車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

北海道のマンホールカード第一弾&第二弾

2017年12月31日 08時00分00秒 | 沖縄・九州・関東・東北・北海道のマンホール

今年も残すところ今日一日。年越し蕎麦を食べて除夜の鐘を聞いたら、もう何千回となく聞いて、言った言葉「あけましておめでとう」の応酬。家々のまわりに目出度い言葉と文字が溢れます。

わたしの2017年は、恒例の車泊旅は無論ですが新たに加わった「マンホールカード」の収集に明け暮れました(笑) 北から南へ、雨の日も、真夏の照りつける日差しの日も北から南へ、雨の日も、真夏の照りつける日差しの日も家族を巻き込み、友人知人を巻き込み(^^;)

すでに12月1日には第6段が配布されその総数【293種】、参加自治体数は【260】。まさに首までどっぷりつかった気分(笑)

私にとっては2017年はカード収集を始めて迎えた最初の年の暮れ。という事で、カード関連の記事で今年を締めくくろうと思います。

地域を何処にと迷いましたが、絶対に自分では行けない北海道に決定!と言うことで、北海道第一弾「札幌市」からスタート。

札幌市のマンホールカードは、2016年4月1日より、札幌市下水道科学館で配布。デザインに使われているのは「札幌時計台と豊平川の鮭」

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第2弾北見市のマンホールカードは、2016年8月1日より「北見市上下水道局 」で頂けます。デザインに使われているのは「ハッカ記念館」「玉ねぎ」「カーリング」「からくりハト時計塔」

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木古内町のマンホールカードは「観光案内所 (道の駅 みそぎの郷 きこない)」で頂けます。デザインに使われているのは「太平洋を渡る咸臨丸」

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あと16時間で2017年も終り、また新しい一年が始まります。

毎日更新!の誓いが今日まで続けられたのも、日々の訪問閲覧数に後押しされての事。ブログを訪問してくださった皆様に、心からお礼を申し上げます。

この一年、色々と思うこと、感動すること 新しい出会い・・・沢山の出来事があり、そのどれもが忘れ難く素晴らしい思い出です。

迎える新しい一年が、誰にとっても素晴らしい年となりますように

2017年 大晦日

 

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のと鉄道七尾線:駅舎を訪ねて in 石川県七尾市中島町

2017年12月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾駅と穴水駅間の33.1kmを結ぶ鉄道路線「のと鉄道七尾線」。決して「鉄オタ」ではない私たちですが、たま~に、ローカルな駅めぐりを楽しむ事もあります。

中島町浜田にある「能登中島駅」。愛称は近くにある「能登演劇堂」に因んで「演劇ロマン駅」

ここでの目的は、駅舎横の旧貨物用側線に保存されている「郵便車・オユ10」。郵政省所有の区分室郵便車で、車内には郵便物を区分するための設備が設けられています。

動態保存されている電車を見る・・といっても、普通は外観のみか、機関車なら機関室のみ。 ところがこの郵便車は内部の見学が出来るのです。

「郵便車・オユ10」の内部は、まさに動く郵便局と言っても可笑しくない設備。ここだけ見せて、実はこれ電車の中なんだよといっても、にわかには信じられない光景ですよね。実際、義姉に写真を送ったら「ウソ!」と一言(笑)

車内見学を終えた丁度のタイミングで、『永井豪』作品のラッピング電車が到着。おそらく観光用の電車なのでしょう、沢山の乗客が郵便車の方に向かってやってきました。

郵便車も見学できたし、ラッピング車両もじっくり間近で見て、ついでに除雪車にも触れて。 こんなに目一杯楽しめた駅って、あまり例が無いような・・・選んでよかったスポット(*´꒳`*ノノ゙

「能登中島駅」を後にして、次の駅は「西岸駅」。特にこれと言う目的は無かったのですが「聖地巡礼」の一つと聞いたので寄ってみる事に。愛称は「小牧風駅」

なぜここが「聖地巡礼」の一つなのか・・・実はここ、テレビアニメ「花咲くいろは」に登場する「湯乃鷺駅」のモデルだそうで・・ 

駅舎内の一角には、駅を訪れたファンによる寄贈品や聖地巡礼ノートなども置かれています。何というか・・う~~~ん、何て言えばいいのだろう(^^;) そっち系大好きの人なら、もう悶絶するほど素晴らしい空間なんだろうなと・・うん、多分そう思います(笑)

