車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

常楽寺龍照院(りゅうしょういん) in 愛知県蟹江町

2016年11月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

蟹江町須成、「冨吉建速神社・八劔社」に隣接した境内に門を構える真言宗智山派寺院「蟹江山:常楽寺龍照院(りゅうしょういん)」。尾張三十三観音札所十三番。国宝『十一面観音菩薩立像』を本尊とします。

「奈良時代の天平5年(733)に行基菩薩により草創され、その後、寿永元年(1182)木曾義仲により再興されたと伝えられています。最盛時の規模は、七堂伽藍(しちどうがらん)のほか龍照院をはじめとした18の坊や寺院があったと伝えられています。しかし、天正12年(1584)の蟹江合戦の際に兵火に遭い、龍照院一坊とご本尊のみが残りました。本堂は、明治24年の濃尾地震で倒壊し、現在の本堂はその後に再建されたものです。」蟹江町HPより

龍照院の境内の一角に「大日如来。堂内には西国三十三観音とともに、『大日如来坐像』が安置されています。

「源頼朝が平家追討の兵を上げたとき、木曾義仲に従って上洛した巴御前。武術を心得え、義仲が危急のときには、身の危険をおかしながらも付き従った華麗で美しい女武者だったといわれています。元暦元年(1184)正月21日、粟津で義仲最期のとき、巴は、主君義仲と一緒の死を望みましたが、義仲は武人の名誉を思い、巴に落ち延びるように言いました。義仲の最後を見届ける事もできず、義仲の命に従い戦場を離れる巴。義仲に大将にふさわしい最期を全うさせるため、死よりも苦しい生を生きなければならなかったのです。」

「信濃へ落ちる際、蟹江町の常楽寺は義仲が建てた寺であることを知った巴は、この寺に如来坐像を安置し、髪を下ろして尼となり、名を「東阿禅尼」と呼び、義仲の菩提を弔ったと伝えられています。」蟹江町観光サイトより

2012年に参拝した小矢部市埴生「護国八幡宮」『木曾義仲・巴御前』絵馬。愛する人と共に果てる事が叶わなかった『巴』・・今は共に彼方の上にて優しい時を過ごされていますように。

「大日堂」の屋根より参拝者を見下ろす飾り瓦の獅子一対。

境内の入り口近く、復興の際に寄進された「鐘楼」

記憶の中からすっぽりと抜け落ちてしまった飾り瓦の獅子一対。はて・・君たちはどこの屋根に居たのだろう?

行脚姿の『弘法大師修行象』。錫杖と鉄鉢を手に諸国を巡歴されたお姿は真言宗寺院ではすっかりお馴染みのお姿。

「人形とは人の形なり 人形を抱くは母の悲しみを抱くなり 人形には与える物 持つ物の心がこもるなり 年月を経て哀れなる姿となり 大自然の中に帰る人形たちよ 我々の感謝の心を受けて み佛のもとに行きて安らかならんことを」

裕福ではなかった幼いころ、私の側にいてくれたのは人形と呼ぶには恥ずかしいような、母が余り布で作った小さな人形さんでした。いつの間に手元からいなくなってしまったあの人形・・「み佛のもとに行きて安らかならんことを」

参拝日:2011年4月24日&2017年3月28日

 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冨吉建速(とみよしたけはや)神社:八劔社 in 愛知県蟹江町

2016年11月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

蟹江町須成に鎮座される「冨吉建速(とみよしたけはや)神社」、御祭神は『素戔嗚尊』。「八剱社」、御祭神は『草薙神霊・熱田五神』。地元では「須成(すなり)神社」として親しまれています。

「社号標」「地名のいわれ(須成)」碑。「須成の名は、その昔、木曽川などが運んだ砂が堆積した場所を示す砂成(すななり)が、後になって「須成」という地名になりました。蟹江町の北の端に位置した集落で、中央を南北に蟹江川が流れ、古くから須成神社と龍照院を中心に栄えた地区です。」蟹江町HPより

