日本の復興(1)
独立するアジア諸国
☆大東亜戦争で日本軍に追われたイギリス、フランス、オランダ
*植民地支配を復活させるため、戦後東南アジアに軍を派遣した
*民族主義に目覚めていたアジア諸国は列強に勇敢に戦い、独立を果たしていく
☆東南アジアの諸国民
*「アジア人は白人に絶対に勝てない」と思い込んでいた
*その認識を覆したのが、日本人だった
*東南アジアの独立は、意外にも早く勝ち取ることができた
☆日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した
☆日本が戦争中、東南アジアの諸国に進軍し、日本軍が欧米列強を追い出した
☆戦後、多くの日本兵が現地に残る
*東南アジアの人々と独立戦争を戦って命を落とした
*インドネシアでは、各地に立戦争で死んだ多くの日本兵が埋葬され眠っている
再び混乱する世界
☆ソ連は東ヨーロッパの国々を呑み込み、無理矢理に共産化しソ連の衛星国家とした
*ソ連の政策に反対する者たちは、首相であっても粛清された
☆ソ連と共産主義の進出(冷戦)
*赤化を抑えるために、西側諸国が北大西洋条約機構(NATO)を結成する
*ソ連も、東ヨーロッパ諸国とワルシャワ条約機構(WTO)軍事同盟を結成して対抗
☆中国大陸
*蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党が内戦を再開
*中国共産党が勝利して「中華人民共和国」が生まれた
*蒋介石は台湾に逃れ、その地が「中華民国」となった
☆中国共産党
*勢力拡大のために「1村1焼1殺、外加全没収」を行った
(1つの村で1人の地主を殺し、その家を焼き払って、加えて全財産を没収する意味)
*具体的な方法
(地主を人民裁判で処刑し、全財産を没収した上で、彼の土地を村人に分け与える)
(代償として、村人から何人かの若者を中国共産党に兵隊として差し出す)
☆朝鮮半島
*大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という2つの国が生まれた
*北朝鮮建国の時
(ソ連は自国で思想教育した金成柱を「金日成」として送り込んで国家主席に据えた)
(「金日成」は、朝鮮の民衆の間に伝わる抗日ゲリラの伝説的人物)
(実在の人物ではないともいわれている)
☆朝鮮半島と中国大陸に共産主義国家が誕生
*極東でも冷戦状況が生まれ、日本を東アジアにおける共産主義の防波堤とようとしたアメリカ
*日本を農業国にする政策から、工業国に戻す方針に転換した
日本独立
☆北朝鮮はソ連の支援を受けて韓国に侵攻した
*北朝鮮軍は、韓国全土をほぼ占領したが、国連軍が仁川に上陸すると戦況が一変
*国連軍は中国国境近くまで北朝鮮軍を押し返した
*北朝鮮の軍に中国の人民解放軍が加わり、戦争が長期化した
☆日本に駐留していたアメリカ軍が大規模に朝鮮半島に出撃
*日本国内の治安維持のための部隊が新たに必要となる
*GHQは日本政府に対し警察予備隊を作ることを命じた(後に自衛隊)
☆日本は、朝鮮半島で戦うアメリカ軍に大量の軍需物資その他を供給する
*経済が息を吹き返した
☆日本の急速な復興を見たアメリカ
*日本の独立を早めて、自由主義陣営に引き入れようと考えた
*日本は48の国々とサンフランシスコ講和条約を締結する
☆敗戦で、国力は大きく削がれたとはいえ、潜在能力は東側陣営にとって脅威だった
スターリンは日本のコミンテルンに「講和条約を阻止せよ」との指令を下したといわれている
☆野党第一党の日本社会党と日本共産党は、講和条約締結に真っ向から反対した
*時の東京大学総長・大学長や学者、知識人も反対の論陣を張った
*彼らの多くは「公職追放」の後、大学に入ってきた社会主義者だった
☆朝日新聞をはじめ、マスメディアも、「単独講和」が良くない報道を繰り返した
☆当時のメディアと知識人
*自らのイデオロギーと既得権保持のために、日本を独立させなくてもかまわないと考えていた
*主権、外交の権限もなく、外国の軍隊が、国土と国民を支配している状況を良しとしていた
*戦後わずか6年で、日本の言論界はこれほどまでに歪んでしまっていたのだ
☆時の首相、吉田茂は講和に反対する学者たち
*「曲学阿世(きょくがくあせい)の徒(世に阿るインチキ学者)」と呼んだ
☆講和条約が発効して、日本は戦後7年経て、主権を回復し悲願の独立を果たす
極東国際軍事裁判(東京裁判)で「戦犯」とされていた人たち
☆早期釈放を求める世論が沸騰し国民運動が起こった
☆日本弁護士連合会(日弁連)も「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出
☆政府は、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案」を国会に提出
*衆議院本会議で、日本社会党、日本共産党を含むほぼ全会一致で、戦犯の赦免が決議された
*戦勝国によって「戦犯」とされた人々の赦免は、日本人全員の総意であったといえる
*GHQによる「WGIP」の洗脳にこの時点では多くの日本人が染まっていなかった
*洗脳が完全に行なわれていたなら、戦犯赦免運動など起こるはずがなかった
☆洗脳の効果が現れるのは、この後である
☆講和条約発効後、連合国軍による占領は終わる
*GHQが日本から去って、検閲と言論統制はなくなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本国紀』
日本の復興(1)(1村1焼1殺・外加全没収、曲学阿世の徒)
