車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

高津柿本神社~其の二 in 島根県益田市高津

2024年01月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

「柿本神社」が鎮座されるのは、丸山の東に張り出した尾根筋の鴨山(高角山)山頂。境内を含めた一帯は御祭神にちなんで、昭和50年代から島根県立万葉歌碑公園として整備されています。

拝殿の正面は津和野に向いていると・・境内で出会った御婦人が教えてくださいました。境内前の小高い位置から見る益田市、見える景色がどの辺りなのか、私にはわかりません。

拝殿横の坂道の先に建てられた「宝物殿」。内には霊元上皇を始め、桜町天皇・桃園天皇・後桜町天皇・光格天皇・仁孝天皇が、「人麿影供」を催して歌道の上達を祈念した折の短冊和歌が収蔵されています。
「影供」は神仏や故人などの肖像に供え物をして祭ること、 特に『柿本人麻呂』の肖像を祭って行う歌会を「人麿影供」と言います。

人麿公の歌碑の横には『梅原猛氏』が、著書「水底の歌 柿本人麿論」で、自説を裏付ける為の調査をした事が古地図と共に紹介されています。

傍らには調査の折に鴨島跡から引き上げられたという岩(石段)が置かれていますが、実際のところ、人麿公終焉の地「鴨島」については諸説があり、いまだにその論争に終止符が打たれていません。

楼門を出て右手に朱塗りの千本鳥居

赤く染まる神域の中に鎮座される「境内社:稲荷社」。拝殿額には『稲荷大神』『北辰(ほくしん)大神』の御神名。

稲荷社拝殿の左右より神域を守護されるのは、弘化三年(1846)建立の神狐さん一対。やっぱりこの頃の稲荷の神狐さんは優しく良いお顔をしています。切れ長の狐目がチャーミングだったので、今回はお顔のアップで。巻物を咥えた神狐さん。

宝珠を咥えた神狐さん。稲穂や鍵はよく見ますが、宝珠を咥えた神狐さんは殆どお目にかかった事がありません。

更に石段を下って左手に鎮座される「八幡神社」

拝殿左右より神域を守護されるのは「弘化三年(1846)八月吉祥日」建立の狛犬さん一対。

長い年月が流れて、頭上の角も少しずつ小さくなってしまいました。阿形さんが実は立派な男子であった証も・・・って、何を言ってるんですか😣😅

参道途中に建立されていた文学碑

【石見路に 歌の神あり 月の秋】 山崎蓼村(りょうそん)

椎の実を 拾いし子ら 足早に 石段くだる 日の暮るるころ】浅井喜多治

【石見のや 高角山の木の際より わが振る袖を 妹見つらむか】(石見の高角山の木々のあたりから 私が振っている袖を妻は見ているだろうか)
赴任先の石見の国から大和へ戻る際に、石見に残す『依羅娘子(よさみのおとめ)』を思って詠んだ一首とされており、江津~益田市内の多くの場所で幾度となく目にしました。

参拝日:2012年11月10日&2019年4月19日

明日からは島根県のお隣、「山口県」のマンホール・神社仏閣・名所に旧跡&迷所の紹介。今年もよろしくお付き合いお願いいたします 🙏🙏

 

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高津柿本神社~其の一 in 島根県益田市高津

2024年01月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

益田市高津町上市に鎮座される「高津柿本神社」。御祭神は『柿本人麿命』

御由緒【飛鳥時代の歌聖・柿本人麻呂の終焉の地と伝わる鴨島に創建された人丸社を起源とする古社であり、「柿本神社縁起」によれば、全国に点在する柿本神社の本社であるとされる。 なお、鴨島は平安中期に起こった万寿地震の影響で沈没したとされることから、後に高津の松島に流れ着いた人麻呂公の尊像を祀り、江戸時代に津和野藩主・亀井氏によって現在地に遷座されたものが、現在の柿本神社とされている。】

