車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

道の駅 白馬 in 長野県白馬村

2022年10月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

白馬を遠景に見る位置に建てられた「白馬の看板」。場所はどこかと聞かれても白馬村としか答えられませんが😅   看板の近くに車を停め、他に車も人も来ないのを幸いに、嬉しがって記念写真を撮っています(笑)

何と言うか・・見知らぬ土地では、それが只の看板だろうと交差点の名前だろうと、その気になれば幾らだって面白いものに巡り合えるもの。さらに!何と言ってもここは白馬村。眼前に広がる景色からして白馬村なのですから  😍  

そう言えば2013年に白馬村に立ち寄った時、街灯の意匠が面白くて。最初はお椀にお箸?とおバカな想像をしたのですが、よ~~~っく見るとスキーストックなんですよね。いかにもスキー場のメッカらしい意匠に感心することしきり。

白馬村大字神城にある、とってもお洒落な「道の駅:白馬」

建物正面の白馬のステンドグラスがステキで、売店の方に「写真撮ってもいいですか」と許可を頂いて写したのですが・・なぜこんなに歪んでいるんだ😣 

道の駅の敷地内には元からあったものなのか、それとも道の駅が出来た為に移されたのか「馬頭観音像」「青面金剛像」が祀られていました。一見して昨日今日の物でなく、長い年月を過ごされた事がわかる石仏です。

「飯田十三佛堂:このお堂には「十三仏」と言われる十三体の仏像が安置されています。これは初七日の不動明王から始まり、最後の三十三回忌の虚空蔵菩薩に至るまで十三回の忌日が有り、そのたびごとに違った仏様を供養する事で個人が成仏できるという「十三仏信仰」に基づいたものです。」現地案内より

そういえばこの花は何という花なんでしょう? 確かに道の駅の入り口看板付近に咲いていた筈なのですが、確かか?と聞かれると「さぁ~~??  😅  もしかしたら敷地内のどこかだった気もする・・・と、こんな調子でかなりいい加減な記憶です。

2016年の車泊旅では、こちらの道の駅で車中泊をさせて頂きました。場所的に立地が良いのか、私たち以外にも随分と沢山の車があり、間違っても寂しいという心配は無用でした😊 そうそう、御亭主殿は「蕗味噌のおやき」がいたく気に入ったようですが、旅はまだ始まったばかり。お願いだからその場で食べられる量だけにしてね。

車で旅をする者にとってこうした施設は本当に有難く大切な場所です。改めてその節は有難うございました。 朝一で道の駅から見た白馬村の景色。山の名前は分かりませんが、とっても綺麗でした。🙏🙏

訪問日:2016年4月17日

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4月15日から書き始めた2010年の長野県車泊旅の思い出・・・の筈が、同じ場所だからという理由で2013年、2014年、最終的に2016年の車泊旅まで動員してしまった木曽路・信州・安曇野の思い出ブログ。とりあえずは白馬村で一段落させます。長野県の未訪問地は1町13村のみで、これはもう封印せざるを得ませんが、訪問済みの14市17町14村のマンホールに名所旧跡、ついでにマンホールカード等々・・またいずれ折を見て紹介できればと思います。明日からは関西方面の諸々の紹介。よろしければこの後もお付き合いください🌸😊🍀

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小川村内あちこちウォッチ in 長野県小川村

2022年10月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

小川村高府、県道31号長野・大町線沿いにある「道の駅 おがわ」。綺麗な店内には新鮮な地元野菜が一杯・・ああ、自宅からの距離が恨めしい😣

長野の旅ですっかり「おやき」のファンになったご亭主殿、行く先々で味見がてらにおやきを購入しているのですが、こちらで買った「野沢菜おやき」が殊の外お気に召したらしく、残った三ケを買い占めておりました。

道の駅の玄関口に置かれていた紙垂付きの木の根っこ。これ絶対に御柱の根元部分だと思う。こういう神の宿るものに触れられるなんて感動  😊 

「アルプスの展望と星の降る里」もしかしたらここで過ごす夜は星がとてもきれいなのかな・・でも・・他に車泊仲間がいれば良いけど、そうでなければかなり寂しいかも 😥

道の駅からさほど遠くない一画に「小川村郷土資料館」があります。建物は大正九年(1920)に長野市内に建築された洋館と和館からなる「旧長野県知事公舎」を移築復元したもので、県政の資料と共に小川村の歴史、文化などが展示と映像で紹介されています。

