車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

津島(つしま)神社~其の一 in 愛知県津島市

2018年07月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

津島市神明町に鎮座される「津島(つしま)神社」。社格は国幣小社で、全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社。その信仰は津島信仰と呼ばれます。 御祭神は『建速須佐之男命』、相殿に『大穴牟遅命(大国主)』を配祀。

社伝に【建速須佐之男命が半島から日本に渡ったときに、荒魂は出雲国に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称 津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。】

中世・近世を通じ「牛頭天王」を御祭神とした「津島牛頭天王社(津島天王社)」。境内にある建物の殆どが、国・県の重要文化財指定を受けています。

一の鳥居から真っ直ぐ進み、見上げる石段の先に建つのは檜皮葺・四脚門の「南門(県重要文化財)」。『豊臣秀頼』が父『秀吉』の病気平癒の為に、慶長3年(1598)に寄進と伝えられます。

「南門」の正面、境内を隠す位置には、切妻造・檜皮葺の「蕃塀(県重要文化財)」。「蕃塀」は「尾張造」の特色とされ、正面から大神様に邪気が当らないように造られたものです。

広い境内の正面には、切妻造妻入・檜皮葺の優美な姿を見せる「拝殿(県重要文化財)」。 建立年は不詳ですが、元和5年(1619)、寛永3年(1626)の修理記録の棟札などが残されています。

切妻造・檜皮葺の「回廊(県重要文化財)」は、文政8年(1825)の再建。

透かし塀越しには朱の色も鮮やかな三間社流造・檜皮葺の「本殿(国重要文化財)」。慶長10年(1605)に清州城主『松平忠吉公』の健康を祈願して、妻:政子の方が寄進。

 拝殿と本殿の間に、文政6年(1823)に再建された「祭文殿(県重要文化財)」が僅かに見えます。

このように「本殿(後)、祭文殿(中)、拝殿(前)」を回廊で繋いだ左右対称の建築様式を「尾張造(おわりづくり)」と呼び、尾張地方独特の様式とされています。 私が参拝した神社では、稲沢市に鎮座される「尾張大国霊神社」が、同じく「尾張造」の様式でした。


明日は国重要文化財の楼門と、境内にあまた鎮座される境内社の数々を紹介します。

参拝日:2011年4月25日&2014年7月27日&2017年3月28日

 

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尾張津島天王祭~朝祭りin愛知県津島市

2018年07月30日 08時00分00秒 | 日本の祭り

翌日の「朝祭」を見る為に、急遽「道の駅・立田ふれあいの里」で車泊をすることになった二人。 流石に真夏の車中泊はキツ過ぎて寝不足ですが、大好きな祭り見物の為なら文句も言えません。今回も朝一で指定の駐車場に車を留め、津島神社への参拝を済ませ、その足でまずは車河戸へ。

幻想の世界を見せてくれた津島五車は、夜のうちに提灯を外し、「市江車(いちえぐるま)」とともにきらびやかな幕などで飾られ朝を迎えます。すでに「車楽舟(だんじりぶね)」の準備は出来ているようで、川辺は昨夜とは打って変わった華やかさ。「車楽舟」の最上段には、一番から五番までそれぞれの演目の衣装をまとった「能人形」が飾られます。ただし一番は常に「高砂」と決められており、残り四つがくじ引きで決められます。

車楽舟は2艘の舟を横に並べて固定して一艘に仕立て、そこに屋形を乗せ、その中段に「児(ちご)」を乗せます。「児」は神様の憑代なので、地面に足をつけないよう、常に肩車をされて移動します。

足が地面につかないように・・・簡単に書いていますが実際はかなりの難行。付き添うのは正装のお母さまですが、晴れがましさの中にも我が子を気遣う姿に心を打たれます。

津島の車楽舟は先頭が市江車で「鉾持(ほこもち)」と呼ばれる下帯姿の男子10人が乗っています。

ゆらりゆらりと進む車楽舟。それはもう唯々美しく神秘に満ちて、水面に映る影にさえ神々の息吹が感じられるほど。

ゆらりゆらりと・・・二艘、三艘・・

およそ25分間かけて、市江の車楽船と津島の5艘の車楽船が、舳先を揃えて綺麗に並びました。 時間を聞くと短く思えますが、実際にはその優雅な動きに見とれて、もっと長く感じます。

