車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 静岡県旧雄踏町&旧可美村(浜松市)

2021年05月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧浜名郡雄踏町(ゆうとうちょう)は静岡県の遠州西部に位置した町です。浜松市、舞阪町に隣接。町名は和名抄に現れる「雄踏郷」に由来。明治22年の雄踏村成立に当たり、従来「おふみ」と訓読みしていたのを音読みの「ゆうとう」に改称しました。金山神社の社伝に、日本武尊東征のおり「伊都の雄詰を踏み建び給いしよりこの里を雄踏と号す」とあり、この故事を慕ったといわれています。浜名湖南東岸に臨み、南部は宇布見・山崎の2地区に分かれ、ウナギの養殖、楽器・自動車部品工業が盛ん。「町の木:マキ」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「湖(うみ)・太陽・そして緑」

明治22年(1889)、町村制の施行により敷知郡雄踏村が発足。

1896年、郡制の施行により、敷知郡が一部を除いて浜名郡となる。

1925年、雄踏村が町制を施行、浜名郡雄踏町が発足。

2005年、浜松市に編入、2007年、浜松市西区雄踏町となりました。

町域にデザインマンホールは見当たらず、町章だけの規格蓋です。

昭和44年4月12日制定の町章は「「ゆうとう」の「ユ」を図案化し、浜名湖における雄踏町の位置と限りない発展を表した。」旧公式HPより

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旧浜名郡可美村(かみむら)は静岡県の西部に位置し、浜松市に周囲を囲まれるという全国的にも珍しい村域。村名は当時の浜名郡長の鈴木七二郎氏の漢詩文より選定された「美しかる可(べ)き村」よりの瑞祥名。村域には後三条天皇の延久年間頃に熊野本宮大社の神主によって創建されたと伝えられる「高塚熊野神社」が鎮座。昭和4年(1929)東海道本線高塚駅の開設を機に織機、紡績、自動車などの工場が進出。また、西浜松貨物駅、青果市場、魚市場、鶏卵市場などの流通施設も存在します。「村の木:マキ(通称・ホソバ)」「村の花:モモ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により浜名郡浅場村が発足。

1914年、村名を浅場村から可美村に変更。

1949年、可美村大字明神野・大字東明神野が浜松市に編入。

1991年、 可美村が浜松市に編入・2007年、政令指定都市移行により、浜松市南区となりました。

マンホールは村章のある規格蓋が一枚だけですが、見つけられた事は、私的にはかなり貴重。

昭和47年11月11日制定の村章は「桜の花で縁取って華は「可」に通じかつ南側は太平洋・北側は南アルプスに対し、「美」は槇の葉を構成し、象徴したもの」旧公式HPより。

撮影日:2010年4月18日

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ご当地マンホール in 静岡県旧舞阪町(浜松市)

2021年05月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧浜名郡舞阪町(まいさかちょう)は静岡県の遠州西部に位置した町です。浜松市、新居町・雄踏町に隣接。浜名湖が遠州灘とつながる「今切口」の東側、浜名湖と遠州灘の境界上に立地する事から、漁業・水産業が盛んに行われ、ウナギ・スッポンの養殖や、アサリ・ノリ・カキが特産で水産加工も行なわれています。

また、浜名湖(今切口)の北に位置する「弁天島」は、浜名湖一帯のリゾート地の1つとして、海水浴・釣り・潮干狩りなど多くの観光客に人気で、島内にはホテルもいくつか存在。「弁天島温泉」と称し、観光シンボルタワーの大きな赤鳥居が湖面に存在感を示しています。「町の木:松」「町の花:松葉菊」を制定。

旧キャッチフレーズは「浜名湖に はばたけ舞阪 躍動の町」

明治22年(1889)、町村制の施行により舞阪宿・長十請新田・馬郡村が合併、敷知郡舞阪町が発足。

1896年、敷知郡が一部を除いて浜名郡となり、浜名郡舞阪町となる。

2005年、浜松市に編入・2007年、政令指定都市移行により、浜松市西区舞阪町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の木:松」がデザインされています。

