車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 鳥取県南部町

2017年08月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

西伯郡南部町(なんぶちょう)は鳥取県西部に位置する町です。2004年10月1日、西伯町と会見町が合併して誕生。町域は豊かな自然に恵まれるとともに、県下有数の古墳密集地帯で、大国主命の古事に由来する史跡・地名が多く見られ、律令国家以前から豊かな文化が栄えた場所です。町名は西伯郡南部の旧11か村を、南部地域と呼称してきたことに由来。「町の花:桜」「町の鳥:ブッポウソウ」を制定。

キャッチフレーズは「見てごしない、桜と蛍の舞う町」

2004年12月7日制定の町章は「南部町の「南」をモチーフに、町民がハートフルな気持ちを抱き、心豊かな町を表現。オレンジは太陽・柿、ピンクは豊かな気持ち・安心感・桜、青は澄み切った空・緑水湖を表しています。」公式HPより

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旧西伯郡西伯町(さいはくちょう)は鳥取県西部に位置し、島根県と境を接した町です。「町の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により会見郡天津村、大国村、法勝寺村、東長田村、上長田村が発足。

1896年、郡制の施行のため汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。

1955年、天津村・大国村・法勝寺村・上長田村・東長田村が合併、西伯郡西伯町が発足。

2004年、会見町と合併、西伯郡南部町となりました。

マンホールには「賀祥ダム」と「町の花:桜」が、美しくデザインされています。

昭和31年(1956)10月30日制定の町章は「「西伯」を円形して図案化したもの」

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旧西伯郡会見町(あいみちょう)は鳥取県西部に位置した町です。町域には多くの古墳があり、中でも標高約65mの山の頂上付近にある浅井11号墳には、山陰地方で最古の可能性がある前方後円墳が確認されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により会見郡手間村、賀野村が発足。

1896年、郡制の施行のため汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。

1955年、手間村・賀野村が合併、西伯郡会見町が発足。

2004年、西伯町と合併、西伯郡南部町となりました。

マンホールには町の特産「富有柿」と、古墳より出土した「埴輪」がデザインされています。

昭和30年(1955)7月13日制定の町章は「「会」を図案化したもの」

撮影日:2012年4月22日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 鳥取県江府町

2017年08月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

日野郡江府町(こうふちょう)は鳥取県の西部、大山の南麓で岡山県と境を接しています。過疎が進む町ですが、中心部にはJR伯備線・国道181号・米子自動車道が通過しており、近年には水に関する企業が進出、サントリーなどの誘致に成功を収めています。「町の木:ブナ」「町の花:アヤメ」を制定。

キャッチフレーズは「水と生命の輝く奥大山 小さくても元気で明るい輝きのあるまちづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により日野郡神奈川村・ 江尾村 ・ 米沢村・米原村・金沢村が発足。

1918年、米原村・金沢村が合併、日野郡日光村が発足。

1947年、江尾村が町制を施行、日野郡江尾町となる。

1953年、江尾町・神奈川村・米沢村が合併、日野郡江府町が発足。

1954年、日光村(大河原・吉原)が江府町に編入。 

マンホールには「大山」と、上之段公園にある「鐘」、 左右に「町の花:アヤメ」がデザインされています。

昭和29年(1954)12月 制定の町章は「「コ」・「ウ」・「フ」を図案化したもの」

撮影日:2012年4月22日

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2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「江府町」のマンホールカードは「道の駅 奥大山」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「大山」と「カリヨンタワー」、「町の花:アヤメ」がデザインされています。

「別名・伯耆富士(ほうきふじ)とも呼ばれる秀峰「大山」(だいせん)を背景に、「カリヨンタワー」と「アヤメ」をデザインしたマンホール蓋です。 大山は中国地方の最高峰(標高1、729m)であり、この地域の気候や風土に大きな影響を与えています。 カリヨンタワーは、複数の鐘を組み合わせて配置した塔のことで、江府町内に2ヵ所建っていますが、そのうち「奥大山スキー場」の塔をデザインしたものです。 一方のアヤメは、高原の沢辺に群生をなす多年草で、初夏に色鮮やかな花を咲かせます。 その清楚・端麗な容姿が古くから町民に愛されており、昭和47年に「町の花」に制定されました。」