朱の神橋を渡って鳥居を潜り136の石段の中ほど、左右に隋神を配した楼門が出迎えます。【この楼門は、初層と上層からなり、二層とも桁行3間、梁間1.5間の三間楼門で、屋根は瓦葺きの入母屋造りである。上層には四方に切り目縁の床を張った廻縁を付け。勾欄を組み、組物は出組で、蝦尾を思わせるこぶし鼻と、柱頭の装飾的な木鼻が特徴的な折衷様式の門である。】

楼門の扁額は『正二位柿本神社』。貫には阿吽の獅子彫刻。

楼門を潜り更に石段の先、鴨山(高角山)山頂に、明るく開けた境内が見えてきました。

1998年2月に築造された、入母屋造妻入の拝殿

本殿は、方三間朱塗りの単層入母屋造妻入で、正面に唐破風の向拝を設けた春日造変態。屋根は檜皮葺で、殿内には津和野藩主亀井家の家紋、四ツ目結び紋をあしらった板扉があります。

石段上、境内入り口より神域を守護されるのは「寛政二年(1790)庚戌」建立の狛犬さん一対。吽形さんは角を持ち、阿吽ともに目には大きな玉が嵌め込まれています。

・・と書いていたら、ご亭主殿いわく、これは玉ではなく銅で作られた眼ではないかとの事。私のビックリを顔全部で表現してくれる狛犬さん・・なんか良い(笑)。

拝殿横に建立されていた「亀趺(きふ)」『柿本大明神神詞』の碑。

上部には阿吽の麒麟。

境内に建立された歌碑は、『柿本人麿』が石見国で亡くなる直前に詠んだとされる一首。

【鴨山の 岩根しまける 我れをかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ】

(大意:鴨山の岩を枕として死のうとしている私を、何も知らずに妻は待ち続けているのだろう。)

もう少し続く柿本神社、明日は境内あれこれの紹介です。

参拝日:2012年11月10日&2019年4月19日

 

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柿本人麻呂と依羅娘子 in 島根県江津市依羅

2024年01月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

人麻呂さんの足跡を訪ねて・・江津市二宮町神主、二宮交流館正門の右手に「依羅娘子(よさみの おとめ)生誕伝承の里」碑が建立されています。

【今日今日とわが待つ君は石川の 貝に交じりてありといはずや  直の逢ひは逢ひかつましじ 石川の雲立ち渡れ 見つつ偲ばむ】

「意訳:今日は今日はと、わたくしが待っているあなたは、石川の貝に交っているというではありませんか。直かにお逢いすることはもはやできないでしょう。石川に雲よ立ち渡れ、その雲を見ながら、あなたをお偲びしましょう。」

江津市二宮町神主恵良の里の一画に建立された「恵良万葉故地依羅娘子(恵良媛)伝承地」

「郡庁仮国庁跡」の碑

【勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不恋有牟】(な思ひと 君は言へども 逢はむ時 いつと知りてか あが恋ひずあらむ)巻二:一四十

「意訳:物思いをするなと貴方は言うけれど、今度逢うのを何時と知って、恋わずにいられるでしょうか。」・・・・君寺の高台から見渡す恵良の里

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江津市波子町 辛の崎、石見海浜公園の先に立つ大崎鼻灯台

石見海浜公園駐車場正面に「柿本人麻呂:万葉歌碑 巻二:一三五」

【角障経 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒磯尓曽 玉藻者生流】(つのさはふ 石見の海の 言さへく 唐の崎なる 海石にぞ 深海松生ふる 荒磯にぞ 玉藻は生ふる)

「意訳:石見の海の辛の崎にある海石には海松が生い茂り、荒磯にも美しい藻が生い茂っている。」・・・ここから見えるのは、はるか向こうに穏やかな日本海と、生い茂る草木だけ。

訪問日:2019年4月16日

 

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柿本人麻呂:万葉歌碑~其の一 in 島根県益田市高津町

2024年01月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

天武、持統、文武天皇の冶世に活躍し、『万葉集』第一の歌人といわれ、長歌19首・短歌75首を掲載。三十六歌仙の一人として知られる『柿本人麻呂』

さて、人麻呂さんと言えば、何といっても百人一首に登場するこの歌。流石に知らない人は少なく、もう良いお年ごろになってしまった私でも、いまだに普通に諳んじられます。

【あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 】

(山鳥の尾の、長く長く垂れ下がった尾のように、この長い夜を独りさびしく寝ることだろうか。)