そうこう騒いでいるうちに折りよく到着する電車(のと鉄道の駅巡りではいつも都合よく電車に遭遇)。何かとっても可愛い一両電車にデジカメを向けていると、反対車線から別の電車が・・・

おお!さっき待合室で見た「花咲くいろは」の主人公たち(〃∇〃) 萌え系に興味の無い二人ですが、それでもこの駅でこのラッピング電車はちょっと嬉しいめぐり合わせ。アニメの舞台となった駅に、アニメのラッピング電車、ネタとしては申し分ありません。

訪問日:2015年5月21日

 

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藤津比古(ふじつひこ)神社 in 石川県七尾市中島町

2017年12月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

石川県七尾市中島町藤瀬に鎮座される「式内社・藤津比古(ふじつひこ)神社」。御祭神は『藤津比古神(ふじつひこのかみ)・熊野速玉神(くまのはやたまのかみ)』。「新宮(しんご)」とも称します。

伝承によると【祭神でもある『藤津比古神』が、能登半島で悪行を働いた大蛇を退治し祖神になったとされ、景行天皇の時代に祭られたのが始まりと伝えられる。当初は雲見山の山頂付近に鎮座していたが、その後現在地に遷座し治承年間(1177~1181)に、当時盛んだった熊野信仰の『熊野速玉神』と合祀。以降、熊野権現とも呼ばれた。明治時代初頭の神仏分離令により仏教色が一掃され、明治5年に郷社に列し、明治41年に神撰幣帛料供進神社に指定された。】

鎮守の杜を背景に鎮まる拝殿

御本殿は鎌倉時代の古式を残す三間社流造で、昭和42年に国重要文化財の指定を受けています。細かい説明も添えられた重文の建造物ですが、完全な覆屋の中にあり、その姿を垣間見る事も叶いません。

拝殿と幣殿と本殿覆い屋

境内入り口に祭礼の案内板。7月15日の「納涼(おすずみ)祭」には、20本余の奉燈(おあかし・キリコ)が奉納されます こちらで使われるキリコは、昔ながらの蝋燭を使ったやり方でキリコを照らし出しているとか。人の動きにゆらゆらとゆれる蝋燭の灯り・・夜の闇に幽然と流れゆくキリコの灯り・・きっと素晴らしい景色でしょう。

藤津比古神社鳥居の傍らに建立されていた「嗚呼成城之哲夫(ああ、せいじょうのてっぷ)」碑。一般的に「哲夫成城(てっぷせいじょう)」と表し、見識の優れた男は一国を成すを意味する四字熟語ですが・・同じかな?

七尾高校六期同窓会喜寿祈願の集い記念碑に刻まれた「万葉歌人大伴家持能登を詠んだ旋頭歌」鳥総(とぶさ)立て 船木(ふなき)伐るといふ 能登の島山  今日見れば 木立繁しも 幾代神びぞ

藤津比古神社からさほど遠くない場所に建つ「座主家(ざすけ)住宅」。 

入母屋造、茅葺、南面庇付、桟瓦葺の建物は、享保年間(1701~1800)の建築。座主家は「藤津比古神社」の別当寺院だった「妙成寺」の座主房を称した家柄で、江戸時代には肝煎りなどの村役人を歴任。上層農家の建築遺構として大変貴重である事から昭和46年(1971)12月28日、石川県重用文化財に指定されました。

敷地外から建物の写真を撮っていると、奥の住居らしき所から子犬が飛んできました。 まぁその可愛らしい事(〃∇〃) 完全猫派の私でさえ思わず宗旨替えしてしまいそうな甘え振り。

思わぬハプニングに、二人ともデレデレしっぱなし(笑)。可愛い子犬ちゃん。素敵な歓待をありがとうね。

参拝日:2015年5月20日21日

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久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社 in 石川県七尾市中島町

