車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 茨城県潮来市

2019年11月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

潮来市(いたこし)は茨城県南東部の鹿行(ろっこう)地域に位置する市です。
東は鹿嶋市、稲敷市、南は神栖市、北は行方市に、西は県を跨いで千葉県香取市に隣接。霞ヶ浦や北浦、常陸利根川などに面した水郷で有名な都市で、江戸時代には利根川水運の港町として栄えてきました。現在は水郷筑波国定公園の一角として、水郷潮来あやめ園を中心としたあやめ(花菖蒲)の名所や、川を巡る十二橋めぐりといった水郷特有の観光名所を有しています。「市の木:ポプラ」「市の花:あやめ」「市の鳥:ヨシキリ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然 あふれる元気 みんなでつくる水の郷」

明治22年(1889)、町村制の施行により、行方郡潮来町、津知村 、延方村、大生原村 が発足。

1955年、行方郡潮来町、津知村、延方村、大生原村が合併、潮来町(二代目)が発足。

2001年、行方(なめかた)郡牛堀町を編入、市制を施行し潮来市となりました。

マンホールには、水の色を背景に、「市の花:アヤメ」が鮮やかな色で描かれています。(潮来市潮来にある「長勝禅寺」の表門前の道路、セイミヤ潮来店の横断歩道手前の歩道に設置)

北浦に面した大生原地区の集排マンホールには、「北浦に船を出す船頭」と「3羽の白鳥」が描かれています。

2002年7月1日制定の市章は「『い』の字を表し、水郷地帯を流れる緩やかな川の流れを表します。 昭和32年12月に潮来町・町章として制定されたものを、市制施行後に引き継がれました。」公式HPより

中央に「潮」の文字が書かれた規格マンホール、「潮」はおそらく「潮来」の頭文字が由来と思われます。

上水道関連の蓋は仕切弁二種

制水弁三種

排泥弁

消火栓

親子マンホールには自治体を現すものが何もありませんが、市内に設置されていたものです。

潮来市PRキャラクター『あやめちゃん』は、水郷潮来あやめ園に咲く「あやめの花の妖精」。お友達でお供の『よしきり君』は、実は東南アジア方面の出身ですが、潮来市の市の鳥なのです。

撮影日:2014年5月17日&2019年3月14日

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2019年の千葉・茨城の旅で車泊させて頂いた「道の駅:いたこ」。とても綺麗で気持ちの良い道の駅でした。

館内に飾られていた「潮来花嫁さん」の原型とか、ラーメン缶の自販機とか、見所満載😄 観光気分も充分に味わうことが出来ます。しかもお土産用の「美味しいもの」も一杯💛

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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神栖・あちこちウォッチ in 茨城県神栖市

2019年11月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・茨城県

神栖市のマンホール撮影のために立ち寄った「はさき生涯学習センター」ですが、駐車場の隣に「童子女(おとめ)の松原公園」なる看板を見つけたので、少しだけ、本当に少しだけ😅 観光してみることにしました。

公園内には、古代装束をまとった一組の男女の像が立ち、傍らには二人にまつわる伝説が書かれています。「男は「郎子(いらつこ)」、女は「嬢子(いらつめ)」、嬥歌(かがい)で出会った二人は一瞬で恋に落ちました。こっそりと集まりの席を抜け、親しく語り合う二人。ふと気がつけばすっかり夜は明けて、朝になっているではありませんか!! それを深く恥じた二人は、ともに松の木になり「奈美松」「木津松」と呼ばれるようになりました。」

う~~~~~~ん、何だか分かったような、分からないような😔 まぁ、伝説ですから😊 ちなみに伝説に登場する「嬥歌(かがい)」とは、今で言うところの「お見合いパーティ」みたいなものらしいです。 風土記は日本各地の伝承等が書かれた書物のことで、『元明天皇』の命によって八世紀に編纂されました。「常陸国風土記」に二人の話があるのかどうか不明ですが、銅像の二人は幸せそうに見えます。

訪問日:2014年5月18日

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昭和50年から、昭和54年にかけて「週刊少年ジャンプ」に連載された「サーキットの狼」。私は殆ど読んだことがありませんが、親友のご主人が、毎週、愛読していたのを覚えています。

