明治の夜明け2
驚異の近代化(日本は凄まじい勢いで近代化へ)
☆近代産業を興して、富国強兵策を進めた
*日本初の鉄道が「新橋―横浜」間(約29KM)で開通
*民間資本で、153の国立銀行が作られた。
*群馬県富岡で日本初の官営器械製糸工場である富岡製糸場
*この他にも様々な工場を建設し、全国各地で鉱山を開発した
☆教育にも力を入れた
*東京大学を設立(教授陣の多くは外国人)
*慶應義塾、同志社大学の前身の学校が民間人によって創設された
*学制を定め、全国を8つの学区に分け大学校、中学校、小学校の数を制定した。
☆身分制度も改めた
*旧公家や旧大名は「華族」、旧武士階級は「士族」、それ以外は「平民」となった
*移住や職業選択の自由も認められ「四民平等」となった
* 一部地域の戸籍には、(えた)・は、「」や「元」「元」と記載さた
☆地租改正
*江戸時代には禁じられていた田畑を売買することが許され(田畑永代売買禁止令解禁)
*土地には税金が課せられることになった(地租改正条例)
☆海軍省と陸軍省も創設
*男子は兵役に就くことが義務付けられた(徴兵制)
☆郵便制度も確立(東京、大阪、京都に郵便役所が創設された)
☆政府は産業や制度改革だけでなく、西洋の文化を積極的に取り入れた
☆戊辰戦争終結後の5年以内に行なわれたというのは驚愕の一語である
*世界史を見渡しても、これほど急激に近代化を成し遂げた国はない
明治6年の政変
☆明治政府は李氏朝鮮と近代的な国交を結ぼうとした
*朝鮮は拒絶し、翌年には排日の気運が高まった
*李氏朝鮮の大院君「日本は獣、日本人と交わった者は死刑に処す」との布告を出した
☆政府内で、西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らを中心に「征韓」を唱える声が上がった
*西郷は、自らが使節として朝鮮に赴き、大院君に会うと言った
*西郷が朝鮮に渡れば殺される可能性が高く、戦争に発展する可能性が高い
*政府は遺韓中止を決定し、西郷や板垣らの征韓派が一斉に政府から去る
☆これを「明治6年の政変」と呼ぶ
*実態は薩摩・長州閥と土佐・肥前閥の勢力争い
*「岩倉遣欧使節団」(内治派)と「留守政府」(征韓派)と呼ばれる者たちの対立
☆新政府が成立してからも、この二つの派閥は水面下で対立
*司法卿の江藤(肥前)が、陸軍大輔の山県(長州)と大蔵大輔の井上(同)を汚職疑惑で辞任に追い込む
(土佐・肥前閥が、薩摩・長州閥の発言力の低下を狙って)
☆危機感を抱いた薩摩・長州閥が「征韓論」反対で巻き返しを狙ったのが「明治6年の政変」だった
*土佐・肥前閥は政府の中枢から一掃され、明治政府は薩摩。長州閥が幅を利かす
☆この政変で野に下った板垣退助
*後藤象一^郎や江藤新平らと「愛国公党」を結成
*政府の専制政治を批判し、国会の開設を要求し「自由民権運動」に発展していく
台湾出兵
☆日本は台湾に出兵
*台湾に漂着した宮古島島民54人が台湾の原住民によって虐殺された事件の報復
*日本は清に抗議したが、清は「台湾は統治外の土地」として、責任はないと答えた
*日本はその返答を聞き、台湾は清の支配が及ばない土地と解釈して、出兵した
*この出兵の裏には、士族の不満を外征で逸らそうという狙いもあった
☆台湾を制圧した日本
*清と交渉し、日本の出兵が自国民(琉球人)への加害に対する義挙であることを認めさせた
*間接的に、琉球が正式に日本に帰属することを清に承認させた
☆日本は、ロシアと国境画定交渉を行なった
*樺太を放棄する代わりに、千島列島を日本が領有する「樺太・千島交換条約」を結んだ
朝鮮に開国させる
☆日本は、朝鮮半島の江華島に軍艦「雲揚」を派遣した
*軍艦が朝鮮に砲撃される事件が起きた(江華島事件)
*雲揚はただちに反撃し、朝鮮の砲台を破壊し、江華島を占拠した
☆日本は朝鮮に対し、賠償を求めない代わりに開国を要求し、「日朝修好条規」を締結させた
*条約に「日本の領事裁判権を認める」などの項目がある
*日本が欧米列強と結んだ不平等条約を朝鮮に押し付けたものとなった
☆他国に対して不平等条約を押し付けたのは不当な行為?