2017年12月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

石川県七尾市中島町宮前に鎮座される式内社「久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社」。思わず舌を噛みそうな長い難しい社名ですが、一般的には『おくまかぶと』の称で親しまています。御祭神は『阿良加志比古神(あらかしひこのかみ)都努加阿羅斯止神(つぬかあらしとのかみ)』

由緒に【当社は久麻加夫都阿良加志比古神社、一般的には『おくまかぶと』の称で親しまれ古来より氏子・崇敬者らに親しまれております。御祭神は、久麻加夫都阿良加志比古神・都奴加阿良斯止神の二柱の神をお祀りしてあります。 この神々は意富加羅国の王族で阿良加志比古神については地神とも、三~四世紀頃の阿羅(あら)国の王族とも言われており、その後、現在の鎮座地方を平定され守護神としてお祀りしてあります。】

新緑に生える赤瓦の拝殿

覆い屋の内に鎮まる御本殿

越前鳥居の内より神域を守護されるのは、いわゆる「岡崎型」と呼ばれる大型の狛犬さん一対。祭り会館で狛犬の話が出た時、こちらの神社には凄い狛犬がいると教えられて楽しみにしていたのですが・・凄い=大きいなんですね(-"-)

境内社「薬師社」。『おくまかぶと』さんの本地仏は『薬師如来』とされています。

「薬師社」の横に、校倉造りの「宝物庫」

神社入り口の御神木

境内に建立されていた万葉歌人:大伴家持「能登国の歌」

「はしたての 熊来のやらに 新羅斧(しゃらきとの) 落し入れわし 懸けて懸けて 勿泣(な)かしそね 浮き出づるやと 見むわし

はしたての 熊来酒屋に 真罵(まぬ)らるる奴わし 誘ひ立て 率(ゐ)て来なましを真罵らる奴わし

香島嶺(かしまね)の 机の島の 小螺(しただみ)を  い拾(ひり)ひ持ち来て 石以(いしも)ち 突き破り  早川に洗ひ濯(すす)ぎ辛塩(からしお)に こごと揉み 高杯(たかつき)に盛り 机に立てて  母に奉(まつ)りや 愛(め)づ児の刀(と)自(じ)  父に献(まつ)りつや 愛(め)づ児刀自」

神社の入り口にあった「枠旗祭」のパネル。「枠旗祭」は「熊甲神社」秋の例大祭で、毎年9月20日に行われることから”熊甲二十日祭”とも呼ばれ、国重要無形民俗文化財に指定されています。

枠旗行事は、神輿をはじめに、長大な枠旗をかつぎ、鉦・太鼓・猿田彦を従えた祭礼の行列が本社へくり込むものです。「能登中島祭り開館」近くの柵のレリーフにその壮大な祭りの様子が紹介されています。

こちらは、2011年に「道の駅・なかじまロマン峠」の近くで見た柵のレリーフ。 四年たって、やっとこれが「枠旗」である事がわかり、ああ、そうなんだと納得。

参拝日:2015年5月20日

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『都努加阿羅斯止神(つぬかあらしとのかみ)』、福井県の敦賀市駅前に銅像が建立されている。

 

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ご当地マンホール in 石川県旧中島町(七尾市)

2017年12月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧鹿島郡中島町(なかじままち)は石川県能登半島の真ん中、七尾市の北側に位置した町です。町域には古墳も数多く残されており、また紀元前100年には米作りも行われていた事が確認されています。主要な産業として、大正に入ってから行われるようになった七尾湾での牡蛎養殖「能登牡蠣」や、独自の葉物野菜「中島菜」の産地として知られています。

中島上部地区には、『仲代達矢』が主宰する無名塾が1985年から毎年石川県中島町で合宿していたことが縁で1995年5月に開館した「能登演劇堂(のとえんげきどう)」があり、演劇専用ホールとして今も多くの舞台が上演されています。

「町の花:ササユリ」「町の木:杉」「町の鳥:カワセミ」「町の魚:クロダイ」を制定。

能登では「カワダイと呼ぶが、掌大までをチンタと言い、塩焼きや刺身は大変美味。(「道の駅・なかじまロマン峠」の看板より)