その作者である『池沢早人師(さとし)』の漫画家40周年を記念して開館した「サーキットの狼ミュージアム」。神栖市息栖にあるその施設は、土・日・祝日のみの開館だそうで、訪問時は閑散としていました。元々「サーキットの狼」には興味のない二人、一応こんな施設もあったと言う事で目的は達成😊

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神栖市奥野谷にある「国指定重要文化財:山本家住宅」。茅葺屋根の豪壮な外観に引き寄せられて、塀の外から外観のみを見学させていただきました。

「山本家は鹿島灘に近い神之池畔にあって、網元をしていた漁家で、名主を勤めたこともある旧家です。住宅の建設年代ははっきりしませんが、手法より見て18世紀前半と考えられています。寄棟造・茅葺で、間口19.6メートル(10間余)・奥行き10.6メートル(約5間半)の南正面東寄りに突出部を付けた曲屋で、正面及び西側面が軒下の張り出したせがい造りになっています。突出部のある部分が土間で、奥の方には部屋が設けられています。」神栖市HPより

神栖市の案内では「外観は自由に見学することができます。」と書いてあったのですが・・・もしかして生垣の外から覗き見するこの状態が、自由に見学??

訪問日:2019年3月13日

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神善寺(じんぜんじ) in 茨城県神栖市波崎

2019年11月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・茨城県

神栖市波崎に境内を構える、真言宗智山派「益田山:相応院神善寺(じんぜんじ)」。千葉県との県境近く、鹿島灘と利根川に挟まれた砂州状の地形に立地します。

鮮やかな丹塗りの堂宇は真言宗の寺院としては珍しい釈迦堂で、江戸時代中期の建築とされています。寺歴は古く、天喜4年(1056)、高野山から貞祐上人が十六善神の宝物をもって、現在の神栖市波崎舎利にて開山したと伝わります。

釈迦堂の向背には 鮮やかな色調の「龍」と、下は「波間をかける麒麟」・・??あれ?、麒麟って海も翔けたっけ?

涅槃像は檜材の寄木造で鎌倉時代の頃と思われ、おそらく中央仏師の作ではないかと云われます。格調高い仏像の筈ですが、前に積み上げられた座布団が・・・何と言うか・・しかも喉の位置ぴったりに蝋燭がおかれて😱、まるで・・・色々と残念感一杯😣

参道の正面にはコンクリート造りの本堂があり、「益田山」の扁額が架けられています。中をのぞかせて頂きましたが、暗くて良く見えません。

本堂前より境内を守護されているのは、ガチムチ系の、江戸流れの狛犬さん一対。 奉納は昭和11年(1936)10月、この年は千葉から船橋にかけて、沿岸部20kmが寒さで氷結したそうです。

色々と紹介しましたが、神善寺への参拝目的は「涅槃像」でも「狛犬さん」でもなく、境内で一際存在感を放つこの「大タブの木」

樹齢約千年余りといわれる「波崎の大タブ」。江戸時代の大火も、この大タブの木のおかげで難を逃れたと云われており、別名「火伏せの木」とも呼ばれます。茨木県内で最も大きく「県指定天然記念物」に指定されています。

根元の周囲には、何世代もに渡って奉納された沢山のお大師様が、大タブの木に向かって手を合わせておられます。その光景はとても不思議で、とても優しい・・・子供の頃の優しい時間を思い出せる情景です。

境内には、江戸時代末から明治時代にかけて活躍した『俳人:馬心』の句碑もあり、句碑好きの私には嬉しい偶然。【雁啼くや  出洲二ケ国の 入合地】【津出しする  馬荷の続く 枯野かな】

参拝日:2019年3月12日

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ご当地マンホール in 茨城県旧波崎町(神栖市)

2019年11月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

旧鹿島郡波崎町(はさきまち)は茨城県の最東南端、利根川の河口付近に位置した町です。北西は鹿島郡神栖町、南西は利根川を隔てて千葉県銚子市、香取郡東庄町に隣接。土地は平坦、砂質壌土であり、土壌に適合した土地集約型の施設園芸が盛んな農業、太平洋・利根川水系に支えられる漁業・水産加工業、鹿島開発により急速に発展した工業、恵まれた自然の観光資源を生かした、スポーツ合宿、マリンスポーツ・レジャーを中心とした観光などが主な産業です。「町の木:松」「町の花:センリョウ」「町の鳥:カモメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、鹿島郡東下村が発足。

