車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

笠(かさ)神社 in 岡山県笠岡市笠岡

2022年02月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

笠岡市笠岡に鎮座される「笠(かさ)神社」。笠岡の総氏神で御祭神は『応神天皇・天照皇大神』

【当社の創建は不詳であるが、鴨別命が功あって笠臣の姓を賜り、当社を勧請したとも伝えられている。後にカサメと変じて笠岡となる。 正応(1288)大嘗会和歌集大蔵卿隆博の詠んだ歌に「天の下かさめの山の草木まで春のめぐみの露ぞあまねき」とある。 往古、笠目山(応神山)に応神天皇が御巡幸の際に、狩をされ一陣の風に、天皇の被っていた笠が飛び麓の松の木にかかった。その松を「笠掛の松」と呼び、そこに八幡神社が建てられた。】岡山県神社庁より

参道途中より神域を守護されるのは文化一年(1804)建立の浪花タイプの狛犬さん一対。羽団扇のように開いた尾を背中に張り付けて今日も元気な笑顔😀

綺麗に整備された石段参道を進んだ先に〆鳥居

境内入り口より神域を守護されるのは明治31年(1898 )建立の広島タイプの狛犬さん一対。阿吽ともに玉乗り子抱きというのは、かなり珍しいと思います。

阿形さんの仔狛・・一体何に噛みついている??

今日は五月五日:子供の日という事で、手水舎にはシミも汚れも無い、美しい日の丸が揚げられています。

手水舎で、禊の水を吐くのは、龍ではなく「亀」。持ち上げた首がなんともいい感じ😀 で、何故、吐水亀なのかは不明。

唐破風の屋根が美しい拝殿

拝殿:蟇股の彫刻は天空を舞う鷹と、波間よりそれを見上げる龍。

拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和39年(1964)月 建立の狛犬さん一対。製作者『豊田重市』。台座に刻まれた奉納文には「 旧狛犬者備前焼也今改石刻謹奉献爲昭和三十九年九月吉日(旧の狛犬は備前焼であったが今回奉納するにあたって石刻に改めた)」

拝殿から回ると本殿を直接見る事が出来るようになっており、私たちも謹んで本殿参拝をさせて頂きました。

お目当ては、こちらの備前焼の宮獅子さん一対。拝殿前に奉納された狛犬さんは、こちらの宮獅子さんがモデルとのこと。台座には天保10年と刻まれていますが、製作者の『木村貫一友敬・早川五平』の両氏は、大正末期以降に活躍した人物。という事で建立年は不明です。 

膝に片手を置いたポーズは、先の稲富宮の宮獅子さんと同じ。こうして後姿を並べてみると、製作者お二人の個性が随所に表現されており、見ていて楽しい一対。なんだか楽しい相談事ごとでもしているみたい😄 

本殿屋根の妻側にちょっと不思議なものを発見。画像が小さいのと遠いのとで確かな事は言えないのですが、焼き物で作られた力神と思われる像が二体見えます。調べたのですが詳細は不明・・。もっとアップにすればよかった・・

最期は帰り際に見かけた「吟道碑」

参拝日:2010年5月5日

コメント (2)
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稲富(いなとみ)稲荷神社 in 岡山県笠岡市笠岡

2022年02月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

笠岡市笠岡、古城山の中腹に鎮座される「稲富(いなとみ)稲荷神社」。御祭神は『宇迦御魂(うかのみたま)神』

由緒「本神社の創建は弘治元年正月、村上隆重が古城山に築城し、城内の鎮守として勧請した。元禄十三年の御検地水帳に古城山稲荷社地の一畝六歩と山林一町一反八畝十五歩が除地となっている。宝暦六年から文化十三年にわたり、社殿工作物の寄進が全国に及んでいる。当神社は領主、代官はもとより、地方人一般の信仰が厚く、社運が隆盛であった。」岡山神社庁HPより

山陽本線の線路と、県道60号線の高架に挟まれた鳥居を潜った先に規模の大きな神橋があり、本殿へと至る石段参道が見えています。

参道石段前左右より神域を守護されるのは、天保9年(1838)建立の備前宮獅子一対。阿形製作者『森五兵衛正統』。備前市に鎮座される「宇佐八幡宮」に奉納された巨大な備前宮獅子の作者として知られる名工です。