朱塗りの赤舟に乗った津島神社の神官が、車楽船のお迎えに到着しました。いよいよ朝祭りの始まりです。

昨夜の巻藁船と同じように、車河戸から天王川にゆらりゆらりと漕ぎ出してゆく華麗な車楽船。 巻藁船が炎の中に浮かび上がる、文字通り夜の神迎えなら、この華美な車楽船は太陽の神迎え。全艘が揃ったところで、先頭の市江車に乗っていた10人の鉾持が、揃いの「布鉾」を持って登場。

そうして一人ずつ、「布鉾」を持ったまま天王川に飛び込み、古式泳法で御旅所まで泳ぎます。 

見ている側の時間より、実際に片手を塞がれた状態で泳ぐ鉾持ちにはもっと長い距離・・・うまく言葉に出来ないし、こんな言い方は神事として相応しくないのでしょうが、若者たちの姿は本当に「かっこ良い!!」。時折おこる大きな拍手は、懸命に神事に挑む若者たちへの精一杯のねぎらいと感謝の験(しるし)。 ふと涙ぐみそうになるほど美しい光景なのです。

御旅所前まで泳ぎ渡った鉾持ちは、御神体に拝礼し鉾を持ったまま津島神社へと走ります。そうしてお神輿に還御頂くため、境内にある太鼓橋の注連縄を切るのです。もう何度でも言いますが、その姿はただただ美しい!

津島神社に奉納された布鉾は、拝殿前に立てかけられ、参拝者は自由に触れることができます。 布鉾から滴る水を体につけると悪い所が治るのだと、そこで出会った見知らぬ誰かが教えてくれました。

追記
【昭和55年に「尾張津島天王祭の車楽舟行事」が国の重要無形民俗文化財に、また昭和59年には「尾張津島天王祭の車楽」が県の有形民俗文化財にそれぞれ指定されており、2016年12月には33件の「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。】

訪問日:2014年7月27日

 

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尾張津島天王祭~宵祭り in 愛知県津島市

2018年07月29日 08時00分00秒 | 日本の祭り

毎年七月の第四土曜と翌日の日曜日に開催される「津島神社」の祭礼「尾張津島天王祭」。大阪の天満天神祭、厳島神社の管絃祭と並び、日本の三大川祭の1つに数えられる津島の夏祭り。その歴史は室町時代からと古く、全国の夏まつりの中でも最も華麗なものと言われています。

祭りは好きだけど人ごみは大の苦手というご亭主殿が、珍しく行ってみようかと言い出しました。本来は神社の例祭なので、神社を先に紹介するのが筋ですが、ここはすっぱりと掟破りで(笑)

祭りの背景や説明などは、市の観光協会や津島神社のHPに、より詳しく掲載されているので省略しますが、国の重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化遺産にも登録された壮大な祭りとあって、人出もかなりのもの。
メイン会場となる天王川一帯には、屋台のテントが立ち並び、それだけで気分はワクワク(*^^*)

この囲いは有料の桟敷席だそうで、天王川を取り囲むように同じような桟敷が並んでいます。 もちろん、桟敷席の予約がない一般の人も、充分に見物できる場所があるので心配は無用。

車河戸と呼ばれる細長い池に浮かぶのは、宵祭に「巻藁舟」となって今夜の主役になる舟。 

こちらに並ぶのは明日の主役を務める「車楽舟(だんじりぶね)」。何もかもが初めての二人には、何を見ても心が沸き立つ嬉しさを抑えられません。

夕方の7時前だと言うのに夏の空はまだ充分に明るさを残し、人々の表情もはっきりと見えます。 威勢の良い太鼓の音が「大治太鼓」の幟をはためかせて、天王川をゆらりと進んでいきます。

