車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 山口県旧熊毛町(周南市)

2024年06月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧熊毛郡熊毛町(くまげちょう)は山口県の東部に位置した町です。徳山・下松・光市に隣接し、周南工業地域まで至近な距離にあるため自然環境豊かな田園住宅都市として発展してきました。
町名は、古書「和名抄」にこの地方をよんで「久米計」とあり、また「久万毛」「久万介」とも訓しています。元来「熊」は「奠(てん)」とも書き、神前に物を供える意味。「毛」は稲穂を表します。防長米の中では特に熊毛米が優秀だったとされ、古来酒造米は「熊毛米」に限られた時代もあり、勝間・高水・三丘・八代の4か村は優秀な米の産地として知られてきました。それらの理由から「熊毛」の名は新しい町にもっとも相応しいという理由で命名。「町の木:モッコク」「町の花:ヒロハドウダンツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「ツルと温泉のまち」。左隅には、熊毛町の特産品を両手に抱えたイメージキャラクター、ナベヅルの『クレラン』

明治22年(1889)、町村制の施行により熊毛郡三丘村・高水村・勝間村・八代村が発足。

1949年、高水村大字原の一部が勝間村に編入。

1956年、三丘村・高水村・勝間村・八代村が合併、熊毛郡熊毛町が発足

2003年、熊毛町が徳山市・新南陽市・都濃郡鹿野町と合併して周南市が発足

マンホールには町章を中心に、八代地区に飛来する「ナベヅル」がデザインされています。

道の駅ソレーネ周南の観光案内にあった「ナベヅル」

1963年10月16日制定の町章は「熊毛町の「く」と「マ」を組み合わせ、特別天然記念物「ツル」にかたどり、まちの発展と繁栄をあらわしています。」旧公式HPより

熊毛総合支所内に展示されていた「徳山ボートレース」のボート&レーサー。競技場までは徒歩三時間強の距離、何らかの関係があるのだろうと思いますが、何故ここにあるのかは不明。・・・ん??何か場違いなのが一人😆

庁舎内に保存展示されていた「ナベヅルの剥製」。鶴は白・・という固定イメージが、見事に覆った瞬間です😲。

周南市高水原にある「岩徳線:高水駅」に、ナベヅルのモニュメントがあるという事でやって来ました。「おいでませ つるの里」。え?!これだけ??🤔、え?!黒くない??🤔

徳山方面行のホームには「ナベヅルの剥製」が大切に保管されています。飛来地の八代地区には「野鶴監視所」もあるようですが、時間とこの先の予定を考慮して見送りにしました。

撮影日:2015年11月16日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧鹿野町(周南市)

2024年05月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧都濃郡鹿野町(かのちょう)は山口県の東部に位置し、都濃郡で最後まで残っていた町です。徳山市、新南陽市、徳地町、錦町、県を跨いで島根県六日市町、日原町に隣接。「町の木:杉」「町の花:シャクナゲ」を制定。鹿野SAのスタンプですが、デザインは「津和野の鷺舞神事」😥

明治22年(1889)、町村制の施行により都濃郡(つのぐん)鹿野村・須金村が発足。

1940年、鹿野村が町制を施行、都濃郡鹿野町となる。

1955年、須金村金峰の一部・および須万の一部が鹿野町に編入。

1955年、鹿野町が佐波郡徳地町巣山を編入。

2003年、鹿野町、徳山市、新南陽市、熊毛町と合併して周南市が発足。

マンホールには「町の木:杉」を中心に、周囲に「町の花」石楠花」と町章がデザインされています。(マンホールは知人からの頂き物)

1963年3月制定の町章は「「かの」を円形に合わせたもの」

明治時代、鹿野町「二所山田神社」『宮本重胤』という宮司がいました。当時、女性が神や仏に奉仕するとされる職に就く事はタブーとされていましたが、神道には女性をけがれとみなす思想は無かったことから、女性神主の登用や参政権を求め1905年に「日本敬神婦人会」を結成。明治39年(1906)にその機関誌『女子道』を発刊し、その資金源を確保するため設立されたのが、おみくじの製造・販売を行う「女子道社」でした。今でも、印刷以外の紙を折ったり切ったりする作業や、おみくじの箱詰めは全て手作業で行なわれています。1906年には、日本で初めて「おみくじ自動頒布機」を考案したのも同社で、日本のおみくじ製造・出荷数の60〜70%シェアを誇っています。