吽形製作者『長谷川茂助正吉』。阿形・吽形ともに片足を膝においた姿勢をとっており、この姿は県内でもごく数例しか例のない珍しい姿勢。

顔立ちと言い、その姿と言い、まるで剛毅の武士の風情。こうして上から見ると、退く事のできない戦場の駆け引きに臨む武将のようで、何か別の世界に引き込まれそうな錯覚を覚えます。

と・・そんな緊迫した空気を突き破るように、電車が通過😅。

稲富宮が鎮座される境内までの石段は153段・・・ここから先は私の足では無理と御亭主殿からストップがかかり、単独参拝となりました。


長い石段。突き当りに見える明かりまでの距離が、とてつもなく長く感じたとはご亭主殿の感想。二の鳥居、三の鳥居、〆柱を超えた先が境内。

長い石段を登ってきた参拝者を出迎えてくれるのは「御先狐」

「寄進 干鰯仲買中石壇」亀趺(きふ)、と・・私たちは思っていたのですが、同じ笠岡市内にある某神社にこれと全く同じ台座が有り、それには「虬(みづち)像」とあります。

「虬(みづち)」、「み=水」・「つ=の」・「ち=霊物」の意で、水中にすみ、蛇に似て、角や四足をそなえ、毒気を吐いて人を害すると云い、古代より人々から恐れられていたとか。さてこれがなのかなのか・・・・読者様の判断に委ねます。

「稲富宮」の名称はまさに字の通り「富が溢れ豊饒を祈る」信者の願望を表しています。笠岡市指定重要文化財でもある社殿に施された精緻で鮮やかな彫刻の数々。近郷には例がないと言われる鮮やかさも、求める富の象徴に思えます。

うっすらとした明りの本殿、扉の左右より稲荷のお使いである白狐神が神域を守護されています。

屋根の上に鎮座する御先狐は、なんとも愛嬌のある顔立ちで神域を静かに見守っています。長く伸びた尾の先の宝珠が微妙にツボ😄

「境内社:稲荷宮」「境内別社:花津女稲荷・五社稲荷・高倉稲荷」

稲荷宮の神狐

さて、ご亭主殿が参拝の間、私と義姉はこの手水舎の付近から離れずに待機。ちなみに手水舎の側面、懸魚から下には非常に綺麗に彩色された立派な彫刻が施されています。

玉垣も、奉納された二基の手水鉢にもそれぞれに寄進者の名前が刻まれており、往時の隆盛を垣間見る事が出来ます。

手水舎に向かい合うように奉納されていた「恵比寿社」。稲富宮と関連があるのか無関係なのか? 祠の内には、巨大な鯛を肩に担いで満面の笑みを浮かべる恵比寿様。絶対に御利益ありそう😆

参拝日:2010年5月5日

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徳民於賀(とみおか)神社 in 岡山県笠岡市富岡

2022年02月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

笠岡市富岡に鎮座される「徳民於賀(とみおか)神社」。通称「七面神社」とも称されます。

由緒「延宝二年の創建。富岡干拓地の鎮守として福山藩家老上田玄蕃が、七面大明神を勧請したといわれる。富岡新田ができてから、富岡村の誕生は、天和二年と記録されている。明治初年の神仏分離に際し神社書上帳に始めて徳民於賀神社の名が見える。しかし地元の人は七面大明神 或は七面様と呼称している。」岡山神社庁HPより

『七面大明神』とは法華経を守護する神で、『吉祥天』とも『弁財天』とも称されます。それとこの神社との関りが今一つ不明ですが・・・。それはさて置き、この物凄く急な参道石段・・どうしたものか

車を置いていくわけにもいかないし・・と、参拝を諦めかけていたのですが、どうやら別の参道が有り、そちらには駐車スペースがあるとの事、急遽そっちに向かいます。

先の参道鳥居には「徳民於賀神社」の鳥居額。こちらの石鳥居には「七面大明神」。鳥居の先に見える拝殿前の鳥居額には「徳民於賀神社」と刻まれています。

境内の入り口近くより神域を守護されるのは、文化7年(1810)建立の花崗岩製の狛犬さん一対。花崗岩は非常に硬く、ゆえにとがった角も耳も欠けることなく、楽しげな表情も往時のまま。阿形さんの豪快な笑い顔に応える吽形さん。なんと、まったりと笑っておられる事か。

屋根の上では生きの良い鯛が逆巻く波間から顔を出し・・

地上では、世代交代をした獅子が、何とも凄みを効かせて何者かを威嚇しています。獅子の後方に見えるのは・・福の神のようですが・・さてどうでしょう?