太鼓の音に気を取られてふと気がつくと、さっきまでの明るさは消えうせ、あたりはすっかり夜の色。向こう岸のほうからド~~~ンと音がし、やがて夜空に美しい火の花が舞い上がるのですが・・ お世辞にも雰囲気のある写真ではないので、ここは想像力を駆使して(笑)気分だけで花火を味わって下さい。

津島五車の巻藁舟の提灯に灯がともされると、いよいよ宵祭の始まり。 500個余りの提灯をまとった巻藁舟が、津島笛を奏でながらゆうゆうと天王川を漕ぎ渡ります。

舟の進行に合わせて揺らめく提灯、ゆらゆらと川面に映るその美しさはまさに幽幻の世界。 電飾では絶対に表現できない本物の炎の揺らめき、魯のゆれ、竹のしなりに合わせてゆらゆらと・・

手を伸ばせば届きそうな・・見知らぬ誰かが教えてくれた特等席。目の前を悠然と通り過ぎていく提灯の灯りに照らされたご亭主殿の顔は、不思議なほど綺麗で・・・

一艘・・・二艘・・・魅入る人の顔をオレンジに染めながら、ゆったりと去っていく「巻藁舟」。

ご亭主殿も私も発する声をわすれ、ただ目の前を通り過ぎる提灯の炎を目で追いかけるだけ。 5番目の巻藁舟を見送ったら、急いで昼間見た桟敷席の近くまで移動し、一列に並んだ五車を目に焼き付けます。

祭りの後の感想は何時だって、月並みで同じ言葉の繰り返し。お互いに上気した頬を見せ合いながら「良かったね~」「ああ、素敵だったね」を飽きる事無く繰り返すのです。
本当は明日の「朝祭」はもう一つのお祭りの為にパスのつもりでしたが、これだけの感動の後に、流石にそれは無いわ~(笑)。と言うことで、明日は「尾張津島天王祭・朝祭」の紹介です。

訪問日:2014年7月26日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 愛知県津島市

2018年07月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

津島市(つしまし)は愛知県の西部に位置する市です。愛西市・あま市・蟹江町に隣接。鎌倉時代から木曽三川を渡って尾張と伊勢を結ぶ要衝「津島湊」として発展してきました。また、全国天王信仰の中心地である「津島神社」の鳥居前として、一時期、尾張一豊かな町として繁栄してきました。「市の木:黒松」「市の花:藤」を制定。

キャッチフレーズは「つたえたい四季おりおりのまち津島 ~きらめく交流湊~」

明治22年(1889)、町村制の施行により、海東郡津島町・千秋村・大井村・神島田村・神守村・百高村・益和村・越治村・野間村が発足。

1906年、神守村、百高村、益和村、越治村、野間村が合併、海東郡神守村となる。海東郡千秋村、大井村、神島田村が合併、海東郡永和村となる。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となる。

1925年、海部郡佐織町の一部を編入。

1947年、海部郡津島町が市制を施行、津島市が発足。

1955年、海部郡神守村を編入。

1956年、海部郡永和村神島田地区を編入、現在に至っています。

マンホールには津島天王祭で使われる「巻藁舟」と「市の花:藤」がデザインされています。

「尾張津島天王祭・宵祭」の薪藁舟。

昭和32年3月1日制定の市章は、「外円が平和の輪と協調統合の輪を表したもので、中央の三角形は津島の発展と飛躍をかたどったものです。」HPより

津島ガスと思われるバルプのハンドホール。

津島市公式キャラクター『つし丸君』は、津島神社の杜から誕生した男の子。津島神社の屋根の部分や和を意識した袴姿で、津島のPRに励んでいます。

津島市公式キャラクターの『ふじかちゃん』は、天王川公園の藤棚から誕生した、お花が大好きな女の子。

『マッキー君』は、尾張津島天王祭に登場するまきわら舟から生まれた、ちょっとわんぱくだけど無邪気な男の子。

撮影日:2011年4月25日&2014年7月26日&2017年3月28日

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マンホールカード 頂きました

2022年8月6日、第17弾として全国34自治体で種類(累計自治体35種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「津島市」のマンホールカードは、「津島市観光交流センター」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「市の花:藤」と「尾張津島天王祭の巻藁舟」がデザインされています。

