水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

小説・時間研究所 第3回

2008年06月03日 00時00分00秒 | #小説

  時間研究所    水本爽涼
                                                                      
    第3回                          
  その夜は家事があったから、ゴミの一件のことは一端、忘れてしまっていた。床に着き、仰臥(ぎょうが)の姿勢で瞼(まぶた)を閉じると、ふと私自身の手抜かりに思い当たった。悟君が貼り紙をしているとき、そうだ……。あのとき、何故はっきり、何日からと確認しなかったのだろうかと…。たぶん、そうした悔恨が私を物想いへ沈めたのだろう。
  私は東京の下町で生まれ育ち、三十の頃までは都会の暮らしにどっぷり浸(つ)かっていた。それが、ひょんなことで関西暮らしとなったのだが、二十年も経った今では、すっかりこの地方に慣れた、いや、慣らされてしまった。言葉遣(づか)いにも既に地の方言が混在もする。だが、関西風に馴染(なじ)む今も、まだ関東訛(なま)りのイントネーションは妙な形で出て、ある意味で私独自の妙チキリンな言葉となってしまっている。この地の人達も、今では私を他所者とは思わないが、話をしていると、同じ内容を話すにしても、集落内での語り口調と私への語り口調とでは、どこか少し違うのである。私に対しては底辺からの会話がないように思えるのだ。自分を見つめ直せば、私はまだ純粋なこの地の田舎人になりきれていなかったのかも知れないのだが…。
  雨が喧噪(けんそう)を清めて降っている。会社も幸い休みなので、私は空虚に時を過ごしてそれを見ている。降りだした雨は、みるみるうちに辺りを水滴の雫で濡らしていく。しかも、それは冬の冷気を包んでいて、どこか陰湿めいているのだ。雪への変化の予兆もないとはいえない。怠惰に飽きた私は、買物へブラッと出た。冷たく降り注ぐ雨の中を、敢(あ)えて屋外へ出ることもないのだが、食料の調達もあってか、存外と素直に足は動いた。
  八百半(やおはん)で塩山に出会った。塩山は町内会の関係で知己となったのだが、彼と私は年齢的な点も含めて相(あい)通じる所が多く、友人として際う仲であった。そしてもう一つ、彼は都会へ出て長く暮らし、Uターンした所謂(いわゆる)、Uターン組であったし、なにより彼が関西弁を捨て未だに関東弁を語っていた点が、私を彼に接近させていた眼に見えぬ要素だったのかも知れない。彼との会話の中でのみ、私は遠い故郷を想い描けたのである。
「村越さんも買物ですか?」
「えっ?」と振り返ると塩山(しおやま)満(みつる)がニッコリ立っていた。手にはレジを終えた買物袋を持っている。その反対側の手には雨傘である。雫が時折り床(ゆか)に落ちている。
「ああ…塩山さんか、誰かと思ったよ」
  取り分け驚いた訳でもないが、一応は”ギクリとした”というようなニュアンスでそう言った。塩山は、「それじゃ、私はこれで…。近いうちに又お会いしましょう」と言って、コンビニの開閉扉を出ていった。私は、「はあ…」と曖昧な肯定をして彼を見送っていた。外は先程よりも降りを強めた氷雨が落ちている。ガラス越しに雨脚が走るが、それを尻目に肉パックを無造作に買物篭へ入れる。ゆったり歩いて葱の太目の奴も入れる。ウースターソースが切れていたことを思い出してそれも入れる。間食用の菓子パンをニケ、煎餅を一袋、カップ麺を数個、ウインナーソーセージ、胡椒を一瓶と次々に入れて私は雑食豚となる。その他にも数点のものを買い足してレジを通過した。レジの女性はまだ二十歳(はたち)そこいらの純情可憐な若い娘だった。籠の品数を適当に持参の袋に入れて下げ持つと、結構な重さで指に圧迫感が伝わる。