摂社。社名・御祭神共に不明

「地神」文字塔

「今から350年ほど前まで、富岡のあたりは遠浅の海であった。そこで、藩の財政を強化するため、海を埋め立てて田を造ることになった。しかし、工事は難航し、堤防は何度も壊れ、遂に人柱を立てることになった。誰にするか相談しているところに、神島天神へ参詣する父娘が通りかかった。村人はその娘に人柱になってくれるよう必死に頼んだ。娘の名はお七と言った。お七が人柱になってから、工事は見る見るうちに捗かどり、壊れていた堤防は波を寄せ付けなくなった。村人達はお七の霊を七面様として、干拓地の見える丘に祀った。」岡山の伝説より

どうやら法華経の「七面大明神」ではなく、お七さんの尊称としての「七面大明神」だったようです。それにしても・・実際にその場面を想像したら、物凄く得手勝手で非道な行為。一緒にいた父親は黙ってそれを許したのでしょうか?・・・それとも・・・・??伝説とは、いつでも時々に都合よく書き換えられていくものです。

参拝日:2010年5月5日

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道通(どうつう)神社~其の二 in 岡山県笠岡市横島

2022年02月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

昨日に続いての道通神社、本殿の右手に鎮座される摂社群の紹介から。

 摂社全体の神域を守護されるのは昭和53年(1978)建立の狛犬さん一対。
阿形さんは玉を、吽形さんは仔狛の上に前足を重ねています。

神輿殿

「摂社:遷之宮」

祠の左右より神域を守護されるのは、何とも不思議な質感の小さな狛犬さん一対。石なのか陶器なのか・・触ってみたい衝動を抑えるのに苦労しました😅

向かって右手に鎮座される「天満宮」御祭神は『菅原道真公』。左手、赤い屋根の社には「蛇神様・伊弉諾宮・摩利支天宮・十二神社・足王神社」が祀られます。

向かって左から「摂社:荒神社」「摂社:金刀比羅神社」

瀬戸内海に面した小さな漁村で生まれた私ですが、いわゆる蛇の憑き物「トウビョウ」なるものの存在、ここで初めて知りました。

『道通様』は、「トウビョウ」の祟りを鎮めるために祀られたものだそうで・・「神使いの山」には、信者から奉納された道通様の小さな家が並び、ヘビの好物として卵などが供えられています。蛇の憑物を鎮める蛇の神様・・それって毒を以て毒を制する的な??あ、決して道通様を毒と言ってるわけでは!!!

 瓦財の小さな祠が並ぶ情景を、漫画家の水木しげる氏は「蛇の家」として紹介しています。一度、挿絵を見たことがありますが、まさしくこんな情景でした。

「一体双頭の道通様」

実は私・・・正直なところ、蛇は大の苦手なのです。ですが・・・・・・・神様だし・・・とは言えやっぱり蛇は怖い。なので、この先本物の蛇に出会いませんようにお願いする事に🙏

道通様の小さな家の並びに、一対の不思議な石が奉納されています。これが全くの自然の造形であるならば、それはどんな凄い芸術家も敵わない、まさしく神秘の神業。

「摂社:稲荷社」

「摂社:八幡宮」

絵馬

「御神馬」道通神社の御神紋付き腹掛けが結ばれています。

手水舎の吐水龍・・・道通様よりも迫力あるなんて言ったら、叱られそうですね。 

参拝日:2010年5月5日

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道通(どうつう)神社~其の一 in 岡山県笠岡市横島

2022年02月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

岡山県笠岡市横島に鎮座される「道通(どうつう)神社」。御祭神は『猿田彦命・応神天皇』。標柱には「神威耀八絋(神の力は天下に輝き)」「皇化漲四海(その徳は四海に行渡る)」