由緒「天平5年(733)行基菩薩(ぎょうきぼさつ)により蟹江山常楽寺(じょうらくじ)の鎮守として創建、寿永元年(1182)木曾義仲によって修復され、天文17年(1548)織田信長により再建されたといわれています。室町時代の建築で、前流れの美しい屋根の曲線と、桃山時代への推移を示す創建当時のままのかえる股が特徴です。昭和28年に本殿と棟札が、国の重要文化財に指定されました。」蟹江町HPより

朱も鮮やかな国重要文化財の「冨吉建速神社本殿」「八劔社本殿」

重要文化財の本殿を背に神域を守護される狛犬さん。位置的に反対側は拝見できずで、吽形さんだけ。

「拝殿」

拝殿内に架けられていた御本殿写真。

拝殿横の通路奥、「八劔神社」と刻まれた台座の上より神域を守護されるのは異様に大きな耳をお持ちの狛犬さん一対。岡崎でも無く・・他にあまり見かけないお姿です。

こちらでは吽形さんが毬を手に、阿形さんの手元には可愛い仕草で親狛を見上げる仔狛の姿。そう言えば狛犬さんが守護をされるのは二つの神社。もしかして阿形さんの台座には「冨吉建速」と刻まれていたのでしょうか??

本来、拝殿横の通路は鉄柵で閉じられているのですが、この時は何かの集まりがあったらしく、関係者の方のご厚意で狛犬さんの写真を撮らせて頂きました。心よりお礼申し上げます。

拝殿屋根、留め蓋瓦の飾り獅子一対。個性的なお獅子顔が何とも素敵。

「愛知県無形民俗文化財:須成祭 宵祭まきわら船」

拝見は出来ませんでしたが、こちらの神社には町指定有形民俗文化財として「山車人形(面・手)二躯」「彩色陶製狛犬 一対」が所蔵されているそうです。

注連縄の上にいた鳩。柏手の音にも身じろぎ一つせず・・羽の中に顔を埋めたまま、まるで眠っているかのように。

参拝日:2011年4月24日&2017年3月28日

------------------------00----------------------

御神名一口メモ

『熱田五神』、「天照大神」「 素盞嗚尊」「 日本武尊」「 宮簀媛命(みやすひめのみこと)日本武尊の最後の妻」「 建稲種命(たけいなだねのみこと)宮簀媛の兄

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小牧神明社 in 愛知県小牧市

2016年11月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県小牧市小牧に鎮座される「小牧神明社」。御祭神は『天照大神』。配祀『金山彦神・建速須佐之男命 』

「永禄六年(1563)、織田信長が清須から小牧山へ居城を移した際、厄除けのために、清須にあった御園神明社を守護神としてこの地に分祀したのが創建である。天正一二年 (1584)の小牧、長久手の合戦では、小牧山に布陣した織田信雄、徳川家康が崇敬したという。」境内由緒碑より

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正三年四月建立の・・多分、浪花系の狛犬さん一対。阿形さんの大口と、吽形さんの悪魔っぽいすまし顔が絶妙のバランス(^▽^)/

吽形さんの足元にしがみ付いて見上げる仔狛、さてさて、何を訴えているのでしょうか?

一棟の社殿に合祀される「摂社:秋葉社・須佐之男社・御嶽社・天神社・稲荷社」

拝殿前より神域を守護されるのは稲荷の神狐一対。建立年は不明ですがどちらにも首の部分に修復の後が有ります。

特に巻物を咥える神狐さんは修復が追い付かなかったのでしょうか?稲荷の宝珠の首輪で補修が成されていました。

「御林稲荷社」の朱の千本鳥居

「松尾神社」

「津島神社」

「山の神社」

2007年に復元された二代目御神馬像

御神木:連理木(れんりぼく)