1928年、東下村が町制を施行、改称して鹿島郡波崎町となる。

2005年、鹿島郡神栖町に編入、同日市制を施行し神栖市となりました。

マンホールには「町の木:マツ」「町の花:センリョウ」「町の鳥:カモメ」が描かれています。(はさき生涯学習センター付近に設置)

消火栓も、カラーマンホールと同配色で、同じデザインとなっています。

空気弁は消火栓と同じデザインですが全体がブルー一色で、わかりやすく区別されていました。

昭和39年3月26日制定の旧町章は「「はさき」の頭文字「は」を図案化したもので、下部の曲線で町の和と円満を表現し、上部の鋭角な表現で町の飛躍的な発展を象徴しています。」旧公式HPより

上水道関連の規格蓋は、町章の付いた制水弁が二種

撮影日:2014年5月18日&2019年3月13日

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ご当地マンホール in 茨城県神栖市

2019年11月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

神栖市(かみすし)は茨城県最東南端の鹿行地域に位置する市です。鹿嶋市、潮来市に、また県を跨いで千葉県銚子市、香取市、香取郡東庄町に隣接。霞ヶ浦と北浦を源とする常陸利根川及び利根川と鹿島灘にはさまれた平坦な低地にあり、東西はゆるやかに傾斜しています。市域には、かって広大な面積の「神之池(ごうのいけ)」を擁していましたが、鹿島開発のため一部を残して大部分を埋め立て、市の北部から東部一帯に鹿島港及び鹿島臨海工業地帯が整備されており、鉄鋼、石油製品等の広域的な供給拠点として、重要な役割を担っています。地名は「神之池」と「息栖神社」の頭文字を取ってつけられました。「市の木:槇」「市の花:センリョウ」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「市民とともにつくる“躍進する中核都市”かみす」

明治22年(1889)、町村制の施行により、鹿島郡中島村、軽野(かるの)村が発足。

1925年、中島村が改称、鹿島郡息栖(いきす)村となる。

1955年、息栖村、軽野村が合併、鹿島郡神栖(かみす)村が発足。

1970年、神栖村が町制を施行、改称して鹿島郡神栖町となる。(「'85 :科学万博記念事業」プレート)

2005年、鹿島郡波崎町を編入、同日、市制を施行し神栖市となりました。

マンホールには、「鹿島港をゆくタンカー」と「港公園の展望台」が描かれています。(港公園の展望台一階)

マンホールのデザインとなった「鹿島臨海工業地帯」と、港公園にある「展望台」。

昭和45年3月24日制定の市章は【町章として制定され、市制施行後に引き継がれたもので、市民の融和と団結を表わすとともに、工業地帯として伸びゆく未来と産業文化の飛躍的発展を単純、明快、かつ力強く象徴化し、市章の中心は臨海の市を表わすための波頭を意味しています。】公式HPより

上水道関連で「制水弁」

「上水空気弁」

「消火栓」

「防火貯水槽」

中央に「HI-STAR」の文字、下に小さく「50kn」と刻まれたマンホール。

神栖市イメージキャラクター『カミスココくん』。頭の形が茨城県で、左手の矢印で神栖市の位置を示してます。

撮影日:2014年5月17日&2019年3月12日

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塚原卜伝を訪ねて in 茨城県鹿島市

2019年11月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・茨城県

延徳元年(1489)、鹿島新當流の創始者『塚原卜伝』は、この鹿島の地で誕生しました。 父祖伝来の鹿島古流に加えて「天真正伝香取神道流」を修め、鹿島新当流を開いた人物として、日本の剣聖史に名を残す人物です。

鹿島神宮に程近い場所、さして広くは無い広場の一画に「剣豪 塚原卜伝生誕之地」の幟と共に、彼の銅像が建立されています。

何時の時代に建立されたものか読み取れませんが、過ぎて来た年月を感じさせる「塚原卜伝顕彰古碑」

また、北茨城市出身の詩人『野口雨情』が、当地の宿に宿泊の折りに揮毫した歌碑もあります。

【三笠山にもつつじが咲いていて 赤き心もしげくなる】

【鹿島神宮の神官で大掾氏の一族・鹿島氏の四家老の一人である『卜部覚賢(吉川覚賢)』の次男として、常陸国鹿島(現・鹿嶋市宮中)に生まれた『塚原卜伝』。卜伝は号で、実家の本姓の「卜部(うらべ)」を由来とする。実父・覚賢からは鹿島古流(鹿島中古流とも)を、義父・安幹からは天真正伝香取神道流をそれぞれ学び、後に武者修行の旅に出、己の剣術に磨きをかけた】Wikipediaより