『猿田彦命』は天孫降臨の際、天の八衢(やちまた)より天孫を導いた「道開きの神」。商売繁盛・出世海運・交通安全の神として多くの人々の信仰を集めています。

由緒「起源は永禄年間に御神霊を笠岡道通谷に祀り、近郷住民の崇敬社として栄たるも世は戦国時代となり、国中が戦乱の巷と化し住民は生業に従事するを能わず塗炭の苦しみにあい、誰も神事を行う者もなく、神祠も極度に荒廃し形骸を留められぬ程であった。その上この近郷一帯に悪病が蔓延し、災害が続き、穀物も実らず住民は苦しみ疲れ切っていた。その頃人々に「これは道通様の祟りだ」という噂が広まり、信仰する人々が集って相談し、当時信仰の島であった横島の地に御神体を奉じ社殿を造り祭事を行い崇敬した。その後は災害悪疫も後を絶ち、総ての苦境から脱することができた。 これは道通様の御加護に依るものと崇敬敬慕する人達により元和年間に拝殿を造営し、天和年間に本殿を修復。明治42年本殿を改築。昭和5年拝殿及び社務所を大改築し、今日に至る。」岡山神社庁HPより

一の〆鳥居より神域を守護されるのは、文政11年(1823)建立の扁平頭の狛犬さん一対。体に巻かれた注連縄を見せつけるように自慢げにポーズをとっています。

 南参道鳥居の内より神域を守護されるのは、昭和14年(1939)建立の狛犬さん一対。クシャっと押さえつけられたような平ったい顔ですが、口元から覗く牙は中々鋭く、迂闊に手を出すのは躊躇われます。

東参道一の〆鳥居前より神域を守護されるのは、嘉永3年(1850)建立の玉乗り狛犬さん一対。広島型とは全く違ったタイプの玉乗りさん。こういう素敵な狛犬さんに会えるから、神社参拝は楽しい😄 

「三面大黒」 さわれば誰でも福の神になれるそうです。

東参道二の〆鳥居、その奥に拝殿。

拝殿の貫彫刻は玉眼を持つ獅子と像。

拝殿前の左右には、刀を持つ『猿田彦命』と、槍を握る『猿田彦命』が立たれています。「これは天狗じゃが」と又甥(またおい)が言うので、この姿が『猿田彦命』なんだと教えておきました😄 神社の祭礼などで高下駄を履いて歩く赤い天狗面の神様・・『猿田彦命』のお姿です。

拝殿前より神域を守護されるのは、昭和7年(1932)建立の狛犬さん一対。何か良い事があったのを思い出しているのか、つい顔が緩んでしまう吽形さん。一体どんな良いことがあったのでしょう?阿形さん、その辺りの事情をご存知ですか?

神社なのですが香炉台の下には、お坊様らしき人物が座っています。果たしてこの人物の正体は??と騒いでいたら、ご亭主殿が近寄ってきてあっさり一言「布袋さんだよ」

広い境内にはまだまだ沢山の摂社が鎮座されており、そして社殿の真後ろには、この神社の由来でもある「道通様」が祀られています。

続きは明日の道通神社~其の二で。

参拝日:2010年5月5日

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ご当地マンホール~其の二 in 岡山県笠岡市

2022年02月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

笠岡市のマンホール、其の二はコアなファンには意外と人気の規格蓋、以外としゃれたデザインがある上水道関連の諸々。

中央に市章。全体にカブトガニの甲羅をデザインしたマンホールですが、このデザインは愛媛県の新居浜市でも見かけました。やはり規格蓋の一種でしょうか?。

昭和27年(1952)4月1日制定の市章は「カタ仮名の「カサ」と、漢字の「笠」を図形的に簡便化し組み合わせたもので、弧と弧の交差は和を表し、両弧のひろがりは無限の発展伸長を暗示し、横一直線は力強い団結を象徴しています。」公式HPより

カブトガニ博物館マスコットキャラクター『カブニ』。知らなかったのですが、彼には『カブ海・カブ希』という名前の家族がいるそうです。

いつのまにか上水道のキャラクターになって活躍中。

中央にカブトガニがデザインされた汚水用枡蓋

カブトガニをデザインした方位タイル

冒頭のアーケード画像「笠岡来たれば 福あり」。笠岡の各商店街アーケードでは、七福神の神々がにこやかに出迎えてくれます。

「布袋尊・弁財天」回り切れなくて以下略😄

「七福神」の舗道タイル「恵比寿神」

「弁財天」

「毘沙門天」

「寿老人」

「福禄寿」

「布袋尊」

「大黒天」

「宝船」

撮影日:2010年5月5日&2018年1月10日

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ご当地マンホールとマンホールカード第6弾 in 岡山県笠岡市