手水舎

毎年8月20日前後の土曜・日曜日に開催される「小牧秋葉祭の山車絵図」

参拝日:2011年6月4日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカード in 愛知県小牧市

2016年11月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

小牧市(こまきし)は愛知県の北西部、濃尾平野の北東部で名古屋市の北側に位置しています。複数の高速道路が交わることから、陸上交通の要衝ともなっており、市の中部には、織田信長が初めて築城し、豊臣秀吉と徳川家康の天下分け目の合戦の1つである「小牧・長久手の戦い」の舞台ともなった小牧山が、南部には県営名古屋空港(通称・小牧空港)の一部や航空自衛隊小牧基地があります。「市の花:ツツジ」「市の木:タブノキ」を制定。

キャッチフレーズは「キミと一緒に 育っていきたい」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東春日井郡小牧町・外山村・境村・和多里村・岩崎村・味岡村・久保一色村・大草村・大野村・池林村・陶村が発足。

1894年、東春日井郡境村間々村、間々原新田が分立し、真々村が発足。

1906年、東春日井郡味岡村、岩崎村、久保一色村が合併、味岡村が発足。大野村・池林村・陶村が合併、篠岡村が発足。

1906年、東春日井郡小牧町、外山村、真々村、境村、和多里村が合併し二代目小牧町が発足。

1955年、東春日井郡小牧町、篠岡村、味岡村と合併、小牧市が発足。

1963年、西春日井郡北里村(薬師寺以外)を編入。現在に至ります。

マンホールには周囲に「市の花:ツツジ」、内側に「小牧城と市の木:タブノキ」が描かれています。

「鳥をイメージしたKOMAKI」の文字を中心に「小牧城」「飛行機」「魚」「桃」などがデザインされています。(モートショッピングセンター付近に設置)

メタウォーター下水道科学館あいち:展示マンホール

昭和30年4月1日制定の市章は「左よりかたかなで「コマキ」を表し、市章全体は空港都市小牧の象徴である航空機の機関部正面を表し、将来への飛躍を物語っているものである。」公式HPより

お茶目なシティーボーイ風の消防官が描かれた「消火栓」。

七夕用の角蓋

「市の花:ツツジ」の路上タイル

小牧市制50周年記念事業で誕生した小牧市マスコットキャラクター『こまっきー』。小牧市の花「ツツジ」をモチーフにした、元気で親しみやすい男の子です。

撮影日:2011年6月4日&2018年3月23日

------------------------00----------------------

マンホールカード 頂きました。

2020年12月17日、第13弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が開始されました。「小牧市A」のマンホールカードは、「小牧駅前観光案内所」でいただけます。

1990年に設置開始されたマンホールには「市の花:ツツジ」と「小牧城」「飛行機」、「桃・魚」がデザインされています。

「小牧市は、空港や高速道路の結節点という地理的特性を生かし内陸工業都市として発展してきました。 歴史的には織田信長が築城し、後に「小牧・長久手の戦い」で徳川方が陣を構えた小牧山(国指定史跡)が有名です。 現在は本市のランドマークとなっており、山頂には小牧市歴史館、麓には「れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)」があります。 また、篠岡地区は「しのおかの桃」の産地として知られています。 市制35周年を記念し市民公募で1990年に制作され、鳥をイメージした「KOMAKI」の文字を中心に、魚で3つに分けた区域にそれぞれ飛行機、歴史館、桃を描いています」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根崎八幡神社 in 愛知県安城市

2016年11月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県安城市根崎町に鎮座される「根崎八幡神社」。御祭神は『品陀和気命(応神天皇)』

由緒「寛永15年(1638)に津島牛頭天王社を祀ったことが始まり。元禄7年(194)に、領主松平正基の江戸屋敷近くにあった深川八幡社(現:富岡八幡宮)から分霊を請けて八幡社とした。」

拝殿後方、覆い屋の中に鎮まる御本殿。2008年度の建造物調査で本殿周辺の部材に寛保3年(1743)、あるいは寛保4年(1744)と書かれた墨書が見つかっており、本殿はこの頃の造営と思われます。また覆殿は棟札から弘化2年(1845)に建立されたことが判明しています。

参道入口より神域を守護されるのは、焼き物の神殿系獅子狛犬さん一対。

昭和59年の建立ですから狛犬界ではかなりの新顔ですが、阿吽ともにとてもよい顔立ち。焼物には詳しくないのですが、御亭主殿いわく、「多分、万古焼かな?」との事。ただし全く確証はありません(笑)