訪問日:2017年8月9日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県旧溝口町(伯耆町)

2017年08月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧日野郡溝口町(みぞくちちょう)は鳥取県の西部に位置した町です。日野往来の起点となった溝口地区には今も往時の面影を残す一画を見る事が出来ます。

町の中心駅である「伯備線:溝口駅」は、そこかしこに鬼の姿があり、鬼伝説の町をPRしています。

太古の昔、鬼が居座ったとされる鬼住山(きずみやま)と、その南、第七代孝霊天皇が陣を張ったとされる聖地・笹苞山(さすとさん)を舞台にした、日本最古の鬼退治伝説が残る町として知られています。「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により日野郡溝口村・金岩村・栄村・米原村・金沢村・旭村・二部村が発足。

1914年、金岩村・溝口村・栄村が合併、改めて日野郡溝口村が発足。

1918年、米原村・金沢村が合併、日野郡日光村が発足。

1921年、二部村・野上村が合併、改めて日野郡二部村が発足。

1931年、 溝口村・旭村が合併、日野郡溝口町が発足

1954年、溝口町・二部村、日光村(栃原・大滝・大坂・富江・福兼・添谷・大内)が合併、改めて日野郡溝口町が発足。

1984年、溝口町(みぞぐちちょう)が改称、溝口町(みぞくちちょう)となる

2005年、西伯郡岸本町と合併、西伯郡伯耆町となりました。

マンホールには

昭和39年(1964)1月1日制定の町章は「躍進する溝口町の頭文字「み」を鳥取県の 「鳥」に合わせて、飛躍する鳥に図案化したもの。」合併協議会資料より

「溝口駅前の公衆電話ボックス」

県道1号線「鬼守橋」欄干の鬼のオブジェ

撮影日:2012年4月22日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県伯耆町&旧岸本町

2017年07月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

西伯郡伯耆町(ほうきちょう)は鳥取県の西部に位置する町です。2005年1月1日、西伯郡岸本町と、日野郡溝口町が合併して誕生。古来からの鬼伝説や鴟尾の里として知られています。「伯耆」の名は、旧国名「伯耆国」の名残で、現在の鳥取県中西部と島根県東部の一部を含む地域には今でも多くの「伯耆○○」という地名や旧跡が残っています。「霊峰:大山」の西側にある当町から望む山容は、まるで富士山のように見えることから、古来より「伯耆富士」「伯耆大山」と呼び親しまれてきました。「町の木:キャラボク」「町の花:菜の花」を制定。

キャッチフレーズは「森と光が織りなすうるおいのまち 共生と交流の伯耆町 ~誇りと愛着のもてるまちづくり~」

2005年1月1日制定の町章は「大山、澄みきった川の流れ、森の緑などの伯耆町の豊かな自然を図案化し、歴史や文化を背景に未来に向かって輝き躍動するまち・自然を表す。」公式HPより

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旧西伯郡岸本町(きしもとちょう)は鳥取県の西部に位置した町です。日野川流域の大殿地区に現存したとされる白鳳時代の大寺跡地からは心礎と石製鴟尾・仏堂・回廊跡などが発見されています。その中でも、特に「石製鴟尾(せきせいしび)」と呼ばれる発掘物は、国の重要文化財にも指定されるなど、全国的に見ても非常に珍しいものです。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