資料館の近くには「旧上水電気発電所資料館」もあり、そちらも併せて見学させて頂きました。

「大正時代、旧南北小川村と旧津和村に電気という文明をもたらし、数々の物語が残る旧上水電気利用組合日影発電所(鬼無里日影)が2004年に撤去され、発電機などの機器が譲り受けられることになり、「旧上水電気発電所資料館」として建設されました。」公式HPより

館内に架けられていた古い写真・・・「初めて灯った電気の物語」に思いを馳せます。

小川村役場近くに建立されていた「頌徳 :鎌倉太弥治翁之碑」「旧上水電気発電所設備保存建設組合」の初代組合長らしいのですが、資料が少なく断定出来ません。

県道31号線を美麻村に向かう途中に見かけた沢山の石仏群。私にしては珍しく近くで写した画像が有りません。多分先を急いでいたからだろうと思うのですが、今となっては「勿体なかったな・・」と悔いが残ります。

訪問日:2016年4月17日

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昨日、ご近所さんから可愛らしいキューイを頂きました。今年は殊の外沢山の実がなったそうで、まさに鈴なり😍  握ってもびくともしない固さなので、一週間ほどリンゴ君と同居させることにします。さてさて、きれいなグリーンが味気ない我が家のサラダに彩を添えてくれるのは何時の事でしょう?

 

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小根山:小川神社 in 長野県小川村

2022年10月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

小川村小根山に鎮座される「小川神社」。式内社で旧郷社。御祭神は正殿に『健御名方命』。相殿に『大己貴命・ 言代主命』

社伝に「祭神・健御名方命が出雲での武甕槌命との戦いに敗れ、母神・沼河比売命の郷里・糸魚川を経て信濃を開拓。母神への往来(糸魚川街道)の要衝である当地に村民が、その徳を慕って奉斎したという。継体天皇の皇子・兎王の後裔、酒人(さかんど)公は天武天皇十三年(684)冬十月、眞人(まひと)の姓を賜い、その一族が当地に来て、布留山(古山、当社背後の山)に居を定めた。清和天皇の頃、この地を小川の荘と称したので、酒人小川眞人と称して、当社を篤く崇敬した。後、小川氏となり、小川左衛門貞綱の頃大いに栄え、大社となった。中昔は大宮大明神、諏訪大明神宮と称したが、寛政二年八月、吉田家へ社号宣旨を願い告文を受け小川神社とする」

二の鳥居の奥、参道正面には「立梶の葉」の紋幕が掛けられた、昭和三十一年造営の拝殿及び幣殿。

見上げた拝殿彫刻の美しさに思わず狂喜する二人😍 。まずは褄の棟木を支える力神像。らんらんと輝いて見える目には玉が嵌めこまれています。

力神の下、向拝にはテッパン中のテッパンともいえる阿吽の龍。口中には鮮やかな朱が塗られており、歯は胡粉が塗られているのか羨ましいほど真っ白。更に目には玉が嵌めこまれており、一段と凄みを増しています。

社殿彫刻の代表的存在ともいえる貫の獅子。吽形の口元には僅かに朱が残されており、玉が嵌めこまれた眼光は鋭いながらも顔立ちは優しく、人懐こささえ感じさせます。

胡粉が塗られた阿形さんの歯はギトギトと鋭く・・うっかり手を出そうものなら噛み千切られてしまいそうですが、それだけに口中の朱がいっそう際立って見えます。

ラストは褄下の火の鳥。大きく翼を広げた姿は、まさに炎の中から復活したばかりとでもいう様相で迫力満点。よく鳳凰と混同されがちですが、これはもう絶対に、火の鳥です!(笑)

小川神社拝殿の左に、昭和に入って合祀された「御射山(みさやま)神社」が鎮座されます。御祭神に関しては祀られる地方によって様々であり、いずれの神なのか特定する事はできません。

