車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

菊港~鳴り石の浜~河本家住宅 in 鳥取県琴浦町

2017年05月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

琴浦町赤碕、港を中心として栄えた町並みを背後に控えて穏やかに広がる「菊港」。東西二つの堤を持った港は、かって年貢米を移出するための藩倉が建ち並び、船番所が置かれ、また北前船の寄港地として栄えてきました。

私たちが歩いたのは捨石積構造(基礎に巨石を沈め、上に石を積み上げて築堤)が往時のままに残された東堤。長さ150m、幅13.8m、高さ2.3m。

「明暦三年(1657)の江戸大火の折、鳥取藩の藩邸が焼失してしまった為、鳥取藩では赤崎村の大庄屋役の河本長兵衛に材木の調達を命じた。そこで、長兵衛は泉州の堺から大きな船を買い入れ、この港から材木を江戸に運んだ。菊港が現在のような港に修築されたのはこの時のことである。河本長兵衛の妻は松江城主堀尾吉晴の孫娘で、菊姫と言い、長兵衛との間に出来た弥四郎は堀尾姓を名乗り、長兵衛の後を継いで海運業を営んだので、この港を次第に「菊姫の港」(菊港)と言い慣わすようになった。」菊港の由来より

鳥取藩十湊(じゅうみなと)の1つとして、北前船の寄港地でもあった菊港。堤に建立された「慰霊碑」は何時の頃に建てられたのだろう・・

菊港東堤遊歩道の先に佇むのは、マンホールのデザインにも使われた三体の「波しぐれ三度笠」

説明文写し「彫刻家:流政之先生が、ここ菊港にまつわる歴史に深い関心をよせられ、三体の旅姿の像を製作されました。 板子一枚下は地獄の、日本海の荒波を乗り越えて往き来した、たくましい海の男たち、それを送り迎えした港の人々。そんな人々の生きざまや、哀歓を刻り上げられたのがこの彫刻「波しぐれ三度笠です。三度笠は旅を表わし、旅は人生そのものを表しています。北東に向かって立つ彫刻は、見る人それぞれに深い想いをいだかせ、晴れた日、曇の日、嵐の日、又、四季をそれぞれに表情を変えて我々に生きる希望と勇気を与えてくれます。 これは日動画廊の長谷川徳七社長が、御母堂林子氏の生地発展の為にと寄せられた寄附金を基に、町と県の協力によって実現したものです。 一九八九年十月建立」

現存する数少ない江戸期の石造防波堤として土木遺産に指定された捨石積構造の東西堤。東堤の先端に見えるのは小さな石積灯台。瀬戸内海の海辺に育った私にとってこんな風に広がる海は、やはりどこか他所の世界に見えてしまう。

菊港から1k少々、次に訪ねたのは西日本最大の海岸墓地「花見潟墓地」。かって新婚旅行でここを訪れた『小泉八雲』が「霊気を感じた」と記していますが・・道路の上から見下ろす一群はどこか異次元を思わせ、つかの間の非日常を垣間見せてくれます。

「この墓地は、東西約三四九米、南北約一九~七九米、面積約二万平方米の広さで日本の自然発生墓地としてこの大きさはきわめて稀である。発生起源は不明だが、石造物などから中世後半以降の成立と推定されており、二万余基の墓が建てられている。特に赤碕塔はその形状の地域性から国東塔(大分県)と並び、石像美術史上貴重なものである。」現地案内より

赤碕搭・・・興味が無いと言えば嘘になりますが、手すりから離れて眼下に広がる地に足を踏み入れる根性が無い・・・(^^;)

早々に切り上げて更に西へ1キロ弱、続いて訊ねたのは「鳴り石の浜」。不思議な音に誘われて海辺でおどけて見せる御亭主殿。調子に乗ってると危ないですよ!!

