車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛知県弥富市

2018年03月31日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

弥富市(やとみし)は愛知県の西南部、木曽川下流のデルタ地帯に干拓によって開拓された町です。南部は名古屋港西部臨海工業地帯をへて名古屋港の港湾海域に臨み、西は三重県に隣接し南北に長い地形です。明治初期には弥富町の前ヶ須宿から十四山を経て名古屋の熱田に至る新東海道が開設され、人の動きとともに発展してきました。「彌(弥)富」の地名は【いよいよ富む、いやがおうにも富む】を願った瑞祥地名です。「市の木:桜」「市の花:金魚草」を制定。

古くから金魚と文鳥の産地としても有名で、特に白文鳥は、弥富が発祥の地とされ、電話ボックスの屋根からその存在をアピールしています。

キャッチフレーズは「みんなでつくる きらめく弥富」

明治22年(1889)、町村制の施行により、海西郡彌富村・東市江村・市腋(いちえ)村・十四山村が発足。

1903年、彌富村が町制を施行、海西郡彌富町になる。

1906年、海西郡東市江村五之三地区、市腋村荷之上地区、十四山村鎌倉新田地区を編入。

1913年、海東郡と海西郡が合併し、海部郡彌富町となる。

1955年、鍋田村、市江村楽平地区と合併、改称し海部郡弥富町となる。

2006年、海部郡十四山村を編入・市制を施行し弥富市となる。

マンホールには、日本を代表する金魚のブランド「弥富金魚」の「きんちゃん」と、弥富が発祥のとされる白文鳥の「ぶんちゃん」。さらに「市の木:桜」と豊かな水の流れががデザインされています。(平島町内団地付近の、カラー歩道に設置)

十四山支所内の展示マンホール

メタウォーター下水道科学館あいち内・マンホール拓本

旧十四山村の農業集落排水デザインマンホール、中央の市章が弥富市に変えられています。

昭和41年(1966)3月31日制定の市章は「水平と円と山型を表したもので、旧弥富町の二代目町章を引き継いだものです。」

集落排水規格蓋親子マンホール

「弥富町」の文字が残された、旧弥富町時代の集落排水マンホール。

旧弥富町・真空弁

側溝蓋

上水道関連の消火栓・仕切弁等は「海部南部水道企業団」のマーク付き

日本四大都市ガスの一つで東海3県をエリアとする「東邦ガス」の蓋。 中央の知章は、東邦ガスの旧社章で、現在は数字の「7」に似た形に変わっています。

弥富市公認キャラクター『きんちゃん』は、弥富市特産の「金魚」がモチーフ。「およげ!たいやきくん」のキャラクターを制作した『田島司』氏がデザインしてくれました。なんと!「近所の金魚は弥富のきんちゃん」というテーマソングもあります。

弥富市鯏浦町中六にある「名鉄:弥冨駅」は「海抜ゼロメートル地帯」にあり、実際には海抜-0.93m。地上駅で最も低い場所にある駅だそうです。

入り口近くにはこんな洒落た金魚のレリーフが

駅舎の天井にはこんな素敵なステンドグラスも

ラストは、本人は無論、お土産メールを送った友人にも滅茶苦茶受けた鉄道警察隊痴漢撲滅用の啓発ポスター。

「愚かだ・・他人に迷惑をかけ 人生を棒に振るのか

「信じられない・・同じ男として情けないよ

「親の顔が見てみたい・・品性下劣なその行為は 痴漢

是非お気に入りの男性の声で脳内再生して下さい(笑)

撮影日:2011年4月9日&2017年3月27日

 

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白山神社 in 愛知県稲沢市奥田町

2018年03月30日 08時30分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県稲沢市奥田町に鎮座される「白山神社」。御祭神は『白山比咩神・伊弉諾尊・伊弉冉尊』

鳥居の奥に建つのは、木造銅板葺き連子窓型で両側に控え柱を持つ蕃塀。

境内に由緒は無く、創建年代などの詳細は不明。「寛文村々覚書」によれば、奥田村には「白山2社」「三拾番神」「社宮神」が有りとの記述があり、当社は、この白山2社のうちの1社と思われます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは明治三十八年十月建立の狛犬さん一対。珍しく阿形さんの足元に落っこちかけてしがみ付く子狛がいます。

