車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

金刀比羅詣り~其の三 in 香川県琴平町

2021年03月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

念願の本宮への参拝を果たした二人。名残はつきませんが、流石に長居が出来るような状況ではなく、金比羅宮参りもそろそろ引き上げ時。こんなお天気でなければもう少し美しい社殿や境内社なども見て周りたかった・・・なんて、思っていても今は口に出してはいけません。

旭社に下る途中に見かけた「皇廟(伊勢の神宮)、皇陵遙拝所」。その境内にて神域を守護されるのは出雲丹後型の狛犬さん一対。「石工・門兵衛 天明元年(1781)6月建立」とあり、建立年代が彫られた物では最古とされています。

下りの石段は別な意味で足元注意ですが、それでも上りよりは楽な気がします。おや・・こんな所に亀趺に乗った「百度石」が・・

かと思えば、どう見てもお寺の道標。それも当然の話で、元々は神仏習合「象頭山松尾寺金光院」と呼ばれた真言宗の寺院。御祭神も「象頭山金毘羅大権現」と呼ばれいたのです。
【こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ ~ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現  一度周って・・】とエンドレスな民謡、多分一度は耳にしたのではないでしょうか。

本宮から旭社まで帰って来ました。天保8年に竣工された社殿は、高さ約18メートル、銅板葺・二重入母屋造、総槻造り。そのあまりの豪華さに、森の石松はこの「旭社」を「本宮」と見誤ったと伝えられています。本来ならば華麗な彫刻を楽しみたい所ですが・・

回廊でもう一度息を整えて、さぁ後はひたすら下界を目指して。どうせこんな雨の中では景色も建物も写せやしないのですから。と言いつつ、境内社「火雷社」の灯籠笠の上で勢い良く跳ねる狛犬さんを発見!

阿形さん、高い灯篭傘の上からなにやら喚いておりますが・・・

阿吽の狛犬さんが乗った灯籠を支えているのは、亀趺ならぬ「象趺」。でもこうして横から見ると「獏」と言った方がしっくりきます。

帰り道は、下りと言うこともあるのでしょうが、予想以上に足がスムーズに動きます。ほんの申し訳程度ですが雨足も緩くなったようで、今日の参拝も無事に終了できそう。
桜馬場西詰銅鳥居に掛けられた「しあわせさん こんぴらさん。」の文字幕。こんな雨の中の参拝でしたが、ここまで帰ってくると、その言葉も満更悪くないと思えます。

漁師だった私の父は、一生に一度は金刀比羅さんに参らねばと、いつも言っていました。その願いが叶えられたのは私が車の免許を取得した年。父母と小さい姪を連れ、カーフェリーを利用しての金比羅参り・・・あれから随分と時が流れ、「やっと金刀比羅さんに来れた」と喜んだ父母も・・そして小さかった姪も・・若くして鬼籍にはいりました。

参拝日:2011年6月18日

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金刀比羅詣り~其の二 in 香川県琴平町

2021年03月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

昨日に続く金刀比羅宮。段数は半分を超えて477段。社務所門と、その奥に書院があり、『円山応挙』の襖絵などが公開されていますが、先を急ぎます。

社務所門で左折すると玉垣と石畳の広場、石段は丁度500段。木馬は、高松城主『松平讃岐守』から献納されたもので、京師田中環中斎弘教宗圓の作。

でもどんな名人の作でも、広場中央の楠木の大樹の奥で優しく外界を見守る神馬の「月琴号」の美しさには敵いません。漆黒の瞳を見ていると、雨の参拝で疲れた心が和みます。

神馬は神様がお乗りになる馬ですが、それとは別に、サラブレッドの黒馬「トウカイ・スタント号」も奉納されています。GⅠ優勝馬「ホリスキー」を父に、「トウカイ・ジュノー」を母に持つ、生粋のサラブレッドだそうです。

広場には「今治造船」から奉納された巨大な真鋳製のスクリュー(19.2t)が、薄暗い雨の下で輝きを発しています。傘も持たず、合羽も持たなかったご亭主殿、全身びしょ濡れのまま、もはや開き直って隅から隅まで歩き回っています😅

石段の数は628段、やっと「旭社」まで来ました。御祭神は『天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神』。天保8年(1837)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物は、金刀比羅宮最大の木造建築物で、神仏分離以前の松尾寺の金堂だったもの。