琴浦海岸の西に位置する花見海岸は「ごろた石」といわれる楕円形の石が集積した自然海岸。海が荒れる日は打ち寄せる波によって、石同士がぶつかり合う独特の響きが聞こえると言います。

波打ち際に並べられた「河原の石積」。何故だろう?平たい石を見ると、どうして積み重ねたくなるのだろう・・。私には少し不思議な光景。

もともとは、誰も近寄らないような草とヤブに覆われた海岸を、今の様な観光スポットに変えたのは、琴浦町を盛り立てようと集まった地元の方たちだそうです。紺碧の海と対照をなし、何処までも続く白い海岸線。それはまるで常世を思わせる清浄さ。

ラストは琴浦海岸を離れて県道278号線沿い、琴浦町箆津(のつ)の一画に門を構えるのは、冒頭「菊港」ゆかりの、赤崎村大庄屋の「河本家住宅」

「貞享5年(1688)伯耆国八橋郡の大庄屋であった五代目『河本弥三右衛門』によって建築。屋根は茅葺で箱棟が乗っており、小屋組みは合掌作り。部屋は、変形六間取りで、炊事場には竈の上を土壁で覆った煙返しが施され、防火機能を持った珍しい作りとなっています。2010年12月24日、建造物五棟などが国の重要文化財に指定されました」琴浦町観光協会より

訪問日:2012年4月21日

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2012年の鳥取訪問では「道の駅:ポート赤碕」にて車中泊をさせて頂きました。お試しで買った日本海で獲れたイカの干物がとっても美味しく、つい大人買い(笑)。以来地元のお店で買ったイカの干物が食べられなくなりました(-"-)

車で旅をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。  改めて、その折は有難うございました m(__)m

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ご当地マンホール in 鳥取県旧赤碕町(琴浦町)

2017年05月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧東伯郡赤碕町(あかさきちょう)は鳥取県中央部に位置した町です。町域は日本海側に面しており、享保・寛政年間(1716~1789)に築港された菊港などが有名です。また「船上山」には、南北朝時代の初めに隠岐を脱出した後醍醐天皇の為に「行宮」が築かれた事から鎌倉幕府方との間で激しい戦いが繰り広げられました。山頂付近の蒲ヶ原には行宮碑があり、昭和7年(1932)に国の史跡に指定されました。「町の木:船上山五葉」「町の花:ナシ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により八橋郡赤崎村、以西村、安田村、勝田村・保永村が発足。

1896、郡制の施行により、河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。

1898年、勝田村・保永村が合併して成美村が発足。

1900年、赤崎村が町制施行して東伯郡赤碕町となりました。

1954年、東伯郡成美村・安田村・以西村と合併し、改めて赤碕町が発足。

2004年、東伯郡東伯町と合併、琴浦町赤碕となりました。

マンホールには、菊港にある石像「波しぐれ三度笠」と「船上山と桜」、「町の花:梨」、「町の魚:アゴ(飛び魚)」、「赤碕灯台」が蓋一面にぎっちりと描かれています。(JR西日本・山陰本線赤碕駅前の道路に設置)

赤碕菊港の突堤にある「波しぐれ三度笠」

昭和29年(1954)1月1日制定の町章は「「赤」を三本の線で飛鳥の鳥の形に図案化し、日本海の波で纏め、それを表したもの、中央部の三角形は船上山を表したもの。」まいネット赤碕より

穏やかな「菊港」

撮影日:2012年4月日&2016年10月日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 鳥取県琴浦町

2017年05月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

東伯郡琴浦町(ことうらちょう)は鳥取県の中央に位置し、日本海に面した町です。2004年9月1日に、東伯郡東伯町と赤碕町が合併して誕生しました。町名は、かつて旧東伯町の逢束海岸一帯が「琴ノ浦」と呼ばれていたことに由来。日本の滝百選に選ばれた「大山滝」や、日本一に認定された国指定天然記念物「伯耆の大シイ」。白鳳時代に建立されたとされる国指定特別史跡「斎尾廃寺跡」をはじめ、太平記の舞台となった「船上山」など数々の名所・旧跡があります。「町の木:ブナ」「町の花:桜」「町の鳥:カワセミ」「町の魚:アゴ(飛魚)」を制定。

キャッチフレーズは「自然と歴史が調和した 心豊かな ふるさと未来 琴浦町」

2004年9月1日に制定された町章は「全体で自然のゆったりした豊かさを表現しています。琴ノ浦の海岸線と緑の大地を、「こと」の文字でまとめています。」公式HPより

撮影日:2016年10月日

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2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「琴浦町」のマンホールカードは、「道の駅 琴の浦 琴浦町観光協会」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「船上山」と「飛魚(あご)」「波しぐれ三度笠」「灯台」がデザインされています。