石工『荒木 弥助』 明治・大正・昭和の戦前まで、名古屋近郊に多くの狛犬を残した名工と伝えられている人物。特にここでは独特の尾の形状がに目が離せません。

摂社「忠霊社」。この地域の御英霊が鎮まられるお社です。

境内社「尾張子安社」。安産・虫封じ祈願の社とされ、春の大祭には子供獅子が繰り出されるそうです。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、岡崎現代型狛犬さん一対。

社殿前で大きく枝を広げる「御神木:楠」。昭和61年4月1日に保存樹に選定されました。

白山社に隣接する「奥田山:安楽寺」

留蓋から境内を見下ろす飾り瓦の獅子ですが・・・まるで固い甲羅に覆われたような体にクシャっと横長の顔。時々見かけるようになりましたが、個人的にはチョット(^^;)

おだやかなお地蔵様の笑顔に癒されて。

参拝日:2011年4月25日



 

 

 

 

 

 

です。明治十年五月建之の社号碑

 

参拝日:2011年4月25日

 

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富士社 in 愛知県稲沢市片原一色町

2018年03月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県稲沢市片原一色町道上に鎮座される「村社:富士社」。御祭神は四神のいずれかと思われますが不明。

創建は不詳。建仁年間(1201~1203)、神社に隣接する「善應寺」が創建される際、寺の四方に四神を勧請したと伝えられ、この「富士社」もその一つと云う。

開放的な拝殿の近くに置かれていた鬼瓦には日本政府の紋章として使われている「五七桐紋」が刻まれています。もしかしてこれが御神紋でしょうか?

拝殿前左右より神域を守護されるのは大正十一年七月建立の岡崎型狛犬さん一対。吽形さんは子狛を、阿形さんは足の下に鞠を持ちます。

背伸びして吽形さんの手にしがみ付く仔狛。ぺたんと地面にくっつけたお尻がとにかく可愛い。子猫や子犬を家族にした方なら、この可愛さは絶対に伝わる筈(〃∇〃)

拝殿向拝の彫刻は、怒涛逆巻くを海原を翔る龍。

玉垣の内、御本殿前左右より神域を守護されるのは大正十四年十月建立の扁平頭の狛犬さん一対。小柄ですが中々に迫力ある顔立ち。

富士社に隣接して門を構える、浄土宗鎮西派寺院「旭照山:相頓院善應寺」『大日如来坐像』を御本尊とします。

「富士社」参拝の際、隣接していた寺院とのご縁で参拝させて頂いたお寺さん。その為、御本堂等の建築物は殆ど画像に残していません。

本堂の彫刻や、留め蓋の獅子はご亭主殿の興味をかなりそそったようで、何枚か残されています。確実とは断言できませんがおそらくは「羅漢様」かと・・

貫の獅子彫刻、目には玉が嵌めこまれています。

すっとぼけた表情が何とも言えない親しみを感じさせてくれる、飾り瓦の獅子さん。この「可愛らしさ」は確かに見過ごせませんね。

穏やかに優しいお顔のお地蔵様。

参拝日:2011年4月25日

 

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善光寺東海別院 in 愛知県稲沢市祖父江町

2018年03月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原に門を構える「善光寺東海別院」、正式には「双蓮山・善光寺」と称します。信州善光寺をはじめとする各地の善光寺との区別のため「祖父江善光寺」「尾張善光寺」とも呼ばれます。

縁起に【天正十年(1582)織田信長・信雄によって善光寺ご本尊如来さまが岐阜より尾張甚目寺へ御遷座の途中、祖父江付近に立ち寄られたとあり、その場所に明治四十二年・四十三年と蓮田であった境内地に1本の茎から二つの花が咲くという奇瑞を縁として、開基旭住上人が信州善光寺本坊大勧進より善光寺如来さまを勧請して善光寺東海別院を創立】

本堂は善光寺特有の撞木(しゅもく)造りで、間口14間・奥行20間の総欅造り。 信州善光寺の本堂の約3分の2の大きさだとか、という事は、長野の善光寺さんはこの建物より更に一回り大きいんですよね。いつかは果したい善光寺参り。その時は牛に曳かれてではなく、ご亭主殿に手を曳かれて(笑)