参拝順としては、本社のお参りを済ませて後に旭社への参拝となっているので、ここは休憩をかねて見るだけ😅 丁度「旭社」の正前に回廊が作られており、ここでたくさんの方が休憩をされています。ご亭主殿も流石にお疲れのよう・・・・

旭社を左手にみながら、廻廊に沿って北へ進み、唐銅の鳥居をくぐります。・・・自力で「本宮」までなんて、相談した医師からも、知人からも「絶対に!無理!」と言われましたが、ここまでの652段、あと少し😠 。

建速須佐之男尊・后の神:奇稲田姫尊』を奉る「真須賀神社」。神域を守護されるのは文化7年(1810)建立、尾の形状などが神殿狛犬を思わせる一対。

「旭社」から「本宮」へ・・・最後の石段「御前四段坂」は、四段階に分けて造られていることから名付けられた名称。それぞれ数十段の石段が続きます。そして・・・本宮に到着!!! 「大丈夫か?」のご亭主殿の声にVサインで応える私・・顔をぬらしているのが雨なのか、へたり込みそうな安堵の涙なのか、本人にもわかりません。

強い雨の中にもかかわらず多くの参拝者でごった返す本宮ですが、残念ながら展望台から見える下界は真っ白いモヤの中。その所為もあってか、長く留まる人は居ません。

本宮拝殿と北渡殿で繋がる「神饌殿」。入母屋造檜皮葺の美しい建物ですが、それも高覧の影から眺めるだけ・・。渡殿の庇に隠れるように座り込んで、もつれそうな足にしばしの安息を。

本宮近くで待機する私に代わって、ご亭主殿が境内社の狛犬さんを画像に収めて来ました。こちらは『大国玉之神』を奉る「境内社:睦魂神社」のご神域を守護される明和2年(1765)8月吉日建立のブロンズ製の狛犬さん一対。燃え盛る炎のような尾に、踏みしめた四肢の鋭い爪が、迫力満点。

ご亭主殿が帰ってきた所で、旭社に向って帰ることにします。さすがに奥宮まで行くのは、晴れていても無理だと言われていましたし、この雨では悩む余地すらありません😅、 続きは明日のブログで。

参拝日:2011年6月18日

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金刀比羅詣り~其の一 in 香川県琴平町

2021年03月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

名勝:象頭山中腹に鎮座される「金刀比羅宮」。御祭神は『大物主命』。
明治以前は金毘羅大権現と呼ばれ、全国に約600社ある金刀比羅神社・金比羅神社・琴平神社の総本宮、海上交通の守り神として漁師、船員など海事関係者の崇敬を集めています。

由緒は二説あり、「一説に、大物主命」が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするもの。また、もともと象頭山にあった松尾寺に金毘羅が守護神として祀られており、これが金毘羅大権現になったとする。」

ご亭主殿と二人の金刀比羅参り、公式HPの案内を真似てレッツ!スタート。表参道から始まった石段のぼり、113段を数えたところで、トップ画像の「一之坂鳥居」。鳥居の両脇より神域を守護されるのは重要有形民族文化財指定、天保15年(1844)建立の備前焼獅子狛犬さん一対。

鳥居から先は一ノ坂、石段は段々と急になっていき、168段を数えたところで、左側に注目👀。安政5年(1853)船の下梁を利用して建てられた、重要有形民俗文化財「灯明堂」があります。

更に120段をのぼり288段を数えた所で、右手の境内一画に建立されているのは「元金比羅宮宮司:琴陸宥常(ことおかひろつね)像」。明治中期に「日本水難救済舎」を設立した人物です。

石段の数は351段、一の坂の終点の境内左手には「鼓楼及清塚」と題された案内板。「平安朝 に令名を馳せた作家清少納言 は老後四回に渡り当宮にも参り終り此の地におわると言い伝し二百六十年程前宝永七年この鼓楼建築にあたり、その塚石をみいだしました。のち天保十五年今から百三十年程この碑を建つ鼓楼は朝夕時刻をしらせる時太鼓を備えた高閣である」悔しい事に、鼓楼の横にある清塚の碑は雨の為にボケボケ😩

参道の右手、金刀比羅本教総本部前に建立されている重要有形民族文化財の「青銅大燈籠」。案内に寄れば「山形県酒田」よりの奉納で、同型のものが山形県の山寺に一基、宮城県金華山の黄金山神社に一対奉納されています。