2022年02月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

笠岡市(かさおかし)は岡山県南西部に位置する市です。井原市、浅口市、浅口郡里庄町、小田郡矢掛町に。また県を跨いで広島県福山市。更に県を跨ぎ海を隔てて香川県丸亀市、三豊市、仲多度郡多度津町に隣接。「笠岡」の地名は、吉備氏の一族「笠臣氏」の勢力範囲であったことに由来。隅田川・今立川などからの土砂が堆積した堆積平野を基盤に、近世以降は福山藩などによって干拓・埋め立てが行われ現在の市街が形成。市域は瀬戸内海に面し、南には広大な笠岡湾干拓地と大小32の島々からなる笠岡諸島があり、うちの六島は岡山県最南端に位置します。また神島と西大島の間の海域は国の天然記念物に指定されたカブトガニの生息地として、保全などを通して保護活動が行われています。「市の木:イチョウ」「市の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは「市民協働で築くしあわせなまち 活力ある福祉都市かさおか」

明治22年(1889)、町村制の施行により、小田郡笠岡村・金浦村・城見村・陶山村・大井村・吉田村・新山村・北川村・今井村・神島内村・神島外村・北木島村・真鍋島村、浅口郡大島村が発足。

1891年、笠岡村が町制を施行、小田郡笠岡町となる。

1901年、金浦村が町制を施行、小田郡金浦町となる。

1951年、笠岡町が今井村を編入。

1952年、小田郡笠岡町、金浦町が合併、市制を施行し笠岡市が発足。

1952年、北木島村が町制を施行し北木島町に、神島外村が町制施行して神島外町となる。

1953年、笠岡市が小田郡城見村、神島内村、大井村、陶山村、吉田村、新山村を編入。

1955年、笠岡市が小田郡神島外町、北木島町、真鍋島村、白石島村、浅口郡大島村を編入。

1960年、笠岡市が小田郡北川村を編入、現在の市域となりました。

マンホールには、天然記念物のカブトガニと笠岡諸島がデザインされています。

笠岡市立カブトガニ博物館:展示マンホール

倉敷市マンホールサミット展示マンホール

明日はコアなファンのための規格マンホールと上水道関連蓋を、愉快なおまけ付きで紹介します。

撮影日:2010年5月5日&2018年1月10日

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2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「笠岡市」のマンホールカードは、「笠岡市立カブトガニ博物館」でいただけます。

1990年に設置開始されたマンホールには「カブトガニ」と「笠岡諸島の島々」がデザインされています。

「生きている化石として知られる「カブトガニ」のデザインマンホール蓋です。 背景には、海の生命を育む干潟と青い空。 そして紺碧の海に浮かぶ笠島の島々。 まさに笠岡市の魅力が凝縮された一枚です。 カブトガニは一時、干拓事業の推進と水質汚染の影響から、個体数が激減しました。 その絶滅の危機から救った要因のひとつが下水道整備であり、海域の水質改善とともに、カブトガニの生息環境も好転していきました。 こうしたことから、下水道とカブトガニは切っても切れない関係にあるといえます。 笠岡市にお越しの際には、蓋のデザインだけでなく、カブトガニの生体も是非ご覧ください。」

マンホールサミット配布の缶バッジ

訪問日:2018年1月10日

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玉野市内あちこちウォッチ in 岡山県玉野市

2022年02月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

岡山県下最大の海水浴場として知られる「渋川海水浴場」。白砂青松の海岸線は約1kmの長さを誇り、「日本の渚百選」「快水浴場百選」にも選ばれています。

また一年を通じてヨット、ウィンドサーフィンなどのマリンスポーツが楽しめる場所としても有名。

渋川海岸の近くには、全長約900メートルで、日本有数の長さを誇る藤棚。(私達が訪問した2008年には「藤棚の長さ日本一」の柱が立っていました)あでやかな藤棚に囲まれた渋川公園はおりしも渋川藤まつりの真っ最中。

