂を建てる時、洛中洛外に名の聞こえた高次という人が総棟梁に選ばれ、造営工事は着々と進んでいました。
ある日、高次は誤って四天柱の一本を短く切り落としてしまいました。心憂の毎日を過ごしている夫の姿を見た妻のおかめは、「いっそ、斗きょうをほどこせば」と助言しました。
柱を四本とも短くし、斗きょう(組み物)をほどこし高さを合わせてはどうかという事です。
(斗きょうとは? http://www.matsuri.gr.jp/daiku/k_takumi_masugumi.htm

その着想が成功に結びつき、見事な大堂の骨組みが出来上がりました。
しかし、おかめは上棟式を待たずして自刃してしまいました。
「女の提言により棟梁の大任を果たしたと世間にもれきこえては… この身はいっそ夫の名声に捧げましょう」と決意したのです。高次は上棟の日に、おかめの面を飾り、冥福と大堂の無事完成を祈ったそうです。



アドバイスをしただけで命を絶たなければいけないなんて、なんという時代だったのでしょう?
アドバイスさえも出来ない時代だったのでしょうか。
どう考えても、なぜ死ななければいけなかったのか、今の時代から考えると、考えられない事です。



その本堂です。
正式名は大報恩寺(だいほうおんじ)ですが、千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)の名で知られています。
藤原秀衡の孫である義空上人(ぎくうしょうにん)が、この地に釈迦念仏道場として一仏十弟子像を安置したのが起こりと言われています。
現在残っている本堂は1227年に建立したもので、応仁の乱をはじめ幾度の災難をのがれた京都市最古の仏堂遺構で、国宝に指定されています。

2月にはおかめ節分会が行われます。
私が行った日は節分会の翌日だったので、後片づけをされていました。下にはピーナッツが落ちていました。

吉田兼好の徒然草228段には
「千本釈迦念仏は 文永の比 如輪上人 これを始められけり」
とあります。
3月には釈迦念仏教経奉唱が行われます。


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またまた京都②

2006年02月11日 | お出かけ
長五郎餅

北野天満宮境内にある茶店で、長五郎餅を食べました

今から400年ほど前、北野天満宮の縁日に決まってやってきては小さな餅を5.6個売って帰って行く、河内屋長五郎という老人がいました。
1587(天正15)年、豊臣秀吉が北野天満宮で上下の別のない大茶会を催す事になり、長五郎も茶店を出しました。
そこで秀吉に餅を献上した所たいそう気に入られ、「以後『長五郎餅』と名のるべし」と言われたそうです。

この日はとても寒かったので、お餅も冷え冷えでした
でも餡が薄い白い皮で包まれ、とても上品な味でした。
梅が咲く頃のお茶会、風流でしょうね



化粧地蔵

ここ北野天満宮界隈を歩いていると、面白いお地蔵様を見つけました。



       近づいてみると…
           ↓

 



ビックリ なんとお化粧をされているのです。
この辺りで私が出会ったお地蔵さんは、みんなお化粧をしていました。
後で知ったのですが、このお地蔵さんは「化粧地蔵」と言って、8月の地蔵盆の時に、子供達がお地蔵さんにお化粧をするのだそうです。それぞれすごく表情があり、可愛いです
調べみると、化粧地蔵が各地にある事が分かりました。

関連HP

http://www41.tok2.com/home/kanihei5/kesyoujizou0.html

http://nobotoke.hp.infoseek.co.jp/kesho/%81u%82%CD%82%B6%82%DF%82%C9%81v.html

まだまだ日本知らない事だらけです

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またまた京都①

2006年02月09日 | お出かけ
ジャジャ~ン
この牛さんの説明は、後ほど…

先月末に京都へ行ってきたばかりですが、またまた4日にお出かけし、相も変わらず寺社巡りをしてきました
先月行った時は、でとても暖かかったのに、この日はとても寒く、が降ったりやんだりの天気でした。