365段を数えた所で大門到着。本宮までは785段なので、約半分近く登ってきた事になります。「高松藩主:松平頼重」により寄進された二層入母屋造瓦葺の大門。その門前より神域を守護されるのは、享和元年(1801)建立の典型的な浪速狛犬さん一対。

境内の一画で商われる、こんぴら名物「加美代飴」。これは金刀比羅宮境内大門内にある5軒の飴屋のみが販売を許されており、この5軒の飴屋の通称を「五人百姓」と言います。この呼び名は、御宮の神事における役目であり、先祖による御祭神の供奉を行っていた功労が称えられ、特別に境内での営業を許された5軒の称号なのだそうです。

石段のぼりで疲れた足をゆっくり休めて、良い景色でも眺めたい所ですが、生憎の雨なのに、雨宿りの場所もありません。でも雨にも負けず、この桜馬場の玉垣内を守護されるのは、青銅の狛犬さん一対。吽形さんの頭の宝珠の重たそうな事・・。

このころから次第に雨脚が強くなり、安易にデジカメを向けることも出来なくなりました。少しピッチを上げなければ・・可愛らしくお座りの犬は「こんぴら狗」。首にかけた「こんぴら参り」の袋に、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などを入れ、旅人や街道筋の人の世話を受けながら、飼い主に代わってこんぴら参りの代参をします。それと知ってお世話をする人・・古きよき時代の話に心がほっこり。

・・・の後は、なんでやねん?と突っ込みたくなる「アフリカ象の像」。これってもしかして「象頭山」に引っ掛けての奉納?

広大な神域を持つ金比羅宮・・まだまだ先は長い・・と言う事で続きは明日のブログで

参拝日:2011年6月18日

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琴平駅から金刀比羅さんへ in 香川県琴平町

2021年03月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

上等とはいえない怪しい雲行きの下、「こんぴらさんの駅」と親しまれている「琴平駅」にやってきました。ここは公共交通機関で参拝された方が最初に目にする神域。車寄せの上には正式な注連縄が張られています。

電車を降り立ち改札口から一歩足を踏み出せば、彼方には像頭山の姿。一般道に至るまでの道は奉納灯篭が立ち並び、まさしくそこは参道なのだと認識させられます。

道路の境界線上より神域を守護されるのは、優しい顔立ちの浪速タイプの狛犬さん一対。4段重ねの高い台座の上から遠く一帯を守っておられるのです。

駅前参道の途中に、金毘羅歌舞伎の発展を願って建立された『新歌舞伎十八番 鏡獅子像』が見事な見得を切っています。金刀比羅宮参道近くには、現存する日本最古の芝居小屋「金丸座」があり、今も「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として毎年春に公演されているそうです。

1922年に竣工された洋風建築の「琴平駅:駅舎」は、2012年に国の登録有形文化財に登録されました。

これは4月20日に文化庁が発表した内容文で、何と私達が訪問した10ヵ月後の事。「南西方の金刀比羅宮を向いて建つ、木造平屋建ての駅舎である。正面中央に大きな切妻屋根を配して半円窓を開け、軒先には丸金印の軒飾りを飾るなど大らかな意匠になり、駅前の歴史的景観に寄与している。ホームの上屋など3件を併せて登録する。」

出来ればもう少し余裕を持って細部の画像を残したかったのですが、生憎と近場に駐車スペースが無く、ご亭主殿は車で待機。ついつい時間に急かされて駆け足状態での見学となりました。

ここから金比羅宮参拝のために近くまで車で移動。途中で見かけた屋根付きの橋は、御神事場西端にある「鞘橋」。明治2年(1869)に建てられ、明治38年に現在の場所に移築。例大祭などの神事のみに用いられているそうです。

金刀比羅宮参拝の前に「琴平海洋博物館(海の科学館)」に立ち寄りました。人と海との歴史や深海、船舶の機能等、海洋に関する情報が幅広く紹介されており、規模はそれほど大きくは有りませんが、戦艦大和や、幕末期の世界地図など、興味深い展示内容です。

特に日本髪の美人絵を使用した「大阪商船株式會社」のポスターは、私の一番のお勧め。また「石炭を焚かぬディーゼルエンジン装置:紅丸就航」のポスターを見て、頭で知っていた知識の可視化に改めて驚かされたりします。館内は撮影禁止の為紹介できる画像は殆どありませんが、ポスターの類は必見の価値あり!古いポスターが好きな人なら、何時間でも居座りたくなりますよ!