和歌の世界に詳しくなくても、この「あしびきの~」を知らない人は少ないのでは? それほどの著名人でありながら実は出生も死亡の年月も定かでない人麻呂さん。とは言え専門的な話は正直ちんぷんかんぷん😓、 その辺りの事情は古代歴史の専門家にお任せして、2024年元旦、年の初めのブログは「県立万葉公園」の歌碑に刻まれた、美しい恋の歌から。

【道の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は】

(道端のいちしの花が目立つように、私の恋しい妻のことがみんなに知られてしまった)巻11-2480 (壱師(いちし)の花=彼岸花)

【君がため 浮沼の池の 菱摘むと 我が染めし袖 濡れにけるかも】

(あなたのために浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)を摘んでいたら、私の染めた袖を濡らしてしまったよ)巻7-1249

【妹がため 菅の実摘みに 行きし我れ 山道に惑ひ この日暮らしつ】

(あなたの為に菅の実を摘みに行ったら、すっかり山道に迷ってこの一日を過ごしてしまった)巻7 - 1250

【古に ありけむ人も 我がごとか 妹に恋ひつつ 寝ねかてずけむ】

(古の人々も私のように愛しい人に恋して、寝付くことも出来なかったのだろうか)巻4-497

 新しい年の初め、誰にとっても健やかに美しい年でありますように

改めて「明けましておめでとう御座います」

皇紀二千六百八十四年 元旦

 

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大井谷の棚田 in 島根県吉賀町柿木村

2018年09月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

島根県の最西端にある「大井谷棚田(おおいだにたなだ)」。日本の棚田100選の1つといわれ、その美しい姿は観光パンフレットにも頻繁に登場します。

吉賀町柿木村白谷、167号線から脇道に入り川沿いの道を走ってゆくと、前方にループ橋が出現。 結構な距離を走ったなと思う頃に、タイミングよく展望台駐車場の案内看板が見えてきました。

はやる気持ちを抑えて車を停め、降り立った目に真っ先に飛び込んでくるのは、幾重にも重なる棚田と集落の光景。舗装された道路と石積みの棚田、周囲を取り囲むように見える山々は秋の装いに染まって鮮やかに。

室町時代から江戸時代に築かれ、今に至る600年もの間、積み直しや補修が重ねられてきた「大井谷の棚田」。江戸時代の最大時には17ha・約千枚以上もの田んぼが耕作されていたと伝えられています。

棚田で収穫された米は非常に美味であったといわれ、津和野藩主への献上米とされていました。今もその美味しさは変わらず受け継がれ、有難いことに庶民の私たちでも頂く事が出来ます(〃∇〃)

駐車場から展望台への道は見た感じよりも危なかしくなく、私の頼りない足でも何とか大丈夫。

展望台の一画に『小田裕侯(ひろし)』歌碑。【懇(ねんご)ろに 野面石積む千枚田 たたふる水の 空に輝く】

懇(ねんご)ろに・・・心をこめて丁寧に一つずつ積み上げられた石垣にはピッタリの言葉。人の手で大切に積み上げられ、何度も何度も修復されてきた石積み石垣の棚田は現在630枚。

展望台を下り、間近で改めて見る石積みの正確さ、その緻密な美しさには、感動さえ覚えます。 季節柄、稲は刈り取られ、棚田一面に広がるのは妙にうそ寂しい光景ですが・・・

田植えの後の水が張られた田んぼ。青々と伸びる苗。黄金の実りに重く頭を下げる稲穂・・。目を閉じれば何かで見たそんな光景が当てはまって、思わずため息が・・そんな時にいつも呟く約束の呪文・・「また違う季節にここに来ようね」。

棚田の訪問を終えて立ち寄った「道の駅:かきのきむら」で販売されていた『棚田米』。これでお握り作ったら絶対に美味しいだろうね。

訪問日:2012年11月11日

2021年4月1日、柿木村の表記が外され吉賀町柿木村白谷から、吉賀町白谷に変更されました。

 

