車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福井県旧三方町(若狭町)

2016年07月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

旧三方郡三方町(みかたちょう)は福井県の西部、綾南地域に位置した町です。美浜町・上中町・小浜市、800m級の比較的低い山々を境に滋賀県高浜市と隣接。国指定の名勝で、若狭湾国定公園に属する「三方五湖」のある町として知られています。「町の木:しい」「町の花:梅」を制定。

旧キャッチフレーズは、「いつもあなたの“みかた”です」

明治22年(1889)、町村制の施行により、三方郡八村・西田村・十村が発足。

1953年、八村・西田村が合併、三方郡三方町が発足。

1954年、三方郡十村を編入。

2005年、遠敷郡上中町と合併、三方上中郡若狭町となりました。

マンホールには「三方五湖」「梅丈岳」「町の花:梅」と、特産の「梅の実」が描かれています。

昭和34年4月1日制定の町章は「平和と将来の発展を表したもの。中の丸は平和を表し、「三方」の三を図案化したもの。△は 将 来の発展と、「三方」の方を表し、三方五湖を図案化。全体は梅の花を表現。」合併協議会資料より

規格タイプの農業用水仕切弁

2001年8月16日、タンデムで出かけた三方町で、三方五湖を周遊する遊覧船を楽しんだことがあります。トップの画像はその帰路のもので、この後、カーブを曲がり切れずに単独事故を起こし、以来長く若狭方面へのタンデムが出来なかった苦い思い出があります。バイクから車に変わっても、その恐怖を克服する為に実に七年の歳月を要しました。

撮影日:2008年6月1日

 

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ご当地マンホール in 福井県若狭町&旧上中町

2016年07月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

三方上中郡若狭町(わかさちょう)は福井県の西部、若狭国西南部に位置し若狭湾のリアス式海岸の一部を成す町です。美浜町との境界にはラムサール条約登録湿地の「三方五湖」があり、また、近江に抜ける鯖街道の一つとしても知られます。2005年3月31日、遠敷郡上中町と三方郡三方町が合併、両方の地名を取った「三方上中郡」を新設して誕生しました。小浜市、美浜町、鯖街道を経て滋賀県高島市に隣接。

キャッチフレーズは「輝きと優しさに出会えるまち 若狭町」

2005年3月31日制定の町章は「若狭町の「W」をモチーフに若さとフレッシュ感のあるデザインで新しい町の生命力と未来に開こうとする姿を表現しています。」公式HPより

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旧遠敷郡上中町(かみなかちょう)は福井県の西部、若狭国西南部に位置した町です。古くより、若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場町として栄えてきました。美浜町・上中町・小浜市、鯖街道を経て高島市に隣接。「町の木:赤松」「町の花:紫陽花」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、遠敷郡野木村・三宅村・鳥羽村・瓜生村・熊川村が発足。

1954年、野木村・三宅村・鳥羽村・瓜生村・熊川村が合併、遠敷郡上中町が発足。

2005年、三方郡三方町との合併により、三方上中郡若狭町となりました。

マンホールには、「町の花:アジサイ」と右隅に町章がデザインされています。(大鳥羽駅前の舗道に敷設)

昭和29年4月29日制定の町章は「「上中」の文字を図案化。丸く手をつなぎ、協調することを意味する。」合併協議会資料より

撮影日:2008年6月1日&2012年7月10日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 福井県敦賀市

2016年07月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

敦賀市(つるがし)は福井県南西部、嶺南地方に位置し、日本海の敦賀湾に面した市です。南条郡南越前町、三方郡美浜町に。また県を跨いで滋賀県高島市、長浜市に隣接。古代より畿内と北陸道を結ぶ北国街道の脇街道である「鯖街道」や「木の芽街道」、山陰道への「丹後街道」が通り、交通の要衝とされてきました。市域は街道沿いに鎮座する「氣比神宮」によって鳥居前町が形成され、日本海有数の天然の良港であり、奈良時代から三大要津の一つに数えられた「敦賀港」とともに発展してきました。「市の木:松」「市の花:萩」「市の鳥:ユリカモメ」を制定。

キャッチフレーズは「世界とふれあう港まち 魅力あふれる交流都市 敦賀」

明治22年(1889)、町村制の施行により敦賀郡敦賀町・松原村・愛発(あらち)村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村が発足。

1937年、敦賀郡敦賀町・松原村が合併し市制を施行。敦賀市が発足。

1955年、敦賀郡愛発村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村を編入。

マンホールには名勝で知られた「気比の松原」と「立石岬灯台」が、美しく描かれています。(「気比神宮」付近の道路に設置)

「気比の松原」

北陸道:杉津PA記念スタンプ「立石岬灯台」

「金崎宮」へ向う道路には、「花換まつり」の神事にちなんで、桜の花が描かれています。桜は側溝蓋のプレートや、樹木カバーにも描かれていますが、特に市の花と言う事では有りません。

市章を中心に「市の木:松」が描かれたマンホール。

昭和27年3月28日制定の二代目市章は「周囲の円形が敦賀港を現わして地勢を物語り、中央の角は「都奴賀阿羅斯等」に因んでその沿革を象徴。角の上部は灯台を具現し、港湾都市としての将来への発展を意味しています。」公式HPより

「敦賀港」に入港する大型船と、「市の鳥:ユリカモメ」がデザインされた側溝蓋

桜がデザインされた側溝蓋

扇面がデザインされた側溝蓋

市の木・松がデザインされた側溝蓋

扇面に松と梅がデザインされた側溝蓋

市章と桜がデザインされた樹木カバー

敦賀港開港100周年記念事業「つるが・きらめき・みなと博21」タイル

敦賀の地名については、「日本書紀」に「垂仁天皇の時、意富加羅国の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が「笥飯(けひ)浦」に来着、その額に角があったので、この地を「角鹿(つぬが)」と称した。」とあり、701年に完成された「大宝律令」において「敦賀」と改称されたと記されています。

撮影日:2009年6月5日&2012年7月10日&2018年3月24日

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2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「敦賀市」のマンホールカードは、「敦賀鉄道資料館」でいただけます。

1999年に設置開始されたマンホールには「気比の松原」「立石岬灯台」「ユリカモメ」がデザインされています。

「日本三大松原に数えられる「気比の松原」を近景に描き、そこから望む「立石岬灯台」と敦賀の鳥「ユリカモメ」を描いた、「松灯台」の名を持つマンホール蓋です。 立石岬灯台の歴史は古く、明治14年、石造り灯台として初めて日本人のみの設計・施工で建てられました。 その後、同32年には敦賀港が開港場に指定され、敦賀市は日本海側の主要な国際港湾都市として発展しました。 本マンホール蓋は、平成11年、敦賀港開港100周年を記念してつくられたもの。 金ケ崎緑地周辺の歩道に設置されていますが、近辺には桜の名所「金崎宮」にちなんだ桜のマンホールもありますので、是非探してみてください。」

配布先で頂いたマンホールマップ

座標軸マンホール・・なぜこんな芝生の中に??

訪問日:2018年3月24日

コメント (4)
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