御射山神社後方の「磐(いわくら)」

小川村出身者の戦没慰霊碑「平和の礎」

内容を確認できなかった碑

参拝を終え、さて、この狛犬さんを画像に残そうかどうしようかと悩んでいると、賑やかな気配と共に社務所が開き、楽しそうに歓談しながら沢山の人や車が入ってきました。

聞けば御柱祭りの為の長持ち運びの練習をされているのだとか。・・・そうか、御柱があるんだ・・北信随一の賑やかさで知られるってポスターにあったけど、流石に5月にもう一度ここまではねぇ😥 。でも長持ち運びの練習風景が見られるなんて凄いラッキー。

祭り衣装に身を包んだ男衆は、きっと最高にカッコいいだろうね~

鳴子を使った踊りは、長持ち運びの後に披露するのかな? 皆さん本当に真剣に取り組んでおられます。

思いもかけない素晴らしい時間を頂いたことに感謝しつつ、次の目的地に向かう私たちの目の前に 今度は「小川神社 御柱大祭」の標柱と注連掛場に寝かされた御柱!!

風になびく「おんべ」を乗せて、ゆったりとその時を待つ御柱様。後ろ髪を引かれながらも、なんだか物凄く得した気分の二人。祭って本番は当然だけど、準備も全てひっくるめて最高だよね。

参拝日:2016年4月17日

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ここ一か月、症状がすこぶる悪化している・・車泊旅の思い出を綴りながら日々をやり過ごしているけれど、たまに対処できない痛みに心がポキッと折れそうになる。 そんな時はとにかく旅の思い出に浸りきって時間をやり過ごそうと思う。そうして明日になったら、今日より元気になるかもしれない。

 

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池田町内の道祖神とか、てるてる坊主とか・・ in 長野県池田町

2022年10月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

池田町から見る大天井岳、東天井岳、横道岳・・・と生意気にも固有名詞で書きましたが、実はどの山がそうなのか皆目わかっていません 😅  でも遠くから見る北アルプスの山並みは、本当に神が住まうに相応しい美しさです。

さて、池田町と言えば「てるてる坊主のマンホール!」と答えてしまう自分が悲しい 😓いわゆるマンホーラーの私。むろん、マンホールになるくらい有名な「てるてる坊主」、実に様々な場所に出没します。

「ようこそ信州池田町」のウエルカムボードには、とっても有名な「七色大カエデ」の写真の上に、可愛い「てるてる坊主」と「てるてる坊主のふるさと」の文字。

例えば「雨のしずく」「てるてる坊主」が浮き彫りされたモニュメント。

何故こんなに沢山の場所で「てるてる坊主」に遭遇するのか?、実はここ池田町は有名な童謡「てるてる坊主」を作詞された『浅原六朗氏』の出身地。

町内には、彼の記念館「てるてる坊主のやかた」もあるのです。

氏の自筆による「てるてる坊主」の歌詞。幼かった娘と一緒に作った「てるてる坊主」を窓辺に吊るしながら、一緒に「てるてる坊主 てる坊~主 あ~した天気にしておくれ~」と歌った事がまざまざと思い出されます。

拝観を楽しみにしていたのですが・・・よくある「本日休館」😭の札に阻まれて、窓越しに見えた一部のみの紹介。

「池田町観光協会」の向かいに見かけた「産経新聞 池田販売店」。煙りだしの付いた大屋根が驚くほど大きくて、きっと由緒ある屋敷なのだろうと‥首が痛くなるほど見上げたものです。

観光協会の入り口に置かれていた「てるてる坊主」の家族。でもね、これ・・夜とか暗がりで遭遇したら間違いなく泣きだす自信がある😱

ことほど左様に池田町と言えば「てるてる坊主」なのですが、極めつけは・・・池田町会染にある「道の駅:池田ハーブセンター」の入り口近くに祀られる「てるてる地蔵尊」。

実はこの「てるてる地蔵尊」は、安曇野田舎暮らし相談所の会員の方が、さわらの巨木から制作されたそうで、傍らの碑には「人の心も世の中も 明るく照らす地蔵尊」と書かれています。

ところで、この足湯の手前にある水場に立たれているのは、一体何方なのでせう???うっかりして下の碑文を残していませんでした。こういうのって・・わからないと余計に気になるんですよね。