「津島市の花である「藤」と尾張津島天王祭の「まきわら舟」を組み合わせてデザインしたマンホール蓋です。津島市はかつて「藤浪の里」といわれたほどの藤の名所。尾張津島藤まつりの会場となる天王川公園では、昼は風にそよぐ壮麗な藤を、夜はライトアップによって幻想的な美しさを醸し出す藤を心ゆくまでお楽しみいただけます。また、尾張津島天王祭は津島神社の祭礼で、全国に数ある夏まつりの中でも最も華麗なものといわれています。毎年7月第4土曜日とその翌日に開催され、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。イベントを楽しみながら、このマンホール蓋を探してみてください。」

2014年7月「尾張津島天王祭~宵祭り」より

 

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阿太加夜(あだかや)神社 in 島根県松江市東出雲町

2018年07月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市東出雲町出雲郷(あだかえ)に鎮座される「阿太加夜(あだかや)神社」。御祭神は大国主命の御子神『阿太加夜奴志多岐喜比賣命(あだかやぬしたぎきひめのみこと)』。配祀『 國之底立命(くにのとこたちのみこと)・須佐之男命・淑母陀流命(おもだるのみこと)・阿志古泥命(あやかしこねのみこと)』

由緒に【天平五年の風土記「阿太加夜社」に比定される古社で、殊に貞観元年七月十一日正五位下を授けられている。社殿 諸建造物は元禄8年3月23日、出雲太守・松平出羽守 源朝臣綱近により造営され、代々の藩主による修造の棟札が現存している。通称「芦高大明神」と呼ばれ近郷の信仰を集めている。】

神門まえ左右より神域を守護されるのは、昭和12年4月建立の出雲丹後の狛犬さん一対。阿形さんは子狛を抱いています。

子狛さんは、口に牡丹の一枝を咥えて親狛を見返っているのですが、その仕草の可愛いこと。 顔立ちがごつい分だけ、仕草の愛らしさとのギャップが何とも言えません(*^^*)

神門内にはそれぞれに矢大神、左大神が座し、その傍らには彩色鮮やかな神殿狛犬も控えています。 青い阿形さんは「俺様、無敵!」。うす緑の吽形さんは「どうしよう~~~~(´;ω;`)ウゥゥ。」って、何があった??

本殿向かって左手に鎮座される「境内社:稲荷神社」。御祭神は『宇迦之魂命』

社殿の左右より神域を守護されるのは、本当にお小さい神狐さん一対。

決して大きな社ではありませんが、社の横には沢山の神狐さんが奉納されています。

そしてビックリ!!、松江城内の「城山稲荷神社」で見過ごしてしまった「玉を持った神狐さん」に出会えました!!。きっとこの先も良い出会いがありますように・・願いを籠めて「特別な石狐様」。

境内に並ぶ、日本三大船神事「ホーランエンヤ」に使われる「櫂伝馬船(かいでんません)」。「松江・城山稲荷神社」の御神輿を「阿太加夜神社」の本殿に迎える「渡御祭」。

「宝来遠弥」・「豊来栄弥」。七日七夜、出雲の国の五穀豊穣と産業の発展を祈願する10年に一度の神事。想像するだけでワクワクしそうな景色が目の前に広がります。

出雲地方特有の荒神信仰。二本の「斎(いつき)の木」にはそれぞれに藁でできた阿吽の龍が八回巻き付けられています。

龍神はこの「斎の木」を伝って天に昇り、再びこの木を伝って元の地へ戻ると言い伝えられます。ちなみにこの八回巻くという故事から、「はちまき(鉢巻)」という言葉が生まれたそうですよ d(-_^) 