岸本町域から見た大山

明治22年(1889)、町村制の施行により会見郡日吉村・吉寿村・大幡村・幡郷村が発足。

1896年、郡制の施行のため汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。

1912年、日吉村・吉寿村が合併、西伯郡八郷村が発足。

1955年、八郷村、大幡村・幡郷村(小野・小町・金廻・大殿・坂長・岩屋谷)が合併、西伯郡岸本町が発足。

2005年、日野郡溝口町と合併、西伯郡伯耆町となりました。

マンホールには「大山」と町の花:菊」中央に特産の「スイカ」。左に国重文の「鴟尾(しび)」。右に「みどりと清流のまち きしもと」の文字がデザインされています。

昭和31年(1956)3月9日制定の町章は「「岸本」を図案化して、総体の円型は、円満 と融和を、上部の開口は、上に向かって伸びる 町発展を象徴したもの」合併協議会資料より

撮影日:2011年5月20日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県智頭町

2017年07月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

八頭郡智頭町(ちずちょう)は鳥取県の南東部に位置し、南と東は岡山県に接しています。町域の93%が山林で、周囲は1,000m級の中国山脈の山々が連なり、その山峡を縫うように流れる川が合流し、千代川となって日本海に注ぎます。智頭林業の植樹の歴史は、350年以上といわれ、町内には「慶長杉」と呼ばれる樹齢300年以上の人工林が残り、吉野・北山に並ぶ歴史ある林業地として、全国的にも高い評価を受けてきました。

鳥取砂丘の砂を育んだ源流の町であり、また鳥取藩の宿場町で「智頭宿」でも知られています。「町の花:どうだんツツジ」「町の木:杉」を制定。

沖の山に源を発する千代川。清らかな流れに沿う1.3kmの桜並木は、まさに春爛漫の彩。

キャッチフレーズは「みどりの風が吹く 疎開のまち 鳥取県智頭町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、八頭郡智頭村・山形村・那岐村・土師村・富沢村・山郷村が発足。

1914年、智頭村が町制を施行、八頭郡智頭町となる。

1935年、八頭郡山形村・那岐村・土師村を編入。

1936年、八頭郡富沢村を編入。

1954年、八頭郡山郷村を編入、現在に至ります。

マンホールは全体に町章をデザインし、上に「町の木:杉」、下に「町の花:ドウダンツツジ」がデザインされています。

「満天星(どうだんつつじ)」

昭和37年(1962)3月24日制定の町章は「智頭町の頭文字「チ」と杉を円形に図案化したもので、町民の融和と町の円満発展を表徴し、突起する三角形は、主産業である林業の飛躍的発展を意味しています。また中の空白は、鳥取県の文字「と」を表しています。」公式HPより

耐震性防火水槽

智頭町マスコットキャラクター『紅子ちゃん』。ドレスは町の木・杉。頭は町の花・ドウダンツツジで出来ています。仲良しの『杉太くん』はそのまんま、杉の男の子。

木材の町らしい、木の香漂う「智頭町観光案内所」

智頭宿観光駐車場の「顔出し」に友情出演中の二人。

西日本旅客鉄道・智頭急行「智頭(ちづ)駅」。なぜかフリガナは「ず」でなく「づ」・・不思議(^^;)

町役場近く、昭和62年の歌会始に選ばれた『大谷照子』さんの歌碑、お題は「木」。

【 幾十年 かけて育てし杉の木を 伐り給ふなり 嫁ぐわがため 】

撮影日:2012年4月14日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県日野町

2017年07月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

日野郡日野町(ひのちょう)は鳥取県西南部に位置し、岡山県と境を接する町です。戦国時代には尼子・ 毛利両氏の戦場となり、徳川時代初期には、関長門守が黒坂に城下町を形成。藩政時代には、福田氏による自分手政治が行われ、新田開発などによる農業の生産拡大がはかられました。また、山砂鉄の採取とたたら製鉄は、明治時代に近代製鉄が台頭するまでこの地域の重要な産業として発展してきました。「町の木:杉」「町の花:ツツジ」「町の鳥:おしどり」を制定。