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機会を逃して立ち寄れなかった旧鹿野町。中国自動車道:鹿野SAが唯一の立ち寄り地とは、何ともお粗末な結果 😩😣

訪問日:2015年11月10日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧新南陽市(周南市)

2024年05月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧新南陽市(しんなんようし)は山口県の中央から、やや東よりに位置した市です。市制施行前の自治体名は南陽町でしたが、山形県に南陽市があった為、頭に「新」を冠し、新南陽市としました。徳山市、鹿野町に隣接。市域は、瀬戸内海を臨む周防灘に面した南部と、中国山脈の支脈に囲まれた北部からなり、全国でも珍しい「飛び地」という地理的条件を有しています。

南部は、天然の良港と干拓地の優れた立地条件を生かした近代的な商工業都市。北部は、島地川に沿って開けた農山村地帯で、それぞれの地域特性を生かしながら、周南地域の発展の一翼を担ってきました。「市の花木:金木犀」「市の花:サルビア」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により都濃郡富田村・富岡村・佐波郡和田村が発足。

1915年、富田村が町制を施行、都濃郡富田町(第1次)となる。

1941年、富田町が富岡村を編入。

1949年、 徳山市のうち旧村域が分立して福川町(第2次)が発足。

1953年、都濃郡富田町、福川町が合併、南陽町が発足。

1955年、佐波郡和田村を編入。

1970年、南陽町が改称・市制を施行し、新南陽市が発足。

2003年、徳山市・鹿野町・熊毛町と合併、周南市となりました。

マンホールには永源寺山公園の「夢風車」と「市の花木:金木犀」「市の花:サルビア」がデザインされています。

高瀬地区の特定環境保全マンホールには「島地川ダムと螢」、特産の「和田丸太原木」がデザインされています。

永源寺山公園内に設置されているコンクリ―制のマンホール

1970年11月2日制定の市章は「1958年に南陽町章として制定され、市制施行後に継承。新南陽市の「南」を図案化したもので、商工業都市として限りない発展と市民相互の強い和を表現しています。」旧HPより

市章が無く自治体名が記されています。

新南陽市庁舎の敷地内にあった「道源・椎木両氏顕彰碑」

撮影日:2013年4月17日&2015年11月15日

🌸明日は永源山公園「夢風車」他、諸々の紹介です。

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ご当地マンホール in 山口県旧徳山市(周南市)

2024年05月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

徳山市(とくやまし)は山口県の南東部に位置した市です。防府市、下松市、新南陽市、鹿野町、徳地町、熊毛町に隣接。港湾や道路、鉄道などの恵まれた交通基盤を生かし、昭和30年代から石油化学コンビナートをはじめとする企業立地が進み、周南臨海工業地帯の中心都市として発展を続けてきました。

徳山の地名は、中世の頃に野上庄と呼ばれた地域が毛利氏に引き継がれ、慶安3年(1650)9月に『毛利就隆』が下松から住まいを移した際、当時藩政の安定していた阿波徳島と備前岡山からそれぞれ一字をとって「徳山」と改めた事にちなむと云われています。庁舎の敷地内の胸像は『野村 恒造』。徳山藩士の二男で明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員を務めた人物だそうです。「市の木:樟」「市の花:サルビア」を制定。

徳山市を説明するのに「日本の縮図」あるいは「日本の1/1000のモデル」と言う言葉があります。これは、面積が約340平方km、人口が約11万人で日本全体の約1/1000であること。山地が70%以上に対し平地はわずか7%、この7%の平地に全人口の7割が住んでいること。後背地は農山村地域で一部に過疎地があり、また離島もあること。

臨海部には原材料海外依存型の化学・石油等の工場群が立ち並んでいること。産業就業構造がほぼ同じこと。これらは、わが国の経済発展の道とほぼ同じ軌跡をたどってきたこと・・などによるものです。

明治22年(1889)、町村制の施行により都濃郡(つのぐん)徳山村・富田村・加見村・久米村・太華村・福川村・大津島村・夜市村・戸田村・湯野村・須金村・須々万村・中須村・長穂村・向道村が発足。