*当時の国際感覚では普通の外交だった
*国力と情報に劣る弱小国は、強い国の言い分を呑まされる
*「力の法則」を、日本は幕末から明治にかけて学んだのだった
☆日本はぎりぎりのところで欧米列強の植民地支配を免れた
*強国が犇めきあう世界の中に放り出された赤子のような国家であった
*悠長に政策論議をしている時間的な余裕はなかったのである
西南戦争
☆全国各地で、新政府に不満を持つ士族の反乱が続いてい
☆最大の反乱が九州で起こった(西南戦争)
*「明治六年の政変」で鹿児島に戻っていた西郷隆盛
*西郷隆盛を総大将とする元薩摩藩の士族たちを中心とした反乱である
*反乱軍はその年の九月には政府軍に鎮圧され、西郷は自決し、戦争は終わった
*以後、士族の反乱は途絶えた
☆戊辰戦争から10年続いていた動乱の時代が終わりを告げた
☆明治政府は盤石の体制を築くことができた
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本国紀』
明治の夜明け(台湾出兵&朝鮮に開国さす)
(ネットより画像引用)
驚異の近代化(日本は凄まじい勢いで近代化へ)
☆近代産業を興して、富国強兵策を進めた
*日本初の鉄道が「新橋―横浜」間(約29KM)で開通
*民間資本で、153の国立銀行が作られた。
*群馬県富岡で日本初の官営器械製糸工場である富岡製糸場
*この他にも様々な工場を建設し、全国各地で鉱山を開発した
☆教育にも力を入れた
*東京大学を設立(教授陣の多くは外国人)
*慶應義塾、同志社大学の前身の学校が民間人によって創設された
*学制を定め、全国を8つの学区に分け大学校、中学校、小学校の数を制定した。
☆身分制度も改めた
*旧公家や旧大名は「華族」、旧武士階級は「士族」、それ以外は「平民」となった
*移住や職業選択の自由も認められ「四民平等」となった
* 一部地域の戸籍には、(えた)・は、「」や「元」「元」と記載さた
☆地租改正
*江戸時代には禁じられていた田畑を売買することが許され(田畑永代売買禁止令解禁)
*土地には税金が課せられることになった(地租改正条例)
☆海軍省と陸軍省も創設
*男子は兵役に就くことが義務付けられた(徴兵制)
☆郵便制度も確立(東京、大阪、京都に郵便役所が創設された)
☆政府は産業や制度改革だけでなく、西洋の文化を積極的に取り入れた
☆戊辰戦争終結後の5年以内に行なわれたというのは驚愕の一語である
*世界史を見渡しても、これほど急激に近代化を成し遂げた国はない
明治6年の政変
☆明治政府は李氏朝鮮と近代的な国交を結ぼうとした
*朝鮮は拒絶し、翌年には排日の気運が高まった
*李氏朝鮮の大院君「日本は獣、日本人と交わった者は死刑に処す」との布告を出した
☆政府内で、西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らを中心に「征韓」を唱える声が上がった
*西郷は、自らが使節として朝鮮に赴き、大院君に会うと言った
*西郷が朝鮮に渡れば殺される可能性が高く、戦争に発展する可能性が高い
*政府は遺韓中止を決定し、西郷や板垣らの征韓派が一斉に政府から去る
☆これを「明治6年の政変」と呼ぶ
*実態は薩摩・長州閥と土佐・肥前閥の勢力争い
*「岩倉遣欧使節団」(内治派)と「留守政府」(征韓派)と呼ばれる者たちの対立
☆新政府が成立してからも、この二つの派閥は水面下で対立
*司法卿の江藤(肥前)が、陸軍大輔の山県(長州)と大蔵大輔の井上(同)を汚職疑惑で辞任に追い込む
(土佐・肥前閥が、薩摩・長州閥の発言力の低下を狙って)
☆危機感を抱いた薩摩・長州閥が「征韓論」反対で巻き返しを狙ったのが「明治6年の政変」だった
*土佐・肥前閥は政府の中枢から一掃され、明治政府は薩摩。長州閥が幅を利かす
☆この政変で野に下った板垣退助
*後藤象一^郎や江藤新平らと「愛国公党」を結成
*政府の専制政治を批判し、国会の開設を要求し「自由民権運動」に発展していく
台湾出兵
☆日本は台湾に出兵
*台湾に漂着した宮古島島民54人が台湾の原住民によって虐殺された事件の報復
*日本は清に抗議したが、清は「台湾は統治外の土地」として、責任はないと答えた
*日本はその返答を聞き、台湾は清の支配が及ばない土地と解釈して、出兵した
*この出兵の裏には、士族の不満を外征で逸らそうという狙いもあった
☆台湾を制圧した日本
*清と交渉し、日本の出兵が自国民(琉球人)への加害に対する義挙であることを認めさせた
*間接的に、琉球が正式に日本に帰属することを清に承認させた
☆日本は、ロシアと国境画定交渉を行なった
*樺太を放棄する代わりに、千島列島を日本が領有する「樺太・千島交換条約」を結んだ
朝鮮に開国させる
☆日本は、朝鮮半島の江華島に軍艦「雲揚」を派遣した
*軍艦が朝鮮に砲撃される事件が起きた(江華島事件)
*雲揚はただちに反撃し、朝鮮の砲台を破壊し、江華島を占拠した
☆日本は朝鮮に対し、賠償を求めない代わりに開国を要求し、「日朝修好条規」を締結させた
*条約に「日本の領事裁判権を認める」などの項目がある
*日本が欧米列強と結んだ不平等条約を朝鮮に押し付けたものとなった
☆他国に対して不平等条約を押し付けたのは不当な行為?
*当時の国際感覚では普通の外交だった
*国力と情報に劣る弱小国は、強い国の言い分を呑まされる
*「力の法則」を、日本は幕末から明治にかけて学んだのだった
☆日本はぎりぎりのところで欧米列強の植民地支配を免れた
*強国が犇めきあう世界の中に放り出された赤子のような国家であった
*悠長に政策論議をしている時間的な余裕はなかったのである
西南戦争
☆全国各地で、新政府に不満を持つ士族の反乱が続いてい
☆最大の反乱が九州で起こった(西南戦争)
*「明治六年の政変」で鹿児島に戻っていた西郷隆盛
*西郷隆盛を総大将とする元薩摩藩の士族たちを中心とした反乱である
*反乱軍はその年の九月には政府軍に鎮圧され、西郷は自決し、戦争は終わった
*以後、士族の反乱は途絶えた
☆戊辰戦争から10年続いていた動乱の時代が終わりを告げた
☆明治政府は盤石の体制を築くことができた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本国紀』
明治の夜明け(台湾出兵&朝鮮に開国さす)
(ネットより画像引用)