道の駅の近くにあるお食事処「龍門」。その片隅に、とても可愛い「握手双体道祖神」を発見。見た感じから熟年の男女神でしょうか?。おだやかな顔に気持ちが和らぎます。

道祖神と言えば、池田町池田、八幡神社境内に「握手双体道祖神」「大国主尊:文字碑」。珍しいなと思ったのは「大黒天」でなく「大国主尊」だった事。

石に刻まれた寄り添う二人の表情は、長い長い年月が朧にしてしまいましたが、しっかりと重ねられた手には確かな愛が感じられます。

「大黒天文字碑」、画像右の大きな「文字碑道祖神」には「安政二乙卯年(1855)二月吉日 上町楽風□□□□敬書」の刻。

さらに小さな「文字碑道祖神」に「二十三夜塔」と、何かの顕著碑

訪問日:2016年4月19日

2016年の信州方面車泊旅では、こちらの「道の駅 池田ハーブセンター」にて車中泊をさせて頂きました。超がつくほど偏食の私がなぜか果敢に挑戦した「桑の実まんじゅう」・・・・・もしかしてクセになるかも。

車で旅をする者にとってこうした施設は本当に有難く大切な場所です。改めてその節は有難うございました🙏🙏。

 

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池田八幡神社 in 長野県池田町

2022年10月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

池田町池田に鎮座される「信州池田 八幡神社」。御祭神は『誉田別命・九竜神(くりゅうじん)・埴安比売命(はにやすひめのみこと)』

「天正年間に山城国石清水八幡宮(男山八幡宮)から勧請されたとされる。現在の八幡神社は、池田二丁目にかつてあった「九頭龍社(くずりゅうしゃ)」を合祀した後、明治41年11月13日の神社合併令により同一丁目にあった「十二神社」を合祀。 昭和21年以前は八幡社と称していたが、同年2月に勅命第70号が発令され、宗教法人となった。その際社名を八幡神社と改められた。」Wikipediaより

「八幡神社・十二社社殿(池田町指定有形文化財)」の拝殿彫刻「四神獣と力神」

拝殿前左右、城壁のような段の上より神域を守護されるのは、大正三年三月七日建立の、獅子顔の恰幅の良い(短足の)狛犬さん一対。下から見上げている所為か、目線が妙に絡んでずっと見ているとどんどん目が離せなくなるような、何とも妙な感じ  😅  

八幡神社社務所前の「役居門」は、旧松本藩代官所「お他屋(たや)」の門で、江戸期唯一の建築遺構である事から、池田町有形文化財に指定されています。

池田八幡神社の舞台は、全部で八台あり、2019年には町指定第40号として「無形民俗文化財」に指定。

「御即位紀念燈」「池田町殉国英霊慰霊塔」

「浅原六朗自筆:てるてる坊主 童謡碑」

【  此町の 家ひくくして道廣し  雪の山々 あらはにし見ゆ  】島木赤彦

漢詩碑

「句碑」らしき碑と😓、「文学碑」らしき碑😅

大正四年十一月十日建立:池田公園記念碑

「願叶 金の鈴絵馬」

「御神木:旧跡」

参拝日:2016年4月18日

 

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松川村内あちこちウォッチ in 長野県松川村

2022年10月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

信濃松川駅そばの「松川村観光協会」前に、有明山を象った村内案内マップ。「ようこそ信州安曇野 松川村へ」 

「安曇節歌詞碑」「榛葉太生 作詞」【 寄れや寄ってこい安曇の踊り 田から町から野山から 】(裏)「正調安曇節創作七十周年記念事業実行委員会 平成七年五月吉日建立

観光協会内に「音頭取りの図」と題された記念絵葉書があったのですが、三味線とバイオリンの取り合わせにはちょっと(かなり)ビックリ! 太鼓を叩く洋装の男性は当時の村長さんでしょうか?