「本デザインの右下に描かれている「飛魚(あご)」は琴浦町の魚で、日本有数の水揚げ量を誇り、加工品のちくわも名産として親しまれています。 港には、世界的彫刻家・流政之氏の三体の石像彫刻「波しぐれ三度笠」が、荒波の日本海に向かって立っています。 季節や天候、時刻によって表情を変える日本海。 晴れた日も、雨の日も、嵐の日も、琴浦の海を見守り続けるこの石像は昔の「旅姿」の象徴であり、見る人それぞれに深い想いを抱かせ、生きる希望と勇気を与えてくれます。 本デザインにはこのほか、国指定史跡「船上山」、町花「桜」、名産品「梨」の花、海の安全を守る「灯台」が描かれています。」

配布場所展示マンホール

訪問日:2018年5月2日

 

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名探偵コナンに会えるまち~其の二 in 鳥取県北栄町

2017年05月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

駅から真っ直ぐ、一切の寄り道無しで歩いて5分・・なので、私たちの場合は小一時間(笑)。由良川に架かる「コナン大橋」には、5種類6体のブロンズ像と、4種類のレリーフがあります。左岸下流側にある親柱「夏の日」と、上流側の親柱「キック力増強シューズ」

「コナン大橋」の欄干には、スイカ・長いもマラソンのコナンなどのレリーフが並んでいます。

コナンにこんな子供居たっけ?とちょっと不思議だったレリーフも、その後の調べで判明(笑)「YAIBA」の主人公で、天下一のサムライを目指す『鉄 刃(くろがね やいば)』が特別出演。

コナン大橋右岸下流側の親柱は「なぞ解き」。コナン大橋右岸上流側の親柱は「推理」

そして大橋の二本の街灯柱には「ターボエンジン付きスケートボード」が待機中(*^^*)

「道の駅・大栄」、レストラン横の銅像は「変身ホームズ」

「道の駅大栄」に隣接して、2007年3月18日に開館した「青山剛昌ふるさと館」。

パネルや銅像に加えて、『阿笠博士』の愛車・黄色いビートル(フォルクスワーゲン)も登場です。

ふるさと館駐車場の南東角には、まさに「神出鬼没」の『怪盗キッド』が登場。

青山剛昌ふるさと館の玄関前では「少年探偵団」、五人のメンバーが勢ぞろい。

銅像以外にも、「名探偵コナン」のコミックスの表紙 第1巻~第28巻までが並んでいます。といってももちろん紙媒体の本では無く、本を模った御影石にイラストを影彫りしたもの。とりあえず二組だけ(笑)

撮影日:2012年4月20日&2016年10月22日

 

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名探偵コナンに会えるまち~其の一 in 鳥取県北栄町

2017年05月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

巨大な大栄スイカに取り付けられた「ようこそ 北栄町」の看板に出迎えられた「由良駅」。

由良駅、別名「コナン駅」。駅の入り口は勿論、待合からホームとあらゆる所にコナンがいます。

駅の記念スタンプはもちろん「コナン」。そして彼のライバルで神出鬼没の「怪盗キッド」。

実物は見られなかったけれど、列車の車体も、もちろんコナンのイラスト尽くし。流石に待ち時間一時間は、旅を楽しみたい私たちには長すぎます。

駅前広場に設置されたブロンズ像「真実はいつもひとつ」。2016年の来県時にはカラー版まで登場していました。

そういえば、北栄町庁舎前のカラフルな「すいかコナン」も、2016年の来県で初めて見ました。

由良駅前広場から道の駅大栄まで、全長約1500メートルの間に、青山剛昌の代表作「名探偵コナン」のキャラクターを中心としたブロンズ像などが設置されている「コナン通」。特にファンと言うわけでもないくせに、一枚写してしまうと、極めなければ納得できない妙な性分(-"-) 一通り探して歩きましたとも(笑)でも結果は・・・(ノ_-。)

順不同でトップは「眠りの小五郎」。陰に隠れて(という設定)音声変換の蝶ネクタイを使って推理を披露するコナン君。

コナン通りのポケットパークからは「新一登場」

北栄町図書館玄関前の「待ち合わせ」

  出会いの広場にある「はじまりの瞬間(とき)」

際限ないので続きは明日(((((^_^;)

撮影日:2012年4月20日&2016年10月22日

 

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ご当地マンホールin鳥取県旧北条町(北栄町)

2017年05月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧東伯郡北条町(ほうじょうちょう)は鳥取県中部に位置した町です。周辺は北条平野と呼ばれる天神川の沖積平野で、北は日本海に面し、海岸沿いに北条砂丘が広がります。砂丘は、江戸時代には不毛の地として近隣住民を苦しめた砂丘は江戸時代末期から現代までの灌漑事業によって農地となり、今では鳥取県内を代表する農業地帯となりました。「町の木:黒松」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により久米郡下北条村、中北条村が発足。

1896年、 郡制の施行のため河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。

1954年、東伯郡中北条村・下北条村が合併して東伯郡北条町が発足。

2005年、東伯郡大栄町と合併、東伯郡北栄町が発足。

マンホールには、町の特産品である「ぶどう」が全体に描かれています。(天神浄化センター展示マンホール)

同じく特産品のぶどうが向かい合って二房描かれています。

昭和34年(1959)8月1日制定の町章は「「北」を図案化し、中央の白線で「条」、即ち「筋」を表したものです。」合併協議会資料より

LPガスのマンホール、初見だったので

北条砂丘風力発電所

撮影日:2012年4月19日&2016年10月22日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県旧大栄町(北栄町)

2017年05月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧東伯郡大栄町(だいえいちょう)は鳥取県のほぼ中央に位置していた町です。町名は昭和30年に合併した二つの村の名前を合わせた合成地名。戦後から西日本有数のスイカ(大栄スイカ)の産地として発展し、また「名探偵コナン」で知られる「漫画家:青山剛昌」の出身地であることから、「コナンの里」構想での町おこしが行なわれてきました。町の中心駅である「由良駅」は、「コナン駅」の愛称で親しまれ、コナンファンの間では聖地として有名(笑)「町の木:松」「町の花:梅」を制定。

旧大栄庁舎の入口近くに建てられていた「私立育英黌発祥の地」碑。明治39年12月、鳥取県知事の許可を得て『豊田大蔵氏』によって設立された「育英黌(高)」は、その翌年4月に 由良小学校舎を譲り受けて開校。今まさにこの場所がそうだったんですね。

設立に尽力し教育に力を注いだ「豊田先生父子 頌徳碑」

明治22年(1889)、町村制の施行により久米郡下北条村、中北条村。八橋郡常盤村、瑞穂村、由良村が発足。

1896年、 郡制の施行のため河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。

1916年、由良村が町制施を施行、東伯郡由良町となる。

1917年、常盤村・瑞穂村が合併、東伯郡大誠村が発足。

1955年、東伯郡大誠村・東伯郡栄村が合併して、東伯郡大栄町が発足。

1959年、大栄町・由良町が合併、改めて東伯郡大栄町が発足。

2005年、東伯郡北条町と合併、東伯郡北栄町となりました。

マンホールには「すいか・ながいも健康マラソン」を走るコナンたち。「少年サンデ―・青山剛昌」のサイン。(天神浄化センター展示マンホール)

「すいか・ながいも健康マラソン」原画モニュメント

パイプの代りに大栄町章を持つ名探偵コナン君。「少年サンデ―・青山剛昌」のサイン。

道の駅大栄のコナン像

上半分に「町の木:松」、下半分に大栄町の特産「大栄スイカ」。周囲に「町の花:梅」が描かれています。

上半分に「お台場公園の大砲」、下半分に大栄町の特産「大栄スイカ」が描かれています。

「由良お台場公園」の「大砲(レプリカ)」

マンホール全体に「町の花:ウメ」がデザインされています。

昭和29年(1954)6月1日制定の町章は「「大」を発展的に図案化したものです。」

大栄町マスコットキャラクター『夏味(なつみ)ちゃん』、大栄西瓜100周年を記念して誕生しました。

「道の駅・大栄」駐車場の一画に『荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)』の句碑。  【 空を歩む 朗々と 月ひとり 】

「道の駅・大栄」の記念スタンプは「風力発電の風車」と特産の「大栄スイカ」。

撮影日:2012年4月20日&2016年10月22日

 

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ご当地マンホール とマンホールカード in 鳥取県北栄町

2017年05月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

東伯郡北栄町(ほくえいちょう)は鳥取県中部に位置し、日本海に面する町です。河川は町の中心あたりを流れる由良川と東端を流れる天神川があり、北条平野という三角州の低地に位置します。江戸時代には鳥取藩が藩の倉庫と船着き場を設けて年貢米等の番所として開発、由良宿として栄えてきました。2005年10月1日、北条町と大栄町が合併して発足。「町の木:黒松」「町の花:浜ヒルガオ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「やさしい風のふくまち 北栄町 ~人と自然が共生し 確かな豊かさを実感するまち~」「名探偵コナンに会えるまち」

2005年10月1日制定の町章は「北栄の頭文字「H」を基本に図案化。緑色は豊かな実りと夢、 青色は協働と創造性、朱色は希望と活力を表しています。」公式HPより

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下水道広報プラットホームが配布する「マンホールカード」。2016年8月1日より第二弾として全国40自治体で44種類(64自治体74種類)のカードが配布されました。鳥取県は北栄町のコナン。北栄駅併設の観光案内所で頂けます。

1999年に設置開始されたマンホールには「すいか・ながいも健康マラソン」を楽しむの名探偵コナン君と「スイカ・ナガイモ君」がデザインされています。

【鳥取県北栄町は、漫画「名探偵コナン(週刊少年サンデー連載中)」の作者・青山剛昌氏の出身地です。そのご縁から、 特別に書き下していただいた原画をもとにデザインしたのがこのマンホール蓋です。 舞台は毎年開催される「すいか・ながいも健康マラソン大会」で、そこにコナン君が参加し、町の特産品である「大栄すいか」と「砂丘ながいも」を モチーフにした仲間たちと一緒に楽しんでいる様子です。本カードのマンホール蓋は、コナン駅(JR由良駅)から「青山剛昌ふるさと館」へと 続く「コナン通り」に、たくさんのオブジェと共に設置してあります。ぜひ散策してみてください。】

座標軸マンホール

2016年4月1日より配布が開始されたマンホールカード、実は私、これが最初の一枚。すでに第4弾が配布されていながらの入手は、たまたま参加しているマンホール蓋学会にこのカードの投稿が無かったからで、実際にこの時点でも、次の富士市のカードを入手した時も、収集は全く考えていませんでした。集めだすと絶対にムキになる性格を考慮すると、現地でしか手に入らない条件に対応できるはずが無い。ところが、二人で行くものだから貰うカードは常に二枚。お友達にさし上げたら代わりのカードが送られ・・で・・・このブログを書いている今、もう首までどっぷり(^^;)

 
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三朝温泉・足湯巡り in 鳥取県三朝町

2017年05月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

世界でも有数の放射能泉を湧出し「療養泉」として世界的にも評価の高い「三朝温泉」。そんなすごい「三朝温泉」を無料で体験できるのが、温泉街に設けられた4つの足湯。今夜は「株湯」に入浴の予定ですが、それはそれ、これはこれ(^^;) 。「河原の湯」は、河原露天風呂の側にありますが、雨だし、屋根もないので上から指をくわえて見るだけ(笑)

三徳川沿いに少し後戻りすると、足湯のある歩道橋「かじか橋」があります。観光案内では桜のスポットと紹介されていますが・・確かに既に葉桜に近い桜が数本(^^;)

「かじか橋」の中央に設けられた足湯「かじかの湯」。横風には対応できませんが屋根付。貸し切り状態の足湯でのんびりと寛ぐ一時は、まさに至福(笑)

「かじかの湯」から眺める「三徳川」、雨にかすむ両岸の山々はまるで古い絵葉書のように美しく、不思議な郷愁に誘われます。

かじかの湯を後に、対岸の道を辿れば、小高い丘に香華も瑞々しく奉られる「大橋の石佛」。中央に「阿弥陀如来佛」左右に「弘法大師」と「水子地蔵」。二人揃って手を合わせ、知り人の無事、旅の無事を願いましょう。

さぁ、三朝温泉街へ戻って待望の(笑)町歩き。下駄ばきでのそぞろ歩きを想定している所為か、温泉街の道は雨の日でも比較的歩きやすい。更にコース案内も随所に設けられていて、道に迷う事もない(^^♪

可愛い童の像。台座に刻まれた道祖神。後方にある大石には誰かの句が刻まれています。

そぞろ歩く温泉街の一角に、屋根付きの足湯と小さいながらも立派なお堂が見えてきました。

この世における衆生の疾病を治癒し寿命を延べ、災禍を消去し、瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされる「薬師如来」。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として多くの信仰を集めています。

八百余年の昔から途絶える事なく湧き出るラジウム温泉が、諸病に効験あらたかである事に感謝し、温泉街の中心地に堂を設け、誰もがその恩恵にあずかれるようにと作られた「薬師の湯」。

三朝温泉:四つの足湯。最後は三朝温泉発祥の地として有名な「株湯」。

足湯の横には「三朝温泉の白狼伝説」を題材にした、狼と武士の像が建立されています。

それは平安時代の長寛2年(1164)のこと、『源義朝』の家来であった『大久保左馬之祐(さまのすけ)』は、主家の再興祈願のために「三徳山」へ参詣に出向き、そこで一匹の老いた白狼に出会いました。思わず手にした弓で射ようとしますが、参拝の前の殺生はならぬ事と思いとどまり、見逃します。

その夜夢枕に立たれた「妙見大菩薩」は、白狼を助けてくれた礼にと、左馬之祐に源泉の在処を告げました。

お告げの通り、白狼がいた楠の根株の下からはお湯が湧き出ており、病に効く「救いのお湯」として村人達に伝わったとか。この湯が元湯の株湯で、今でも公衆浴場「株湯」として残されています。株湯は三朝温泉発祥の地として貴重な事から、2010年に「三朝町指定史跡」に指定されました。

あこがれの三朝温泉発祥の「株湯」。ゆったりと寛いで旅の醍醐味を味わうつもりだったのですが・・・これが驚くほど高温で、とてものんびりとお湯に浸かるなんて状況ではありません(-"-)

温泉でご一緒した地元の人いわく・・「熱いと長居しないから、客の回転が速い」だそうです(^^;) 

撮影日:2012年4月20日

 

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三朝温泉・街歩き in 鳥取県三朝町

2017年05月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

三朝温泉といえばまず最初に思い出すのが、マンホールのデザインにも使われ「国登録有形文化財」にも指定された「三朝橋」

「三朝温泉街を東西に貫流する三徳川に架かる,橋長69mのRC造7連桁橋。4本の円柱と貫,肘木等から構成される橋脚に,桁高を抑えたT形桁を載せ,床版両端で板敷風に目地を切り,橋上には擬宝珠高欄,春日燈籠を設けるなど木橋を意識した丁寧なデザイン。」文化遺産オンラインより

橋を渡ればそこはそこはもう「湯の町:三朝」河原温泉への降り口に寄り添い恋を語らうのは映画「三朝小唄」の主人公たち。

「村娘のお久と、東京から来た青年:俊夫」。互いを想いあいながらも最後は離れ離れになってしまう悲しいラスト。このシーンはきっと二人が一番幸せだった瞬間なのかも。

対照的な顔出しカップルは多分、湯治に来たどっかの若ボンと、綺麗どころのお姐さん。隅にひっそり、縁結びのカジカ蛙も友情出演(笑)

観光センターの記念スタンプは、河原の露天風呂で湯あみする日本髪のお姐さん。

観光センター向かいにある「大綱引き資料館・陣所の館」は、庶民にはちょっと嬉しい(笑)入場無料の施設。

館内には、三朝温泉で毎年5月に開催される「花湯祭り:陣所の綱引き」に使用する藤葛の大綱、ご神木、他にも様々な祭りの小道具が展示されています。

「東が勝てば豊作、西が勝てば商売繁盛」。どちらが勝っても吉祥の占い神事は、2009年に国の無形民俗文化財に指定されました。

三朝トンネルの入り口壁画には、「陣所の綱引き」の様子が鮮やかに描かれています。

ラジウムがアルファ崩壊したラドンが含まれ、世界でも有数の放射能泉として知られる三朝温泉。大正5年(1916)に内務省がラドン含有量が世界2位であると発表した事でいちやく有名に。それと共に温泉街も大きく発展しました。三徳川の両岸に旅館が立ち並ぶ風景は情緒的で、不思議な懐かしさを感じさせてくれます。

国登録有形文化財に指定された「大橋旅館」は昭和7年(1932)の建築。入母屋破風の重厚な玄関は宮大工の手によるもので、客室も一室ごとに粋が凝らされているとか。たまたま通りかかった旅人の足を止めさせるには充分の佇まい。

雨の温泉街を歩き「かじか橋」まで。橋のたもとに建立されていた句碑ですが、誰が何と書いているか・・ こういうのを見てしまうと詳細を知りたいと思うのですが、手掛かりなし(-"-)。

ところで・・・「三朝温泉には、恋愛を成就させる不思議な「カエル」がいる」・・・何時からか、そんな噂が流れました。

うわさの「かじか蛙」。今では顔出しパネルに観光案内看板等々、温泉街のあらゆる場所に出没し、通り過ぎる人を見守っています。

大切な人への手紙、かじかのポストに投函したら、きっと想いが届くかもしれませんね(*^^*)

撮影日:2012年4月20日

 

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