「鹿島史」によれば、『卜伝』は元亀2年(1571)2月11日に八十三歳で死去したとされています。 鹿嶋市須賀、のどかな田園地帯の一画に『塚原卜伝』の墓があると知りお参りに来ましたが、案内板はしっかり観光地風味😅

小高い丘陵の上の墓所までは、「塚原卜伝生誕500年記念」で整備された参道石段が続き、私の頼りない足元でも無事に上る事が出来ました。

かってこの須賀塚原の地には、塚原家の菩提寺「梅香寺」がありましたが火災によって焼失。案内板の前に並ぶ小さな「無縫塔(むほうとう)」は、梅香寺の僧侶たちの墓でしょうか?

今になお、剣聖と謳われる『塚原卜伝』ですが、その墓は決して大仰ではなく、むしろ拍子抜けするほど質素なものでした。ですが墓前には、まだ新しい花が手向けられています。墓前の賽銭箱がいささかの違和感を感じさせますが・・きっと墓の整備などに使われるのでしょう。

墓石には向かって右に「寶剣高珍居士(卜伝の戒名)」、左に妻「仁直妙宥大姉(妙の戒名)」が刻まれています。 この時代に連名の夫婦墓が珍しいのか普通なのか分かりませんが、心が温かくなりました。🙏🙏

『卜伝』とは無関係なのですが、北浦を望む四谷墓地の外れに「天狗党の墓」があると聞き、お参りしました。 江戸時代末期、攘夷を掲げて挙兵した天狗党は、一部が鹿島に結集し、幕府軍と抗争を開始。元治元年(1864)に幕府軍に捕えられ、23名が打ち首となり、馬捨て場に運ばれ埋葬されました。

時代が移り明治11年(1878)頃に、有志により「殉難諸士乃墓」碑が建立。 誰もが己の信じる正義の為に戦った・・その結果はどうであれ、私は有志の方々に哀悼の念を捧げます。立場は違えども、誰もがこの日本という国を、心底、大切に思って行動したのです。

数年前に訪ねた「白虎隊の墓」、そこに書かれた由来を読んだ時に感じた、あの時と同じ想いをここでも感じます。

話がそれてしまいましたが、鹿島神宮参道の「卜伝にぎわい広場」には、『卜伝』の顔だし看板があります。 多分に某局のドラマを意識したと思われる『塚原卜伝』と、卜伝の妹『真尋』の二人のようですね。

訪問日:2014年5月17日&2019年3月13日

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ご当地マンホール in 茨城県鹿嶋市

2019年11月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

鹿嶋市(かしまし)は茨木県南東部の鹿行地域に位置する市です。潮来市、神栖市、行方市、鉾田市に隣接。常陸国一宮「鹿島神宮」の鳥居前町として古くから知られ、太平洋と北浦、さらにそこからつながる霞ヶ浦、利根川水系に挟まれた位置にあるため水運の要地として栄えてきました。昭和30年代後半になると、南隣の神栖市にまたがって堀込式港湾である鹿島港を建設し、重工業を誘致する「鹿島開発」計画が始動。昭和40年代以降は鹿島臨海工業地帯が形成され、鉄鋼会社や石油コンビナートが立地する工業都市となりました。また市域には「鹿島アントラーズ」のホームスタジアムやクラブハウスがあり、「サッカーの街」としても有名です。「市の木:松」「市の花:ハマナス」「市の鳥:キジ」を制定。

キャッチフレーズは「夢フィールド 交流のまち かしま」

明治22年(1889)、町村制の施行により、鹿島郡鹿島町、大同村、中野村が発足。

1954年、鹿島郡高松村・豊津村・豊郷村・波野村を編入します。

1955年、鹿島郡大同村と中野村が合併し、大野村が発足。

1995年、鹿島郡鹿島町が大野村を編入し鹿嶋町と改称、同日市制を施行し、鹿嶋市となりました。

マンホールには、鹿島アントラーズのロゴがデザインされています。(市役所前・鹿島アントラーズクラブハウス内・鹿島神宮参道などに設置)

従来からのマンホールには「市の鳥:雉」を大きく、上に「市の木:マツ」、下に「山ツツジ」がデザインされています。(駅前から鹿島神宮へと向かう途中の参道)