市役所近くのグリーンパーク内の「正調安曇節」碑。【何か思案の 有明山に 小首かしげて 出たわらび】

松川村西原に鎮座される「有明山社」「有明山」をご神体とする古社で、江戸時代初期に建立された「有明山大権現社」が始まりとされ、明治維新後に「有明山社」と改称。桜の境内に神楽殿、その奥に拝殿。

鬱蒼とそびえる杉林の「御神木」 『天明行者像』

松川村板取地区にある雲照院跡地のお堂。横に「松川村指定文化財 来迎阿弥陀三尊像」の案内板がありましたが・・・このお堂に如来像が祀られているのかどうかは不明。

少し離れた一画に「念仏碑」「地蔵菩薩像」などが建立されています。これらの石仏が先のお堂と関連が有るのかどうかは不明・・こればっかり😓。

鼠穴地区に向かう途中に見かけた風景、一面のピンクが何の果樹なのか気になりつつ、結局分からないまま。後で調べたら「あんず」の果樹園だったみたい。

松川村鼠穴地区の一画に、松川村指定史跡「鼠石(ねずみいし)」なるものが玉垣の中にデンと鎮座しています。

「即ち子供の手の這入る程の穴が開いている岩穴は鼠穴と呼ばれ、抑々この地が鼠穴といわれている所以でもある。この石の中央にある穴は、有明山山頂の金明水・銀明水を湧き出させている穴まで抜けていると云われ、また一説には善光寺にまで通じていると云言われている。鼠穴の主は鼠で、昔はこの穴から膳碗が出たという事である。前の晩にこの穴に行って明日何人前の膳碗を貸してくれと頼んでおけば、主の鼠は明朝注文しただけの膳碗をこの岩の上に出してくれたものだそうだ。しかしそうした事も一度借りた者のうちに損じた膳碗を詫びもせずに返した者があってから、もう誰にも貸してくれぬようになった。また鼠を「不寝見」と読み、いわゆる古城の物見の意味で、城跡や豪族の居館跡も探る事が出来てうなづけます。」現地案内より

穴の部分をアップで・・・実際に鼠が出たらどうする私😓

「明治三十八年 戦慄記念」の碑と小さな祠。

道の駅「安曇野松川」に棲んでいるのは、黒いタキシードが似合う、すずむしの『りん太君』。必須アイテムは三色の鈴で~す。

訪問日:2016年4月18日

 

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松川地区の道祖神:石仏 in 長野県松川村

2022年10月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松川村緑町、松の木の下に「酒器祝言双体道祖神」「庚申塔」各一基。

「昭和七年(1932)六月 緑町氏子中」の刻 。中区の中に刻まれた女神はあまりに幼く見えて、酒器を持つ手は小さく震えている様にも見えます。それを見守る男神の表情はとても愛おしげで、優しさに満ちています。

「餓鬼岳登山口」の碑

国道147号線沿い、松川村上緑町:JA大北松川農産物直売所アルプス一番の近くに「如意輪観音像」「馬頭観音像」他一基。

松川村椚原、椚原公会堂近くの玉垣内に「大黒天」一基。近くの畦に「双体道祖神」二基。

画像左、「正保元年(1644)甲申年安置 夫與三代之尊神 奉祭人者秦葉氏子中 帯代三十五両 椚原中」の刻。画像右、「天保二卯(1831)十二月日 椚原邑」の刻。

「握手抱きよせ双体道祖神」。はにかんだように固く唇を結ぶ女神。その手を握り締め、肩にまわした手に力を籠める男神。何とも初々しい男女神です。

「酒器祝言双体道祖神」、年長者のように見える男女神ですが、もしかしたらとってもお若いのかも😊 。お二方とも満面の微笑みで善き日を寿いでいます。

松川村中部町屋の一画に「文字碑大黒天」「握手抱き寄せ双体道祖神」各一基。

「昭和六十三年(1988)三月吉日 町屋中」の刻。ふくよかなお顔は似たもの夫婦の典型でしょうか?。互いの手を握り軽く目を閉じる男女神。お二人が夢見るものはきっと同じ未来でしょう。

「元治」の刻。大黒天文字碑の下に「俵と宝珠・七宝袋」が刻まれています。

松川村鼠穴北海渡に「肩抱き酒器祝言双体道祖神」、「大黒天像」各一基。

「 天保十一庚子(1840)二月 鼠穴北村中」の刻 神聖な儀式を前に緊張で一杯の男女神。女神の結い上げた髪は裾まで届いています。

少し困ったお顔に見える「大黒天像」「元治元甲(1864)九月日」の刻

松川村板取中部、有明山を背景に一段高い玉垣の内「大黒天像」一基

「大正十三甲子年(1924)十月」の刻。

大黒天像の並びに「双体道祖神」二基。「庚申塔」「青面金剛像」

「握手肩抱き双体道祖神」「天保十一子年(1814)十月日 □□村中 帯代百両 」の刻。ほんわりと優しいお顔立ちの男女神。つないだ手に愛がにじんでいます。

笠付燈篭に刻まれた「青面金剛と三猿」「元禄七年(1694)四月二十七日」の刻。

それは間違いなく「双体道祖神」「帯代百二十両」の刻。・・・どんなに長い年月を過ごされてきたのだろう?そこに在るのは手を取り合い、あるいは肩を抱き合った男女神の姿なのか・・

松川村板取、ガソリンスタンドの近くに「握手双体道祖神」。昭和以降の道祖神を単にモニュメントと切って捨てる人もいますが、この姿を見て微笑む人が一人でもいるなら、それはまさしく路傍の神の所以なのです。

松川村細野大泉寺、三叉路の一画に「双体道祖神」「二十三夜塔」「南無阿弥陀仏:徳本名号碑」「大黒天像」各一基。奥に石仏多数。

「文化十四丑年(1817) 大泉寺中」の刻。かなりお年を召された男女神でしょうか?。様々な出来事をすべて飲み込んで、今は静かに二人だけの時間を過ごされておられます。

宝珠の俵の上に乗り、大きな袋を肩にかけてにこやかに笑う「大黒天像」。 お堂の中には「日・月」を持ち「二鶏」を従え「邪鬼を踏む青面金剛像」。台座には三猿も刻まれています。

「如意輪観音像」「地蔵菩薩」「馬頭観音像」他、多数の石仏群。

松川村細野、国道側の玉垣の中に「大黒天像」一基。「細野邑講中 元治元年(1864)甲子霜月子日」の刻

福耳にまん丸いお顔で大きな鼻と大きな口、好々爺という形容がぴったりの大黒天。両手に持っているのは「七宝袋」でしょうか?

撮影日:2016年4月18日

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鈿女(うずめ)神社 in 長野県松川村

2022年10月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松川村細野大泉寺に鎮座される「鈿女(うずめ)神社」。御祭神は『天鈿女命』

「創祀は明治年間で、昭和前期にかけ福利厚生に霊験ある神として「おかめ様」の愛称で親しまれ、多くの信仰者を集め、殷賑を極めた神社である。」現地案内より

御本殿は岡谷の工匠による建築で、昭和六年十二月に竣工。銅板葺き・一間社流れ造りの向拝付きで、松川村指定有形文化財。

端正な佇まいの拝殿

阿吽の龍の彫刻が施された「拝殿額」

鳥居の内、左右より神域を守護されるのは、「石工・田近勝之 昭和4年10月建立」の松本型狛犬さん一対。今日も見事なたてがみです😊  

一応ご贔屓なのでもう一組(笑)

拝殿前参道中央に「一千度石」。お百度を10回してでも叶えたい願い・・・一千度の10回でも一万度の100回でも・・願いが届くのであるのなら・・その心根が今なら泣きたいくらい身に染みます。

松川村指定有形文化財「心清橋」「花崗岩の神橋で、松本市宮村の石工の手により昭和五年十月に竣工。幅4.m、長さ3.8m、。六本の擬宝珠を持つ柱と高覧が付く。」現地案内より

参拝日:2016年4月18日

 

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旧中村家住宅と十王堂道祖神 in 長野県大町市美麻

2022年10月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

大町市美麻、青具(あおく)交差点のすぐ近くに、国の重要文化財に指定された「旧中村家住宅」があります。

「元禄11年(1698)に近在の大工の手で建築された民家で、建立年代が明らかなものとしては、県内で最古とされており、東日本でも最も古い民家のひとつです。間口14間、奥行6間で建坪は84坪もあり、江戸時代前期としては、規模も大きく、古い様式を残していることから安永9年(1780)建築の土蔵と共に国の重要文化財に指定されています。」大町市公式HPより

同じく国重要文化財の「「土蔵」は急勾配の茅葺置き屋根で、3尺(約99㎝)間隔で立てられた栗材の柱が、その屋根を支える梁をしっかり支えています。」

敷地の奥の「十王堂」。堂内には木造の十王像(閻魔王)が安置されているそうで、扉の外からお参りさせて頂きました。周囲には沢山の石碑・石仏が建立されており、思いがけなくも二基の「双体道祖神」に巡り合えたました🙏。

