車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

桂(かつら)神社 in 石川県金沢市桂町

2017年08月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市桂町に鎮座される「桂(かつら)神社」、御祭神は『白山比咩大神・応神天皇』

由緒「創立年不詳。当町地内には白山社・八幡社二社あり、八幡社は明治40年畝田町武三熊神社に合祀されたるをもって、昭和34年白山社を桂神社と改称して設立。同年武三熊神社より、八幡社の御祭神を合祀。」石川県神社庁HPより

拝殿前左右より神域を守護されるのは、お馴染みの加賀逆立ち狛犬さんと、構え狛犬さんの一対。

昭和八年(1933)六月建立の逆立ち狛犬さん。珍しく花崗岩で作られている所為もあるのでしょうが、従来の逆立ちさんと比べるとあっさりした印象。

口中に玉を含み、一段高い位置に前足をかけた阿形さん。何だかとても楽しそう。

そして、恒例の後姿(〃∇〃)

手水鉢に刻まれた「心を洗う」美しい言葉だと思います。

参拝日:2011年10月14日

 

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大野湊(おおのみなと)神社 in 石川県金沢市寺中町

2017年08月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市寺中町に鎮座される「大野湊(おおのみなと)神社」。御祭神は『護国八幡大神、猿田彦大神、天照坐皇大神』

由緒「当社の起源は、聖武天皇神亀4年(727)猿田彦大神を、既に鎮座されていた神明社(祭神・天照大神)の傍に勧請したのが始まりといわれている。この神明社の創設は不詳であるが、あらたに猿田彦大神を天照大神と合祀されてより、この社を大野郷(旧宮腰・現金石町)の湊の守護神として、大野湊神社と称されるようになった。後深草天皇建長4年(1252)社殿炎上により、東八丁をへだてた離宮八幡宮(現在地)に奉遷され今日に至る。加賀藩主前田利家公は任国の際、本陣となった当社の荒廃を憂い、宮腰をはじめ十五ケ村にその総社として祭資を供進させて社殿を再興。三代前田利常公は、寛永16年(1639)社殿を造営、歴代藩主の崇敬きわめて篤く加賀藩五社の筆頭の位置にあった。」石川県神社庁HPより

隋神門

隋神門の左右より神域を守護されるのは『石匠・東田兄弟謹刻』昭和5年建立の浪花狛犬さん一対。鼻の下に蓄えた髭が「それでいいのだ~」のバカボンパパに似ていると思ったのは私だけかな(笑)

御神紋は「三つ盛州浜に波」。神社の御神紋は結構数多く見ましたが、この御神紋は私には珍しいです。

木漏れ日の中の拝殿

前田家三代藩主の利常公が寛永十六年(1639)に再興した、県指定文化財の三本殿 (佐那武社、八幡社、人明社)

八幡社本殿前より神域を守護されるのは、建立年代不明の「はじめ狛犬」さん一対。遠目からの一方向だけなので残念ながら全体の画像は入手できません。

拝殿前の木陰より境内神域を守護されるのは、建立年代不明の出雲構え狛犬さん一対。何時頃の奉納なのか・・長い年月が、固かったはずの石の体から、毛並みも表情も削り取ってしまったようで切なくもあり、またそれ以上に、それでもこうして大切にされている事に安堵を覚えます。

鳥居の奥に境内社「西宮社」。御祭神は『事代主神

社殿前より神域を守護されているのは、明治39年4月建立で丹後系構えタイプの狛犬さん一対。独特のいかつい顔つきにアーモンド型の目、何処でお見掛けしてもぶれない顔立ちは懐かしささえ感じる(笑)。

「西宮社」拝殿の左右より神域を守護される小さな狛犬さん一対。

福井県でよく見られる笏谷石の狛犬さんで、独特の風貌から愛好家には「ダースベーダー型」、もしくは「スフィンクス型」とも呼ばれています。

境内末社「白山社」。御祭神は『伊邪那岐命、少彦名命、天満宮』

社殿の左右より神域を守護されるのは、元和8年(1622)7月吉日建立生まれの笏谷石製のかむろ狛犬さん一対。こちらは躊躇なく「スフィンクス型」(笑)

さらに拝殿の前より神域を守護されるのは、明治32年9月吉日建立の西宮社と同じ丹後系構えタイプの狛犬さん一対。残念ながら吽形さんは石の塊となっていますがそれでもきちんと守護の任を果たしておいでです。