(ネットより画像引用)
独立するアジア諸国
☆大東亜戦争で日本軍に追われたイギリス、フランス、オランダ
*植民地支配を復活させるため、戦後東南アジアに軍を派遣した
*民族主義に目覚めていたアジア諸国は列強に勇敢に戦い、独立を果たしていく
☆東南アジアの諸国民
*「アジア人は白人に絶対に勝てない」と思い込んでいた
*その認識を覆したのが、日本人だった
*東南アジアの独立は、意外にも早く勝ち取ることができた
☆日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した
☆日本が戦争中、東南アジアの諸国に進軍し、日本軍が欧米列強を追い出した
☆戦後、多くの日本兵が現地に残る
*東南アジアの人々と独立戦争を戦って命を落とした
*インドネシアでは、各地に立戦争で死んだ多くの日本兵が埋葬され眠っている
再び混乱する世界
☆ソ連は東ヨーロッパの国々を呑み込み、無理矢理に共産化しソ連の衛星国家とした
*ソ連の政策に反対する者たちは、首相であっても粛清された
☆ソ連と共産主義の進出(冷戦)
*赤化を抑えるために、西側諸国が北大西洋条約機構(NATO)を結成する
*ソ連も、東ヨーロッパ諸国とワルシャワ条約機構(WTO)軍事同盟を結成して対抗
☆中国大陸
*蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党が内戦を再開
*中国共産党が勝利して「中華人民共和国」が生まれた
*蒋介石は台湾に逃れ、その地が「中華民国」となった
☆中国共産党
*勢力拡大のために「1村1焼1殺、外加全没収」を行った
(1つの村で1人の地主を殺し、その家を焼き払って、加えて全財産を没収する意味)
*具体的な方法
(地主を人民裁判で処刑し、全財産を没収した上で、彼の土地を村人に分け与える)
(代償として、村人から何人かの若者を中国共産党に兵隊として差し出す)
☆朝鮮半島
*大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という2つの国が生まれた
*北朝鮮建国の時
(ソ連は自国で思想教育した金成柱を「金日成」として送り込んで国家主席に据えた)
(「金日成」は、朝鮮の民衆の間に伝わる抗日ゲリラの伝説的人物)
(実在の人物ではないともいわれている)
☆朝鮮半島と中国大陸に共産主義国家が誕生
*極東でも冷戦状況が生まれ、日本を東アジアにおける共産主義の防波堤とようとしたアメリカ
*日本を農業国にする政策から、工業国に戻す方針に転換した
日本独立
☆北朝鮮はソ連の支援を受けて韓国に侵攻した
*北朝鮮軍は、韓国全土をほぼ占領したが、国連軍が仁川に上陸すると戦況が一変
*国連軍は中国国境近くまで北朝鮮軍を押し返した
*北朝鮮の軍に中国の人民解放軍が加わり、戦争が長期化した
☆日本に駐留していたアメリカ軍が大規模に朝鮮半島に出撃
*日本国内の治安維持のための部隊が新たに必要となる
*GHQは日本政府に対し警察予備隊を作ることを命じた(後に自衛隊)
☆日本は、朝鮮半島で戦うアメリカ軍に大量の軍需物資その他を供給する
*経済が息を吹き返した
☆日本の急速な復興を見たアメリカ
*日本の独立を早めて、自由主義陣営に引き入れようと考えた
*日本は48の国々とサンフランシスコ講和条約を締結する
☆敗戦で、国力は大きく削がれたとはいえ、潜在能力は東側陣営にとって脅威だった
スターリンは日本のコミンテルンに「講和条約を阻止せよ」との指令を下したといわれている
☆野党第一党の日本社会党と日本共産党は、講和条約締結に真っ向から反対した
*時の東京大学総長・大学長や学者、知識人も反対の論陣を張った
*彼らの多くは「公職追放」の後、大学に入ってきた社会主義者だった
☆朝日新聞をはじめ、マスメディアも、「単独講和」が良くない報道を繰り返した
☆当時のメディアと知識人
*自らのイデオロギーと既得権保持のために、日本を独立させなくてもかまわないと考えていた
*主権、外交の権限もなく、外国の軍隊が、国土と国民を支配している状況を良しとしていた
*戦後わずか6年で、日本の言論界はこれほどまでに歪んでしまっていたのだ
☆時の首相、吉田茂は講和に反対する学者たち
*「曲学阿世(きょくがくあせい)の徒(世に阿るインチキ学者)」と呼んだ
☆講和条約が発効して、日本は戦後7年経て、主権を回復し悲願の独立を果たす
極東国際軍事裁判(東京裁判)で「戦犯」とされていた人たち
☆早期釈放を求める世論が沸騰し国民運動が起こった
☆日本弁護士連合会(日弁連)も「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出
☆政府は、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案」を国会に提出
*衆議院本会議で、日本社会党、日本共産党を含むほぼ全会一致で、戦犯の赦免が決議された
*戦勝国によって「戦犯」とされた人々の赦免は、日本人全員の総意であったといえる
*GHQによる「WGIP」の洗脳にこの時点では多くの日本人が染まっていなかった
*洗脳が完全に行なわれていたなら、戦犯赦免運動など起こるはずがなかった
☆洗脳の効果が現れるのは、この後である
☆講和条約発効後、連合国軍による占領は終わる
*GHQが日本から去って、検閲と言論統制はなくなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』
日本の復興(1)(1村1焼1殺・外加全没収、曲学阿世の徒)
(ネットより画像引用)