参道正面、拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正十年(1921)建立の岡崎狛犬さん一対。

岡崎型ですがどちらかと言うと初期の頃の狛犬さんのイメージで、あの独特のいかつさが無く、私的には好ましい顔立ちの一対です。

「境内社:稲荷舎」

稲荷社の鳥居の内より神域を守護されるのは、それぞれに宝珠を手にした昭和13年建立の神狐一対。子狐を手元に置く親狐の姿がとても良いです。

境内に祀られる石祠、側に「八幡神」の碑。古代の神はこのよう祀られていたのかと想像が膨らみます。

玉垣の一段高くに祀られる「祓戸大神(はらえどのおおかみ)」。祓戸大神は『 瀬織津比咩、速開津比咩、気吹戸主、速佐須良比咩』の総称で、罪穢れを祓い清めるとされています。

日本人が大切にしてきた心の象徴とも言える「細石」。これがきちんと祀られている神社は、参拝していて不思議なほど気持ちが穏やかになります。

参拝日:2011年9月20日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東端八剱神社 in 愛知県安城市

2016年11月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県安城市東端町に鎮座される「東端八剱神社」。御祭神は『日本武尊・素盞嗚尊・仁徳天皇』

鳥居前左右より神域を守護されるのは、明治7年(1874)8月吉日建立の岡崎天神系狛犬さん一対。

吽形さんには宝珠、阿形さんには角があり、ともに何とも言えぬ穏やかな顔で参拝を出迎えてくれます。

由緒「旧記に醍醐帝四皇子重明親王の苗裔敏親、此の上に住し、源頼朝に仕え宇治及一の谷の役に功を建て、周防の守に任ぜらる。此の際、守本尊として不動尊の像を携う。別に祈願の事あり。治承元年熱田神宮を勧請し、敏親の死後、村民之を氏神として尊信すと伝う。古図に依れば、同じ境内に八剱宮と若宮の二社殿あり。本殿修築の際一社殿に奉斎したるものなり。」境内由緒碑

鎮守の森の向こう、明るく開けた境内に建つ拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和4年(1929)10月建立の岡崎現代型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは足の下に毬を置いています。

拝殿屋根の御神紋は「羽団扇(はねうちわ)紋」。天狗の持ち物として知られる羽団扇を神紋としている神社、私にはここが初見です。

境内にはいくつもの境内社が祀られていた筈ですが、何故か一社も画像に残していません。理由は今もって謎・・・(^^;) 

境内の一角で見かけた「市指定史跡:東端貝塚」

「1951年と1978年に調査を行っており、そのときに縄文時代の土器片や灰釉陶器等の平安時代から室町時代の遺物が出土しました。 貝類の種類は、ハイガイ・アカニシ・マガキ・オキシジミ・アサリなどです。 現在は、八剣神社境内に貝が散布しています。南に存在していた小山貝塚は、1961年に土取り工事によって削平されてしまい滅失しました。」

参拝日:2011年9月20日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治川神社 in 愛知県安城市

2016年11月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県安城市東栄町に鎮座される「明治川神社」。御祭神は用水守護のための三柱『大水上祖神(みくまりのおやのかみ)、水分神(みくまりのかみ)、高龗神(たかをかみのかみ)』。さらに昭和にかけて、明治用水開削の功労者『都築弥厚命、伊豫田与八郎命、岡本兵松命、西沢真蔵命』を合祀。