ここまで書き終わって・・・はたと気が付きました。稲荷社以外の境内摂社も拝殿も・・・あまつさえ御本殿も画像に残していない事に・・(ノ_-。) 何があった?私? 立ち去り際に見上げた隋神門の龍・・絶対に「バ~~~カ」とか思ってるでしょう(-_-;)

参拝日:2011年5月18日

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『阿太加夜奴志多岐喜比賣命(あだかやぬしたぎきひめのみこと)』、出雲市多伎町に鎮座される「多伎藝神社」の御祭神。

 

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ご当地マンホール in 島根県旧東出雲町(松江市)

2018年07月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧八束郡東出雲町(ひがしいずもちょう)は島根県の北東、中海の南側に位置した町です。揖屋町平賀地内には古代出雲神話に登場する「黄泉比良坂(よもつひらさか)」のこの世側の半分、「伊賦夜坂(いぶやざか)」があり「神蹟黄泉比良坂伊賦夜伝説地」の碑があります。町域にはトヨタ・日産・日野等の自動車部品工場も多く企業城下町として、また松江市のベッドタウンとして知られています。「町の木:柿」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により意宇郡揖屋町・出雲郷村・意東村が発足。

1896年、郡制の施行のため、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。

1954年、八束郡揖屋町、出雲郷村、意東村が合併、八束郡東出雲町が発足。

2011年、松江市に編入され、松江市東出雲町となりました。

マンホールには企業城下町らしく、町章を中心に「歯車」と、町の特産「干し柿」、「町の花:ツツジ」が描かれています。

昭和38年11月5日制定の町章は「「ヒ」・「雲」を図案化したものです。」

撮影日:2011年5月18日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧八雲村&旧八束町(松江市)

2018年07月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧八束郡八雲村(やくもむら)は島根県の東部、松江市の南に接した村です。村域の意宇(いう)川上流には、火の発祥の神社として「日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)」とも称される意宇六社の「出雲国一宮:熊野大社」が鎮座されます。「村の木:しい」「村の花:ミツバツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により意宇郡岩坂村・熊野村・大庭村が発足。

1896年、郡制の施行のため、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。

1951年、八束郡岩坂村、熊野村、大庭村平原地区が合併、八束郡八雲村が発足。

2005年、旧松江市、鹿島町、島根町、美保関町、玉湯町、宍道町、八束町と合併、松江市八雲町となりました。

マンホールには「ホタル」と「村の花:ミツバツツジ」、それに村章が描デザインされています。

昭和29年3月10日制定の村章は「旧岩坂村・旧熊野村・旧大庭村を円満な形にして象徴したものです。」

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旧八束郡八束町(やつかちょう)は、中海中央部にある大根島と江島を町域とする町です。 松江市とは県道338号線で、また鳥取県境港市とは江島大橋で結ばれ、「日本一のぼたんの里」として知られています。「町の花:ボタン」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により意宇郡波入村・二子村が発足。

1896年、郡制の施行のため、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。

1929年、八束郡波入村、二子村が合併、八束郡八束村が発足。

1970年、八束村が町制を施行、八束郡八束町が発足。

2005年、旧松江市・島根町・美保関町・八雲村・玉湯町・宍道町と合併、松江市八束町となりました。

急ぎ足で駆け抜けた旧自治体、町章がある規格蓋を一枚見つけただけです。

昭和45年4月1日制定の町章は「八つの「カ」を円周で組み合わせたもので「八カ」=「八束」と読むことが出来、町内の八大字(江島・遅江・亀尻・寺津・入江・波入・二子・馬渡)を表したものです。」

撮影日:2011年5月18日

 