この日は祭りにあわせてのフリーマーケット開催や、郷土の有志に寄る和太鼓の演奏もあり、思いがけず楽しい一時を過ごす事ができました。

他県出身の御亭主殿には縁のない話ですが、私たちの世代は、渋川と言うと何時だって「渋川青年の家」での合宿研修を思い出します。初めてのカッター経験、地引網・・他校の生徒たちとのフォークダンス等々・・モノクロ写真の中に残された幾つもの思い出が、懐かしく蘇って来ます。

たまたま目に付いたからと写しておいた狛犬さん一対。後で調べて「渋川八幡宮」の神獣さんだと知りました。万延元年(1860)9月建立で、高く尾を上げた姿はとても珍しく、画像がこれだけと言うのが何とも😓。

また海洋博物館の近くには『西行法師』像が建立されており、海岸に沿った遊歩道の脇には西行が詠んだ歌碑も有ります。

【おり立ちて 浦田に拾ふ海人(あま)の子は つみよりつみを 習ふなりけり】

渋川海岸を後にして帰路に向かう途中、山の上に聳え立つような煙突が見えてきました。後で調べた所によると、大正8年(1919)に建設された宇野第二発電所で利用されていた火力発電用の煙突だとのこと。

「お化け煙突」の名で親しまれてきた高さ66.5メートルの煙突・・どこかで見た覚えが・・ああ、「カンゾー先生」と言う映画の中で見たんだ!!もう一度じっくり見に行きたいと思っていましたが、2015年6月に解体されました。

訪問日:2008年5月4日

それから八年後の夏、玉野市築港に面白いオブジェがあると言うことでマンホール収集の後に立ち寄ってみました。「宇野のチヌ(淀川テクニック作)」と名づけられた作品・・様々な廃棄物の寄せ集めで作られた巨大な魚。説明には「宇野港周辺の沿岸や主に児島湖で集められた漂流物で制作されたオブジェで、第1回の「瀬戸内国際芸術祭2010」で生まれたもの。」とありました。

展示マンホールの為に立ち寄った児島浄化センターの帰り、元川に架かる「櫻屋幸吉橋」に目が止まりました。親柱には鳥の羽を背中につけて空を飛ぶ「鳥人幸吉」のレリーフ。帰宅後に調べたところ、人力による飛行を日本で初めて試みたといわれる「幸吉」の事と判明。備前国児島郡八浜(現:玉野市八浜町)で旅館を営ん でいた櫻屋清兵衛の次男として生まれた「幸吉」。空に憧れた彼の物語は、映画「鳥人」や「幸吉空を飛ぶ」と題した短編漫画にもなったそうです。

玉野市のアレコレ、最後は宇野港から船で30分ほどの沖合に浮かぶ無人島。 シルエットがクジラに見えることから、古くから地域の人たちにくじら島の愛称で親しまれてきたとか、言われてみれば確かに「くじら」😄。

訪問日:2016年8月17日

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ご当地マンホール in 岡山県玉野市

2022年02月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

玉野市(たまのし)は岡山県の南端、瀬戸内海沿岸に位置する市です。岡山市、倉敷市に。また県を跨ぎ海を隔てて香川県高松市、香川郡直島町、小豆郡土庄町に隣接。市の中心部にある宇野港は、岡山県の海の玄関口であり瀬戸内海の海上交通の重要拠点として発展。フェリーの定期航路のほか、大型船舶が着岸できる耐震バースに外国からのクルーズ客船の寄港も増えています。また造船業の企業城下町として発展してきたこともあり、多くの造船関連企業が集積する「ものづくりのまち」といわれ、製造業が中心となっています。「市の木:バベ(ウバメガシ)」「市の花:ツツジ」「市の魚:メバル」を制定。

市制80周年記念キャッチコピーは「たまたまたまのを、またまたたまのに。」早口言葉みたいで舌を噛みそう😓

旧キャッチフレーズは「スマイル!たまの 安心・活力・支えあい~ みんなで築く自立都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、児島郡玉野村・下加茂村・上加茂村・秀天村・玉井村・鉾立村・胸上村・山田村 ・田井村・日比村 が発足。