北野天満宮は菅原道真公をお祀りし、学問の神様として有名です。

845年6月25日に誕生された道真公は、幼少の頃より和歌や漢詩など文才を表し、武道の技も磨かれ、文武両道に励まれました。
33歳で、学者としては最高の文章博士(もんじょうはかせ)に就任しました。
宇多天皇、醍醐天皇に重用され、55歳で右大臣に昇進しましたが、901年に左大臣 藤原時平の讒言(ざんげん…おとしいれるため相手を悪く言い、またありもしない事を作り上げて、目上の人に告げる事)によって大宰府へ左遷となりました。

道真公は、左遷されても天を怨まず、人々の幸せをお祈りしました
903年2月25日、無罪の罪も晴れぬまま59歳で亡くなりました。

道真公の死後、京には異変が相次ぎます。
醍醐天皇の皇子が次々に病死し、藤原時平が亡くなり、落雷で多くの死傷者が出、さらに醍醐天皇が亡くなりました。
朝廷は『道真の祟りだ』と恐れました。
そこで、道真公の罪を取り消し、もとの右大臣に戻しました。
そして京都の北野が古くから雷神を祀っていたことから、京都の北野に北野天満宮を建立しました。
当初は、無実の罪をうけた時に祈れば救われると考えられていました。
学問の神様になったのは江戸時代のことで、道真公が優れた学者・歌人であったことから学問の神として信仰されるようになったようです。



いくつかの鳥居をくぐり歩いていると、前方に楼門が見えてきました。



楼門をくぐり、ズンズン歩いていくと三光門が見えてきました。



彫刻の中に日月星があるので三光門なのだそうです。
帰ってきてから知ったので、見ることが出来ませんでした
後西天皇の御宸筆(ごしんぴつ…天皇の御筆跡)『天満宮』の勅額(ちょくがく…天皇が書かれた額)が掲げられています。



この三光門の前にいた狛犬が、なんかおかしいのです??



すごくやせ細っていませんか?おなかがペチャンコなのです
どうしちゃったのでしょう?雪もうっすらかぶって寒そうです。

三光門をくぐると、いよいよ社殿です。

 社殿正面

現在の社殿は1607(慶長12)年に豊臣秀頼によって造営されたもので、桃山建築の代表です。国宝に指定されています。

 社殿横から

 社殿後方から

手前の赤い社が地主社で、境内で最も古い社だそうです。

と、ここでまたまた登場



「モー、いいよ」って声が聞こえてきそうですが、境内にはたくさんの牛が祀られていました。







道真公の誕生日が、乙丑年、丑月、丑日、丑刻であることから、丑は天神様のお使いとなっているそうです。
道真公のご遺骸を、牛が引く車で運んでいた途中、牛が座り込んで動かなくなったそうです。その場所に道真公を埋葬し、そこが太宰府天満宮の発祥となったと言う伝説があります。そこから、横たわった丑の像が祀られているとのことです。

道真公の歌が、百人一首に選ばれています。

『このたびは ぬさもとりあへず 手向山
          もみぢのにしき 神のまにまに 』
               菅 家(かんけ…道真公の尊称)

〔歌意〕
今度の旅は上皇のお供をする慌ただしさで、おそなえする幣帛(へいはく…神前に供える物。ぬさ。)も用意できておりません。
それで、さしあたって、この手向山の錦織のような美しいもみじを、神の御心のままにお受けとりください。

道真公が宇多上皇のお供で奈良へ行った時に詠んだ歌です。
左遷される3年前でした。
この時は、まさか今後自分の身に起こる波乱を予想もしなかったでしょう。考えると、悲しいです

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バンドバトンの回答

2006年02月06日 | ライブ・音楽
*親愛*のともこんさんから、バンドバトンが回ってきました。
バンドバトンって初めて受け取ったのですが、まわす方がおりませんので、私のみの回答で申し訳ありません

お題は 『 Tourbillon 』 です

★好きなメンバー2人
迷いなく、INORANとRYUICHI様です。
葉山さんの事は、まだあんまりよく知らないのですいません。


★好きなメンバーに一言
INORANは今のままでいて欲しいです。
クールで、あまりサービス精神のないままで
サービスが多いと、期待過剰になってしまいます。
INORANのギターが大好きなので、これからも素敵な音色をを聴かせて欲しいです