由緒 「当社は、明治用水の守護神として、水にかかわりの深い神様、及び明治用水の敷設に功労のあった方たちが祀られている。社伝によれば、文化5年(1808年)頃、都築弥厚なる翁が碧海台地の開発を計画されてから70余年の歳月を経た明治13年(1880年)4月18日、松方正義内務卿参列のもとに用水路竣工の式(水源)という宿願を迎えたという。長年にわたる用水の欠乏により農村は疲弊していたが、用水路の開通によつて一大飛躍に至り、水に由縁の深い神、三柱を同年12月に現在の境内地に勧請し奉った。その後、明治17年10月に社号を明治川神社とし、翌18年10月10日本社落成。大正4年11月、この計画者、都築弥厚大人を合祀。つづいて昭和17年5月、伊豫田与八郎命、昭和26年5月、岡本兵松命がそれぞれ伊佐雄社より、又、昭和31年3月には、西沢真蔵大人「枝下用水」が共に合祀されて用水の守護神として厚く奉斎された。」

二の鳥居を経て、昭和二年十月建立の神橋が架かる神池へ

神明造の拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは『石匠:酒井孫兵衛』によって作られた「岡崎狛犬」一対。

八代続いた『酒井孫兵衛』ですが、実は、正式に孫兵衛を名乗ったのは三代目(弘化三年1846没)からだそうで、奉納年の記載がないこちらの狛犬さんが何代目の孫兵衛さんによって生み出されたのかは不明。ともあれ、昨今巷にあふれる大量生産の岡崎型とは確かに一線を画しています。

「境内社:伊佐雄社」・御祭神は『田中勘七郎命、本多寛三郎命、加藤太兵衛命、黒宮許三郎命、中根祐命、木藤八三郎命、黒川治愿命、本多又左衛門命(北野用水)、小原権太夫命(北野用水)、天野金右衛門命(鹿乗川)、加藤吉右衛門命(鹿乗川)』

由緒「用水開拓に功労のあった十三柱の方々は、何れも存命中に神として奉祀せられた「生祠」。もとは、明治14年上倉池の小島の上に発起者並に出資者を奉祀し、開拓小作のため移住した人々と共に鎮守の神として崇敬の誠を捧げていましたが、この上倉池も開拓し盡されたので、明治18年明治川神社の公認認可を機会に現在の地に遷座。昭和47年8月鹿乗川沿岸用排水土地改良区が明治用水土地改良区に合併したため、北野用水、鹿乗川の開さく改修に功労のあった各二柱が翌48年10月合祀された。」

境内社「伊佐雄社」の神域を守護されるのは大正9年(1920)1月。『石工:本多吉郎』作の岡崎狛犬さん一対。岡崎型ですが個性的な顔立ちです(笑)

神楽殿

神池と神橋

豊かな水が蓄えられた神池には、笠をかぶって田植えをする人を象ったモニュメント。

御神馬

「教化史跡 明治用水」碑。「教化とは、教え導き、よい方向に向かわせること。ついでに史跡とは、遺跡のなかで重要なもの」という意味だそうです。

参拝日:2011年9月18日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不乗森(のらずのもり)神社 in 愛知県安城市

2016年11月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県安城市里町に鎮座される「不乗森(のらずのもり)神社」。御祭神は『大山咋之命』

由緒「第六十三代冷泉天皇の御代(968)に近江国坂本村(大津市坂本町)の日吉大社東本宮より御分霊を観請。当時社頭は、旧鎌倉街道に沿い「野路の宿」と共に「宮橋の里」と称する駅次の所在地であり、古来より街道を往来する人々は、社頭通行にあたり下馬して拝礼の上通行した。故に駄野森山王宮と称したが、明治維新改革に際し不乗森神社となる。」公式HPより

二の鳥居前左右より神域を守護されるのは、岡崎型狛犬さん一対。愛知県の神社では圧倒的にこの岡崎型狛犬が主役です(^^;)

昭和二年(1927)三月吉日建立。何と言うか・・・強面なんですが妙に唇が分厚くて、その所為で怖さが半減している感じ(笑)