太い注連縄がかけられた「酒器祝言双体道祖神」「嘉永六癸丑年(1853)十月吉日 本村中」の刻 。中村左五ヱ門が、 古堂より十王堂前へ移したと言われています。

中区にあたる部分は建物を表しているのでしょうか? この上なく晴れがましい雰囲気の中、頬を寄せ合う若い男女神。その顔に浮かぶのは互いを想いあう微笑みです。

もはや、おぼろげな輪郭だけになってしまった「双体道祖神」。そっと手を触れれば、そこには確かに寄り添う男女神の姿が有ります。

茅葺屋根の屋敷には、季節の花がとてもよく似合います。

中村家住宅の隣にあった下見板張りの建物は、大正元年築の「旧美麻郵便局」。今は無人のようで窓もドアも固く閉ざされたまま。

大町市美麻青具花尾に鎮座される「神明宮」。御祭神は『天照大御神』

佇まいの静かさに惹かれて、鳥居の外からの参拝だけですがご挨拶させて頂きました🙏🙏。

訪問日:2016年4月17日

旧北安曇郡美麻村(みあさむら)は長野県の北西部に位置し、周りを1000m級の山々に囲まれた山間に位置した村です。村名は麻の産地であったことに由来します。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美麻村が発足。

2006年、大町市に編入。大町市美麻となりました。

マンホールの画像はありませんが・・昭和49年10月1日制定の村章は「 村名「美麻村」の「ミアサ」の文字を図案化したもの で、村民の友愛と団結を円で表し、発展するさまを表現 したものである。」合併協議会資料より

 

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大町市八坂地区の道祖神:石仏 in 長野県大町市八坂

2022年10月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

大町市八坂、横瀬バス停横に「大黒天像」一基。「矢下氏子中」の刻 

大黒天像とバス停標識の間に、赤子を抱いてあやすお坊様像。髪の毛が無いからお坊様・・・もしくは尼様かも。情報が無いので詳細は不明。

「握手肩抱き双体道祖神」の拓本標識

大町市八坂大平、村営保養センター明日香荘への坂道下の覆い屋に「双体道祖神」二基。「大黒天像」一基。

覆い屋と「双体道祖神」

覆い屋の向かって左手の「握手双体道祖神」「嘉永二年(1849)酉十一月吉日 矢田川村北 之沢矢下梨ノ川 帯代十五両」の刻。お顔の感じからさしずめ熟年の男女神でしょうか。いつまでもこんな風に寄り添って生きてゆければと思います。

覆い屋向かって右手の「握手肩抱き双体道祖神」「明治二十年(1887)亥一月吉日 矢下北ノ沢村中 帯代五円」の刻。目鼻立ちがいかにも逞しそうな男女神。頬を寄せ合い、しっかりと肩を抱く手にも力が入っています。

七福神の一座で、五穀豊穣・開運・出世の神様とされる大黒天

「明治 吉日」の刻はかろうじて読み取れるのですが、それ以上は不明。

村営保養センター明日香荘入り口

大町市八坂舟場、金太郎参道前の覆い屋の中に「双体道祖神」四基。

多分・・・「祝言双体道祖神」

男女神の持ち物が今ひとつ判然としません。

「握手双体道祖神」。女神が男神の手をしっかりと握りしめています。

雨の降る中、急いでの撮影だったので、ブログ掲載の為に見直すまで全く気が付きませんでした。一応調べた所・・・「交合型双体道祖神」と分類されているそうです😅

大町市八坂石原満仲、道路から一段高い土手の上に「地蔵堂」「二十三夜塔」「石仏」「青面金剛像」「地蔵菩薩」「双体道祖神」各一基。

「酒器祝言双体道祖神」「 弘化三午(1846)十一月吉日 金十両帯代 」の刻。長い年月が女神のお顔から表情を奪ってしまいましたが、二人の睦まじさは消える事はありません。

小さな赤子を膝に抱くのは「子安観音」もしくは「慈母観音」。とても美しいお顔の菩薩様ですが、詳細は不明。

「二十三夜塔」「石仏」

「青面金剛像」には「享保二十年」の刻。穏やかな笑みを浮かべられる「地蔵菩薩像」。

撮影日:2016年4月17日

コメント (3)
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