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来待ストーンミュージアム in 島根県松江市宍道町

2018年07月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

宍道町来待地区周辺には、「凝灰質砂岩(ぎょうかいしつさがん)・・いわゆる「来待石」と呼ばれる良質の石材が産出される採石場があります。特に大森―来待層で採れる来待石は石質が均一であるため、良質な石材として利用されてきました。中世には宝篋印塔五輪塔などの石塔に、江戸時代後期には石灯ろう、狛犬などを始めとする様々な来待石製品が、全国各地へと盛んに運ばれていきました。現在でも、国指定の伝統的工芸品「出雲石灯ろう」彫像石碑などのモニュメントに幅広く使われています。

丁度、駅に停まったコミュニティバスの運転手さんに話しかけられ、ついつい熱く狛犬を語るご亭主殿。 それならば是非にと勧められたのが「来待ストーンミュージアム」。ええ、もちろん予定に入っています(*^^*)
宍道町東来待、来待石の採石場跡地にオープンした「来待ストーンミュージアム」。ここでは「三才谷(みさいだに)の大岩」と呼ばれている採石場跡地を始め、来待石の歴史、文化等を学ぶことが出来ます。

敷地内の来待石のアレやこれやを写真に写していると、先ほどのバスが入ってきて、又しても来待石の狛犬を熱く語るご亭主殿。そんな狛犬大好きな私達の為に、わざわざ館長さんにお声を掛けてくださいました。

実はこの方、「狛犬見聞録―来待石・福光石の唐獅子文化」の著者の一人『永井 泰』氏。 この思いがけない事実を知ったご亭主殿の喜びときたらそれはもう、一人で天に舞い上がっていました。

色々なお話の中で特別に見せていただいた「出雲構えの狛犬」は、永井館長の監修の元、若い職人さんによって作られたものだとか。 もうすぐ博物館に収蔵されると言うことで、「うまく間に合って良かったです」と言って頂きました。

さぁ感激の対面の興奮冷めやらぬうちに、トンネルを抜けてミュージアムへ。 トンネルを抜ける・・・SF小説などではその先は異世界に繋がっている・・なんて設定ですが、確かにこのトンネルも異世界への通路かもしれません。

トンネルを抜けた先にあるのはまさに異世界。何と言うか・・どう形容してよいのか戸惑ってしまうような非日常の景色。ここは明治25年から昭和30年まで操業していた採石場、通称「三才谷の大岩」と呼ばれた場所。

岩の壁に残るのは、「マサカリ」と呼ばれる工具を使用した手掘り採石の跡。

伐り出された来待石を運ぶのは大森の山に棲むタヌキ・・・?? タ・ヌ・キィ~~~?(゚Д゚il!)??!!

(^.^) まぁ、何はともあれ来待石のアレコレが学べる来待石ストーンミュージアムへ

産業としての「来待石」の歴史は古く、古墳時代の石棺から中世の石塔、石仏、近世には石州瓦の上薬として。また、灯ろう、石臼、かまど、棟石、墓石などと、様々な場所や物づくりに利用されてきました。

江戸時代には、「御止石」として藩外の持ち出しが禁じられたほど、重要視された「来待石」。館内には展示物に交じって来待石を切り出す人たちの姿も・・ 

何時の時代の作品なのか・・石材店さんから寄贈されたという「布袋尊」三谷神社の引退狛犬さんは、仔狛と一緒にこのミュージアムで余生を過ごしています。

1,400万年前(新第三紀中新世中期)の火山堆積物が海底に堆積して形成された「大森-来待層」。切り出された石からはサメの歯、貝類、樹木など、堆積当時の生物・植物の化石が産出されています

ミュージアムを出た後は、最期のお楽しみにとっておいた永井館長収集の狛犬さんに一直線。かって「三谷神社」の神域を守護されていた「天保5年建立の出雲式構え型狛犬」。 石工の名は松江寺町の『林蔵』と、かなり詳細に狛犬さんの来歴が記載されています。