RYUICHIさんは、結婚後にどんな曲ができあがってくるのか楽しみです

3人が混ざり合って出来てくる曲に期待し、その曲をライブで聞けるのを楽しみにしています。
東京だけじゃなく、早くツアーをして欲しいです~


★思い入れのある曲3曲と、その理由
シングル3枚に、アルバム1枚しか出ていないので、少ない曲からの選択になりますが…

《 your place 》
心がパーッと明るくなる曲です
RYUICHIさんもとっても楽しそうに歌っているので、こちらも気持ち良いです

《 Replica 》
「好きか?」って聞かれると、「好きだ!」と自信を持って言えないのですが、すごく引き込まれる曲です。
なぜか必ず聴きたくなる曲です。
最後の「good bye my love」が大好きです

《 Lost it 》
まさにINORANワールドです
広がりを感じる曲、永遠を感じる曲です。


★このバンド以外で気になる(よく聴いている)バンド
J、FAKE?、INORANソロ、隆ソロ、LUNA SEAばかり
時々聞くのは、槇原敬之さんやB'z、CRAZY KEN BAND。
↑ばかり聞いているので、世間の音楽事情に疎いです
お薦めバンドがありましたら、教えて頂きたいです

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摩利支尊天堂~知恩院

2006年02月04日 | お出かけ
南座方面へ向かう途中、建仁寺の境内入口の側に、摩利支尊天堂がありました。正式名称は禅居庵といいます。
中に入ってみると、なんと狛犬ではなく、狛猪(?)がたくさんいました。猪だなんて、見たことがないので、とても不思議な感じでした。





摩利支尊天は陽炎が神格化されたもので、顔は天童女で三面六臂(うで)あり、身には甲冑をつけ、頭には宝冠を戴き、七頭の猪に乗っているそうです。
だから境内に多くの猪が祀られているのですね。

陽炎は神出鬼没なものということから、そうなりたい武将に信仰されるようになったようです。そこから勝利をもたらすという意味で開運勝利、また福利円満や七難除けなどの信仰を集めているそうです。

さて建仁寺境内を通り過ぎ、祇園花見小路も通り過ぎ、八坂神社へ向かいました。
八坂神社は平安初期に創建された全国の祇園社の総本社です。京都の人には「祇園さん」と親しまれ、厄除け、商売繁盛の神として、いつも賑わっています。



門をくぐってすぐ左には…



↓近づいてみると



こんな所に藤十郎さんの絵馬が飾られていたんですね。
これだけすごく新しいので目立っていました
雨風だと濡れてしまうと思うのですが、大丈夫なんでしょうか?

この日は神社で結婚式が行われていて、参拝に来た人からも祝福されていました



本殿横には美御前社があり、美容の神様もおられました。

 しっかりお参りしました

ここには美容水が湧き出ていて、肌も心も綺麗になれるとか
パシャパシャと、顔につけました
でも頼るだけじゃなく、努力しないとどうにもならないですね



円山公園を抜けて向かった先は知恩院です。
高さが24mもある三門は、現存の木造建築としては日本一です空・無相・無願の三つの解脱の境地を表わす門ということで、三門だということです。



この門には、何度来ても圧倒されます
以前見ているはずなのに、「こんなに大きかったんだ」と感心してしまいます。
円山公園を抜けると、いきなりそびえ立つ三門が見えるので、驚きも大きいです。

三門をくぐるとまた階段です。



この階段が男坂です。段差が大きく、かなりきついです。右手には女坂があり、段差の小さい緩やかな階段になっています。

のぼりきると、そこには壮大な御影堂(みえいどう)が堂々と建っていました。



三門も立派ですが、この御影堂も素晴らしい建物でした。
昔の人の技術って、本当にすごいなぁと感心せずにはいられません

私が行った29日は快晴で、ポカポカ陽気
散歩するには絶好の気候でした。

京都へは歌舞伎で南座へ行く時に少しウロウロするだけなので、次はゆっくり観光だけでいきたいと思います =3

京都のお薦めスポット、雑貨屋さん、食べもの、一人でも入れる(入りやすい)お店、等々があれば、教えて頂けるととっても嬉しいです
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六波羅蜜寺~六道珍皇寺(恐)