それから二年と五か月後の2013年9月22日、私たちは仲良く揃って「信州信濃の善光寺参り」を果たしました。そのお話は、いつかまた。

それはさて置き、観光バスの到着と共に「お戒壇巡り」のツアー客で一気に境内は人で溢れ、本堂周辺はかなりの混雑。人混みが大の苦手なご亭主殿、速攻で本堂から離れて「不動堂」へと移動。

こちらでは時々に応じて厄除けの祈祷なども行われるとか。堂内には「病気平癒」「無病息災」と墨書された蝋燭が用意されています。

戒壇巡りが終わるまでの時間を利用して境内を・・と思ったのですが、次の予定も押しているし、とりあえずは目についた処々にお参りをすることに。「忠魂碑」の前で・・尊い命の購いによって得られた今の日々に、心から感謝を。

何とも不思議な印象の「寝釈迦様」・・・なんだろう? これまで拝観したどの涅槃仏とも一線を画すお釈迦様。限りなくオリエント風味(笑)の原因は、多分とってもスマートで仏様らしからぬお顔のせいかも知れません。

「寄り添って おぼこ夫婦 船旅立ちへ」、いつか私たちもこうして彼岸に行ければと願い・・

「「おぼこさん」は信者さんがお墓の代わりや、水子さんの供養の為にご安置されたものです。参道の脇にたたずみ、参拝客の皆さんを暖かく出迎えます。」公式HPより

参拝日:2011年4月25日

 
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尾張大國霊神社 in 愛知県稲沢市

2018年03月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県稲沢市国府宮に鎮座される、尾張国総社「尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)」。御祭神は『尾張大国霊神(おわりおおくにたまのかみ)』

由緒に【神社は尾張国府の創始とともに創建されたもので、尾張国の総社とされた。 境内別宮の大御霊神社(大歳神之御子)・宗形神社(田心姫命)とともに国府宮三社と称する。『延喜式』では小社に列する。昭和15年(1940)に国幣小社に列格し、戦後は別表神社となった。本社の建築様式は本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿、楼門と並ぶもので「尾張式」と称される。また、本殿に接する位置には自然石を五個、円形に並べた「磐境(いわくら)」があり、社殿建立以前の原始的な祭祀様式を物語るものとして神聖視されている。】

御神紋は「五七の桐にふち竹に笹」

参道に架かる神橋。その昔は勅使や将軍など身分ある人しか渡れなかった橋ですが、今は橋の前後に止めがなければ一般の人も渡ることが出来ます。

神橋を渡ってまず出迎えてくれるのが重要文化財指定の楼門。足利初期の建立。正保3年(1646年)解体大修理の際、上層を改造しているとの記載があります。

楼門 の先に絵馬掛けを兼ねた、桧皮葺の「蕃塀」

楼門からまっすぐ、重要文化財指定の拝殿。徳川初期の建立で特徴として切妻造で内側に柱が並立しているとの事。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、明治四十三年七月建立の浪花系の狛犬さんかな? 吽形さんは右手に仔狛を、阿形さんは毬に手を置いています。大きく上を向いた鼻が何ともユーモラスな一対。

拝殿と祭文殿を繋ぐ廻廊

祭文殿・渡殿、この先に御本殿が鎮まられていますが高い垣に遮られ、その外観を見ることは出来ません。

境内から振り返って仰ぐ楼門の何とも美しく凛々しい事。

境内北東に鎮座される「別宮宗形神社」。御祭神は宗像三女神の一柱『田心姫命』。社号標には「天保三年(1832)壬辰九月」の刻が有ります。

境内東側に鎮座される境内社「稲荷神社」「司宮神社」「神明社」「居森社」「白山社」「三女神社」。 

六社を守護されるのは、明治二十七年九月建立の浪花系の狛犬さん。ぐりぐり眉と大きく横に開いた口元、獅子頭をマルっと持ってきたようなお鼻・・かなりユニークな一対です(笑)