昭和36年10月16日制定の町章は「丸は浜名湖を表し、右下の方形は舞阪町の占める位置であり、細い空間は今切口、全体の形は舞阪町のマを表す。」HPより

撮影日:2010年4月18日

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ご当地マンホール in 静岡県旧細江町(浜松市)

2021年05月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧引佐郡細江町(ほそえちょう)は静岡県の遠州西部に位置した町です。浜松市、引佐郡三ケ日町・引佐町に隣接。町名は、万葉集・第十四巻に歌われた奥浜名湖の別名「引佐細江」に由来。細江町中川にある県指定史跡「滝峯才四郎谷遺跡」では、埋められた状態の銅鐸9個が確認され「銅鐸の谷」として一躍有名になりました。また姫街道に設置された「気賀関所」でも知られており「細江町立姫街道歴史民俗資料館」では先の発掘された銅鐸なども含めて一般公開されています。「町の木:天台鳥薬(てんだいうやく)」「町の花:サクラ:ソメイヨシノ」「町の鳥:カモ・カルガモ」を制定。

旧キャッチフレーズは「たくましく豊かな町づくり」

天浜線気賀駅で見かけた「町の木:天台鳥薬(てんだいうやく)」

明治22年(1889)、町村制の施行により、引佐郡気賀町・中川村が発足。

1937年、気賀町の読みが「けがちょう」から「きがちょう」に改称。

1951年、気賀町広岡の一部を中川村に編入。中川村中川の一部を気賀町に編入。

1955年、気賀町と中川村が合併、引佐郡細江町が発足。

2005年、浜松市に編入され、細江地域自治区が設置。2007年に北区の一部となりました。

マンホールには、町の花「ソメイヨシノ」と、町から出土した「銅鐸」が描かれています。(天浜線気賀駅前歩道に一枚だけ設置)

一見、上二つと同じに見えますが、下の鍵穴の形状が違っています

細江町では、これまでに弥生時代につくられた銅鐸・九基が見つかっており、滝峯の谷にある「銅鐸公園」には、発掘当時の状態を復元した銅鐸レプリカと資料が展示されています。

小さな制水弁と一緒に、「出土された銅鐸」を描いたタイルが歩道上に設置。

銅鐸のタイルと同じ場所に、「町の花・ソメイヨシノ」「町の鳥・カルガモ」のタイル。

昭和32年(1957)1月1日制定の町章は「古代、航路標識の役目を果たした「みをつくし」を図案化しました。」
この「みをつくし」ですが、ほぼ同じデザインのものが、明治27年から大阪市章としても用いられています。

上下水道関連は制水弁・空気弁・消火栓、量水器。

もうすでに見飽きた感がある農林水産省の蓋。「農水」の文字のみが書かれた規格マンホール。

冒頭で触れた「引佐細江」を読んだ万葉歌には、町章の由来となった「みをつくし」の言葉も出てきます。
【遠江(とほつあふみ) 引佐細江のみをつくし 我(あ)れを頼めて あさましものを】

撮影日:2010年4月17日&2016年12月17日

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ご当地マンホール in 静岡県旧引佐町(浜松市)

2021年05月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧引佐郡引佐町(いなさちょう)は静岡県の遠州西部に位置した町です。浜松市、浜北市、天竜市、引佐郡三ケ日町・細江町に。さらに県を跨いで愛知県南設楽郡鳳来町に隣接。全域が山地で、都田川流域に平地がみられ、最近は貯蔵良質品種のミカンの新興産地として知られます。

美しい自然景観に恵まれ、国指定重要文化財の七尊菩薩堂がある奥山方広寺、行基によって開かれたとされ井伊谷の「龍潭寺」、全長1キロメートルを超える東海地方最大級の鍾乳洞「竜ヶ岩洞」「久留米木の棚田」「シブカワツツジ群生地」など多くの名所旧跡を有しています。「町の木:ヒノキ」「町の花:渋川ツツジ」「町の天然記念物:ギフチョウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「緑と花に囲まれた「豊かな住みよい活力あるまちづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、引佐郡金指村・井伊谷村・中川村・奥山村・伊平村・鎮玉村が発足。