2006年02月02日 | お出かけ
29日に京都南座へ行ってきましたが、ちょっと早めに京都入りし、ブラブラと歩きました
京阪線五条駅で下車し、まず向かったのが六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)です。



ここは、第60代醍醐天皇の皇子の空也上人(くうやしょうにん)により、天暦5年(951)に開創されたお寺です。
空也上人は「念仏の祖」と言われています。
悪疫退治のため、市中を念仏を唱えながら観音様を車で曳き、ついに病魔を鎮められたそうです。
空也上人没後、高弟の中信上人により規模を拡大し、平安時代には境域に平家一門の邸館が栄えました。
そう言えば、昨年の大河ドラマ「義経」で、清盛は「六波羅 殿」と呼ばれていました。

宝物館には、空也上人立像や平清盛坐像などの重要文化財が安置されています。


六波羅蜜寺に行った一番の目的は、空也上人立像を見ることでした。教科書に必ずと行っていいほど出てくる像で、胸に金鼓、左手に鹿の角の杖を持ち、念仏を唱える口からは六体の阿弥陀が出ています。
私が思っていたよりも大きな像でした。
宝物館は狭い部屋で、静まりかえっているのですが、ジッと見ていると、今にも念仏が聞こえてきそうでした。
平清盛坐像は本当に穏やかな顔をしていて、全く欲を感じませんでした。
空也上人は六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の行動を説いていますが、難しく厳しい行動だと思います。

境内には阿古屋塚がありました。

 

壇浦兜軍記・阿古屋琴責をご存知の方ならお分かりでしょうが、その阿古屋の菩提を弔うため、鎌倉時代に建立されたそうです。

さて、六波羅蜜寺から5分程歩くと、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)があります。
平安時代、この辺り一帯から山麓にかけて鳥辺野(とりべの)と呼ばれ、埋葬地だったそうです。
その入口にあったのが六道珍皇寺です。



六道というのは仏教でいう「六道輪廻」の事です。
人は死ぬと、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天上という6つの世界のいづれかに生まれるという思想です。
その6つの世界が集まっているのが、ここ六道の辻です。
この世とあの世の境と言われています。

門をくぐると、シーンと物音一つせず、違い世界に入り込んだ感じでした。



入って右側に「閻魔・篁(たかむら)堂」があります。
小さいのぞき窓があり、中を覗くと、目をカッと見開いた何とも恐ろしい閻魔様がこちらを見ていました。
心の準備が出来ていなかった私は、声が出そうになりました。その隣には小野 篁像。

小野篁という人は、昼は宮廷に仕え、夜は珍皇寺の井戸から地獄へ通い、閻魔様に仕えたという伝説が残っています。
閻魔様が「お前は地獄行きじゃ!」などの6つの世界の判定を下す時、アドバイスをしたようです。

本堂の裏庭には、篁が地獄へ行く時に使ったとされる井戸があります。



小さな階段を上り、のぞき窓から見てみると…



遠くて分かりにくいですが、井戸がありました。
この井戸は地獄へ行く時に使い、帰りは嵯峨の大覚寺南付近に明治初め頃まであった福生寺(ふくしょうじ)の井戸を使ったという説もあります。
今はその井戸もお寺も残っていないのが残念です。

井戸の近くに行ってのぞき込んでみたかったです。
でも、だーれもいない所で引きずりこまれでもしたら大変です。
ここへ私が来てることは、誰も知らないのですから…

しかも、帰りに使う井戸がなくなっているという事は、行ってしまったら二度と戻っては来られないということですね。

恐い~

無事にお寺を後にし、南座方面へ向かいました
続く

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