明治22年(1889)、町村制の施行により鹿島郡中島村・西岸村・熊木村・豊川村・笠師保村、羽咋郡釶打村が発足。

1948年、羽咋郡釶打村が、鹿島郡釶打村へ変更。

1954年、鹿島郡中島村・西岸村・熊木村・豊川村・笠師保村・釶打村が合併、鹿島郡中島町が発足。< /p>

2004年、旧七尾市・鹿島郡田鶴浜町・能登島町と合併、新たに七尾市となりました。

マンホールには、「町の花・ササユリ」がシンメトリーにデザインされています。

昭和31年6月23日制定の町章は「中島町の頭文字「な」を図案化したものです。」

撮影日:2011年10月17日&2015年5月21日

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「道の駅・なかじまロマン峠」の名物は中島菜を使ったプリンや手延うどん、中島菜の粉末などもあります。この中島菜、明治時代から食べ継がれてきた漬け菜の一種で、塩漬けにしても花が咲くという!生命力の強い野菜と言われています。

能登ツインブリッジに近いこの道の駅では、2011年と2015年の二度、車泊をさせていただきました。 怖いもの見たさ(食べたさ)で買った「中島菜ぷりん」・・・・・気になった貴方!ぜひ現地で(^▽^)/

車で旅をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました。

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和倉温泉~其の二 in 石川県七尾市

2017年12月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

何しろ見所が一杯ありすぎて、ついついあれもこれもと欲張るから、時間が足りなくなって、後半はいつも駆け足。駆け足散策ですが、弁天崎公園には私の好きな句碑や歌碑があるのです。そして、それを全部探して、写真に収めておきたいのです😠
と言うことでまず最初は、歌人『佐々木信綱』が和倉を訪れた時、『大伴家持』を偲んだ歌。

【 宇た人の 国守巡り 見し日にも 山清らに 海しづかなりけむ 】

続いて東京出身の俳人『能村登四郎』、明治44年に生まれた彼が没したのは平成13年、かなりの長寿です。

【 春潮の 遠鳴る能登を 母郷とす 】

弁天崎公園内の句碑のラストは、俳人『高浜虚子』が、万葉の歌人『大伴家持』を偲んだ句。

【 家持の 妻恋船か 春の海 】

全部とか言いながらたったの四つ・・(^^;) 実は他の場所にも句碑・歌碑があるらしいのだけど、付近には興味を惹くあれこれがあって。たとえばこの湯呑場の背景一面の銀板。何やら時代がかった絵は、天文学者『パーシバル・ローエル』が訪れた明治22年の「能登の國・和倉温泉雲濤楼の図」

次は「涌湧開発七士賛美の碑」。かたわらの碑には和倉の里歌。【 涌湧浦涌湧浦と 家なら七つ 嶋に湯が出にゃ 誰行こや 】(和倉・和倉と言うが、七軒しか家が無い貧しい村、お湯が出なかったら誰も行くものか)・・ やっかみにもとれる里歌ですが、逆に言えばそれほど大勢の人が押し寄せたと言う事ですよね。

温泉街の埠頭備築に多大な寄進をした、穴水町の回船問屋『七海屋兵右エ門』の頌徳碑。海中の温泉という立地条件であれば、船で来る人もきっと多かったのではないでしょうか。

え~~~と・・・お地蔵さん・・ですよね。変なおじさんじゃないですよね? お口周りの煤・・一体どこに顔を突っ込まれたんですか??

まだまだ見たい場所もたくさん有るのですが、あまり遅くなると今夜の車泊に差し支えます。 何しろこれから和倉の総湯で、ゆっくりと温泉を楽しまなければならないのですから😄

自分で作った温泉玉子を食べて、ゆったりと温泉につかって・・すっかり和倉温泉のと・り・こ!😄 ああ、大好きな義姉を連れてきてあげたい。

ラストは和倉温泉観光協会PRキャラクター『わくたまくん』。『わくたまくん』は和倉温泉を発見した白鷺が産んだ「たまご」。 持っているオレンジのバッグには、3つ子の温泉たまごが入っていていつも一緒に遊んでいます。