別のデザインのマンホールには、色紙形の中に「市の鳥:雉」、上下に「市の花:ハマナス」「市の木:松」が配されています。

北浦に面した爪木地区の集落排水マンホールには、「神宮橋とカモメ」「ハスと稲」が情緒的に描かれています。

鹿島市大船津地区の集落排水マンホールには、「筑波山」を背景に「神宮橋と帆曳船」、下に「サッカーボール」がデザインされています。

昭和55年7月10日制定の市章は「市名の頭文字「カ」の図案化で、鹿島灘の波頭をアレンジし、市の躍進・発展と市民の融和・団結を象徴したものです。」公式HPより

上水道関連の蓋は「制水弁」

「給水弁」

「消火栓」

鹿島神宮参道の樹木カバーのデザインは、国重要文化財に指定された「鹿島神宮の楼門」。

鹿嶋市観光協会キャラクター『ぼくでん』は「剣聖・塚原ト伝」を大河ドラマ誘致に向けてPRするために制作されました。願い叶って見事大河の主役を射落とした『ぼくでん』は、実は市の職員さんのデザインだそうです。

撮影日:2014年5月17日&2019年3月13日

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茨城県鹿嶋市のマンホールカード

2019年11月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(累計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「鹿嶋市」のマンホールカードは、「鹿島アントラーズオフィシャルショップ・クラブハウス店」で頂けます。

こんな機会でもなければ立ち入れない場所ですが今日は大丈夫!・・と言いつつ、場違い感はぬぐえず、何故か及び腰😅

2017年に設置されたマンホールには、「鹿島アントラーズのエンブレム」がデザインされています。

【鹿嶋市をホームタウンとするJリーグ鹿島アントラーズのチームエンブレムをデザインしたマンホール蓋です。 「アントラー」とは鹿の枝角のこと。鹿嶋の地に古くから鎮守する鹿島神宮の鹿にちなみ、広く愛され、戦いの際にはその鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味が込められています。 鹿島アントラーズの誕生と活躍は「カシマ」の名を一躍全国区へと押し上げ、世界にも知られるようになりました。 鹿島アントラーズはまさに鹿嶋市のシンボルです。 ホームゲーム開催日にはサポーターが集結し、スタジアムはチームカラ―のアントラーズレッド一色に染まります。】

クラブハウス店の玄関横にある座標軸のマンホール

また、2019年2月15日からは、鹿嶋市観光案内所で「英語版」が配布されました。

内容的には、上の日本語バージョンと同じだろうと思います。

マンホールデザインの缶バッジ

訪問日:2019年3月13日

 

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ご当地マンホール in 茨城県

2019年11月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

茨城県(いばらきけん)は日本列島のほぼ中央を占める関東地方の北東に位置する県です。北は福島県、西は栃木県・埼玉県、南は千葉県に隣接。県内には32市7郡10町2村の自治体が属しており、県庁所在地は水戸市。町はすべて「まち」、村はすべて「むら」。北部から北西部にかけては、南北に阿武隈山地の南端部となる久慈山地・多賀山地の山々と八溝山地の山々が連なり、この間に山田川、里川、久慈川、那珂川とその流域の平地があります。中央部から南西部にかけては、常総平野が広がり、そのなかを小貝川、鬼怒川が流れ、この両河川を合流して最南端を利根川が東流し、太平洋に注ぎ込んでいます。南東部は、霞ケ浦および、北浦を中心とする水郷地帯、東部は、延長190キロメートルにおよぶ海岸線がのび、その間に日立、常陸那珂、大洗、鹿島港と沿岸漁業の拠点となっている平潟、大津、久慈、磯崎、平磯、那珂湊、波崎等の漁港があります。県名の「茨城」は、国郡里制時代の茨城郡に由来し、名称自体は「常陸国風土記」まで遡ります。「県の木:梅」「県の花:バラ」「県の鳥:ヒバリ」「県の魚:ヒラメ」を制定。

キャッチフレーズは「漫遊空間 いばらき」

1991年11月13日制定の県章は「県政120周年を記念して制定。「常陸国風土記」の「茨城郡」の条に「茨(うばら)」が見えるなど、本県の自然や歴史に関係の深いばらを基本モチーフに、開き始めたばらのつぼみをダイナミックに象徴化したものです。新しい時代を先導する県にふさわしい“未来指向の斬新なイメージ”をデザインの基調とし、茨城県の「先進性」「創造性」「躍動」「発展」を表現しています。県章の色は、県のシンボルカラー「いばらきブルー」を基本としています。」公式HPより