1900年、徳山村が町制を施行、都濃郡徳山町となる。

1912年、福川村が町制を施行、都濃郡福川町(第1次)となる。

1915年、富田村が町制を施行、都濃郡富田町となる。

1941年、富岡村が富田町に編入。

1935年、都濃郡徳山町が市制を施行、徳山市となる。

1940年、太華村が町制を施行・改称して都濃郡櫛浜町となる。

1942年、徳山市が都濃郡加見村・久米村を編入。

1944年、都濃郡櫛浜町・富田町・福川町・大津島村・夜市村・戸田村・湯野村が徳山市と合併、改めて徳山市が発足。

1949年、徳山市のうち旧村域が分立、都濃郡福川町(第2次)が発足して離脱。

1954年、都濃郡須々万村・中須村・長穂村が合併、都濃郡都濃町(第1次)が発足。

1955年、都濃町が須金村大字金峰および須万の一部と合併、改めて都濃町(第2次)が発足。

1955年、徳山市が都濃郡向道村を編入。

1962年、徳山市大字中須南字滝ノ口が下松市に編入。

1966年、徳山市が都濃町を編入。

2003年、新南陽市・鹿野町・熊毛町と合併、周南市となりました。

マンホールには全体に「市の花:サルビア」がデザインされています。

全くデザインの異なった「市の花:サルビア」のマンホール。個人的にはこちらのデザインの方が凝っていて素敵です。

「フグはえ縄漁発祥の地」である、粭(すくも)島のマンホールには「真ん丸に膨らんだ二匹のフグ」がデザインされています。

桜馬場通りのマンホールには、桜馬場にちなんで「満開の桜の木」がデザインされています。

湯野温泉地区マンホールには、「こけしのような人型と温泉マークで湯の字」がデザインされています。

1953年11月26日制定の市章は「「近代的都市として繁栄する徳山の「とく」を飛躍と向上のかたちに表現されています。」旧HPより

消火栓

仕切弁

空気弁

撮影日:2015年11月15日&2017年11月29日

🌸明日は湯野地区に残る「県指定有形文化財:山田家本屋」の紹介です。

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ご当地マンホール in 山口県周南市

2024年05月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

周南市(しゅうなんし)は山口県の東南部、周南地域に位置する市です。2003年4月21日、徳山市、新南陽市、熊毛町、鹿野町が新設合併し発足しました。下松市、光市、山口市、防府市、岩国市、また県を跨いで島根県吉賀町に隣接。市名の「周南」は、周防の国の南部という意味で、山口県の瀬戸内海沿岸の広い地域を指す名称として古来より使用されてきた事に因みます。

南部の瀬戸内海に面した臨海部は瀬戸内工業地域が広がり、一方北部は中国山地の一部にあたり、農村地域が点在。「市の木:クスノキ」「市の花:サルビア」を制定。

キャッチフレーズは「私たちが輝く元気発信都市・周南」

私たちが訪問した2015年&2017年、周南市のデザインマンホールはまだ存在していません。

2003年10月22日制定の市章は「周南市の「し」をモチーフに、2市2町の「し」が、海から、山から「元気発信都市」にふさわしく飛び跳ねながら、周南市の未来へ、市民一同がジャンプしているイメージで意気高らかに謳いあげています。」公式HPより

周南市健康づくり計画のイメージキャラクター『シュウタ君』。周南市役所 保険年金課に所属しているらしい・・・😐

2017年の訪問時、周南市はちょうど新庁舎の建設中。周囲は工事用シートで覆われていたのですが、ちょっと面白い物を見つけました😊 「周南市=しゅうニャンし」の語呂遊び。庁舎の受付の方とお話をした際に「滋賀県の(湖南市)には(こにゃん市)という仮想都市があって猫の市長さんがいるんですよ」と言うと、「(南)と(ニャン)の語呂遊びは、うちだけだと思ってました😆」と驚かれた事、ブログを書きながら懐かしく思い出しています。

撮影日:2015年11月16日&2017年11月29日

🌸明日は「旧徳山市」の紹介です

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ご当地マンホールとマンホールカード in 山口県防府市

2024年05月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

防府市(ほうふし)は山口県のほぼ中央部、瀬戸内海の周防灘に面する市です。一級河川佐奈川の河口に位置し、県内で最大の防府平野を有しています。東を周南市、西・北を山口市に隣接。古くから周防の国の国府として栄え、また、交通の要衝として発展してきました。