キャッチフレーズは「おしどりの住むまち」

木造の古い駅舎が郷愁をそそるJR西日本伯備線「根雨(ねう)駅」

明治22年(1889)、町村制の施行により日野郡菅福村・黒坂村・渡村・安井村・根雨村・ 真住村が発足。

1913年、渡村・安井村が合併、日野郡日野村が発足。黒坂村・菅福村が合併、改めて日野郡黒坂村が発足。 根雨村・真住村が合併、日野郡根雨町が発足。

1936年、黒坂村が町制を施行、日野郡黒坂町となる。

1953年、根雨町と日野村が合併、日野郡根雨町が発足。

1959年、根雨町と黒坂町が合併、日野郡日野町が発足。現在に苛ります。

マンホールには町章と、「町の鳥:オシドリ」「町の花:ツツジ」、「大山の山並」が描かれています。

「鵜の池公園」カラーパネル

昭和35年(1960)4月30日制定の町章は「日野町の「ヒノ」を図案化。鳥は鳥取県を表し、翼は躍進、円は町民の協調を意味し、町の限りなき前進と発展を象徴します。」公式HPより

日野町金持地区に鎮座する「金持神社」カラーパネル

撮影日:2012年4月22日

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一口メモ

「自分手政治(じぶんてせいじ)」、江戸時代、鳥取藩が藩内統治の一環として家老職にある家に藩内の重要な拠点の町を委任統治させたこと。 「自分政治」ともいい、 寛永9年(1632)8月、国替えで岡山から池田光仲が鳥取城へ移った年から実施され、明治2年(1869)に廃止されるまで約240年間続いた。

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ご当地マンホールとマンホールカード in 鳥取県岩美町

2017年07月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

岩美郡岩美町(いわみちょう)は鳥取県の最東北端に位置し、東は兵庫県に、南西は鳥取市、北は日本海に面しています。町の中央を蒲生川が貫流し、川の周辺に農地、集落などが形成されています。日本海に面する東西およそ15キロメートルのリアス式海岸「浦富海岸」は「山陰海岸国立公園」に指定されており、また「山陰海岸ジオパーク」の一部を成しています。

「町の木:松」「町の花:カキツバタ」「町の海産物:松葉ガニ」を制定。

キャッチフレーズは「~“心・自然・恵み”豊かさを未来へ~」「人が輝(かがや)き 海輝(ひか)る きらめきつづけるまち岩美」

明治22年(1889)、町村制の施行により岩井郡大岩村・本庄村・高野村・新宮村・網代村・浦富村・牧谷村・田後村・東村・岩井村・蒲生村が発足。

1896年、 郡制の施行のため邑美郡・法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足。

1917年、高野村・新宮村が合併、岩美郡小田村が発足。

1925年、浦富村・牧谷村が合併、改めて岩美郡浦富村が発足。

1927年、岩井村が町制を施行、岩井町となる。 浦富村が町制を施行、浦富町となる。

1954年、田後村・東村・浦富町・蒲生村・岩井町・小田村・本庄村・大岩村・網代村が合併、岩美郡岩美町が発足。

マンホールには、景勝地「浦富海岸」と、町の木「松」が鮮やかに描かれています。(浦富海岸沿いの国道に設置)

歩道のタイル

昭和32年12月18日制定の町章は「ひらがなの『いわみ』を図案化したもので、円形は町の円満な発展と町民の和(輪)を表します。」公式HPより

ジオパークの町・岩美町をPRするキャラクター「いわみん」「みみ」「がんじぃ」「こじろー」

「いわみん」は浦富海岸にある奇岩「千貫松島」がモチーフ。網代港の北にある花崗岩に穴が開いた海食洞門で、頂上部には松が生えています。

撮影日:2016年10月21日

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2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「岩美町」のマンホールカードは、「道の駅 きなんせ岩美」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「城原海岸」と「町木の松」がデザインされています。