入母屋造、浅瓦葺、平入りの建物は、寛文3年(1663)の建立の「旧拝殿」で市指定文化財。正面中央には向拝一間をつけ、正面及び側面に縁が廻らされています。横に三殿が並ぶ本殿の規模に合わせて横長に造られた建物で、昭和10年(1935)に現在の拝殿の前方に移築されました。

旧拝殿内には巾15メートルの大絵馬「源平盛衰記」が架けられていますが、さすがに外から隙間を覗くだけなので、絵物語としての印象は漠然としたものになりました。

境内の一画に置かれた神馬舎には真っ白な御神馬。金色に輝く目を見返していると、ふいに微笑まれたような不思議な感覚に(〃∇〃)

絵馬殿には大野湊の鎮守らしく、絵馬と共に沢山の大碇が奉納されています。

鏝絵の絵馬の題材は「俵藤太(藤原秀郷)の百足退治」。滋賀県大津の瀬田唐橋に現れた大蛇(竜王)に頼まれ、三上山に住む百足を成敗する話は武勇の誉れとして様々な場所で登場します。

絵馬堂横に建立された句碑。俳人・医師・文学者であった『月明氏(本名・蔵尚太郎)【 梅が香や 神のこころの たゞ素直 】

能舞台右横の句碑。俳人・画家であった『清水九璋氏(本名圭太郎)【 義経が 一夜とまりの 宮さくら 】

拝殿の左前にある御神木、空のようになっていますがそれでもしっかりと緑の葉を茂らせています。「敬神崇祖」と刻まれた奉納玉。「神、祖先を崇敬せよ」との意味が篭められています。

金沢市無形民俗文化財に指定されている「神事能」が描かれた絵馬。

神橋と御神門

参拝日:2011年10月14日&2015年10月19日

 

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清瀧(きよたき)神社 in 石川県金沢市南新保町

2017年08月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市南新保町に鎮座される「清瀧(きよたき)神社」。御祭神は『素戔嗚尊』。

由緒「創立年代の確証はないが、貞観年中に加賀守藤原本雄の創建と伝承し、その子孫に当たる摂津氏が鞍月荘の地頭となった縁故で当社を鞍月荘の総社と尊崇したという。もと無格社であったが、氏子の熱誠により、大正10年村社に列し、昭和3年郷社に列格した。山岡鉄舟筆の神号掛軸を蔵する。」石川県神社庁HPより

拝殿後方、覆い屋に鎮まる御本殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは『石工・福島伊三次』大正十年(1921)八月建立の加賀逆立ち狛犬:吽形さん。角の大きさに圧倒されそう。

並べた位置の所為でまるでけんかの真っ最中のような阿形さん。どっちも負けていません・・っていうか、同じ狛犬さんですが(^^;)

眼光に墨が入っている所為かものすごく犬顔の阿形さん・・確かに狛「犬」なので間違ってはいませんが。

恒例となった後姿

ブロンズ製の御神馬、腹掛けの御神紋は「五三の桐」。

奉納された「戦利兵器」

参拝日:2011年10月14日

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一口メモ

「戦利兵器」、日清・日露、第一次世界大戦で戦勝国となった日本が手に入れた戦利品のうち必要のないものは記念品として各方面に献納されたり、払い下げられたりした。日露戦争では23000カ所以上の神社等に砲弾などが下付された。

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南新保(みなみしんぽ)八幡神社 in 石川県金沢市南新保町

2017年08月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市南新保町に鎮座される「南新保(みなみしんぽ)八幡神社」。御祭神は『誉田別皇命・気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・比咩大神』

由緒「当社の創立の年代不詳なれど、慶安4年に社殿の改築をすること六度目に当たると伝承す。藩政時代には南新保には四社存在せしも現在では二社ありて、当社を東の宮と称する。大正7年3月に指定村社となり、ついで昭和3年7月郷社に昇格す。」石川県神社庁HPより

拝殿前左右より神域を守護されるのは明治二十三年(1890)九月建立の加賀逆立ち狛犬:吽形さん。

そして同じく、岩山に前足をかけた姿勢で周囲を見まわす阿形さん。

定番の後姿のツーショット(〃∇〃)

武運長久を祈った時代を静かに物語るのは、戦利兵器として奉納された砲弾。

社殿の近くの建物の壁に掛けられていた木彫りの魚。

参拝日:2011年10月14日

 

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大額(おおぬか)稲荷神社 in 石川県金沢市大額

2017年08月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市大額に鎮座される「大額(おおぬか)稲荷神社」。御祭神は『豊受比咩命、天照大神』

由緒「勧請は安元年中で、守護富樫家も特に本社を崇敬し、元応以降奉幣祈願、社料寄進、社殿の造営などをしたと伝えられている。もと稲荷社と称したが、明治13年3月16日現社名に改称した。」石川県神社庁HPより

拝殿覆い屋の前左右より神域を守護されるのは2000年10月吉日建立の加賀逆立ち狛犬の吽形さん。

横に大きく豪快な顔立ちで仔狛を足元に抱く阿形さん。

仔狛の尾っぽがかなり個性的で思わず二度見。尾っぽのモデルはどうみてもお猿さんに思えるのですが・・・(笑)

本殿覆い屋の横に鎮座される末社。

末社の前より神域を守護されるのは、明治三十六年(1903)九月建立の加賀逆立ち狛犬:阿形さん。

共に玉が嵌めこまれた精悍な顔立ち。そして!羨ましいほどスマートな阿形さん。元々は拝殿の守護を任されていたのでしょうが、新しく奉納された狛犬さんにその座を譲ったようです。

阿吽ともに丁寧に彫り込まれた後姿、毛先の流れに惚れ惚れします。

五三桐の御神紋をつけたブロンズ製の御神馬

拝殿近くに奉納されていた「盤持石」。藩政時代から始まった力試しに用いられる石の事で「力石」とも呼ばれます。重さは米五斗5升分で分かりやすく書くと82k・・・半端な重さではないですね(^^;)

参拝日:2011年10月13日

 

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玉鉾野間(たまぼこのま)神社 in 石川県金沢市玉鉾

2017年08月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市玉鉾に鎮座される「玉鉾野間(たまぼこのま)神社」、御祭神は『豊宇賀能売命(とようけびめのみこと)』

由緒「当社は延喜式内野間神社にもあてられ、日本総国風土記に「玉鉾野間神社三十三社東祭る所豊宇賀能売命なり斎明天皇2年丙辰9月始めて圭田を奉り神礼を加う神家巫戸等在り」と見えて古来皇室の崇敬篤き名社なり、明治39年神饌幣帛料供進神社に指定され旧鎮座地は西北方にあったが二百年ほど前に現地に移ったのである。」石川県神社庁HPより

覆い屋の拝殿前左右より神域を守護されるのは、太い注連縄を首にかけた明治四十四年九月奉納の加賀逆立ち狛犬さんと・・

優しい笑顔で参拝者を出迎えてくれる阿形さん。加賀逆立ちの相方には珍しく、口中に玉が含まれています。

後姿も丁寧に彫り込まれており、特に阿形さんの後ろ脚はお洒落なブーツを履いているよう。

台座に刻まれているのは波兎。狛犬さんに隠れて目立たない存在ですが、丁寧に彫り込まれた波頭と波兎は秀逸です。

末社

ブロンズ製の御神馬、腹掛けの御神紋は「十六菊」

手水舎

「世の塵も  心の塵も 湧き清水(みず)に  洗い流して神にぬかづく」

境内の隣にあった土蔵の鏝絵

コンパクトにまとめられた波間の龍に呼ばれました(笑)

参拝日:2011年10月13日

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御神名一口メモ

『豊宇気毘売神(とようけびめのかみ』、『和久産巣日神』の子。丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神。天孫降臨の後、伊勢外宮の度相(わたらい)に鎮座。

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増泉(ますいずみ)春日神社 in 石川県金沢市増泉

2017年08月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市増泉に鎮座される「増泉(ますいずみ)春日神社」。御祭神は『武甕槌命(たけいかづちのみこと)、經津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、比咩大神(ひめおおかみ)』

由緒「人皇第八代孝元天皇四十五年(三世紀末)の創建とされる。平安時代の十世紀頃、当地も大和国三笠山春日大社の荘園(御厨)となった。村上天皇の天暦元年(947)に大和国よち春日大社を勧請、あらたに社殿・神庫を造営して春日社と称す。藩政時代には、加賀藩歴代藩主の祈祷所として厚く崇敬されるとともに、五箇庄総鎮守として広く敬神された。」公式HPより

軽やかに後ろ足を跳ね上げて境内より神域を守護されるのは、加賀逆立ち狛犬の中では二番目に古いと言われる明治十五年(1882)九月建立の加賀逆立ち狛犬:吽形さん。

阿形さんはどっしりと太い足を岩山に食い込ませた構えの姿勢で、同じく神域を守護されています。

朱塗りの鳥居の奥に鎮座される「出世稲荷神社」。御祭神は『宇迦乃御魂神 (うかのみたまのかみ)』

由緒「文政四年(1821)、山城国宇治群山科郷「花山稲荷社」より稲成明神の御分霊を賜り、御神体は庭鷺社に奉斎。天保八年二月より春日神社に奉斎された。」公式HPより

稲荷の社を守護されるのは神狐さん一対。顔立ちからして新しい時代の奉納。

鎮火と書かれた丸い石碑。神社庁のページに「かって天文弘治永禄頃の兵乱に社殿悉く兵火に罹り縁起記録等の神寶共残らす燒亡して」の一文が有り、火難は何よりも重大な禍であった事が伺えます。

手水舎越しに見る美しい境内

裏参道、鳥居の内より神域を守護されるのは、全体的にスラリとした姿勢の狛犬さん一対。控えめに開けた阿形さんの口元が笑っているようで好感の持てるお顔です。

参拝日:2011年10月13日

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中村(なかむら)神社 in 石川県金沢市中村町

2017年08月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市中村町に鎮座される「中村(なかむら)神社」、御祭神は『武甕槌命(たけいかづちのみこと)、經津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、比咩大神(ひめおおかみ)』

由緒「当宮は2009年に御鎮座1100年を迎えた。貞享2年(1685)の六台泍山派山伏頭・蓮花院の由来書には「往古より中村に鎮座していたと伝がある」と記されており古来より氏子崇敬者の心の拠所として鎮座している。慶長7年(1602)より地蔵院という別當が奉仕し、本尊に薬師如来を安置し、後に春日明神の神霊を迎えた神仏混淆の神社であった。明治元年神仏分離令により別當が復職して神職となり、宝久寺を中村春日社と改称した。」石川県神社庁HPより

覆い屋の中に納められた拝殿は、旧金沢城二の丸御殿内に建立された舞楽殿(能舞台)を移築。金沢城内の数少ない建造物である事から、2004年に文化庁登録有形文化財に指定されています。

境内左右より神域を守護されるのは、金沢市内では珍しいブロンズ製の狛犬さん一対。がっしりと台座に食い込ませた爪の頑丈さに思わず目が釘付け(^^;)

加賀獅子系のとても良いお顔なので、アップで!

参道横の境内で見かけた石仏。多分石仏であろうと思うのですが確証はありません。

祭礼の準備でしょうか?参道の両脇に掲げられた御神灯にほんのりと灯りが入っています。

参拝日:2011年10月13日

 

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日吉(ひえ)神社・九万坊大権現 in 石川県金沢市野田

2017年08月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市野田町に鎮座される「日吉(ひえ)神社」。御祭神は『大山咋神』

由緒「本神社の創立年月等は不詳であるが、往古より一村の産土神として鎮座。明治13年村社に列せられ、同39年12月29日神饌幣帛料供進神社に指定された。境域は老木繁茂して、静寂な神域として恰好である。」石川県神社庁HPより

境内の内より神域を守護されるのは、大正元年九月建立。『石工:福嶋伊之助』による 加賀逆立ち狛犬の吽形さんと、仔狛連れ阿形さん一対。

吽形さんによく似た顔つきの仔狛さん。固く閉じた口元に、未来の逆立ち狛犬さんになる意気込みが感じられます(*^^*)

「本坪鈴(ほんつぼすず)」も賽銭箱も無く、おおよそ拝殿らしくない拝殿。

社殿を横から拝見した姿

境内の一画にあった太鼓楼。不思議な形状の太鼓が格納されていますが、実際のところ、これが本当に太鼓なのかどうか、そうだとしてどのように使われるのか全て未確認(^^;)

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日吉神社のすぐ向かい座す「九万坊大権現」

木陰に建立されていた「織部灯篭」「道祖神」

石川県で双体道祖神を見るのは初めてですが、互いに取り合う手の優しい感じが何とも素敵で、今思えばアップで写しておくべきだったと後悔。

道祖神が置かれていた近くに建立されていた仏塔(?)。その下に納められていた仏像。このような形式も初見ですが、画像はこれ一枚というお粗末さ(^^;)