本当はもっと沢山いてどれもこれも可愛すぎて、でも流石に幾ら何でもという事で自重😓 

訪問日:2015年5月20日

 

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和倉温泉~其の一 in 石川県七尾市和倉

2017年12月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾市和倉、全国有数の高級温泉街として知られる「和倉温泉」。地名の和倉は「湧く浦」、海の中の入り江「湯の湧く浦」からと伝えられています。

【和倉温泉の歴史は、およそ1200年にはじまります。大同年間(806~810)の温泉湧出の後、地殻変動により沖合60メートルの海中に湧き口が移動したと伝えられます。それから時代を経た永承年間(1046~1053)、和倉に暮らしていた漁師夫婦によって湯脈が発見されました。七尾湾の沖合で、傷ついた足を癒すシラサギを見つけた夫婦が、不思議に思って近づいてみると・・・そのあたりから温泉が湧き出ていることが分かったのです。】わくらづくしHPより

「湯っ足りパーク」内にある「足湯・妻恋舟の湯」から見る能登の海・・右手に「能登島大橋」、左手に「ツインブリッジ”のと”」を望む足湯。まぁ、なんて贅沢な絶景スポット(〃∇〃)。

今回の和倉温泉、一番の楽しみは【自分で温泉玉子を作ってその場で食べる】(*^^*) 温泉街にはいくつか温泉玉子を作る事が出来る設備がありますが、今回は「ここ」と決めている場所があります。

和倉温泉の開湯伝説にちなんだ、白鷺のブロンズ像が置かれている「湯元の広場」

和倉を代表する風景らしく、和倉温泉駅の記念スタンプにも採用されています。

すでに先客がいる物凄く熱い源泉に、ネットに入れた生玉子を沈めて、待つこと約15分。ちなみにこのイベントに備えてネットも玉子も持参して来ました(笑)

待ち時間を利用して和倉温泉の歴史などをお勉強。と言っても傍らに和倉温泉開湯の伝説が描かれた陶板があり、待っている間にそれを眺めただけですが(^^;)。

海中に湯が沸いているのを見つけたが、潮が退いている時でないと利用することができなかった事。

近世に、七尾城主の畠山氏、加賀藩の前田氏によって温泉が整備され共同浴場が置かれた事・・・・陶板画は全部で八枚ありますが、とりあえず綺麗に写っていると思える三枚を(^^;)

温泉街には「温泉七福神巡り」なるものも有りますが、今回は側を離れられないので『寿老人』『恵比須』だけの二福神巡り(笑)。

15分経ちました!!引き上げた温泉玉子はほんのりと塩味。出来立てと言うのも手伝って最高に美味しい!! 思わず二個も食べてしまったけれど、大丈夫。ご亭主殿は三個目も軽く平らげちゃいました(笑)

さらに続く和倉の散策スポットあれこれ、つづきは明日(^^;)

訪問日:2015年5月21日

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能登観音埼灯台&能登国分寺公園 in 石川県七尾市

2017年12月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾湾の入口、対岸に小さく突き出した崎山半島の先端に位置する「鹿渡島(かどしま)」「その昔、鹿が泳いで渡った島」と言うのが由来ですが、今は普通に車で行く事が出来ますd(-_^) 。

その鹿渡島に、大正2年11月に石川県が建設し、翌年1月に初点灯したという灯台があります。

当初は「七尾湾口灯台」の名称でしたが、昭和41年に「能登観音埼灯台」に変更。建設当時の灯台は4角形のビル型で、敷地内には職員の宿舎も建てられていました。

昭和61年の機器自動化に伴い宿舎は撤去。四角形の灯台は、現在の白色塔形灯台に替えられました。

「能登観音埼灯台」の名称は、鹿渡島の先にある「観音島」から取られたといいます。「観音島」、その名の通り、島には観音堂があり、地域の方々によって手厚く守られてきました。

こんもりと緑に覆われた周囲約150mの小さな島。ここでは寒暖両系の海浜植物群落の植生を見る事ができます。陸地から20mの島までは石積の歩道が整備され、気軽に歩いて渡ることも出来ます。