市内北部は、日本三天神の一つ防府天満宮の門前町として商業が発展。南部は、毛利藩時代からの三白政策の一つ、製塩業が盛んでしたが、昭和35年の製塩業の廃止を契機に塩田跡地に企業誘致を進め、今では、大規模自動車組立工場を頂点とする輸送用機械器具製造業が集積するなど、県内有数の製造品出荷額を誇る産業都市として発展を遂げています。「市の木:サンゴジュ」「市の花:サルビア」「市の花木:ウメ」を制定。

キャッチフレーズは「人・まち元気 誇り高き文化産業都市 防府」

明治22年(1889)、町村制の施行により佐波郡佐波村・三田尻村・牟礼村・中関村・華城村・西浦村・右田村・富海村・小野村、吉敷郡大道村が発足。

1902年、佐波郡佐波村と三田尻村が合併、防府町が発足。

1936年、防府町・中関町・華城村・牟礼村が合併、市制を施行し防府市となる。

1939年、佐波郡西浦村を編入。

1951年、佐波郡右田村を編入。

1954年、佐波郡富海村を編入。

1955年、佐波郡小野村・吉敷郡大道村を編入。

マンホールには、「右田ヶ岳」と「佐波川の鮎」、下に国指定天然記念物の「エヒメアヤメ」がデザイン。下に「美しい自然 ほうふ」の文字。

昭和12年11月11日制定の市章は「かたかなの「ハウ」を中心に、周囲に「フ」を四つ配して「フシ」とし、「ハウフシ」(新かなづかいによれば「ホウフシ」となるが、制定された当時の思考を尊重)の市名に通じさせている。「ハウ」の円形は、人の輪、すなわち市民の団結を表し、四方に配する「フ」は、生々発展する防府市の躍進力を象徴する。」公式HPより

消火栓

「防」「不」「100」の文字がある仕切弁

「市の花木:ウメ」がデザインされた樹木カバー

防府観光マスコットキャラクターは、防府の花の妖精『ぶっちー』。防府市の観光PRのお手伝いをするため、最近になって姿を表しました。ほうふ宣伝部長、防府観光コンベンション協会特別顧問の肩書付きです。

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マンホールカード、頂きました

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(累計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「防府市」のマンホールカードは、「防府市まちの駅 うめてらす」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「右田ヶ岳」と「佐波川を泳ぐ鮎」「エヒメアヤメ」がデザインされています。

「防府市の豊かな自然を描いたマンホール蓋です。 背景の山は、むき出しの花崗岩が独特な存在感を醸す「右田ヶ岳」です。 同山は、初心者から上級者まで難易度に応じた複数の登山ルートを有し、登山愛好家の間で親しまれています。 一方、右田ヶ岳の眼下を流れているのが、防府市民の母なる川「佐波川」です。 清流の象徴「アユ」が棲む川として知られ、夏のアユ漁解禁時は全国から多くの釣り人が訪れます。 絵柄の手前に描かれている花は「エヒメアヤメ」で、大正14年、防府市西浦を含む国内数か所が自生南限地帯として国の天然記念物に指定されました。 藍紫色の可憐な花が市民から親しまれています。」

2017年11月30日に防府天満宮に参拝した私たち夫婦と友人のJ🐣さん・・・すでに準備されているマンホールカードを前に成す術もなく😥 笑いを堪える店の方。いっそ当日まで見えないようにして欲しかった。

 

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ご当地マンホール in 山口県旧秋芳町(美祢市)

2024年04月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧美祢郡秋芳町(しゅうほうちょう)は山口県の西部中央に位置した町です。北は長門市、東は美東町、南は宇部市、西は美祢市と隣接。町の北部には500〜700mの中国山地の山系が連なり、比較的急峻な地形を呈し、中部は秋吉台国定公園などのカルスト地形が発達した穏やかな丘陵をなし、南部は河川の南下にしたがって緩慢な丘陵地形となっています。