1898年、玉井村が改称し、児島郡八浜村となる。

1901年、八浜村が町制を施行、児島郡八浜町が発足。

1903年、下加茂村、上加茂村、秀天村の一部(迫間・槌ヶ原)が合併、児島郡荘内村が発足。

1906年、日比村、玉野村玉地区が合併、児島郡日比町が発足。玉野村宇野地区、田井村の一部が合併、児島郡宇野村が発足。田井村の残部が八浜町に編入。

1919年、宇野村が町制を施行、児島郡宇野町が発足。

1940年、児島郡宇野町、日比町が合併、玉野市が発足

1953年、 児島郡山田村が玉野市に編入。

1954年、胸上村、鉾立村が合併、児島郡東児町が発足。児島郡荘内村が玉野市に編入。

1955年、児島郡八浜町が玉野市に編入。

1974年、 児島郡東児町が玉野市に編入、現在に至ります。

マンホールには市章を中心に「市の花:ツツジ」と「市の木:バベ(ウバメ樫)」がデザインされています。(児島湖流域下水道浄化センター展示蓋)

玉野市八浜町八浜にある「児島湖流域下水道浄化センター」

倉敷市マンホールサミット会場:展示蓋

玉野市出身の『いしいひさいち』氏による「ののちゃんシリーズ」のマンホール。「ふるさとたまの」「ののちゃんの街」の文字が入ったシールタイプです。

昭和16年(1941)5月13日制定の市章は「玉野(玉の)の字を円くかたどって図案化、全市一体の円満な和と、堅実で健やかな市政の、輝く成長発展を表わしています」公式HPより

玉野市公式イメージキャラクターに就任した『ののちゃん』。地元の商店街では、「ののちゃんが住む町」として町おこしを行っているそうです。

撮影日:2008年5月4日&2016年8月17日&2017年4月2日

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ご当地マンホールとマンホールカード第9弾 in 岡山県久米南町

2022年02月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

久米郡久米南町(くめなんちょう)は岡山県のほぼ中央に位置する町です。岡山市、赤磐市、久米郡美咲町に隣接。町の中央部を南北に走るJR津山線の神目、弓削、誕生寺の3駅があり、並行して国道53号が縦貫。また、旭川の支流の誕生寺川が南流し、その川に沿って細長い平地が伸びています。標高は100~500mと高低差があり、台地状をなす比較的平坦な高原面も開け、吉備高原の一部をなしています。「町の木:イチョウ」「町の花:ツツジ」を制定。

太平洋戦争終了直後の昭和24年(1949)より、川柳で町おこしが行なわれており、役場庁舎中庭には、重さ20トンのジャンボ句碑も建立。

キャッチフレーズは「いいひと、いっぱい 川柳とエンゼルの町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、久米南条郡稲岡南村・弓削村・龍川村・龍山村・神目村が発足。

1900年、郡制の施行により、久米南条郡と久米北条郡が合併、久米郡となる。

1906年、久米郡稲岡南村が、加美村大字山ノ城を編入。

1917年、弓削村が町制を施行、久米郡弓削町となる。

1940年、弓削町と龍川村が合併、新たに久米郡弓削町となる。

1952年、稲岡南村が誕生寺村と改称。

1954年、弓削町、誕生寺村、龍山村、神目村が合併、久米郡久米南町となりました。

マンホールには、町のマスコットキャラ「野球:カッピー」と、周囲に「町の花:ツツジ」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット展示マンホール

「道の駅:くめなん」展示マンホール

町のマスコットキャラ「竪琴:カッピー」と、周囲に「町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和39年(1964)4月1日制定の町章は「久米南町のく(久)と、み(南)を図案化し、組み合わせたもの。円形は発展・向上を、また、左右を結んで力強い協力を象徴しています。」公式HPより

久米南町マスコットキャラクター『カッピー』。エンゼルになったカッパは、町に夢や幸福を運んでくるのです。

撮影日:2010年3月1日&2018年12月14日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「久米南町」のマンホールカードは、「道の駅くめなん」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「野球バージョンカッピー」と「町の花:ツツジ」」がデザインされています。

「 久米南町のマスコットキャラクター「カッピー」を中心に配置し、カッピーを取り囲むように町花の「ツツジ」をデザインしたマンホール蓋です。本来、カッピーは手にハープを持っていますが、デザインマンホール 蓋に描かれたカッピーは手にグローブとボール、足にスパイクシューズを履いたソフトボールプレイヤーの姿に変更しています。これは晴れの国おかやま国体(2005年)で久米南町が開催地となった「少年少女ソフトボール競技」を記念してデザインを変更したもので、現在では久米南町のほとんどのマンホール蓋に採用しています。」

訪問日:2018年12月14日

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