堂に祀られる『鹿渡島観音』の名は【文武天皇の頃に、一角五色の霊鹿(れいろく)が、輝く玉を頭上にいただき、鹿渡島に現れた】との伝説に由来。観音堂の縁に座り、ぼんやりと青い海を眺めていると、まるで時間が止まったような・・不思議な錯覚を覚えます。

七尾の美しい海を堪能して市内に引き返す途中で見かけた、「能登国分寺公園」の案内板。承和10年(843)、能登国司に赴任した『春枝王(はるえおう)』が、大興寺を国分寺に昇格したのが創めと伝えらます。

天平13年(741)に『聖武天皇』が国分寺建立の詔を発布した時から約100年を経ての建立。その後400年間の長きに渡って栄えたと伝えられていますが、いつしか廃寺となり、歴史の中にうずもれてゆきました。大正時代に発掘調査が開始されましたが、本格的な調査が開始されたのは昭和45年からのことです。

昭和49年、寺域南方の建物群跡を含め「能登国分寺跡 附建物群跡」として国の史跡に指定。その後史跡公園として整備され、1992年に能登国分寺公園として開園されました。公園内には南門が復元され、中門、金堂、五重塔、講堂、回廊跡などが表示されています。

訪問日:2015年5月20日

 

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ふらり七尾の街歩き~其の二 in 石川県七尾市

2017年12月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

紅い欄干の仙対橋から御祓公民館まで、約450mほどの「七尾一本杉通り」。600年以上の歴史を持った街道は今も往時の面影を忍ばせ、訪れる旅人に優しく語りかけてきます。明治から昭和期に建てられた七尾町屋には、国登録有形文化財の建物が幾つか残されています。一本杉通り町屋の中では珍しい、木造二階建の看板建築「多田邸 旧上野啓文堂」

昭和7年頃の建築で、万年筆とインク壷の形態を造形化したユニークな外観が扱う商品をしっかりアピール。

紺の暖簾の奥から香ばしい香りを漂わせるのは、木造二階建・土蔵造の「鳥居醤油店」。藩政時代から商家として和菓子製造を営んでいましたが、明治38年の七尾の大火で消失、明治41年に再建されました。現存する七尾町家の数少ない一つとして、道行く人の足を止めさせます。

2015年の訪問では店内に「花嫁のれん」が飾られていて、ひとしきり素敵なお話を伺わせて頂きました。こうした美しい風習は、地域の伝統であり文化でもあるもの、大切に守って欲しいと思います。

道の駅に展示されていた「花嫁のれん」

のと鉄道七尾駅の構内に掛けられていた「花嫁のれん」。美しい郷土の伝統、大切に大切に受け継がれていきますように。

明治43年築の「高澤ろうそく店」。石川県で唯一、和ろうそくを製造するお店だそうです。七尾の大火後に普及したという、土蔵造りによる七尾:町家。その典型的な形を伝える商家建築です。

お店の表に架けられた赤い和蝋燭の看板と、蝋燭の門灯。いずれも店舗と共に長い歴史を培い、しっかりと商いを主張しています。

これまで紹介した町屋の中で唯一、明治38年の七尾の大火を免れたのが「北島屋茶店」。木造二階建、明治37年頃の築とされる建物は、伝統的な腕木構造を伝える典型的な七尾の町家。

歴史のある町並みに溶け込むような「高澤勇吉商店」。屋根の下に並んだ銅版の看板は迫力があり、つい足を留めて見上げてしまいます。 文字の感じからしてそんなに古いものではないようですが、それでも三枚並んだ様子は圧巻。

創業八十年という「昆布海産物處・しら井」。お店の構えだけ見ればもっと老舗な感じ。白い帆布の暖簾が重厚な黒漆喰の壁にとてもマッチし、ついつい誘われて・・。

「花嫁のれん館」でお会いした「御菓子処・花月」の奥様。お誘いに甘えてお店の中を見せて頂きました。

吹き抜けの天井の重厚さに、さすが老舗の佇まいと心の底から感心した事が忘れられません。

「花嫁のれん館」には、小さな仏間がしつらえられ、その前に花嫁のれんが架けられています。花嫁は、仏間の入り口に架けられた花嫁のれんを潜って嫁ぎ先のご先祖様にご挨拶をします。