「琴平海洋博物館」のテラスから見える大屋根、その奥に見える建物が、ブログの半ばに登場した日本最古の芝居小屋「金丸座」。時間が有れば立ち寄りたい場所のひとつ。

退館後は、施設内駐車場に車を置かせて頂き、金刀比羅宮への参拝をしました。(無断駐車はくれぐれもしないように、受付で必ず許可を頂いてください!)

金刀比羅宮参拝、続きは明日のブログで

訪問日:2011年6月18日

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ふらり~善通寺の町歩き in 香川県善通寺市

2021年03月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

善通寺の玄関でもあり、弘法大師ゆかりの駅でもある「善通寺市駅」。明治22年(1889)の開業時に建てられた駅舎は、大正11年(1922)の陸軍大演習の際に車寄せ部分などを増築。開業当初切妻造だった屋根は、1991年の改修で寄棟造となりました。

明治22年3月30日と記された建物財産標が存在し、日本最古の現役駅舎とされる愛知県半田市の「武豊線:亀崎駅」。善通寺市駅はそれよりも古い可能性があるとされ、国の登録有形文化財に登録されています。

駅から続く表通りを行くと、ちょうど向かい側に黒漆喰土蔵造りの「瀬川酒店」の建物が見えてきました。中二階の壁部分には、薦かぶり「五岳」の鏝絵看板がその存在感を示しています。

大正6年(1917)に建てられた本瓦葺き入母屋造りの母屋は、国の登録有形文化財に、その後相次いで増築されたなまこ壁の東蔵も、母屋同様に登録有形文化財の指定を受けました。

急勾配の屋根と、ハーフティンバーを施した褄壁がモダンさを感じさせる建物は「大川家住宅」。昭和12年(1937)に建てられたもので、左に見える黒漆喰の大川酒店の建物と共に登録有形文化財に指定されています。

特に大川酒店の屋根の見事なむくりは、和と洋の絶妙なバランスを感じさせ、それだけでも見るべき値打ちがあります。

惜しむらくは・・・母屋が改装中だったこと😔 むろん人様のお宅を見せて頂くのですから不足はいえません。

真っ白の下見板貼りの外壁に、鮮やかなブルーの枠取りが印象的な建物は、「水尾写真館」。大正2年(1913)に建てられたもので、こちらも国登録有形文化財の指定を受けています。

レトロな建物群の中でも際立って特徴的なのは、この鮮やかな色使いのせいかもしれません。

赤レンガの倉庫群は、第11師団の兵器庫として終戦まで使用されていたもの。現在は、陸上自衛隊が同種の用途で引き継ぎ、駐屯地の中でも目立つ存在として活躍しています。

図書館の近くに建てられていた「騎兵連隊碑」。すぐ隣の四国学院大学の構内には「騎兵第11連隊本部」の建物が現存しているそうです。

「輜重隊(しちょうたい)跡」。輜重隊とは、あらゆる軍需品を前線に輸送する部隊の事を言います。

善通寺市の町歩き、ラストは陸軍第11師団将校の社交施設として明治36年(1903)に建てられた「旧善通寺偕行社」

外観意匠はルネサンス様式で、正面中央にドリス式角柱と三角ペディメントによる車寄せポーチ。正面ペディメントには陸軍のシンボルである星章が金色に輝いています。

竣工年の10月には皇太子:嘉仁親王殿下(大正天皇)が香川県行啓の休憩所として、また 大正11年(1922)には、陸軍軍事大演習参観のため皇太子裕仁親王殿下(昭和天皇)が宿泊されています。戦後は進駐軍の社交場となり、その後も公共機関の建物して使われてきました。2001年に国の重要文化財の指定を受けた後に保存修理工事を実施、創建当時の状態を基本に復元されました。

訪問日:2011年6月18日

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讃岐宮:香川県護国神社・乃木神社 in 香川県善通寺市

2021年03月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

善通寺市文京町に鎮座される「讃岐宮香川県護国神社」。明治維新以来、国の為に尊い命を捧げた香川県出身の御英霊が奉られます。

護国の英霊35700余柱が鎮まっておられる神域を守護されるのは、招魂社型と分類される狛犬さん一対。どうぞ、この宮が静かで安らげる地であるように、しっかりと守護をお願い致します。