桧皮葺の手水舎

何を表しているのか・・不思議な吐水の備え。

約1240年前に「尾張大國霊神社」で行われた厄払いを起源とする「儺追(なおい)神事」。 旧暦1月13日に執り行われる神事は、通称「はだか祭り」と呼ばれます。まず「神男」と呼ばれる「儺負人(なおいにん)」が、神事4日前に選出され、身を清める為に体毛をすべて剃り落とし、食事は御飯と沢庵だけで、「儺追殿」に三日三晩篭もります。この「神男」に直接触ると、厄が落ちると言われており、「はだか祭り」の参加者・数千人がサラシの褌、白足袋のいでたちで、このたった一人の神男めがけて詰め寄り揉み合うのです。

神男」は何ひとつ身につけない真っ裸の状態で「神守り(歴代神男)」に護られ、参道に入ります。神守りの護りは鉄壁で、容易に「神男」に触ることはできず、その揉み合いはまさに格闘状態!「けんか祭り」と言われる由縁ですが、さらに突進を阻止する為に「手桶隊」が冷水を浴びせます。揉み合いの摩擦を減らす役目にもなる冷水は、一気に湯気となって上空に舞い上がります。

鉄柵一杯に結ばれた紅白の布は、神事に参加できない老若男女の為の「儺追布(なおいぎれ)」。 - ”難を追い払う”の意味があり、はだか祭りの際は沿道や参道ではだか男(裸衆)から布をさいてもらう光景が見られるとの事。氏名や年齢等が記された「なおい布」は柵を埋め尽くし、幾重にも重ねられています。

参拝日:2011年4月25日

 
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立部(たてぶ)神社 in 愛知県稲沢市

2018年03月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県稲沢市北市場に鎮座される「立部(たてぶ)神社」。御祭神は『須佐之男』

創建年代等、詳細は不明。織田信長の居城の北にあった市場が地名の由来とされ、またこの地一帯は立部荘という荘園であったと言われており、その荘園の名がこの神社の名の由来ではないかと伝えられています。

鳥居の奥には石造連子窓型の蕃塀。上部の透かしに双龍紋が彫られています。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正十三年六月建立の狛犬さん一対。太い眉と鼻の下にたっぷりと蓄えられた鼻髭などは、ご亭主殿の好きな「髭オヤジ顔」(笑)

石工『角田六三郎』。阿形さんは手の下に毬を、吽形さんは仔狛を座らせています。

珍しく親狛さんの足の前にお行儀良く座る仔狛さん。

本殿玉垣の内より神域を守護されるのは、明治41年4月 建立の出雲型狛犬さん一対。頭頂部が平たくなっているこのタイプは、海路運ばれてきた狛犬さんによく見かけるタイプだとご亭主殿が教えてくれました。

拝殿屋根の留め蓋から境内を見下ろす飾り瓦の獅子さん。何が有ったのか・・どちらも後ろ足のひざ下が二本ともに欠けています。

参拝日:2011年4月25日

 

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草部(くさかべ)神明社 in 愛知県稲沢市日下部

2018年03月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県稲沢市日下部に鎮座される「草部(くさかべ)神明社」。御祭神は『天照皇大神・豊受大神』。 

鳥居の奥、拝殿前には石造連子窓型蕃塀。左右に獅子、中央に虎、上部の透かしに双龍が彫られています。

由緒「神社の記録が伝わっておらず正確なところは不詳。社号「草部」は地名の「草部郷」、伊勢神宮荘園名の「草部御厨」に由来すると考えられる。江戸時代初頭の尾張藩資料(寛文村々覚書)に当神明社に関する記載があるため、三百年余前に神明社として当地に鎮座されていたことは確かである。  当社は、中世の「草部御厨」の地に鎮座されている神明社であることから、七百年~九百年前頃に伊勢神宮荘園に勧請された神明社の一社と思われる。」

拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和四十二年十月建立の岡崎現代型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは毬に手を置いています。

境内社「津島社」御祭神は『建速須佐之男命』。境内社「琴平社」御祭神は『大物主命』。いずれも鎮座時期等の詳細は不詳。

社殿前より神域を守護されるのは、明治三十八年六月・日露戦役紀念として建立された丹後系狛犬さん一対。 阿形さんは毬の上に手を、吽形さんの足元には仔狛が縋りついています。