「岩美町は豊かな自然に囲まれ四季を五感で感じられる、海・山・温泉の町です。 山陰海岸国立公園及び山陰海岸ジオパークの中でも有数の景勝地として知られる「浦富海岸」は蒼く透き通った海に、洞門・洞窟・奇岩が風光明媚な景観をつくりあげています。 このマンホール蓋の図柄は、「浦富海岸」の中でも白砂青松の景観がひと際美しい「城原海岸」と町の木「松」をデザインしたもの。 日本海に浮かぶ島々は、春になると野生の菜の花によって黄色く彩られることから「菜種五島」と呼ばれています。 カラー版のマンホール蓋は海岸沿いの道路にしかなく、レアモノと言えます。」

展示マンホール

訪問日:2017年8月9日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県旧関金町(倉吉市)

2017年07月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧東伯郡関金町(せきがねちょう)は大山の東麓、蒜山三山の北麓に位置した町です。町名は関金温泉に因んでおり、温泉名は明治10年(1877)に合併した金谷村・湯関宿の合成地名から名付けられました。「町の花:ツツジ」を制定。

約1300年前に開かれた山陰屈指の古湯として知られる「関金温泉」、その無色透明無味無臭のお湯は、古くから「白金(しろがね)の湯」と呼ばれ、日本名湯100選にも選ばれています。(国道313号線「湯の関トンネル」壁画)

明治22年(1889)、町村制の施行により久米郡矢送村・南谷村・山守村が発足。

1896年、郡制の施行により、河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。

1953年、矢送村・南谷村・山守村が合併、東伯郡関金町が発足。

2005年、倉吉市に編入、倉吉市関金町となりました。

集排マンホールには、町章を中心に、全体に「町の花:ツツジ」が描かれています。

昭和37年3月23日制定の町章は「三角形で三か村の合併と、共に等しく発展することを意味し、中央の円形は円満なる融和を示し、飛鳥の形をしているのは勇飛する町の姿を表す。中央の突起は山を表し、伸びゆく町を表徴。全体で町の頭文字である「セ」を図案化している。」合併協議会資料より

国道313号を通る「湯の関トンネル」壁画「関の地蔵」。

  

古くから関金温泉で「関の地蔵」と呼ばれてきた、国指定重要文化財「木造地蔵菩薩半跏像」

道の駅「犬挟(いぬばさり)」は、関金町と岡山県の境「犬挟峠」にある道の駅。鳥取県倉吉市と岡山県真庭市が共同で運営する、全国でも珍しい道の駅です。「犬挟」の由来については諸説あり、神代の昔、日本武尊が西国平定のため国境の矢筈ヶ山(やはずがせん)から「この矢のとどく限りの的すべて従え」と言って矢を討ったところ、これが峠にささった事から 「矢ばささり」⇒「犬挟」となった。道の駅の方にお聞きしたお答えは、犬も通れないほど狭い道だったから。ロマンを求めるなら前説、真実らしさを求めるなら後説かな(笑)

倉吉を後にして岡山方面に帰る折、この道の駅で車中泊をさせて頂きました。思わず買い過ぎてしまうほど新鮮な野菜が豊富で、近くには美味しい湧き水もあり、また同じ方面に帰るお仲間とも偶然ご一緒になり、ゆっくりと休むことが出来ました。

車中泊をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めてその折には、本当に有難うございました

撮影日:2012年4月22日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県倉吉市

2017年07月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

倉吉市(くらよしし)は鳥取県中部に位置し、伯耆大山を境に岡山県と隣接する自然環境に恵まれた美しい地方都市です。天女伝説に由来する名前を持つ「打吹山」は「森林浴の森」日本100選に、「打吹公園」は「日本都市公園100選」「さくらの名所100選」。さらに市の西方に広がる丘陵地の東端には、伯耆国の国府・国分寺・国分尼寺跡が残され、市内には国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された「打吹玉川地区」があり、共に「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されています。