でもその前にもう一つ、大切な儀式が残されています・・・それがこの竹筒に入った「合せ水」。花嫁はまず玄関先で、持参した実家の水と婚家の水を半分ずつ杯に入れて飲み干します。そのあと杯は割られ、花嫁は嫁ぎ先の玄関を潜り、花嫁のれんを潜って婚家の人となるのです。この美しくも固い誓いを思わせる日本の風習。ああ・・・日本ってなんて美しい国なんだろう。

訪問日:2011年10月18日&2015年5月20日

 

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ふらり七尾の街歩き~其の一 in 石川県七尾市

2017年12月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾の観光拠点としてオープンした「道の駅・七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場」。建物全体が大きな魚をイメージしており、一般的に「道の駅・能登食祭市場」と呼ばれています。

「日本一の七輪」とか「青柏祭 デカ山の開き」とか、色々楽しい館内ですが、外にも楽しい人気スポットが存在します。まずは木彫りの「お猿さん」。猿の頭をなでるといやな事が去る(猿)。今のところ特に嫌な事も無いので次へ(笑)

鮮やかな青を背景にした木彫りの「カエルさん」。お腹をなでると無事に帰える。無事に帰えるだけで物足りない人には、お金も返るし、健康もかえる、更に若がえる、と御利益盛沢山。だからカエル君のお腹はつるっつる!そのうち磨り減って真ん丸お腹がペッタンコになるんではないかと要らぬ心配をしてしまう(笑)

潮風が心地よいマリンパークで見つけた歌碑は、森繁 久彌氏が、能登の自然と美しさと、そこで生きる人々の心温かさに触れた感動を歌った「能登の夢」。

~能登はやさしや土までも このやさしさにつつまれて 七尾の浦に育ちしは 血潮のたぎる誇りぞと 七尾の浦に育ちしは 血潮のたぎる誇りぞと~

マリンパークの一画には、七尾出身の画聖『長谷川等伯(はせがわとうはく)』の銅像。・・あれ?七尾駅の前にも・・そうか!等伯さん、分身の術が使えるのか!

七尾の市街地を縦断する「御祓(みそぎ)川」。名前の由来は潔斎の禊ぎが行われていたからと云われています。川のほとり「御祓川の碑」と並んで、「七尾まだらの碑」。「まだら」とは七尾を代表する祝儀歌。『西条八十』の筆で歌詞の一部が刻まれています。

【 能登の岬の御所縁桜  枝は越後に葉は佐渡に  花は大坂の城に咲く 】

小説家『舟橋聖一』が「七尾まだら」に心酔し、自筆で刻んだ歌碑。

【赤襟の をとめもかりていろめきぬ  七尾まだらの  たのしき夜かな 】

「七尾まだらの碑」から少し離れた場所に、一本杉通り出身の書画家『横川巴人(はじん)』の碑。【 今ハ昔  幾春秋乃  大柳 】

川辺から離れて大通りに面した一画には、「青柏祭でか山」の顔出しに並べて『与謝野晶子』の歌碑。

【 家々に 珊瑚の色の格子立つ 能登のなな尾の みそぎ川かな 】

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県木:アテを贅沢に使った「泰平橋」は、日本的情緒たっぷりの木橋でモロに私好み。建材としても非常に優れており、またその堅牢さから輪島塗の素地として用いられる「アテ」の木。アスナロの変種であるヒノキアスナロ、「アテ」はいわゆる方言名だそうです。

紅い欄干の「仙対橋」には、青柏祭に奉納される三つの町のでか山が描かれおり、橋の向こうの柳の下には「でか山」車輪のモニュメント。

橋を渡れば七尾一本杉通り、散策で見かけた素敵なあれこれ、つづきは明日(^^;)

訪問日:2011年10月18日&2015年5月20日

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「道の駅・能登食祭市場」では2011年と2015年の二度に渡って車中泊をさせていただきました。館内の楽しい展示は勿論、ご亭主殿が夕食用に買ったお刺身の美味しかった事。時間が許せば半日は遊んでいられます(笑)

車で旅をする者にとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました m(__)m

 

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