町の中央部を北から南へ流れる厚東川の本支流に沿って平野部が開け、人口のほとんどは厚東川とその支流の両側に集中。北部は礫岩・砂岩、南部はチャート・粘板岩・石灰岩から成り立ち、総じて表土は厚く肥沃となっています。町の大部分が秋吉台国定公園となっており、カルスト台地の地下には多くの鍾乳洞が存在します。

「町の木:カシ」「町の花:りんどう」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により美祢郡秋吉村・岩永村・別府村・共和村が発足。

1955年、秋吉村・岩永村・別府村・共和村が合併、美祢郡秋芳町が発足。

2008年、美祢市・美東町と合併、改めて美祢市秋芳町となりました。

マンホールには、町章を中心に「特産のニジマスと梨」、「町の花:リンドウ」がデザインされています。

中央に「町の花:りんどう」、周囲に「町の木:カシ」がデザインされています。

昭和30年(1955)11月9日制定の町章は、「「シュウホウ」を図案化したもの 」

秋吉台がデザインされた仕切弁。

秋吉台がデザインされた消火栓

上記二枚は秋芳洞に至る商店街に敷設されています。

カルスト台地:秋吉台の事なら、(多分)何でも知っている『あきよしどうだい君』。さて、彼は秋芳町のキャラクター認定で良いのか?😅

撮影日:2012年11月15日&2017年12月1日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧美東町(美祢市)

2024年04月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧美祢郡美東町(みとうちょう)は山口県の中央部、カルスト台地秋吉台の麓に位置した町です。秋芳町、山口市、宇部市、萩市、長門市に隣接。山口県の内陸部に位置する事から、夏暑く冬寒いという内陸部特有の気候。町は山間部に囲まれるかたちにあり、町内間の移動でも峠越えが必要な箇所が存在しました。

奈良時代には、町域の長登(ながのぼり)銅山が奈良東大寺大仏鋳造のための銅を産出していたことがあり、寛永年間には町内の銭屋に寛永通宝の鋳銭所が開かれるなど、古くから銅の産地として栄えてきました。奈良の大仏の銅をここから献上している事から奈良の大仏のふるさと」と称しています。「町の木:ヒノキ」「町の花:カキツバタ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により美祢郡大田村・綾木村・真長田村・赤郷村が発足。

1923年、大田村が町制を施行、美祢郡大田町となる。

1954年、大田町・綾木村・真長田村・赤郷村が合併、美祢郡美東町が発足。

2008年、美祢市・秋芳町と合併、美祢市美東町となりました。

マンホールにデザインタイプは無く、中央に「みとう」の文字がある規格蓋のみです。

昭和36年(1961)10月1日制定の町章は「ミトウ」を図案化したもの」

「奈良の大仏さまのふるさと 道の駅みとう」にある、大仏さまをイメージしたモニュメント。地域特有の自然や歴史、伝統、文化を活用した、魅力ある地域づくりの取り組みに対して付与される「手づくり郷土賞」のプレートが設置されています。

撮影日:2012年11月15日&2017年12月1日

 

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ご当地マンホール in 山口県美祢市&旧美祢市

2024年04月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

美祢市(みねし)は山口県のほぼ中心、四方を山で囲まれた山口県内で唯一海に面していない市です。2008年3月21日 、旧美祢市・秋芳町・美東町が合併し、改めて美祢市が発足しました。山口市、下関市、山陽小野田市、宇部市、中国山地を挟んで萩市、長門市に隣接。「市の木:カシ」「市の花:桜」を制定。

市域からはさまざまな化石が産出することで知られており、土地は石灰質である所が多く、国道435号が通過する大嶺地区や豊田前地区では道路沿いに石灰層や石炭層を見ることが出来ます。キャッチフレーズは「市民が夢・希望・誇りをもって暮らす交流拠点都市 美祢市」

マンホールには市域から出土する「アンモナイトの化石」がデザインされています。

2009年4月4日制定の市章は「美祢市の「M」をモチーフに、雄大なカルスト台地、緑あふれ稔りある大地、やすらぎと活力ある美祢市の姿をイメージ、白地は輝きと風(交流と調和)、グリーンは発展・調和・健康を表現しています。」公式HPより

美祢市観光マップに登場するアンモナイトの女の子。市の花:桜の髪飾りを付けていますが・・名前は不明(笑)