1951年、金指村大字三和の一部を中川村に編入。中川村大字三和の一部を金指村に編入。

1953年、引佐郡井伊谷村が金指町を編入、改称して町制を施行、引佐郡引佐町が発足。

1955年、引佐町が奥山村、伊平村、鎮玉村と合併、新たに引佐町が発足。

2005年、浜松市に編入され、引佐地域自治区が設置。2007年に北区の一部となりました。

マンホールには、町の天然記念物「ギフチョウ」と、町の花「シブカワツツジ」が描かれています。(引佐高校前交差点の歩道に設置。)

昭和28年(1953)10月22日制定の町章は「「引」を三字組み合わせて「いなさ」とし、回りの円はそれぞれ「住民の和」、「町勢の発展」を表します。」公式HPより

上水道関連の消火栓、防火水槽、量水器。

撮影日:2010年4月17日&2016年12月17日

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ご当地マンホール in 静岡県旧天竜市(浜松市)

2021年05月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧天竜市(てんりゅうし)は静岡県の西部に位置した市です。引佐郡引佐町、浜北市、磐田市、周智郡森町・春野町、磐田郡龍山村、佐久間町に。また県を跨いで愛知県南設楽郡鳳来町に隣接。赤石山脈南縁の高峻な山岳群に囲まれ、中央構造線の南東部にあたり、赤石裂線とよばれる平行断層線が南北に走り、地域の大部分はその西側で、天竜川が中央部を南流。地域の82%が山林で、スギ、ヒノキの人工林は80%を占め、製材、木工加工業が主産業。天竜川中流部とそのが流域を占め、天竜川の東の袂に市街地が広がります。「市の木:杉」「市の花:山百合」「市の鳥:キセキレイ」を制定。

戦国時代には二俣城の城下町として栄え、武田信玄と徳川家康が、二俣を巡る攻防を繰り広げた事でも有名。区役所がある一帯は、二俣城の前身ともいえる「笹岡城」があった場所と云われていますが、笹岡城についての詳細は不明。文亀年間に『二俣昌長』が築いたと伝えられていますが、庁舎建設により、城址の遺構は消滅。今は区役所の入り口に建つ「笹岡古城跡」の碑だけが、往時を物語っています。

旧キャッチフレーズは「森林都市宣言のまち 天竜市へ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、豊田郡二俣町・上阿多古村・熊村・光明村・下阿多古村・龍川村が発足。

1896年、郡制の施行により、豊田郡の大部分が磐田郡に編入。

1956年、二俣町、上阿多古村、熊村、光明村、下阿多古村、龍川村が合併、新たに磐田郡二俣町が発足。

1958年、二俣町が市制を施行。自治体名を改称し天竜市となる。

2005年、浜松市に編入し天竜地域自治区に、2007年に天竜区となりました。

天竜区役所上下水道課の展示蓋は、「市の鳥・キセキレイと市の花木、山百合・杉」のデザイン。

同じデザインで「りょうしま」「集排」の文字。天竜市両島地区の集落排水用マンホール。

まるで孫悟空を思わせる消防士の消火栓。雲の上から火事がないか見張っています。

昭和34年2月20日制定の市章は「天竜市の「て」を変形し、市の発展を象徴する、という着想のもとに作成されました。 簡単なマークのように見えますが、その規格は細かく定められ、天竜市の例規集にのっています。」旧公式HPより

天竜区役所の敷地にあった、市章入りの「国調図根」。磐田市福田支所で見つけたものと同じものです。

天竜区役所側で見つけた、中央に「天」の文字の規格マンホール。天は天竜の意味でしょうか?