「鎮魂予科練之碑」・・1930年、霞ヶ浦飛行場 (茨城県) に開設された「海軍飛行学校」。「海軍飛行予科練習生」・・純粋に国を守ろうと決意し、志願兵として戦に参加された、平均年齢15~17歳・・若き命の鎮魂碑です。

「工兵隊碑」・・・ 部隊の作戦行動(野戦)を容易にしたり、攻撃や防御、移動を支援したりする任務を専属とする兵科を工兵と言います。

戦場で戦うのは父や夫・息子。彼らを見送る母も妻も子も、やはり共に戦っていたのだと「母子像」は語りかけてきます。「傷痍の碑」の台座に刻まれた「祈祖国平和」。好き勝手なことを言って笑って暮らせる今が、どのような命の贖いによって得られたものか・・決して忘れてはならないと思います。

時に雄雄しく、時に重労働に耐えこの国に尽くしてくれた軍馬たち。今は緑の草原を軽やかに翔けていますか?  気休めであっても、そうであって欲しいと願います。

太平洋の底に眠る軍艦たち・・・この大きな碇がその一部であれば、船霊も共に祖国に帰れたのだと思えるのです。

奉納された神馬の腹掛けに輝くのは桜の紋章。御神紋であり、また軍の徽章としても用いられました。

静謐さの中に静かに在る神の社、そこに眠るのはただひたすらにこの国を守りたいと願った方々の御霊です。私たちはその事を決して忘れてはならないと、・・何よりもその存在を貶める愚者を許してはならないと思うのです。

最後の画像は、旧大日本帝国海軍兵学校において用いられた五つの訓戒「五省」の碑。いずれも簡潔明瞭に、人が生きていく上での大切な事を、きっぱりと説いており、現在は海上自衛隊幹部候補生学校で用いられていると聞きました。
一、至誠に悖るなかりしか(真心に反する点はなかったか)
一、言行に恥るなかりしか(言行不一致な点はなかったか)
一、気力に缺るなかりしか(精神力は十分であったか)
一、努力に憾みなかりしか(十分に努力したか)
一、不精に亘るなかりしか(最後まで十分に取り組んだか)

香川県護国神社に隣接して鎮座される「乃木神社」。御祭神は『乃木希典閣下』第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王殿下(昭和天皇)の教育係を務められた人物です。

明治天皇への忠義を自らの支えとし、ひたすら純粋に生き『明治天皇』に殉じて自ら命を絶った『乃木希典将軍』。

【神あがり あがりましぬる大君の  みあとはるかに をろがみまつる】

【うつ志世を 神去りましゝ大君乃 みあと志たひて 我はゆくなり】

その夫と共に、護身用の懐剣によって自らの胸を貫き、命を絶った静子夫人。

【出でまして かへります日のなしときく けふの御幸に 逢ふぞかなしき】

乃木夫妻の葬儀は、大喪の礼から5日後の大正元年(1912)9月18日に行われました。沿道を埋め尽くした人の数は推定20万人とも言われ、その様子は「権威の命令なくして行われたる国民葬」「人民として空前の盛儀」と表現されました。また外国人も多数参列したことから「世界葬」とも表現されました。

明治と言う時代は、日本の黎明期であり、また激動の時代でもありました。その時代の中で、凛として美しく生きたお二人だったからこそ、民は御二方を神としたのです。

参拝日:2011年6月18日

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真言宗十八本山一番札所:善通寺 in 香川県善通寺市

2021年03月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

「屏風浦五岳山誕生院」を号とし、「薬師如来」を本尊とする「真言宗善通寺派総本山:善通寺」
四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられます。

多度郡屏風浦善通寺之記によれば「善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807)に建立し始め、弘仁4年(813)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の5つの山の麓にあることから命名された。」

朱色であるがゆえ赤門と呼ばれる東門をくぐり、重要文化財の指定を受けている金堂への参拝。流石に「真言宗十八本山一番札所」であり、「空海生誕地」としての位置にある善通寺。老若男女、多くの方が引っ切り無しに訪れ、手を合わせていきます。

特定の宗派に属さない二人ですが、だからといって神仏を疎かに考えることはしません。特に私の生まれ育った地では、お大師さんの存在は非常に身近にあり、お墓でもお仏壇の前でも「南無大師遍照金剛(この世の一切を遍く照らす)」を普通に口にして育って来ました。

あれもこれもと詰め込んだ予定の中では、じっくりとお参りは出来ませんが、それでも出来うる限りを見て歩きたいと、半ば駆け足状態😄
金堂同様、重要文化財指定の「五重塔」は明治35年(1902)に完成した四代目。五智如来の内、四如来が一階に、中尊大日如来は五階に祀られています。