「朝倉彦神社」にいた「出雲式座型狛犬」昭和10年の建立で、石工は『安食 鉄太郎』

永井館長の入念なメモは島根に座す狛犬全般にわたり、その内容にはただ圧倒されるばかり。実はご亭主殿、その素晴らしく膨大な資料を、永井館長からプレゼントされたのです。旅に出られなくなった今でも、その資料の束はご亭主殿の秘密のカバンの中に大切に仕舞われています。

訪問日:2011年5月18日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧宍道町(松江市)

2018年07月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧八束郡宍道町(しんじちょう)は島根県の東部、宍道湖に面した町です。出雲風土記の時代から今日まで、交通の要所・流通の中心として栄えてきました。広大な宍道湖で採れるしじみは「大和しじみ」と呼ぱれ、真しじみに比べてコクのあるのが特徴です。早朝から湖に小舟を出し、クマデにカゴを付けたような独特の鋤簾(じょれん)で獲るしじみ漁の光景は、朝の風物詩としても知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により意宇郡宍道村・来待村が発足。

1896年、郡制の施行のため、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。

1927年、宍道村が町制施行して八束郡宍道町が発足。

1955年、八束郡来待村と合併、改めて宍道町が発足。

2005年、旧松江市・鹿島町・島根町・美保関町・八雲村・玉湯町・八束町と合併し、松江市宍道町となりました。

マンホールには、来待地区周辺でしか産出されない「来待石の採石場」が描かれています。

「来待石」の採石場は「来待ストーン ミュージアム」として開放されています。

昭和50年11月14日制定の町章は「「宍」を曲がった形にして発展を意味し図案化したものです。」

「来待ストーン 」マスコット『バレちゃん』。モデルは約1,300万年前に絶滅した哺乳動物の「パレオパラドキシア」。学名の由来は「古代の不思議なもの」という意味ですが、まさに不思議なモノ(笑)

「パレオパラドキシア」

撮影日:2011年5月18日

 

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湯町(ゆまち)八幡宮 in 島根県松江市玉湯町

2018年07月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市玉湯町湯町に鎮座される「湯町(ゆまち)八幡宮」。御祭神は『比咩大神(ひめのおおかみ)・誉田別命・息長足姫命』

「『神国島根』に縁起を辿ると、建長年間に当時の出雲国主『佐々木泰清』が玉造の敷地内に「若宮神社」を建立、後に「宇佐八幡宮」を分霊合祀。文永年間美談郷中の八幡宮より勧請、嘉元三年現在地に本殿建立、尼子・松平と各国主の崇敬を集め、今日まで社勢を維持するところなり。」

長い石段参道の先、境内入口より神域を守護されるのは、明治11年まれの出雲型狛犬さん一対。何やら楽しそうに語らっている阿形さんと、静かに耳をかたむける吽形さん。

隋神門内より神域を守護される随身様にご挨拶をし、見上げた先に広く清掃の行き届いた境内。

随神門の先より神域を守護されるのは、出雲構えの狛犬さん一対。珍しく阿吽共にしっかりしたアーモンドアイですが、それも時の流れがまぁ~るく、柔らかく・・。

入母屋つくりの拝殿

「拝殿額」の受け部分の絵に、何故とも無く呟いていた「ああ・・出雲だ」。「出ずる雲」と書いて「出雲」・・まさに漢字の国ならでは面白い発見に思えたのです。

本殿南に鎮座される「若宮神社」。御祭神は『仁徳天皇』

石段左右より神域を守護されるのは顔の大きな出雲構えの狛犬さん一対。 顔立ちを見ると丹後系がかなり強く出された感じですが、大きな顔を可愛らしくかしげているのが何か可愛い(笑)

本殿の北に鎮座されるのは『武内宿禰』を祀る「武内神社」。五穀豊穣を守護する農耕神『倉掛の神』を祀る「倉掛神社」。 

境外の一画に祭られる「境外摂社:客神社」。それぞれに『建御名方神』『伊弉册神』。さらに『火鎮四種神』が祀られます。

参拝日:2011年5月18日

 

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