   八百半も少し前までは、ただの八百屋だったのだが、コンビニとして新装開店した。近くにこういった店がないこともあるが、かなりの人出で、それなりに繁盛しているように思えた。半田木(はんだぎ)の精吉つぁんは人当たりのよい陽気な男で、愛想もあってか町での評判は頗(すこぶ)るいい。この日も私を見て、愛想いい笑顔と態度で近づいて、「毎度! またよろしゅう頼んます」と送り出してくれた。この男、どこか憎めないオーラが漂っている。九十キロの巨漢である。
  しょぼ降る雨音以外は何も聞こえない裏通りをトボトボ歩いていると、前方にうっすらと人の姿が見えて、しかも徒歩で近づいてくる。誰なんだ? と妙に気になるが、一面識もない人だったら気に留める必要もない訳で、まあ知り合いだとしても挨拶程度でいいか…などと詰まらなく考えていると、みるみる距離が接近してきた。次第に姿は人の輪郭を鮮明にする。じっと見れば、なんと悟君ではないか…。呼び止めようと声を出し、「やあ!」と片手を挙げ、駆けながら信号の交差点を渡った。足早になっていた。信号は黄から赤に変化しようとしていた。その次の瞬間、一台の車が猛スピードで後方を掠(かす)った。それは全く疾風(はやて)のようであった。「!…」絶句である。もう二歩、いや一歩を踏み出さずにいれば、私は確実にアノ世の亡者へ仲間入りだった。兎にも角にも一命は守られたのである。暫(しばら)く止まった状態で凍結していたが、ふと我に帰り渡り終えた。信号は完全に赤へ変化し、車が既に動き始めていた。すっかり悟君の存在を忘れている自分がいる。悟君の方から間髪入れず声が飛んだ。
「正夫はんやないでっか。…いや、それにしても今の車、無茶しよるなあ。危ないとこでしたなぁ」と、彼も事故にでもなったであろう今の光景を目の当たりにして少なからず興奮気味である。私もやっと前後の脈絡を思い返しつつあった。そう、私は彼に近づこうとして交差点を横切ったのだと…。よく考えりゃ、別に急ぐ必要もなかったのだ。ゴフン程度の時間の軌跡差である。さほど違わなかった筈だが、自然と身体が動いて…。
「駆け出してきやはるんで、なんか重要な急ぎの用かな、と思いましたんやけど…」
「いや、そんなこともなかったんだけどね」
  私は話の的(まと)を失って、曖昧(あいまい)に返した。
  もう少し急いで駆け出していた場合、今の場合、そして信号を冷静に待っていた場合、と三つの選択肢が私にはあったのだ。そのゴフンという時の経過の中で…。
  私と悟君は、暫(しばら)く路傍に佇(たたず)んで話をした。氷雨と感じる冷えた水滴が、相変わらず路面のアスファルトを穿(うが)っていた。
「こないだは、すんまへんでした。…その後、あの件で苦情とかの電話は?」
「いや、もうない。…かなり経ったからさ、そんなに気にしなくったってええんじゃないか?」
  自分で言うのもなんだが、私の語りは関東、関西弁が混在し、独特の新語調が形成されている、とは前にも言った。今更どうしようもないが、ある意味では世界で唯一の言葉を語る生物という不思議な満足感もある。…という訳で、新民族として、一人この地に暮らしているのだ。
「僕はすっかり信用なくしてしもうて、もうさっぱりですわ」
「まあ長い人生じゃ、あんなこともあるさ、気にすんな」と、いつのまにか悟君を慰めている。しかし、私はこのとき、既に一つの雑念を想い描いていた。それは悟君の小さなミスについてではない。私自身が経験した二度のハプニングについてであった。一つは、悟君の過失によって生じた苦情電話の件、もう一つは危うく事故になりそうだった今し方の交差点のことで、その二つに共通するゴフンという時間の判断の分岐路についてと言った方がいいのかも知れないが、ほんの小さな判断の誤差が、人生に大きな展開の違いを与えるということを…。
                                                続


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