必死に何かを訴える仔狛さん。泣く子と地頭には勝てぬと言いますが、お子の表情はそれが何者であれ可愛らしいものです。

境内社「秋葉三尺坊大権現」。御祭神は『火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)』

社殿前左右、高い石柱の上より神域を守護されるのは、昭和三年建立の浪花系狛犬さん一対。大きな鼻とその下のたっぷりとした髭が特徴で、私たちは秘かに「髭オヤジ」と呼んでいます。

「役行者社」に祀られる 『役行者(えんのぎょうじゃ)』江戸時代後期の弘化四年(1847)三月に発生した信濃国大地震(善光寺地震)の後、安全祈願で祀ったのではないかと考えられます。

並んで祀られていた地蔵菩薩。もしかしたら地震で犠牲になられた方々の為に建立されたのかもしれません。

参拝日:2011年4月25日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧平和町(稲沢市)

2018年03月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧中島郡平和町(へいわちょう)は愛知県西部、東海地方に位置した町です。町域には、清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」の拠点であった『織田信定』の居城「勝幡城(しょばたじょう)」があったと言われていますが、今は城之内に「勝幡城址」碑が残るのみ。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

平和町支所の玄関前に建立されていた「親子三代像」は町制35周年を記念して地元住民の2名が連名で寄贈。「この親子三代像には町民の皆さんの健康と明るく温かい家庭が営まれ未来へ向って町が発展するよう願いが込められています」

平和支所から日光川、須ヶ谷川を桜で繋ぐ道は「桜ネックレス」と呼ばれ、桜の名所として市民の憩いの場となっています。

明治22年(1889)、中島郡六輪(ろくわ)村・左右川(そうがわ)村・三宅村・井長谷村が発足。

1906年、中島郡六輪村、左右川村、三宅村三宅&東城地区、井長谷村須ヶ谷地区が合併、中島郡平和村が発足。

1954年、平和村が町制を施行、中島郡平和町となります。

2005年、中島郡祖父江町とともに稲沢市へ編入、稲沢市平和町となりました。

マンホールには、「日光川・須ヶ谷川」に「桜の花」、「HEIWA Jyapan」と描かれています。

北市場本町に鎮座される「立部神社」の祭礼「こがし祭り」で使われる山車がデザインされたマンホール。山車の高さは高さ4メートル、その姿は実に壮大な眺めと言われています。山車の右には「町の木:松」「町の花:菊」が描かれています。

町章を中心に「町の木:松」と「町の花:菊」、「日光川の桜」。それぞれの円の間に「ミツバ」、「ネギ」、「トマト」が描かれています。

昭和44年2月12日制定の町章は「「平」の頭文字と「和」を表す円形を組み合わせたものです。」合併協議会資料より

12時部分に微妙な違いが・・・

「農水 人孔」と書かれたマンホール。

「稲中水」と書かれた量水器。稲沢市水道事業所の略称と思われます。

平和町地区のマンホール探しの途次に偶然お見かけした地蔵堂。

向拝の龍の彫刻

台座部の獅子と牡丹

もしかしたらどこかにお名前が有ったのかもしれませんが、画像にはらしきものは残されていません。小規模ながらきちんと作りこまれたお堂だけに、勿体なかったと悔やまれます。

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧祖父江町(稲沢市)

2018年03月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧中島郡祖父江町(そぶえちょう)は愛知県南西部にあり、西は木曽川を境に岐阜県羽島市及び海津市と境界を接し、東部は日光川を境に稲沢市と接した町です。町域一帯は木曽川の傍流に取り巻かれた土地で、酸化鉄を含む赤茶色の水が流れる川があり、この水を「そぶ水」と呼んだことが祖父江の由来とされています。木曽川祖父江緑地公園の近くには、日本国内では珍しい河畔砂丘の一つ「祖父江砂丘」があり、毎年10月にはサンドフェスタも開催されるそうです。「町の木:イチョウ」「町の花:菊」「町の鳥:ウグイス」を制定。