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大元神社跡の樟 in 島根県津和野町堤田

2018年09月15日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

津和野町旧日原町堤田の小高い一画に、高く枝を広げて聳える「大元神社跡の樟」。

島根県の巨木としては屈指の太さを誇り、環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」によれば《樹高 31m・目通り幹囲 12.5m・推定樹齢 約460年》現地案内に「クスノキからは薬品や昔は合成樹脂の原料として使われた「樟脳」がとれることから、この木も戦時中に切断して利用されることになりました。しかし、地元住民らの活動により天然記念物の指定を受けることで伐採を免れたという経緯があります。」

村が出来た時から人々の営みを見守って来た樟。かってこの楠の根元に幣帛を立てて祀っていた名残を伝える物は、神の依り代とされる鳥居のみ。

この地に鎮座されていた大元神社が、明治期における神社の合祀によって他に還坐された後、御神木であった楠だけがこの地に残されました。後に国の政策で伐採の危機にあった時、村人たちはお上に訴えて「天然記念物」の認定を受ける事でこの御神木を護りぬきました。

「天然記念物」碑に刻まれた「大元神社樟」。台座には「大樟に ならへ村人 この力」

そうして・・・誰が納めたのか一対の陶器の狛犬。阿形さんはすでに壊れた陶器の欠片になっていましたが、吽形さんはまだしっかりとかっての神域を護っておいでです。

例え片足になってしまっても、神獣の矜持を失っていないお顔に心を打たれました。

二つの樟は互いを求めあい寄り添って、一つの巨木になりました。鳥居の向こうに見えるのは、愛しいものを守ろうとする雄々しい姿、その優しさに応えようとする嫋やかに美しい姿。

その根元に抱かれていると夫婦木でないのが不思議なほど・・優しい気に包まれるのです。

高く高く、天を衝いて聳える大樟。この日のこの姿を知る者がいなくなっても、百年・二百年・・千年の後までも、ここに在って人の営みを見守って欲しい。

訪問日:2019年4月17日

 

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日原春日神社 in 島根県津和野市日原

2018年09月14日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

津和野町日原に鎮座される「春日神社」。御祭神は『経津主神・武甕土神・天児屋神・天照大神』。『金山彦神・大山積神・手力雄神』を合祭、合殿に『天満宮・厳島神社・秋葉神社』を奉ります。

明治神社誌に【寛文十二年(1672)、『三好九郎右衛門』という者が神託を得て神体を彫成し本殿を竣工。その後、『水津治左衛門』が四殿の神を奉斎したが、一つの神鏡を安置してないことが惜しいとして、弘化三年(1846)に自ら大和国添上郡奈良の「春日大社」に参詣し勧請したという。
『金山彦神、大山積神、手力雄神』は「山神社」と号し、寛永六年(1629)に勧請し『三好藤左衛門』が鎮守の社としていたのを当地へ移転、明治九年(1876)に「春日神社」に合祭。 「天満宮」は寛文九年(1669)、『三好梅三郎』の祖先が京都へ行った際、正三位勘解由長官の『菅原為弘公』に請うて、菅公の神像を筑紫太宰府の飛梅の木から彫刻し当地に移転。 「厳島神社」は文化十年(1813)広島の「厳島神社」より『三好藤左衛門』が勧請したのを弘化二年に「春日神社」境内へ移転。 「秋葉神社」は『水津想三郎』の祖先が勧請していたのを文化七年(1810)に「春日神社」に移転。】

社地は斜面に形成されており、正面に拝殿・本殿。拝殿向って右手に神楽殿があり、いずれも明治から大正期頃の建築と考えられます。拝殿貫の彫刻は阿吽の龍・・おや・・阿形さんは目が何処かに・・・

参道石段の上に『猿田彦大神』の碑。『猿田彦命』は導きの神として知られており、この地が往還の要所である事を改めて感じさせられます

石段上左右より神域を守護されるのは、昭和4年(1929)11月10日建立の、何ともユニークな狛犬さん一対。

こっちを向いて~♪のリクエストに応えて振り向いてくれた・・体(てい)の阿形さん。このフレンドリーな表情が無条件に楽しい(笑)