倉吉市唯一の鉄道駅で特急「スーパーはくと」の始発駅「倉吉駅」。「市の木:椿」「市の花:ツツジ」「市の鳥:メジロ」を制定。

キャッチフレーズは「人と自然と文化がつくる”キラリと光る新中核都市”」

明治22年(1889)、町村制の施行により久米郡倉吉町・小鴨村・上小鴨村・北谷村・社村・西志村・福米村・東志村・灘手村・上北条村・上灘村。河村郡西郷村・日下村が発足

1896年、郡制の施行により、河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。

1917年、西志村・福米村・東志村が合併、東伯郡高城村が発足。

1929年、倉吉町が、東伯郡上灘村を編入合併。

1944年、日下村が町制施行・改称して東伯郡上井町となる。

1951年、倉吉町が東伯郡小鴨村を編入合併。

1953年、倉吉町が上井町・北谷村・上小鴨村・上北条村・西郷村・社村・高城村・灘手村の一部と新設合併。市制を施行し倉吉市が発足。

1955年、東伯郡灘手村の残余地区を編入合併。

2005年、東伯郡関金町を編入合併、現在に至っています。

マンホールには中央に「市の木:ツバキ」。周囲の三角錐は「稲扱千刃の刃」、曲線は「小鴨川」の流れを表しています。

「市の木:ツバキ」の花が三輪描かれたマンホールは、倉吉絣のデザインを思わせる図柄。倉吉絣は江戸時代末期からある倉吉の伝統織物で、山陰三大絣の一つに数えられています。

水玉の地模様の中に「市の木:ツバキ」が二輪、上には「水と緑と文化の町」の文字。

集排地区のマンホールには、稲扱千刃(いなこきせんば)で稲を扱(こ)く、女性が描かれています。倉吉の「稲扱千刃」は、元禄の初め頃に、従来の竹の刃に替えて鉄を用いて製造されたもので、上記の「倉吉絣」と共に、倉吉に莫大な富と財を呼び込み、町に繁栄をもたらしたと云われます。

昭和29年3月29日制定の市章は「上の半円が「ク」下の半円で「ラ」、間に「土」と下の内側半円で「吉」とし、全体でクラ吉としたものです。
円形を型どるは円満なる融和を示し、市民の強固なる団結を表現、又中央の突起せるは将来倉吉市の延びゆかんとするを表徴する。」公式HPより

制水弁

「くらしのコミュニケーション」のフレーズと、水の流れを思わせる図柄の、仕切弁・消火栓。

打吹玉川地区にのみ敷設されている、稲扱千刃を上下に配した名所旧跡案内プレート。上に「河原町・鍛冶町」、下に「倉吉パークスクウェア・白壁土蔵群」

上に「白壁土蔵群・赤瓦」、下に「倉吉パークスクウェア」

白壁土蔵地区の駐車場近く、倉吉市鍛冶町出身の「第五十三代横綱琴櫻関:銅像」。

撮影日:2012年4月19日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県日吉津村

2017年07月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

西伯郡日吉津村(ひえづそん)は鳥取県西部に位置する村です。箕蚊屋平野に面し、北は日本海で三方を米子市に囲まれ、日野川の東側に位置する平坦な田園地帯です。2004年11月1日以降、県内唯一の村となりました。「村の木:黒松」「村の花:チューリップ」を制定。

キャッチフレーズは「あげしよか、こげしよか、どげなことしよか、日吉津でしよいや!『一人ひとりが輝く 夢はぐくむ村づくり』」

明治22年(1889)、町村制の施行により会見郡日吉津村が発足。

1896年、郡制の施行のため汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。西伯郡日吉津村となりました。

マンホールには中央に「ひえず」の文字と、周囲四方向に「村の花:チューリップ」がデザインされています。

昭和51年4月1日制定の村章は「ヒエヅの頭文字は「ヒ」を意匠化。 丸い円は、親和・団結・協力を表わし、力強い線は、飛躍発展を象徴しています。」公式HPより

撮影日:2011年5月20日

 

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