鳥居を潜った先には開放的な神楽殿

神楽殿の前、左右より神域を守護されるのは、昭和三十年(1955)一月建立の招魂社系狛犬さん一対。

神楽殿の屋根には高く足を蹴上げて参拝者を迎える留め蓋の獅子一対。中々に良い表情です。

神楽殿向拝の翼竜の彫刻

明治廿八年九月奉納の絵馬

神楽殿後方には左右に廻廊を持つ幣拝殿。その前より神域を守護されるのは、それぞれに幣を手にする日吉宮の神使い「神猿(まさる)」一対。

神威によって魔が去る(悪魔が退散する)。また、「勝る」とも云い、何よりも美しいものを内蔵した正義の象徴として伝えています。

神猿の足元には、神社の御神紋でもある「双葉葵」の鉢植え。

境内に置かれた双葉葵の御神紋の鬼瓦。

左「境内社:稲荷神社」・右「境内社:東日吉社

左「境内社:秋葉社」・右「不明」

1992年11月3日、安城市の無形民俗文化財に指定された「不乗森神社の湯立神事」に用いられる「幸福釜」。

「さざれ石」と「忠魂碑」

社務所前に広がる「御神田」

三猿像「見ざる・云わざる・聞かざる」

手水舎には尾の先を優雅にくねらせる吐水龍。このタイプは初見です。

境内を優しく包み込む「不乗森」

参拝日:2011年9月18日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカード in 愛知県安城市

2016年11月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

安城市(あんじょうし)は愛知県のほぼ中央に位置し、愛知県下では8番目の人口を有する市です。豊田市、岡崎市、西尾市、刈谷市、碧南市、知立市、高浜市に隣接。明治13年に開発された明治用水の開通により大規模な開墾が行われ、農業の先進的な取り組みが行われたことから、1920年代から1930年代にかけて、農業先進国のデンマークになぞらえ「日本デンマーク」と呼ばれました。名古屋市や豊田市の衛星都市であり、自動車工業を中心とする機械工業が盛ん。赤松町にある「安城産業文化公園デンパーク」は道の駅を併設した農業公園として人気です。「市の木:黒松」「市の花:サルビア」を制定。

かって交通の拠点となった東海道、安城市浜屋町屋敷山付近に残る東海道の松並木は今も往時の面影を偲ばせており、昭和45年3月6日に市指定天然記念物に指定されました。

キャッチフレーズは「受け継ぐ想いを未来に届ける 望遠郷 市民とともに育む環境首都・安城」

明治22年(1889)、町村制の施行により、碧海(へきかい)郡安城村・里村・箕輪村・福釜村・赤松村・今村・古井村・平貴村・長崎村・藤野村・桜井村・小川村・三ツ川村・米津村・西端村・東端村・根崎村・城ヶ入村・和泉村・榎前村・高棚村・小垣江村・野田村・半高村・長崎村が発足。