吽形さんはどっちかというと「我が道を行く」の生真面目タイプ。

それでもリクエストに応えて(体の)振り向いてくれた吽形さん、「何か用かな?」。思わず返事に窮しそう(笑) 今回の狛犬さんの存在は、実は全くの予想外だったので嬉しさも倍増。

狛犬さんと遊んでいる間にいつの間にか拝殿前は人だかり。拝殿内では、緋色の袴に白い小袖と千早を身につけた可愛い子供さんたちの巫女舞が始りました。何人ものお母さん達が目一杯腕を伸ばしてスマホを向け、熱心に撮影されています。

奉納舞が終わると、いよいよ神輿の巡行、そして・・・津和野の旅、待望の「奴道中」が始ります。「鷲原八幡宮」・「太鼓谷稲成」・「津和野町歩き」・・後ろ髪引かれながらも先を急いだ理由は、ここ春日神社の境内社「日原天満宮」の秋の礼祭「奴道中」を見せて頂くため!!。

明日は150年以上の歴史を持つ「日原天満宮の奴道中」の紹介です。

参拝日:2012年11月11日

 

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錦秋の鷲原八幡宮 in 島根県津和野町

2018年09月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

流鏑馬馬場を含む広い境内一帯は「鷲原公園」として、季節ごとに桜、ツツジ、紅葉の名所として知られています。11月半ばの朝、昨夜の雨に洗い流された境内はしっとりと湿気を含み、神の住まう場所に相応しく鮮やかに染め上げられた錦秋の装い。

朱塗りの両部鳥居、足元に散り敷く黄金色の銀杏

楼門へと至る道は少しずつ朱の色を濃くし

一幅の絵となって参拝者を迎え入れてくれる

鮮やかに、ひたすら鮮やかに

鎮守の杜を染め上げ、赤い石州瓦を更に赤く染め上げて

見知らぬ誰かに「ご一緒に」と声をかけられ、柄にもなく照れる二人

歓声と桜の花に彩られる馬場も、今はただ静かに錦秋の装い

参拝日:2012年11月日

 

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山陰の小京都2019年~其の四 in 島根県津和野町

2018年09月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

永明寺(ようめいじ)の参拝を終えたら、津和野の町歩きもほぼ終わり。二度目となった太鼓谷稲成神社も、それ以上にもう一度と願っていた鷲原八幡宮の参拝も出来ました。鷺舞の弥栄神社も、鴎外の生家も墓所も・・。だから美しい景色を目に焼き付けて歩こうね!

津和野駅からすぐ、「鯉の米屋」の看板に惹かれて。こちらの店の奥には、水路を引き込んだ大きな池があり、沢山の錦鯉が飼われているとか・・きっと凄いんだろうねぇ。

北海道開拓史を語る上で欠くことのできない「高岡兄弟生誕地」碑。「藩校養老舘に学び新開地北海道の首都的役割をもつ札幌市の発展に尽力した高岡直吉(兄)。札幌農学校で学び、北海道帝国大学総長に就任し北海道開発に力を注いだ高岡熊雄(弟)」案内文より。

今回は予想していなかった鏝絵も随分と沢山見られたし、思えばあれもこれもラッキーだった気がする。 ほら、これって八岐大蛇?と言う事は右は神楽の鬼面かな?

お蔵の鏝絵は「鶴」。やっぱりじゃないんだ(笑)

で、鶴と言えば「亀」ヾ(≧▽≦)ノ 

上目遣いの恵比須:大国様は・・・ちょっと怖い(゜゜;)

滝を登り切った鯉は龍になれます。ガンバレ!鯉くん!

町歩きの楽しさに欠かせないウィンドウショッピングですが・・どうも私たちが目にとめるものはちょっと変わっているようで(笑)こんなにお揃いで「千客万来」なんて呼びこまれたら素通りが・・でもゴメン!私まるっきしの下戸。

「何やお前!やるんか!!」「ホンマにいっつも五月蠅いやっちゃなぁ~。ええからかかって来いや。」って、何で関西弁??