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旧美祢市(みねし)は山口県のほぼ中央に位置した町です。秋芳町、萩市、山口市、長門市、下関市に隣接。市名は「山(峰)に囲まれていることから、峰が美祢に転訛した」が由来とされています。日本海と瀬戸内海とのおおよそ中間、美祢市西部から下関市豊田町にかけて大嶺炭田を有しており、明治維新後に開発された大嶺炭田の無煙炭、石灰石の産出などで工業都市として発展してきました。特に大嶺炭鉱の無煙炭は、戦前の軍艦などの燃料に重宝され、また石灰石は全国有数の国内シェアを誇っていました。
説明に該当する画像が無いので、「道の駅:於福」のマスコット『福をむカエルケロくん』と早朝のツーショット(-_-;)

明治22年(1889)、町村制の施行により美祢郡大嶺村・伊佐村・於福村・東厚保村・西厚保村、豊浦郡豊田前村が発足。

1924年、伊佐村が町制を施行、美祢郡伊佐町となる。

1939年、大嶺村が町制を施行、美祢郡大嶺町となる。

1953年、豊田前村が町制を施行、豊浦郡豊田前町となる。

1954年、美祢郡大嶺町・伊佐町・於福村・東厚保村・西厚保村・豊田前町が合併、(旧)美祢市が発足。

農業集落排水のマンホールには「かせきとはなのまち」の文字と共に、中央にアンモナイトの化石。周囲に「市の花:桜」がデザインされています。

1954年9月29日制定の市章は「美祢市の「美」を図案化したもの」

撮影日:2012年11月14日&2017年12月1日

夕暮れ時のマンホール撮影は、後で絶対に「あ~あ😩」となるのです。それが分かっていても目にするとデジカメを向けてしまう。で、結局その時の画像だけが唯一のご当地マンホールになるという事もしばしば・・「あ~あ😩」

 

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ご当地マンホールと惣郷(そうごう)川橋梁 in 山口県阿武町

2024年04月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

阿武郡阿武町(あぶちょう)は山口県の北部、北長門海岸国定公園に面する町です。阿武郡須佐町・むつみ村・福栄村に隣接。海に面した奈古地区、宇田郷地区と山間にある福賀地区で形成。農業と漁業を基本とし、日本海側に面した奈古地区・宇田郷地区には漁港が整備され、山間部の福賀地区では農業と林業が行われています。海岸線に沿って山陰本線が通っており、特に白須川に架かる「惣郷川橋梁(そうごうがわきょうりょう)」は鉄道ファンに人気の撮影ポイントとして有名です。「町の木:くすのき」「町の花:シャクナゲ」を制定。

キャッチフレーズは「夢と笑顔あふれる「豊かで住みよい文化の町」」

明治22年(1889)、町村制の施行により阿武郡奈古村・福賀村・宇田郷村が発足。

1942年、奈古村が町制を施行、阿武郡奈古町となる。

1955年、奈古町・福賀村・宇田郷村が合併、阿武郡阿武町が発足。

マンホールには、町章を中心に「町の花:シャクナゲ」がデザインされています。

昭和41年(1966)11月1日制定の町章は「カタカナのアブを渦巻に図案化したもので、躍動と躍進を表しています。」公式HPより

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阿武町宇田惣郷にある、JR西日本山陰本線・須佐駅 - 宇田郷駅間の白須川に架かる全長189mの鉄道橋「惣郷川橋梁(そうごうがわきょうりょう)」

日本海に隣接し、橋脚の基礎も満潮時の海面から1.5mの高さまでの高い井筒基礎が据えられているのが特徴の「鉄筋コンクリートラーメン橋」。2001年には土木学会選奨土木遺産を受賞。

海からの景色も、また橋からの景色も美しいことから、撮影ポイントとして鉄道ファンの人気は高く、阿武町の観光名所にもなっています。

灰色の海から突き出す岩の上、小さく点のように見える黒いものは海鵜の群れ。

これで運よく電車が来たりなんかしたら、もうこの日の旅の運を使い果たしてしまうに違いない!・・と、私だけの奇妙なジンクスを持ち出し、「もう少しだけ」を繰り返すご亭主殿を急かし惣郷川橋梁を後にしました。

撮影日:2012年11月10日

🌸明日からは山口県美祢市の紹介です。

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