五重塔の近くには、仏教の開祖である釈迦如来と十大弟子を安置する「釈迦堂」があり、左右には知恵の輪灯篭が並びます。現在の建物は江戸時代・延宝年間(1673~1680)建立で、もとは西院(誕生院)の御影堂でしたが、天保2年(1831)の御影堂新築にあたり現在の場所へ移転されました。

「釈迦堂」と向かい合うように大きく枝を広げ、涼やかな影を大地に落として聳えるのは、樹齢千年を超える大楠。「善通寺境内の大グス」として香川県の天然記念物に指定されています。

江戸時代末期の再建とされる「鐘楼 」。梵鐘は昭和33年(1958)の作だそうですが、衝くことはできないそうです。

東院の南に位置する善通寺の正門「南大門」。日露戦争戦勝を記念して明治41年(1908)に再建された高麗門形式の平唐門で、国登録文化財の指定。

観光地には付き物の顔出し、とは言えまさかお大師様の聖地には・・・と思っていましたが、ちゃんとありました😅。お遍路さんの顔出しは、装束から察するに、ご夫婦かカップルでしょうか? 私の母も同じような装束一式をもっていました。

東院から東にのびる赤門筋商店街内にある「赤門七仏薬師」。薬師如来は、現世におけるすべての病苦をのぞくとされ、特に七仏薬師は安産の功徳を得るとされ、また、拝すると乳の出がよくなるといいます。手前の犬の像も「安産」にあやかったもののようです。

通称「乳薬師」と呼ばれる石造の薬師如来様。左手に薬壺を持ち右手を施無畏印(せむいいん)とする通形のお姿で、台座の部分には分身の六尊が浮彫で表されています。

奉納された絵馬を指差し、「乳の出だって~~、恥ずかしい~」と、可笑しそうに笑っていたお若い女性の参拝者がいました。でもね、母乳だけが赤子の命の糧だった時代があったのです。母乳が出るか出ないかは、即、赤子の生死に関わった重大事だったんですよ・・(と、これは私の心の声)

宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)の地に、郡司:佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、玉寄御前(たまよりごぜん)の子として生を受けた「真魚(まお)」。この善通寺の西院には「弘法大師御誕生所」や「稚児大師像」等々・・あれもこれも拝観したいものが沢山あったのですが、詰めすぎた予定をこなすにはこれ以上の長居は無理と言うことでタイムアウト😔。

参拝日:2011年6月18日

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田潮(たしお)八幡宮 in 香川県丸亀市

2021年03月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

丸亀市土器町、青ノ山西麓に鎮座される「田潮(たしお)八幡宮」。御祭神は『誉田別命(応神天皇)』

由緒に「古くより鵜足郡津郷の産土神として応神天皇を祭り 青野山西麓に鎮座 土器八幡宮と崇められてきた。 南北朝時代、貞治元年(1362)7月 細川頼之が将軍足利義詮の命により、細川清氏を松山郷高屋の城に攻めたとき、出陣に際し当八幡宮に戦勝を祈願した。清氏の西長尾・中院源少将雅平に対しては 陽動作戦を以て戦い、清氏を高屋の西林田の地に討ち取ったことは、太平記に詳述してある。 全讃史には、はじめ源少将が攻めてきたとき、頼之はしばらく当社付近へ退却したが、社前の水田地帯一面に潮が満ち、敵軍を防いだので 田潮八幡宮と称したと伝えている。」

一の鳥居両脇より参道入口を守護されているのは、玉にじゃれる子狛を連れた優しい表情の吽形さん。向かい合って子供に笑いかけているのは、玉を持った阿形さん。生憎の雨の下ですが、この一対が醸すほのぼの感・・・良いです。

随身門の近くに車を止め、ここから降りしきる雨の中の参拝・・傘を片手では思うようにデジカメも向けられません。神門内には、昔はとっても鮮やかだったと思われる矢大神、左大神が神域を守護されています。

境内は雨にぬれてひっそりと静謐さを保ち、傘を叩く雨の音だけが耳に響いてきます。長い参道には、寄付奉納者の名を刻んだまだ新しい石柱がぎっしりと並び、崇敬の篤さを物語るその数に圧倒されます。

その長い参道を守護されているのは、可愛らしいと言う言葉が似合いそうな浪速タイプの狛犬さん一対。首に結ばれた紙垂が雨に濡れてちょっと切ない気持ちになります。

石段参道の上、豪華な唐破風を付けた拝殿に辿り着いたところで参拝です。今のお願いは、とりあえずこの雨が止みますように・・・🙏🙏

目貫で向拝を支える力士、一方は両手で。もう一方は肩で重い貫を支えながら、平然と下界を見下ろしています。

拝殿内に鎮座されていた漆喰製の神殿狛犬さん。色褪せて見えるのはかなりの年代をこちらで過されたからでしょう。

今回、雨にも拘らず拝殿内の狛犬さんを撮影できたのは、神社関係の方のご好意のお陰です。雨に濡れた体ゆえ遠慮したのすが、気にせずにと笑顔で拝殿内の灯りまでつけていただきました。おかげさまで沢山の絵馬も拝見でき、大好きな鏝絵の絵馬も見ることができました。

雨に濡れた足を気にする二人に、「何の気にしなくても構いませんよ」と笑ってくれた奥様。あのときの優しいお言葉は、今も一緒の記念写真を見るたびに思い出します。
        本当に、本当に有難うございました🙏🙏

拝殿近くより神域を守護されるのは参道の狛犬さんとよく似た浪速タイプの狛犬さん一対。文政13年(1830)12月吉辰建立の古参ですが、顔立ちが厳しく見えるのは雨に濡れている所為でしょう。

拝殿の屋根から顔を覗かせるのは・・珍しくおどけた表情の龍ですね・・何とも楽しそうですが、何か(誰か)待っておいでなんですか?

屋根の上、楽しいのは龍だけではありません、留蓋の上の虎に獅子、雨の所為で最初はその形状が理解できなかったのですが、何と虎も獅子もそれぞれ二匹でじゃれあっているんです。

こんなに楽しい細工瓦を作成された鬼師さん、他の作品もあるのなら是非とも見てみたいものですが・・お名前が分からないのが残念。

境内の一画にある神馬舎。何故か気になって見上げた向背に邪気を退治する鍾馗さんの彫刻がありました。

こんなに強そうな鍾馗さんに守られておいでなら、真っ白い神馬さん、きっと毎晩枕を高くして眠れる事でしょう😊

降りしきる雨に邪魔され、本殿や境内社への参拝は諦め、そろそろ車に戻ることにします。それでも殆ど素通りだった参道の境内社に、ご挨拶だけはできました。

「境内社:粟嶋神社」、御祭神は『少彦名神』と思われます。

開放的な洞に納められた「地蔵菩薩坐像」、これも神仏習合の名残でしょうか? 最後に手を合わせ、旅の無事を願わせていただきました。

参拝日:2011年6月16日

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玉積(たまづみ)神社 in 香川県丸亀市

2021年03月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

旧金毘羅五街道の一つ、丸亀街道の船着き場「新堀湛甫(しんぼりたんぽ)」に建立された「太助灯籠」。江戸在住の人々(千人講)が浄財を出し合って天保九年(1838)に完成したもので、「江戸講中」と刻まれた台座には寄進者や世話人ら1,357人の名前が刻まれています。「太助灯籠」の由来は、寄進者の中で最高額の80両を寄付した「塩原太助」の名にちなんだものといわれています。

「太助灯籠」から程近く、丸亀市西平山町に鎮座される「玉積(たまづみ)神社」。御祭神は『天照大神、品陀皇大神、大國主大神、少彦名神、豊受大神、天兒屋根命、中筒之男神、市杵島姫命、綿津見神

県神社誌によれば「天保年間新掘堪浦築造の際、剰土を盛たる所に丸亀班大阪蔵屋敷に祀りし神社を奉遷したるなりといふ」。江戸時代には金毘羅宮遙拝所として鎮座されており、鳥居には「金刀比羅宮」の額がかけられています。神仏分離を踏まえて、明治以後独立し、現社名に改称されました。

神社入口、鳥居脇より神域を守護されるのは、明治3年(1870)11月建立の浪速型狛犬さん一対。冷たい雨に打たれながらデジカメを向ける私たちに、何かもの言いたげ。「阿・なぁなぁ、どこから来たん??関西って、どこらへん??」「吽・雨やと言うのに、わしらに会いに来たんか? もの好きやな~」