昭和41年(1966)制定の旧県章は「「イバラキ」の文字を県の花「バラ」に形どったものです。」

中央に「茨城県」、上に「工水」、下に「空気弁」と書かれたマンホール。

「東京電力」のマンホール、中央にある社章は、丸を並べてアルファベットの「T」を表したもの。

水戸藩第二代藩主『徳川光圀』をモデルに、2005年「ねんりんピック茨城大会」の大会マスコットとして誕生した『ハッスル黄門』。2008年の国民文化祭茨城大会、2009年の技能五輪アビリンピック茨城大会のマスコットもつとめた茨木県マスコットキャラクターです。

いきいき茨城ゆめ国体・いきいき茨城ゆめ大会のマスコットキャラクター『いばラッキー』。幸運のエネルギーでできたラッキー星のかけらが弾けて、地球の茨城にやって来たそうです。

茨城県人権啓発キャラクター『ココロちゃん』、天使の清らかな羽を持った素敵な女の子です。

水戸の名産:納豆をモチーフにした、茨城県非公認!のマスコットキャラクター『ねば〜る君』。年齢710歳、慎重710m、体重710g、7月10日生まれで、一応!「納豆の妖精」です。

茨城県(水戸市)と言えば納豆!ですよね。という事で、日本損害保険協会南関東支部茨城損保会には『なっ盗難防止マン』がいます。盗難防止5つのポイントを心がけ、クルマを盗難から守るヒーロー、粘り強さが自慢です😄

撮影日:2019年3月13日

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息栖(いきす)神社:東国三社~其の二 in 茨城県神栖市

2019年11月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・茨城県

昨日に続いて息栖神社の境内案内。境内の一画に鎮座される「四柱合祀社」には、「鹿島神社、伊邪那岐神社、高房神社、奥宮」「五柱合祀社」には「香取神社、手子后神社、八龍神社、江神社、若宮」が鎮座されます。

社殿近く、赤い玉垣の中には「力石」が二つ。右の力石は『笹川茂蔵』が力試しに使ったと云われ、「茂蔵の力石」とも伝えられています。

同じ玉垣の中には、形を失いつつある先代の狛犬さんが大切に保存されていました。 長い年月の間に少しずつ崩れ、やがていつか元の土塊に還る狛犬さんたち・・お疲れ様でした。

狛犬さんたちの後ろに『気吹戸主(いぶきとぬし)』を歌った芭蕉の句碑。【この里は  気吹戸主の 風寒し】(清浄の神の神域に身を浸していると、体を風が吹き抜け、透き通って寒くなるくらいだ)

由緒には、江戸時代の「息栖神社」の御祭神は『気吹戸主神』であったと記されています。「「黄泉の国」から戻った『伊耶那岐尊』は、筑紫日向の橋の「小門(おど)」で、身体を洗い、罪や穢れを、すっかりそそぎ落し、浄め流した。その流れの中から生まれたのが「息栖神社」の御祭神『気吹戸主』で、清浄化・生々発展・蘇生回復の神である。」それを踏まえて、改めて芭蕉の句を読み直すと、その情景が鮮やかに浮かんでくるようです。

境内を出る前に見かけた碑、おそらく誰かの顕著碑、もしくは頌徳碑でしょう。

車に戻るときに出会った沢山の猫たち、きっと地域猫としてここで生きているのでしょう。無責任とか迷惑とか・・色々と非難の声があることは百も承知ですが、猫好きの私にとってこうした場に出会えると、神社にも地域にもとても愛着を感じます。命をつないで下さった方々・・「ありがとうございます!!」🙏

「息栖神社・鹿島神宮・香取神宮の三社は、葦原中国平定(=国譲り)の際に地上に遣わされたとされる神様をそれぞれ祀っています。『古事記』においては建御雷神の副使として天乃鳥船神が遣わされました。また『日本書紀』においては建御雷神と経津主神が遣わされ、久那斗神がその先導にあたったとされています。建御雷神(武甕槌大神)は鹿島神宮の御祭神、経津主神は香取神宮の御祭神として祀られており、息栖神社では久那斗神を主神、天乃鳥船神を相殿神として祀っています。」公式HPより

参拝日:2014年5月17日&2019年3月13日

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