そうだ、この「河田商店」も登録有形文化財だったね。 木造厨子(つし)2階建に切妻造の佇まい・・やっぱり良いよね。

お向かいの「財間家」なんて、母屋から漬物蔵に下の蔵、本門に横門に庭園etc・・ぜ~~~~んぶ登録有形文化財。あそこもここも文化財ですなんて言われたら、小市民には怖くて住めない ミ(ノ;_ _)ノ =3

ほらこの新聞社の建物、ここも昭和初期に建てられた「旧布施時計店」の建物で登録有形文化財だって。

ああ、本当に何もかも綺麗で素敵だった・・。ねぇ、もう少し年を重ねたらもう一度この景色を眺めてみたいね。今度はもっとのんびりとね d(-_^) 

一度目は恨めしく外観を見ただけで回れ右だった「津和野町郷土館」、今回はちゃんと入館してきました(〃∇〃)

津和野郷土館の前庭に残された、山陰道石見の道標「從是北津和野領。右は、「吉木蘭齋(よしきらんさい)先生舊居」の碑。藩校養老館に新設された蘭医学科の教授として、さらに長崎で学んだ種痘を津和野藩領に普及させるなどの功績を残した人物です。

津和野川に架かる鉄橋の赤錆色。鮮やかな筈なのになんだかとても寂しく見える・・

訪問日:2019年4月18日

 

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鷲原(わしはら)八幡宮~其の二 in 島根県津和野町

2018年09月12日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

昨日に続いての「鷲原八幡宮」、二日目は境内のあれこれの紹介。

年に一度「鷲原八幡宮」で開催される「流鏑馬神事」「鷲原八幡宮流鏑馬馬場」は、日本に現存するものとしては最古の姿を残すものと云われ、吉見氏時代に「鶴岡八幡宮」の馬場を模して作られました。全長約270メートルの流鏑馬馬場は、日本において唯一原形を留めている馬場として、昭和41年に史跡に指定されています。

桜舞い散る流鏑馬の馬場で、鎌倉時代の装束に身を包んだ射手が3つの的を次々と射抜いていく。 それはまさに神事の名に相応しく雅にして勇壮。引き絞られた弓から放たれる矢には、武人である神への畏敬が籠められているのです。

「今上陛下御観覧記念」碑。

御本殿向かって左手に鎮座される「稲生社」。御祭神は『宇迦之御魂神』

鎮守の杜近くに鎮座される「淡嶋神社」。紀国(和歌山県)加太に鎮座される「淡嶋神社」よりの勧請。

拝殿内に設けられ棚に並ぶ沢山の人形たち。例大祭の7月3日には、納められた人形たちの供養が行なわれます。

「淡島神社」左手に鎮座される「客(まろうど)社」。「客社」とは、他の地域から来訪しその土地で信仰されるようになった神を祀る社を言います。

淡島神社後方に聳えるのは、樹齢一千年を越えるという「御神木:大杉」

境内一角に建立された石碑には、『三浦紫畹(しえん)』の筆になる梅の絵。背面には『大国隆正』の父である『今井天柱(護斎)』の碑文が刻まれていると言う事ですが、既に苔に覆われて久しい碑。刻まれた絵も碑文も、私たちには判別できません。

最後までよく分らなかったのは石碑の台座に使われたデザイン、梅の古木を模しているのか・・それともいわゆる神獣と呼ばれる物なのか・・・いまだに謎。

境内に見かけた碑。「やぶさめや 匂う美・・・・」(後は不明)

【〇秋の 恥を〇〇に故郷へ 添えよと祈る八十四の姥は】(〇部分不明)

参拝日:2012年11月日&2019年4月17日

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鷲原八幡宮境内由緒より、御祭神『譽田別命・玉依姫命・息長足姫命』

配神『国常立命・素盞嗚命・天於受女神・水波女命・事大主命・佐陀比古神・大国主命・迦具土命・宇迦能魂命・小彦名命・大山祇命・菅原道真公・ 蛭子神・新田義興公・吉見頼行公』

 

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