境内の一画に祀られていた六地蔵菩薩

参拝日:2011年10月13日

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一口メモ

「本坪鈴(ほんつぼすず)」、拝殿の前に吊り下られた鈴。

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椿原(つばきはら)天満宮 in 石川県金沢市天神町

2017年08月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市天神町に鎮座される「椿原(つばきはら)天満宮」。金沢五社の筆頭格とされ、御祭神は『菅原道真』。

由緒「永仁5年加賀国主富樫義親京都北野天満宮より丹波屋敷と称する山崎に勧請す。観応年間一向一揆により金浦郷田井村へ遷座され、金浦郷の総鎮守産土神となり、当宮を前田家祈願所とし城郭の鎮守と定める。金浦郷総社田井天満宮、椿原神社、椿原天満宮と称え奉り旧金沢五社の筆頭たる御社格であった。明治6年郷社に、明治14年9月県社に列せられる。」石川県神社庁HPより

拝殿へと至る石段は、軽く眩暈を覚える高さ(^^;)ですが、ここまで来て見上げるだけではあまりにも無念(笑)ここは覚悟を決めて!!

何とか辿り着いた手水舎。高い位置にあるので金沢市内が一望できます。ここでしばし息を整えて(^^;)

手水舎に架けられた石製の扁額。巻物風に設えられた俳書の右手には梅の木が陽刻されています。石額は菅原道真生誕950年の嘉永5年に奉納されたもので、45句と詠手の雅号が刻まれています。が、・・・残念ながら殆ど読めません(笑)

手水舎の上、石段参道途中より神域を守護されるのは、安政6年(1859)建立。石工『松田七左衛門』の作で、藩政期に奉納された逆立ち狛犬は、かなり珍しく、ここを選んだご亭主殿からひとしきり蘊蓄(うんちく)を聞かされる羽目に(^^;) 前足だけで体を支える阿形さん・・ただもう凄い。

吽形さんはひたすらどっしりと(笑)。太い四肢で岩場を踏みしめる安定感は流石。

拝殿

御本殿

『菅原道真公』

かってこの地は、一向一揆の大将『洲崎兵庫』が構えた「椿原山砦」と伝えられています。今は遺構と呼べるものは何も無く、往時を伝えるものは説明版の文字だけ。

階段下の境内、右手奥の藪の中に見える朱塗りの鳥居は「月読社」。加賀騒動の『勢之佐(せいのすけ)・真如院(しんにょいん)』を御祭神としますが、神社としては「命婦神(稲荷の別称)」が祀られます。

朱塗りの祠の左右より神域を守護されるのは神狐さん一対。とてもユニークな表情に、見ているこちらにもその笑が伝染しそう。

「月読社」近くに建立されていた石造物は、文政10年に建立された「がっぱの神様」「がっぱ」はこの地方の古い方言で「頭に出来た湿疹」。「河童」との関係は特にありません。

同じく、近くに建立されていた碑は、明治十二年(1879)九月、書家『寺岡玉水』を偲んで、有志と門弟百人余がその遺筆を納めて建立した「退筆塚」

この地は元々椿が群生する林でしたが、砦や社殿の造成時に伐採。戦後、『松井清造』氏らの協力を得て、2008年までの30年間に100本の椿を植樹。それを記念して建立された「椿魂碑」には、そうした由来が記されています。

参拝日:2011年10月13日

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御神名一口メモ「加賀騒動」

真如院(しんにょいん)』寛永元年(1748)、前田吉徳の側室であった真如院に、前藩主:宗辰の生母「浄珠院」毒殺の嫌疑、および家臣であった「大槻伝蔵」との不義の嫌疑もかけられ、小立野上野の屋敷に幽閉。宝暦9年(1759)、25歳で没した。

勢之佐(せいのすけ)』、真如院の長子、後の前田利和。「大槻伝蔵」との不義の子とされ、長い間前田家の人間とはみなされず、供養の列からも除かれていた。昭和26年(1951)、加賀騒動の真相の再検討が行われ、真相が明らかになるに伴い、同母弟の八十五郎とともに吉徳の実子とされ復権、前田家の一族として供養の列にも加えられた。

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