撮影日:2011年11月17日&2016年12月16日

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ご当地マンホール in 静岡県旧浜北市(浜松市)

2021年04月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧浜北市(はまきたし)は静岡県の西部、遠州地域の北端部に位置した町です。天竜川の流域に位置し、浜松市、磐田市、天竜市に隣接。地名は「浜名郡の北方に位置すること」に由来します。市域には、岩水寺採石場・根堅洞窟で発見された浜北原人の人骨化石や、北谷遺跡芝本遺跡・東原遺跡等があり、古くより集落が営まれていた事が立証されています。「市の木:マキ」「市の花:サツキ」「市の鳥:メジロ」を制定。

旧キャッチフレーズは「みどりのまち・はまきた」

明治22年(1889)、町村制の施行により、長上郡小野田村・平貴村・美島村、豊田郡竜池村・中瀬村・赤佐村、麁玉郡麁玉村が成立。

1896年、郡制の施行により、長上郡、豊田郡が浜名郡に、麁玉郡が引佐郡に編入。

1908年、小野田村半田地区が積志村に移り、平貴村平口地区を加えて小野口村が発足。同年平貴村と美島村が合併し、浜名郡北浜村が発足。

1951年、竜池村が北浜村に編入。同年小野口村が町制を施行し浜名郡浜名町となります。

1956年、浜名郡浜名町・北浜村・中瀬村・赤佐村、引佐郡麁玉村が合併、浜名郡浜北町が成立。

1963年、浜名郡浜北町が市制を施行し、浜北市が発足。

2005年、浜松市に編入し浜北地域自治区に。2007年に浜北区となりました。

マンホールには「飛竜祭り、市の花・サツキ、森林公園のつり橋」、マスコットの「みどり君」がデザインされています。(浜北グリーンアリーナ周辺の歩道に設置)

流石にこのマンホールは・・一生懸命草取りしましたがこれ以上は自然破壊になりそうなので自粛(^^;)。

こちらは、放射状に「市の花・サツキ」、その周囲を「市の木・マキ」で囲んだデザイン。

これは旧市章を中心に「市の花・サツキ」を全体に散らしたもので、他の自治体でもよく見るデザイン。

昭和31年(1956)制定の市章は「「ハマ北」を表現したもので、昭和31年に町章として制定され、市制施行後に継承されました。」

上水道関連の市章つき規格蓋、仕切弁・空気弁・制水弁・防火水槽・消火栓・量水器があります。

農林水産省の規格蓋「農水の空気弁」、特に遠州地区ではどの自治体でも目にした気がします。

浜北市イメージキャラクター『みどり君・さつきちゃん』。雄大な自然と緑の中で生まれた、森林を舞う“妖精”なんだそうです。

撮影日:2016年12月16日

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ご当地マンホール in 静岡県旧浜松市(浜松市)

2021年04月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

昨日に続いての浜松市マンホール、今回は旧浜松市の紹介。ホンダの発祥地として知られ、スズキが本社を構えるなど全国でも有数の自動車工業都市であり、東海工業地域の中心的地域。また、ヤマハやカワイ、ローランドや鈴木楽器製作所といった多数の楽器メーカーが立地する「楽器の街」として知られ、「楽都」とも称されています。戦国時代には浜松城の城下町として、また江戸時代には、東海道の宿場町として栄えてきた浜松。 新東名「浜松SA」の記念スタンプには、家康の居城であった「浜松城」がデザインされています。「市の木:マツ」「市の花:ハギ」「市の鳥:ツバメ」を制定。

旧キャッチフレーズは「産業と文化の調和ある豊かな人間都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、敷知郡浜松町他20村、長上郡に15村が発足。