1906年、碧海郡安城村・里村・箕輪村・福釜村・赤松村・今村・古井村・平貴村、長崎村篠目が合併、碧海郡安城町が発足。

碧海郡藤野村・桜井村・小川村・三ツ川村が合併、碧海郡桜井村が発足。

碧海郡米津村、西端村、東端村、根崎村、城ヶ入村、和泉村、榎前村が合併、碧海郡明治村が発足。

碧海郡高棚村、小垣江村、野田村、半高村、長崎村が合併、碧海郡依佐美村が発足。

1952年、碧海郡安城町が市制を施行、安城市となる。

1955年、碧海郡明治村大字東端、根崎、榎前、和泉、城ケ入、石井の区域、および依佐美村大字井杭山、二本木、高棚の区域を編入。

1956年、碧海郡 桜井村が町制を施行、桜井町となる。

1960年、岡崎市宇頭西地区、河野町を編入。

1967年、碧海郡桜井町を編入。

マンホールには、童話作家:新美南吉の作品「花のき村と盗人たち」の一場面が描かれています。

安城市の市章を中心に、仙台、平塚と並ぶ日本三大七夕祭りの一つ「安城七夕まつり」の竹飾りが描かれています。

雨水用マンホール

中央に市章の無いタイプ

中央が市章ではなく「平成元年」と書かれているマンホール

「メタウォーター下水道科学館なごや」展示マンホール

「メタウォーター下水道科学館あいち」展示拓本

「安城七夕まつり」の路上タイル

国指定重要無形民俗文化財の安城三河万歳で使われる「才蔵の鼓」と「太夫の扇」が描かれています。

「メタウォーター下水道科学館あいち」展示拓本

安城市衣浦東部処理区で使用されている「鴨のつがいと桃の花」がデザインされたマンホール。

日本有数のイチジク産地:安城市の集落排水マンホールは「イチジク」のデザイン。

「安城産業文化公園・デンパーク」内に設置。たがやすよろこび、つくる感動をデザインした 天の恵みを象徴する「天体」、農の営みを象徴する「鶏」、世界に共通する美しい「田園風景」、安城市民の「フロンティア・スピリット」を 要素としているデンパークのシンボルマークがデザインされています。

安城デンパーク

昭和35年(1960)5月5日制定の市章は、昭和27年5月から非公式に使用されていたもので、「安城市の「安」を図案化。発展を 象徴する末広がりが特徴となっ ています。」公式HPより

無印ですがちょっと洒落ていたので

消火栓

仕切弁

支菅弁

安城市の花「サルビア」の路上タイル

安城市の木「くろ松」の路上タイル

安城市制施行50周年を記念して生まれたマスコットキャラクター『サルビー』。市の花・サルビアのつぼみの形をした帽子をかぶっている花の精です。

安城七夕公式キャラクター『願いごとの精 きーぼー』。みんなの願いごとを星にかえて天の川までとどけてくれます。

撮影日:2011年9月23日&2017年3月30日

------------------------00----------------------

2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「安城市A」のマンホールカードは、「安城市図書情報館」でいただけます。

2014年に設置開始されたマンホールには、童話作家:新美南吉の作品「花のき村と盗人たち」の一コマがデザインされています。

「童話「ごんぎつね」などで知られる作家、新美南吉は昭和13年から5年間、安城で教師として働くかたわら創作活動に励みました。 本マンホール蓋は、南吉が安城時代にのこした童話花のき村と盗人たち」の一場面を描いたものです。物語の内容は、花のき村を訪れた盗人たちが、 少年から信用された嬉しさに涙を流し、正しい心を取り戻しますが、実はその少年はお地蔵様であったというもの。物語の舞台とされる安城市 花ノ木町周辺は現在、図書情報館などの複合施設「アンフォーレ」(平成29年6月オープン)を拠点としたまちづくりが進行中で、本マンホール蓋は その周辺に設置されています。」

訪問日:2017年3月30日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村社:神明社(元松(もとまつ)神社) in 愛知県飛島村元起

2016年11月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

飛島村元起之郷に鎮座される「村社:神明社」。御祭神は『天照大神』。地元では「元松(もとまつ)神社」「元松さん」と親しまれています。

「飛島新田が開拓された享和元年(1801)頃に設けられたと考えられる祠が,文化15年(1818)に神社として許可されたと伝わる。境内社として秋葉神社・水神社が祀られる。」

拝殿前左右より神域を守護されるのは、初期の岡崎型と思われる狛犬さん一対。吽形さんのふっくらとした顎の線や小ぶりな耳など、頻繁に目にする岡崎型にはない、個性的でとても良いお顔をされています。

境内の一画、竹垣の内には四角い石の上部にステンレス製の取っ手付きの蓋状の何かが置かれた・・・これはモニュメント?、それとも記念碑?? 蓋の周囲に文字が刻まれていますが、読み取れたのは「大国魂神社難波祭大鏡餅臼十二個之内・・・・(((((^_^;) 

境内入り口近くに建立される、飛島村指定史跡「津金文左衛門胤臣(つがねぶんざえもんたねおみ)像」

「尾張藩9代藩主・徳川宗睦の命を受け、飛島新田の干拓事業に心血を注いだ津金文左衛門胤臣。その偉業を顕彰すべく浄財を集め、昭和28年(1953)に神明社(元松神社)南側に立てられた。」公式HPより

「開拓百五十年記念碑」

「開拓二百年記念碑」

掃き清められた境内。入り口には社号標と共に「天皇陛下御在位六十年記念」 「天皇陛下御在位五十年記念」の碑が建立されています。

参拝日:2017年3月27日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする