車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県加古川市

2023年10月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

加古川市(かこがわし)は兵庫県南部、播磨地方の東側に位置し、東播磨の中核をなす市です。明石市、高砂市、姫路市、加西市、三木市、小野市、播磨町、稲美町に隣接。市内を一級河川の加古川が貫流しており、左岸側の市域は全体的に平坦。これに対して、右岸側の市域には高御位山を始め、加古川市内の大藤山・飯盛山などの標高200 mを超える山々が見られます。市内には明治32年(1899)に操業が開始された「日本毛織(ニッケ)」の建物も多く残されています。「市の木:黒松」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「いつまでも住み続けたい ウェルネス都市 加古川」

明治22年(1889)年、町村制の施行により加古郡加古川町・尾上村・神野村・野口村・平岡村・別府村・八幡村、 印南郡上荘村・平荘村・東神吉村・西神吉村・米田町・志方村・東志方村・西志方村が発足。

1928年、別府村(べふむら)が町制を施行、加古郡別府町となる。

1950年、加古郡加古川町・尾上村・神野村・野口村・平岡村が合併、市制を施行し加古川市が発足。

1951年、加古川市が加古郡別府町を編入。

1954年、志方村・東志方村・西志方村が合併、印南郡志方町が発足。

1955年、 加古川市が加古郡八幡村・印南郡上荘村・平荘村を編入。

1956年、加古川市が印南郡東神吉村・西神吉村・米田町大字平津・船頭を編入。

1979年、加古川市が印南郡志方町を編入。現在に至ります。

マンホールには市章を中心に、市の花「ツツジ」が全体に描かれています。

汚水枡のハンドホールには市章と「市の木:松」、「市の花:ツツジ」が描かれています。

昭和25年9月18日制定の市章は「加古川を中心に配置し、その両岸に発展をつづける加古川市を表しています。」公式HPより

第一環境・加管協委託業務共同企業体のハンドホール

「市の花:つつじ」がデザインされた樹木カバー

ウェルネス都市宣言 シンボルキャラクター『 ウェルピー』。市の花ツツジをイメージして誕生しました。私は右隅のスケボー兄さんが気になる😅

ニッケパークタウンのマスコットシープ『う~るん』。「やさしく、あったかい」をイメージして誕生しました。

2011年当時の加古川警察署長が描いた犬のイラストをもとに誕生した、安全安心のシンボル『まもる君』。JR加古川駅南広場にいるんだワン!。

撮影日:2008年5月2日&2019年8月12日

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2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「加古川市」のマンホールカードは、「加古川市まち案内所」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「市章」「市の花:つつじ」がデザインされています。

「加古川市のマンホール蓋は、市の中心を流れる一級河川加古川をシンボライズした市章を蓋の中心に配置し、その周りに市花の「つつじ」をバランス良く図案化したものです。 市では、昭和45年に市制20周年を記念して、「市の花」を選定するため、広く市民からアイデアを募り、「つつじ」が選ばれました。 下水道事業においても、市民が親しみと安らぎを感じる「つつじ」をモチーフにしたデザインマンホール蓋の採用を決定し、整備を進めてきました。「つつじ」は、市を代表する日岡山公園等の多くの公園で大切に育てられ、日ごろから市民に大変親しまれるとともに憩いの空間を演出しています。」

訪問日:2019年8月12日

 

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高砂市内~あちこちウォッチ in 兵庫県高砂市

2023年10月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

高砂市高砂町北本町に建つ「高砂商工会館会議所」「旧高砂銀行本店」として昭和7年に建てられ、神戸銀行、太陽神戸銀行と変遷、昭和55年から高砂商工会館として使用。2005年に、兵庫県景観形成重要建造物に指定され、地域のランドマーク的存在となりました。

訪問日:2010年5月8日

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高砂市阿弥陀町魚橋、旧山陽道に面して建つ「土田家住宅:旧魚橋郵便局舎」。門には、花崗岩製門柱2本が2m間隔で立てられており、桟瓦葺の屋根が架けられた真壁造の塀が独特の景観を見せています。

旧魚橋郵便局舎は寄棟造、桟瓦葺で正面中央に切妻造の玄関を設け、外壁は下見板張、縦長窓には両開き鎧戸がつけられています。

明治37年建築の「土田家住宅魚橋郵便局舎・離れ・門及び塀」は、2005年2月9日、国登録有形文化財に指定されました。

土田家住宅の近所で見かけた飾り瓦の鷹。もっとよく探せば羽を広げた相方がいたかも・・

土田家住宅から少し歩いた先に建つのは真宗大谷派寺院「無染山:正連寺」。山門の留め蓋瓦に誘われてやってきました。

日差しの加減で一方しか写せなかったのですが、牡丹を咥えた留め蓋の獅子。劇画チックな顔のいかつさと牡丹の花との対比が結構ツボに嵌ります。

思わぬめっけものは、森繁久弥氏の筆による顕彰碑「佐々木すぐる先生 生育の地」。名前を聞いてもピンとこなかったのですが「月の砂漠」を作曲した人と知って思わずシャッターを(笑)

ほんの数分でしたが歩くことで見つけられた、ちょっとした名所・旧跡。面白いと思えるものに出会えた時の嬉しさは格別(⌒∇⌒)

訪問日:2010年8月12日

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今から数十年前、高砂に住んでいた叔母に連れられて「石の宝殿」「観濤処(かんとうしょ)」へ行った事があります。石の宝殿は「生石(おうしこ)神社」の御神体で、「浮き石」や「日本三奇」の一つとも呼ばれており、その周囲を巡った時のあの神秘的な感動は今も鮮明で、忘れ難い経験でした。
「観涛処」はそこからさらに山道を登った先、播磨灘を眺望する加茂山の中腹にあります。紙焼き写真に残る「愛娘と観涛処」。大切な思い出の一コマです。

 

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荒井(あらい)神社 in 兵庫県高砂市荒井町

2023年10月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

高砂市荒井町千鳥に鎮座される「荒井(あらい)神社」。御祭神は『大己貴神(だいこく様)』、相殿神に『事代主神(えびす神)』

由緒「第34代舒明天皇元年(629)、大己貴神を奉斎する出雲氏族が自己の偉大なる神の霊をいただきもちて、瀬戸の海づたいに進出して、荒井の浜を開拓し、ここに永住するため当社を創建したのがはじまりである。平安時代には、この荒井地区が朝廷に年魚(鮎)を献上していたことから「御厨庄」と呼ばれ、神社古記録にも「播磨国御厨庄荒井神祠」と記される。鎌倉時代以降は、武士の崇敬を受け、文明年間(1469~1487)播磨の太守赤松右京大夫政則により社殿は再建せられ、延宝9年(1681)には姫路藩主松平大和守直矩が当社に神田を献じた。明治41年(1908)、荒井村の惠美酒神社を合祀する。」公式HPより

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和18年3月吉日建立の狛犬さん一対。いわゆるお獅子顔の整った顔立ちをしておられます。

神門は1990年の御大典、1991年の国恩祭の奉祝記念事業として世界の平和・御代の弥栄を願い建設。神社に多くみられる隋神門形式ではなく当社由来に基づく独特の形式から、「竜宮門」と称され親しまれています。

「境内社:美雄弥神社」。御祭神は『荒井町出身戦歿者240柱』。荒井神社旧本殿の社殿は萬治2年(1659)の棟札が残り、昭和63年に高砂市文化財に指定されています。

本殿の前左右より神域を守護されるのは、天明2年正月吉日建立の狛犬さん一対。長い年月を経た証がそこかしこに見られるのも、狛犬ファンとしては愛おしく見えます。

遥拝所

「忠烈の碑」大東亜戦争(ボルネオの戦い)にて戦死した獨歩367大隊の戦歿者、またその戦友・遺族を顕彰・鎮魂する碑。

「境内社:浜之(大和)神社」、御祭神は『大歳神』

恵比須:大国像

磐座

荒井と手水舎

参拝日:2010年8月12日

 

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工楽松右衛門旧宅 in 兵庫県高砂市高砂町

2023年10月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

高砂神社の境内に建立されていた銅像の主は『工楽松右衛門(くらくまつえもん)』。当時は誰かな?と思いはしたものの、特に調べてみようとも思わず十年が経過。それがある場所への訪問をきっかけに、突然としてあやふやな記憶に猛アタックがかけられたのです。

2018年12月14日、この日私たちはマンホールカード9弾の配布が決まった高砂市にやって来ました。配布場所は高砂市高砂町今津町にある「工楽松右衛門旧宅」

館内の案内によれば『工楽松右衛門(くらくまつえもん)』とは、江戸時代に海運業や港湾改修で活躍した人物で、「松右衛門帆」で大きく名を遺した人物云々・・・当時はカード収集が主目的だった為、初見で見聞きする知識も上滑り(^^;)

館内の案内で、2018年5月に工楽松右衛門旧宅と南堀川の遺構が「~荒波をこえた男たちの夢が紡いだ異空間~」として日本遺産に​認定されたとあり、俄かに興味が(笑)。それでもこのスタンプの『工楽松右衛門』と、10年以上前に見た銅像が結びつく事はありませんでした。

館内は無料で見学が可能との事、これだけの建物を眺めただけで回れ右ができるほどコレクター根性も無かったのでしょう。次の配布地へ向かう時間を気にしつつも、さっそく見学をさせて頂くことに。

工楽松右衛門旧宅の土地・建物が工楽家から高砂市に寄贈されたのは2016年1月の事。しかし、200年近い経年による傷みは相当なものであり、その為、当初の建築様式に復元するには1年4か月の歳月を要したといいます。

軒下は火事から家を守るために、波打ち仕上げの白漆喰​で塗り固められ、また建物の周囲には、水に長年浸かっていた古舟の舟板が使われ、商家建築としては珍しい細工。むろん、これにも防火の意味が込められています。

建物の見学で最も印象に残ったのが、通り庭の吹き抜けの小屋組・・見上げた瞬間に感じる圧倒的な存在感は、こんな稚拙な写真ではとても伝えきれるものではありません。差し込む光の美しさに思わず感動を覚えます。

変わった形の石灯籠が置かれた庭、沢山の敷石。ここには何があったのだろう? もう少し時を置いて訪ねれば、また違った景色に出会えるかもしれない。

工楽松右衛門の功績を語るうえで欠かす事のできない一つが、播州特産の太い木綿糸を用いて作り上げた、厚く巨大な平織りの帆布「松右衛門帆」

これまでの木綿布を二枚三枚と縫い合わせた帆に比べ、彼が開発した新型帆布は耐用年数も、航行の効率化も比較にならない程に優れており、瞬く間に全国に普及することになったと言います。この「松右衛門帆」によって、北前船をはじめとする大型和船の航海術は飛躍的に向上したと言います。

もう一つの日本遺産である「高砂南堀川の港遺構(雁木と護岸石垣)」も着々と復元工事が進められていました。

「江戸時代~近代 南堀川は、江戸時代に開削された人工運河で、港町高砂の物流の中心地でした。堀川沿いには蔵が建ちならび、多くの人々や物資でにぎわっていました。 平成28・29年の発掘調査で、舟から荷物を揚げ降ろしした、幅4m・奥行3.3mの雁木(石階段)や、南堀川西岸の石垣10mが確認されたため、一部を復元し展示しています。」現地看板より

思いがけなくも素晴らしい時間を過ごすことができた私たち。本当はまだまだ見足りないのですが、一応、事情が事情で(笑)、後ろ髪引かれつつ「工楽松右衛門旧宅」を後にしました。

それから数年後(^^;)、当時のパンフレットを見直していた時、ふと・・どこかで見覚えのある写真の存在に気が付いたのです。

体の向きは逆ですが、確かにこの銅像に見覚えが・・高砂のどこかで確かに見た・・この人物!それが高砂神社に建立されていた銅像と同じものだと気が付くのにそれほど時間はかかりませんでした。

『工楽松右衛門(くらくまつえもん)』寛保3年(1743)、播州高砂の漁師の長男として生まれ、幼少の頃から家業である漁業に従事。この頃から創意工夫が得意であったと伝えらています。15歳の頃に兵庫に出て回船問屋「御影屋」のもとで船乗りになり、その後、『北風荘右衛門』の斡旋で佐比絵町に店を構え、船持ち船頭として独立。 船乗りとして一人前になった松右衛門は、帆布改良の研究に着手し、やがて播州の特産である木綿を使った厚手で大幅な新型帆布の織り上げに成功。寛政2年(1790)、江戸幕府より択捉島に船着場を建設することを命じられ、翌夏に竣工。享和2年(1802)、 幕府から功績を賞され、「工楽」の姓を与えられ、名字帯刀を許される身分となります。

「工楽」とは「工事を楽しむ」「工夫を楽しむ」

訪問日:2018年12月14日 (銅像のみ2010年5月8日)

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高砂(たかさご)神社~Ⅲ~ in 兵庫県高砂市高砂町

2023年10月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

いよいよ最終回の高砂神社。今回は「尉姥神社」の左手に鎮座される境内社の紹介。

向かって右に鎮座される「摂社:住吉社」。御祭神は『住吉三神』 海上交通の守護神とされます。

社殿木鼻(きばな)彫刻、たいていの場合、獅子や獏・像など秀逸なものが多くあって楽しみの一つでもあるのですが・・これは・・(^^;)

いわゆる「頭貫」が無くて木鼻が柱を貫通しているという構造・・今まで軽く三桁以上の神社仏閣を拝観してきましたが、こういった形式は初めての経験。

住吉社の左に鎮座される「摂社:三社(神明社)」。御祭神は『天照大神・春日大神・八幡大神』

先ほどは貫を貫通した獅子でしたが、今度は同じく貫を貫通した木鼻の龍。しかもこれが、漫画昔話にでも登場しそうな、滅茶苦茶愛想の良い龍なんです。

最後は「摂社:稲荷社」。御祭神は『倉稲魂命』

当然ですが、貫を貫通しているのは稲荷の神狐・・と思ったら、これがまたしても獅子。 ここは絶対に一ひねり欲しかったのに残念(笑)

西門の奥に見えているのは鎮火・防火の神「摂社:秋葉社」と、導きの神「摂社:猿田彦社

屋根の上、留め蓋の獅子が首をかしげて見ているのは、軒丸瓦の「立ち葵紋」。寛永2年(1625)に領地20石を寄進し、高砂神社を元の場所に移転させた姫路藩主:本多忠政の家紋です。

境内に建立されていた不思議な造形の碑・・残念ながら刻まれている文字はほとんど判読できません。

同じく判読不能(^^;)

ラストは本殿の一部に見えた美しい彫刻・・細やかに彫り込まれた小さな花は何だろう・・

参拝日:2010年5月8日

 

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高砂(たかさご)神社~Ⅱ~ in 兵庫県高砂市高砂町

2023年10月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

広大な神域は清々しいほどの緑に覆われ、深呼吸を繰り返すごとに肺の中が若葉色の空気で満たされていく感じ。神社参拝の醍醐味ともいえる時です。

神社参拝ではまず身を清める為に手水を使わせて頂きますが、それとは別に、境内の一角に古そうな水の無い手水舎があります。

手水舎といえば80%は吐水龍で、残り20%が祭神に因んだ神使いなど・・この吐水鯉は何に因んだものでしょうか?確かに、滝を登った鯉は龍になれると言いますが、それもなんか違う(笑)

それでは高砂神社境内に祀られる摂社、順番に紹介です。境内入って右手に鎮座される「摂社:琴平神社」。御祭神は『大物主命』。古来より漁業が盛んであった町にとっては決して欠かせない大切な社。海上安全の神とされます。

拝殿の前より神域を守護されるのは、年月の所為か、全体に滑らかになってしまった感じの狛犬さん一対。吽形さんの口元が誰かに似ていると思ったのですが・・・そうか、カールおじさん!(笑)

「神馬舎」には御祭神がお乗りになる神馬がいます。今にも顔を上げてこちらを見てくれそうな、純白の美しい神獣です。

「天神さん」。御祭神は『 菅原道真公』

「和魂神社」。御祭神は『護国の御英霊』

拝殿の内より神域を守護されるのは、備前宮獅子一対。故郷に近いという事もあり備前の宮獅子は好んで見てきましたが、こんなに優しい表情は珍しい気がします。

「摂社:粟島社」。御祭神は『少彦名命』 婦人病や安産を守る神様とされます。

神門を潜って右手、ひょうたん池の中央に祀られるのは「摂社:弁財天」。御祭神は『弁財天』。 女性を守る抜芸と美の神さまで、水の神様でもあります。

緑の葉陰の下にて神域を守護されるのは、現代アートを彷彿させる神狐さん一対。付近にはおそらく鳥居であったと思われる石柱がまるで何かのシンボルのように保存されています。

そう言えば高砂神社の鳥居はとても新しくて綺麗だった・・・そして、ふいに思い出したのです。ああ・・・これはあの時の大震災で壊れた鳥居だと。神狐さんはこの鳥居を彫って作られたんだ・・・。尉姥神社の狛犬さんの顔が削られていたのは・・・きっと地震の倒壊で壊れてしまったからなのだろうと。

「旧能舞台」 は17世紀後半の様式とされます。かってはこの舞台で謡曲「高砂」が舞われたのでしょうか?2013年に新たな能舞台が建造されたそうで、この舞台で高砂の舞を見る事もなくなったようです。

まだまだ紹介しきれない広大な境内、明日がラストです。

参拝日:2010年5月8日

 

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高砂(たかさご)神社~Ⅰ~ in 高砂市高砂町

2023年10月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

高砂市高砂町東宮町に鎮座される「高砂(たかさご)神社」。御祭神は『大己貴命(おおむなちのみこと)』。配祀『素盞嗚尊・奇稲田姫(くしいなだひめ)』。旧社格は県社。能・謡曲の【高砂】の舞台の一つと言われます。

由緒「神功皇后が外征のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。帰国の途中、この地に船を寄せられ、国家鎮護のため、大己貴命をまつられたのが高砂神社のはじまりです。その後、天禄年間(970年)~(972年)国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命(すさのうのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)をあわせまつったところ、疫病がたちまちおさまったので、庶民は喜んでお礼参りをした。文禄元年(1592年)豊臣秀吉は、朝鮮出兵のときこの神社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられる。  池田輝政をはじめ、歴代姫路城主は社領を寄進し、特に本多忠政は尊崇熱く、輝政によって他に移されていた社殿を旧社地に再建し、にぎやかな遷座祭を行った。 」公式HPより

鳥居の先、まっすぐに進み最初に出迎えてくれるのは、19世紀前半の建造と言われる四脚門の表門。

さらに参道を進んだ先、〆鳥居の向こうに建つ拝殿。そこから本殿へと続く幣殿・祝詞殿、いずれも18世紀後半の様式とされます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、護国型と呼ばれる狛犬さん一対。胸元にある丸い形を指して「鈴昭和」とも呼ばれています。

祝詞殿の左、壁際にはおそらく先代さんと思われる出雲構えの狛犬さん一対が、ひっそりと神域を守護されています。お顔の表情も、阿吽の区別さえもあやふやになってしまいましたが、それでも確かに神獣として、そこに存在しています。

唐破風の屋根には、牡丹の花に囲まれ逆立ち姿で参拝者を迎える小太りの獅子さん。花も獅子も、すべてを合わせたデザインが見事な細工瓦。

絵馬殿も兼ねた拝殿。左右にずらりと並ぶ絵馬はいずれも長い時代を経たものが多く、すでに何が描かれたのか判別できないものも多数。

「算額奉納絵馬」は、江戸時代中期、寛文年間の頃から始まった風習といわれ、現在全国に約820面の算額が現存しています。算額とは和算の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したもので、その内容は代数・整数方程式論・解析学・幾何学等々・・非常に高度なものです。

社殿向かって右奥に鎮座される「境内社:尉姥神社」。御祭神は『伊弉諾尊(尉)・伊弉冊尊(姥)』。夫婦和合・長寿の神とされます。

鳥居の奥、拝殿前左右より神域を守護されるのは、立ち耳尾立ちの狛犬さん一対。断ち切られたように失われた片頬が痛ましく、思わず何故??と・・

願いを託す絵馬には、「相生の松を背景に並ぶ尉と姥」。

高砂神社と言えば「相生の松」と言われるほどに無くてはならない存在。一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が育つ喜瑞は、神社の象徴であると言われ、古来より「霊松:尾上の松」として、様々な歌に詠まれてきました。「霊松殿」に保存されているのは、昭和12年に枯死したという「三代目・相生の松」

初代相生の松は天禄年間に、二代目は兵火によって天正年間に枯死したと伝えられています。本多忠政がこれを惜しみ、遷宮の際に三代目の相生の松を植えたと言われ、大正13年に天然記念物に指定されていました。

【一木かと 見れば二木を 二木かと見れば 一木を雌雄のこの松】 隆正

「尉姥神社」と「霊松殿」の間には、樹齢約100年と言われる「五代目・相生の松」が見事な枝ぶりで参拝者を出迎えてくれます。ちなみに四代目は松くい虫の被害により短命に終わったそうです(-_-;)。

お互いの存在を確かめ合うように絡みつく相生の松。それは見る側の気持ちによってどのようにも変化し、望む姿を映し出してくれます。

高砂の登場人物である「阿蘇の神官:友成」が突いた杖から発芽したと伝えられる「御神木・いぶき」。添えられた説明には「槙柏(しんぱく)であり、枝葉はことごとく神殿に向っている」と、記されています。

広大な境内、まだまだ紹介しきれない摂社が沢山あります・・が長くなるので続きは明日。

参拝日:2010年5月8日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県高砂市

2023年10月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

高砂市(たかさごし)は兵庫県南部播磨平野の東部に位置し、南に瀬戸内播磨灘を臨み、古くから白砂青松の風光明媚な泊として栄えてきました。姫路市、加古川市に隣接。市域中央にある竜山は、古墳時代から現代まで続く採石業が営まれており、 地域の歴史的地場産業として、全国的にも類まれな竜山石の文化を形成してきました。市内各所で複数の古墳が確認されていますが、そこからは竜山から切り出されたものと考えられる石棺も出土しています。「市の木:松」「市の花:菊」を制定。

「高砂」と言えば、結婚披露宴などで謡われる【高砂や~この浦舟に~帆を上げて~】で始まる「能・高砂」の一節がよく知られています。高砂駅前には、高砂に登場する「相生の松の精・尉と姥」のモニュメントが建立されています。

高砂郵便局前のポストにも「尉と姥」像。

キャッチフレーズは「未来に帆っと高砂」

明治22年(1889)、町村制の施行により、加古郡高砂町・荒井村、印南郡曽根村・伊保村が発足。

1913年、曽根村が町制を施行、印南郡曽根町となる。

1954年、加古郡高砂町・荒井村・印南郡曽根町・伊保村が合併、高砂市が発足。

1956年、印南郡阿弥陀村・米田町米田・米田新・古新・塩市・島・神爪を編入。

1957年、印南郡北浜村を編入、現在に至ります。

マンホールには市章を中心に、「高砂の浦と相生の松」が描かれています。

雨水用

2018年に新たに設置されたマンホールには、相生の松と、高砂の謡の書かれた帆船に乗った「ぼっくりん」が描かれています。

昭和29年12月14日制定の市章は「高砂の「高」を最大限簡略化したもので、円形であるのは平和を表し、中央に突出しているのは、伸びゆく高砂市の推進力を表している。」公式HPより

高砂市マスコットキャラクター『ぼっくりん』。相生の松から生まれた松ぼっくりの妖精で、高砂神社の「尉と姥」に育てられました。いろんなところで高砂市や、市内の名産品のPRを頑張ったので、高砂市の観光大使に任命されましたリン~♪

撮影日:2010年5月8日&2018年12月14日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「高砂市」のマンホールカードは、「工楽松右衛門旧宅」でいただけます。

1998年に設置開始されたマンホールには「白砂清松」と「相生の松」がデザインされています。

「「白砂青松」の高砂の浦は、古くから風光明媚な地として全国に知られていました。 現在も県立高砂海浜公園が「現代の白砂青松100選」に選ばれています。 また、高砂神社には一本の根から雌雄の幹が左右に分かれている「相生の松」が生えており、縁結びと夫婦和合の象徴として、親しまれてきました。 このマンホール蓋は、「白砂青松」と「相生の松」をモチーフにしたもので、歴史的景観形成地区にある工楽松右衛門旧宅の周辺にあります。 近くには高砂市のゆるキャラ「ぼっくりん」をデザインしたものもありますので、併せて探してみてはいかがでしょうか。」

配布先:工楽松右衛門旧宅パンフレット

訪問日:2018年12月14日

 

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ご当地マンホール in 播磨科学公園都市

2023年10月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

播磨科学公園都市( Harima Science Garden City)は県南西部、佐用町、上郡町、たつの市にまたがる丘陵地帯を切り開いて造成した学術公園都市の名称、それぞれに「光都〇〇」の名で呼ばれます。

国内外の著名な建築家&ランドスケープデザインの専門家『磯崎新、安藤忠雄、渡辺真理、ピーター・ウォーカー』の指導のもと、「時間とともに成長する森の中の都市」をコンセプトになされた、都市計画。そのため特に、最初期のものについては、デザイン性の高い一連の建築物群が多数みられます。

マンホールのデザインは、おそらく、科学公園都市らしさを表現しての幾何学模様でしょうか。いずれのデザインも、その由来となるものは定かではありません。また中央の知章は、昭和61年設立の「旧・西播磨高原上・下水道企業団」のもので、太陽をイメージしたものです。

テクノで最も有名なのは「大型放射光施設 SPring-8」で、光都1丁目1番1号にあります。名前の8は、電子の最大加速エネルギーである8GeV(ギガエレクトロンボルト)に因んでつけられ、デザインもSPring-8にちなんで、8つの楕円で表現されています。

光都三丁目の交差点より

訪問日:2010年8月8日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧新宮町(たつの市)

2023年10月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧揖保郡新宮町(しんぐうちょう)は兵庫県の南西部、揖保郡の最北部に位置した町です。姫路市、龍野市、相生市、宍粟市、安富町、上郡町、三日月町に隣接。町の東部を南北に流れる揖保川と中央部を東西に流れる栗栖川の河川に沿って平坦部が開け、その他の地域は比較的急峻な傾斜地や丘陵地となっています。市街地の北には、弥生時代を中心とした縄文時代から平安時代の複合遺跡「新宮・宮内遺跡」や、国指定・天然記念物「觜崎の屏風岩」などで知られています。「町の木:モミジ」「町の花:山ツツジ」を制定。

県史跡に指定された觜崎地区の五体の石仏「觜崎の磨崖仏」

明治22年(1889)、町村制の施行により、揖東郡新宮村・西栗栖村・東栗栖村・香島村・越部村が発足。

1896年、郡制の施行のため、揖東郡、揖西郡の区域をもって揖保郡となる。

1934年、新宮村が町制を施行、揖保郡新宮町となる。

1951年、西栗栖村・東栗栖村・香島村・越部村と合併、改めて新宮町が発足。

2005年、龍野市・揖保郡揖保川町・御津町と合併、たつの市新宮町となりました。

マンホールは町章のみの、規格タイプです。

昭和28年4月1日制定の町章は「シン宮の文字を図案化したもので、矢形は 永遠の発展を表現する。」合併協議会資料より

撮影日:2008年8月14日

 

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