1896年、郡制の施行により、浜名郡および長上郡・敷知郡の大部分、豊田郡の一部の区域をもって、改めて浜名郡となる。

1911年、浜名郡浜松町が市制を施行、浜松市が発足。

1936年、浜名郡曳馬町、富塚村を編入。

1939年 、浜名郡白脇村、蒲村を編入。

1951年 、浜名郡新津村、五島村、河輪村を編入。

1954年 、浜名郡笠井町、長上村、和田村、中ノ町村、芳川村、飯田村、吉野村、三方原村を編入。

1955年、引佐郡都田村、浜名郡神久呂村を編入。

1957年 、浜名郡入野村、積志村を編入。

1960年 、浜名郡湖東村を編入。

1961年 、浜名郡篠原村を編入。

1991年、浜名郡可美村を編入。

浜松市中区千歳町にある浜松モール街には独自のマンホールが存在します。旧市章と左右に「二匹の鮭」、周囲には「カモメ」がデザインされています。

同じようなデザインですが、旧市章の左右には「ヒラメ」と「水玉」がデザインされています。

浜松モール街の側溝蓋にも同じように「ヒラメと水玉」がデザインされています。

こちらの側溝蓋には「カツオと波」がデザインされています。

「旧町の花:ハギ」がデザインされた側溝蓋もあります

浜松モール街の公式キャラクター『モルン♪』。「モルン♪」は、昔お母さんたちが持っていた「買い物籠」の妖精です。

旧市章を中心に幾何学模様を重ねて、紋章のようにデザインされています。

樹木カバーには、旧市章と「旧町の木:松」がデザインされています。

明治44年(1911)7月1日制定の旧市章は「浜松市が波濤逆巻く遠州灘に臨み、古くから松の景勝をたたえられた事を象徴している。周囲は遠州灘の浜に打ち寄せる波を表し、色は波の白で、波に囲まれた部分は、松の字体(公と木)をデザイン化し、色は松の緑。」HPより

旧市章の規格蓋。おそらくその気になって些細な違いなども見分ければ、掲載するのが嫌になるくらいあると思われます。

ちなみに浜松市の上水道が完成したのは、まだ浜松町であった昭和6年(1931)の事だそうです。

下の三枚は、最近良く見かけるようになった「可愛い消防士」と「いかつい消防士」がデザインされたもの。一見同じに見えますが、一番上は消火栓、下の二枚は防火貯水槽で、これも一応規格蓋です。

電気用のマンホール、市章はありませんが下に「浜松市」の文字があります。

撮影日:2010年4月18日&2016年12月15日&2018年11月15日

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ご当地マンホール in ホワイトストリート(静岡県浜松市)

2021年04月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

浜松市中区佐鳴台の通りにはホワイト・グリーン・レモン等、5つの色名がつけられています。 そのカラフルな通りの一つ「ホワイトストリート」には、そこだけ限定の洒落たご当地マンホールが設置されています。
「車を止めて歩きたくなるような通り」の思惑とは違いますが、(下を向いて)歩きたくなる通りです。

某所に車を停め、お目当てのマンホールを求めて、ひたすら下を向いて両サイドの歩道をテクテク。 見つけたマンホールでコンプリートなのかどうか、ぱっと見では確証のもてないのがいささか歯がゆくはあるのですが😅 後で調べたら、路面の色に合わせたサンド塗装の違いは別にして、デザインは8種類との事。まず最初のデザインは、鱗型の波の中に魚を大きく、その中に「佐」の文字をはめ込んだもの。

太陽を中心に「魚・カタツムリ・亀・蝶・カニ・カマキリ・イカ・カブトムシ」が、賑やかに描かれています。

中央に雲の上を飛ぶ小鳥、上空に虹、虹の上に太陽と月と星、周囲に市松柄と「WHITE STREET」の文字。

四つ葉のクローバーを方位磁石にしたデザイン。周囲に「SANARUDAI」の文字とオリーブの葉。 ピンクっぽくみえるマンホールは、いわゆるサンド塗装されたもので、デザインは同じです。

佐鳴湖で羽を休める「ミコアイサ」(潜水ガモの一種で、大きさは一般的な小鴨位)。 佐鳴湖のマスコット的存在で、鴨の上下には「佐鳴湖」「WHITE STREET」の文字があります。

説明に最も悩んだのがこのデザイン、ぱっと見た感じでは「さざ波が立つ佐鳴湖の湖面」。 それでは中央の曲線は川?それとも、抽象的に「ホワイトストリート」をイメージしたもの??

手を挙げて横断歩道を渡る二人の女の子。女の子の上にはバスや車、自転車が描かれています。

「ホワイトストリート」最期のデザインは「花の音符の五線譜に囲まれた佐鳴湖」でした。

特定の区域にこれだけの種類のデザインマンホールが存在する事にまずは驚きました。 それ以上に、「マンホール」という媒体が、街の景観に寄与していると認識されている事。
奇異な目で見られながら😅、何年にも渡ってマンホールの写真を撮り続けてきた私には、何よりの嬉しさです。