「祖父江町役場跡」記念碑

祖父江町山崎地区は「銀杏(ギンナン)」の生産が盛んであり、イチョウの黄葉の美しさでも知られています。名古屋鉄道 尾西線: 森上駅前に、2015年に建立された「日本一 銀杏の郷 内閣総理大臣 安倍晋三 書」記念碑。

イチョウの葉をデザインした街灯

明治22年(1889)、中島郡祖父江村・丸甲村・領内村・牧川村・山崎村が発足。

1896年、中島郡祖父江村が町村を施行、中島郡祖父江町(第一次)となる。

1906年、中島郡丸甲村、領内村、牧川村、山崎村と合併、中島郡祖父江町(第二次)となる。

1956年、中島郡長岡村と合併、中島郡祖父江町(第三次)となる。

2005年、中島郡平和町とともに稲沢市に編入、稲沢市祖父江町となりました。

マンホールには町章と、「町の木:イチョウ」「町の花:キク」「町の鳥:鶯」がデザインされています。

昭和46年6月1日制定の町章は「祖父江町の頭文字「そ」を図案化したものです。」合併協議会資料より

耐震貯水槽 消火栓

耐震貯水槽 遮断弁

耐震貯水槽 手動ポンプ

耐震貯水槽 点検口大型マンホール

仕切弁

稲中水 量水器 上部の知障は稲沢市の水道関連事業所のものと思われますが、仔細は不明。

祖父江町役場跡に、祖父江町制九十周年を記念して建立された江戸時代中期の尾張藩士・国学者『横井千秋』の歌碑。(奥磯川=木曽川)

【  奥磯川(おぎそがわ) 河水はやし春風に 美濃の山雪 今か消ゆらむ  】

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日

 
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メタウォーター下水道科学館あいち in 愛知県稲沢市

2018年03月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

愛知県稲沢市平和町須ケ谷長田にある「メタウォーター下水道科学館あいち」

私たちを出迎えてくれるのはメタウォーターキャラクターの『メー君&ターちゃん』

館内に入ると愛知県下水道館科学館のマスコット『エッピー君』が、顔出しになった『エッピー君』マンホールと一緒に歓迎のあいさつをしてくれます。

ちなみに愛知県各河川上流浄化センターには、それぞれに専属のマスコットキャラクターがいます。もちろん日本全国の都道府県にも存在している筈なので、お近くに行かれた際には探してみてください(⌒∇⌒)

さて・・今日この施設に来た一番の目的はですね、館内二階部分の壁一面に展示された日本地図。「何で日本地図??」と思われたアナタ! 実はこれがですね~、ただの日本地図では無いのですよ( ̄^ ̄)

じっくり見ると分るのですが・・・・どうです?、分かりますか?

ではもう少し近寄って・・・・まずは北から「北海道」

「東北」

「関東~中部」

「北陸」

「近畿~中国~四国」

「九州~沖縄」

目が慣れてくると、モザイク状のものがマンホール写真のカードだと気が付くはず。 そうなんです!実はこの日本地図の自治体部分は、いわゆる「ご当地マンホール」で表示されているのです。

これらの画像は、私も参加させていただいている「マンホール蓋学会」のメンバーたちがせっせと撮り集めたもの。ここも、そこも、あそこもヽ(〃v〃)ノ

こんな風に「形」になった物を見ると、ついつい自分の投稿した画像を探してしまうのは、これはもうマニアの性。 地面と睨めっこをしながら、不審人物を見る人の目にも負けず(ーー゛); 一緒に写真に残してきた私の投稿マンホール、幾つ見つけられましたか?

「メタウォーター下水道科学館」には、愛知県各地の実物マンホールや、マンホール拓本の額なども沢山展示されています。もちろん、お子様が十分に楽しめる工夫も一杯。芝生広場でお弁当もOK。お近くに行かれた折には是非!(笑)

さて、ラストは、どこからどう見ても普通の規格タイプのマンホール。でもよ~く見ると両端に取っ手が・・実はこれ、鉄板焼用のマンホール(笑)。各地で開催されるマンホールサミットの催しでは、ご当地マンホールで焼いたホットケーキが振舞われたりします (*´꒳`*ノノ゙

撮影日:2017年3月30日&2018年3月23日

 

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