境内入口に奉納された燈籠の笠の上では、岩山に足を踏ん張る狛犬さん。でも吽形さんは生憎と枝の中に隠れてしまって、この雨では面会は叶いません。

千鳥破風・唐破風付きの拝殿。遠目でも気になる屋根の細工瓦、破風の彫刻が気になりますが、雨が怖くてデジカメが上に向けられない・・😣

雨から隠れるように写した拝殿の脇障子、左は波間を咆哮する龍。右は林に潜む獅子だと思うのですが、後からの撮影なので顔がすっかり隠れています。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、文政元年(1818)10月吉日建立の狛犬さん。こちらには「石工:岡田屋五兵衛」のお名前も刻まれており、阿吽共にとてもフレンドリーな表情。見返すこちらも思わず笑顔になりそうな一対です。

境内社:金神社」、御祭神は『金山彦神』、小さなお社ですがこちらにも神域を守護される狛犬さんが居ます。

こちらがしゃがまなければ、前からのお顔が見えないほどの大きさですが、正面から向き合うと、魔除けのお面を思い出させる、とっても!!強情そうなお顔。

「玉積神社」に隣接されて鎮座されるのは、小さな赤い鳥居が鮮やかな「境内社:稲生神社」

この神域を守護される狛犬さんは・・・・・何と香炉台の下にいました!

決して軽いとは思えない香炉を背中に載せながら、なんて可愛らしく笑っている事か。思わずしゃがみこんで頭を撫でていた自分にビックリ😅

拝殿の貫から参拝者を見下ろしているのは、精悍この上ない顔立ちの獅子さん。普通は獅子と獏(もしくは像)との組み合わせが多いのですが、ここではどちらも獅子のようです。

角度を変えたら違って見えるかもしれませんが、何しろ雨の中・・・これ以上動き回れないのが残念。

参拝日:2011年6月16日

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山北八幡宮~其の二 in 香川県丸亀市

2021年03月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

「山北八幡宮」には多くの境内社が奉られており、鳥居の内に鎮座される境内社もあります。「境内社:山北天満宮」を守護されるのは、スリムなボディがご自慢の狛犬さん一対。

こちらの狛犬さん、建立された年代は不明なのですが、真横から見るとお腹と足の間の空間が見事な正三角形なんですよ。横顔で並ぶと、鳥類の顔を思い出すのは私だけでしょうか?

天満宮の撫で牛さん、そんな事を思って狛犬さんにべたべた触る私を、不審そうに見ています😅

西汐入川の川口に鎮座され、大正6年(1917)に「山北八幡宮」に遷された「京極船魂神社」。現在は丸亀市福島町の京極大橋下に鎮座されています。その社殿の跡地に設けられたのが「京極船魂神社遙拝所」

鳥居の両脇より神域を守護されるのは、天保12年(1841)建立の一対。吽形さんは宝珠を、阿形さんは角を持ち、口中になにやら(おそらく玉)含んでいます。

「境内社:王子社」。御祭神は『伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命』。

鳥居の両脇より神域を守護されるのは、万延2年(1861)正月吉日建立の狛犬さん一対。どちらも顔よりも大きな玉を持って・・というかもたれて休憩しているようにも見えます😅

吽形さんの玉にすがって、遊んでとねだっているのは、可愛い子狛さん。その仕草は、人と神獣の違いはあっても同じに可愛いく、それを見守る姿はとても優しいのです。

「境内社:高津神社」の〆鳥居脇より神域を守護されるのは、昭和47年(1972)8月建立の岡崎型狛犬さん一対。

この神社の守護を担当される狛犬さん達の中では一番年若の一対ですが、小さいながらも力瘤一杯で大きな目を四方に配っています。

左手に鎮座されるのは「境内社:稲荷社」、右に「境内社:高良社(高良玉垂命)」

稲荷社を守護されるのは、小さな素焼きの神狐さん。もろい材質ゆえに、小さなお体は満身創痍ですが、それでも日々健気に祠をお守りしています。

境内社七社、左から「亀山神社」、「荒魂神社」、「和霊神社」、「稲荷神社」、「猿田彦神社」、「大国主神社」、「春日神社」と並びます。

左手に鎮座されるのは「境内社:大神宮」、右手に「境内社:幸神社」が並びます。

旧金毘羅五街道の一つ、丸亀街道の中心に鎮座される「山北八幡宮」。広く取られた一画には「金刀比羅宮遥拝所」が設けられています。

参拝日:2011年6月16日

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