撮影日:2016年12月16日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 静岡県浜松市

2021年04月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

浜松市(はままつし)は静岡県の西部(遠州)に位置し、静岡県最大の人口と面積を持つ市です。2005年7月1日 、浜北市、天竜市、引佐郡引佐町・細江町・三ケ日町、浜名郡雄踏町・舞阪町、磐田郡佐久間町・水窪町・龍山村、周智郡春野町を編入し、新浜松市となりました。政令指定都市&国際会議観光都市に指定。県庁所在地の静岡市を上回る人口を持ち、静岡市とともに全国5位の規模を有する静岡・浜松大都市圏の中心都市として機能。全国の市町村で2番目の面積で3つの行政区を持ち、面積の約6割を天竜区が、人口の97%以上を天竜区を除いた2区で占められています。湖西市にまたがる浜名湖は、湖としては日本で10番目の大きさを持ち、遠州地域における経済・文化・観光の中心となっています。「市の木:松」「市の花:ミカン」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「やらまいかスピリッツ! 創造都市・浜松から。」

マンホールには「出世大名家康くん・出世法師直虎ちゃん」がデザインされています。

自称「徳川家康公」の生まれ変わりと、「女城主・井伊直虎」の生まれ変わりという二人。 何と、昨今流行の「ゆるキャラトレカ」にもなって、良い大人たちも惑わせています。

浜松市マスコットキャラクター「出世大名家康くん」一人のデザインも有ります。 髷は「うなぎ」 羽織の紋は「ミカン」、袴は「ピアノの鍵盤」と、体全部で浜松市をPR中。

「はままつ副市長・出世大名家康くん

「浜松まつり・凧揚げ合戦」の凧を描いたもので、凧には「河川」の文字。

上と良く似たデザインですが、こちらの凧には「都市下水」の文字。

東海地方有数の工業都市らしく、近未来風のハイテクな都市のデザインです。

一見幾何学的なデザインですが、市章を中心に「波・ビル・人・川・山」を表しています。

都田地区の集落排水マンホールは、都田川の河童伝説をもとにして地元中学校の美術部がデザインした「都田川の河童」。最初にこれを見た時は「水の妖精?」と思ったのですが、まさか河童とは想定外。撮影中に、ご近所の人から「この絵は何なのか?」と聞かれ、「河童」ですと言ったら「絶対に違う!」と言われました😅

旧浜松市の「市の木・松」「ヒナに餌を運ぶ市の鳥・ツバメ」下に「市の花・萩」もあります。 「河川」の文字もデザインもそのまま、市章が旧から新市章にかわって設置されていました。

2005年7月1日制定の市章は「上下対称的なデザインは、自然環境の循環と共生の形であり、上部は浜松市北部の豊かな森林を、下部は浜名湖と遠州灘の美しい「うみ」を表している。 また、白い波の形は、遠州灘の白波であり、浜松市の躍動と発展を表現している。」公式HPより

上水道関連の市章つき規格蓋、仕切弁、空気弁・消火栓・量水器。

「電気」と書かれた市章付き規格蓋、下に小さく刻まれているのは「マンホールメーカー:福西鋳物」のロゴ。

「七夕ゆかた祭り」で用いられる小型蓋で、七夕飾りがデザインされています。

モール街の路上モニュメントは四方に竪琴を配し、中央から同じく四方に「コスモス」がデザインされています。

四方に竪琴を配し、中央から同じく四方に「ひまわり」。

路上タイルは版画絵のようなデザインで二種類で「朝顔」&「ツバキ」。

マンホールではありませんが、浜松駅にあるターミナルの案内モニュメント。「楽器の街」らしい美しいデザイン。

浜松の名産と言えば「浜松餃子」。浜松餃子学会の公式キャラクター『ちゃお』は「浜松餃子の妖精」。「凧揚げ合戦」の凧を片手に、餃子のPRに励んでいます。

こちらも餃子のキャラクターですが、そのものズバリ!王様餃子の『王様くん』

最期は、浜松名産のウナギを肥料にして栽培したサツマイモ畑から収穫された、謎の生き物!! 頭はサツマイモ、体はうなぎと言う、うなぎいもオリジナルキャラクター『うなも』

浜松名産のウナギが登場したところで、新東名浜松SAの記念スタンプは「浜名湖のうなぎ漁」。

音・かおり・光環境創造条例マスコットキャラクター『サフラ』。「サフラ」の名称は、「サウンド(音)、フレグランス(かおり)、ライト(光)」の頭文字から名づけられました。

撮影日:2010年4月18日&2016年12月15日&2018年11月15日

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2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「浜松市」のマンホールカードは、「浜松出世の館」でいただけます。(「浜松市観光インフォメーションセンター」に変更)

2016年に設置開始されたマンホールには「出世大名 家康くん」と「出世法師 直虎ちゃん」がデザインされています。

「浜松市マスコットキャラクター「出世大名家康くん」、「出世法師直虎ちゃん」がデザインされた「出世マンホール」です。 徳川家康公は、「浜松城」を築いて17年間城主を務めたのち天下統一を成し遂げた、まさしく「出世大名」。 家康くんはその生まれ変わりといわれています。 井伊直虎は浜松生まれの浜松育ち。 出家した後、徳川四天王の一人として大出世を成し遂げた井伊直政を育て上げ、女城主として井伊家断絶の危機を救った「出世法師」で、その生まれ変わりとされるのが直虎ちゃんです。 見つけると出世運が「うなぎのぼり」になるとされるこのマンホール蓋。 是非探してみてください!」

このお二方、市内のあらゆる場所に出没して、浜街市のPRに日夜励んでいるそうです。

訪問日:2018年11月15日

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ご当地マンホール in 静岡県旧三ケ日町(浜松市)

2019年04月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧引佐郡三ケ日町(みっかびちょう)は静岡県西部、「奥浜名湖」に面していた町です。湖西市、細江町、引佐町に、また県をまたいで愛知県豊橋市、豊川市、新城市、鳳来町に隣接。地域内には東名高速道路の三ヶ日インターチェンジがあり、三ヶ日町産の温州みかん「三ケ日みかん」の産地としても有名です。「町の木:槇」「町の花:みかん」「町の鳥:メジロ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、敷知郡西浜名村・東浜名村が発足。

1896年、郡制の施行により敷知郡が引佐郡に変更。

1922年、引佐郡西浜名村が町制を施行、引佐郡三ヶ日町が発足。

1950年、東浜名村大字都筑の一部を三ヶ日町に編入。三ヶ日町大字都々崎の一部を東浜名村に編入。

1955年、引佐郡三ヶ日町と東浜名村が合併、新たに三ケ日町が発足。この際に小文字の「ヶ」が大文字の「ケ」となる。

2005年、浜松市に編入され、三ケ日地域自治区が設置。2007年に北区の一部となりました。

マンホールには「浜名湖のみおつくし橋とヨット」「町の花ミカンとミカンの実」がデザインされています。(三ケ日支所の敷地内に設置)

三ケ日支所の一画に植えられていた、枝一杯に実をつけたミカンの木。

昭和34年4月1日制定の町章は「全体の形でミカンを表し、右上はミカンの葉・「三」・「ケ」と、真ん中は「ひ」を表しています。」

三ケ日町の上下水道関連の蓋は、制水弁・消火栓・防火水槽・量水器。

「ミカちゃんマークの三ケ日みかん」で有名な、マスコットキャラクター『ミカちゃん』。 多分、ミカン関連の売り場や、販売されているおみやげ関連では一番有名なキャラクターかもしれません。

町の名前をミカンに冠するだけあって、あっちでもこっちでも「ミカン」が一杯(笑) 大サイズはビルの屋上にドンと、普通サイズは店舗の入り口に、何と街灯の下にもありました!

これだけミカン一色なのに唐突に浜名湖のうなぎ・・・実はこれ天竜浜名湖鉄道・尾奈駅のトイレ。そのユニークさに思わず車を停めて記念写真を撮ってしまいましたが、土産話として見せた画像、結構友人たちに受けました(^^;)

高速道路・三ケ日インター付近から見えたミカン山。

撮影日:2011年11月17日&2016年12月17日

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浜松市旧磐田郡佐久間町、旧水窪町、旧龍山村、旧周智郡春野町の四地区は未訪問の為、マンホール画像はありません。

 

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