時間研究所 水本爽涼

第26回
古新聞を見ていると、スーパーボールの記事が目に飛び込んできた。サッカーなどでも同じなのだが、目的達成のため集団でオフェンスが相手陣のディフェンスを崩す訳だ。これはまさしく敵陣突破を目的とした火花を散らす格闘競技である。ブレーク・スルーだって同じである。真(ま)正面(しょうめん)からぶつかる肉体同士の闘争ではないが、既成概念を守ろうとする思考とそれを超越しようという思考の闘争なのである。私はふと、このことに思い当たった。
一日の流れのなんと早いことか…。悟君や塩山が帰った後、放置されたままの古新聞を読み耽(ふけ)り、時が経つのを忘れていた。もう昼近くになっている。
[時]が目指す咄嗟(とっさ)の判断とその思考研究、これにはかなりの蓄積されたデータが必要になるとは言った。心理学で説く1+(プラス)1=(イコール)2とならないのが人間思考の不思議さだから、前後ゴフンという時間の軌跡を追う。研究の原点はコレだった。私達は、また脇道へ逸(そ)れてしまったのだ。探偵団の必要はなかったし、他人を観察したって、その行動心理などは本人に訊ねなければ分かる訳がない。心理の変化は他人には洞察できない。だからそれを知るには、自分達が自分達自身を観察する以外にはない、というのが導ける結論である。だが、この結論は過去に試みた記憶があった。早い話、堂々巡りをしているようなのだ。だとすれば、同じ轍(てつ)を踏む訳にはいかないから、何らかの方策を考案せねばならない。私はアレコレ考えた。要は観察方法のブレーク・スルーである。
勤めで会社ビルにいても、途中の通勤車中であっても、[時]のことが脳裏を掠(かす)め、全てに集中できない。集中できないということは、全てに充足感がない。肉体的な疲れという虚脱感ではないが、精神的な覇気が生じないのだ。これでは駄目だ、と自分に言い聞かしてはみたが、一週間は瞬く間に過ぎ去った。
土曜の朝、グッタリ疲れて眠りについた昨夜の余韻がまだ残っている。ベッドの目覚ましをボヤッと虚ろに掴むと、既に九時半近くになっている。いつもの惰性でトースト、スクランブルエッグ、サラダ菜、コーヒーで朝食とする。全てが単調である。朝刊を適当に捲り視線を泳がせていると、そこに或る記事が載っていた。通り魔殺人事件の記事であった。私は一瞬、凍りついたが、ふたたびその記事を読み続けた。ブルマンの優雅な味わいと殺伐とした記事が、どこかマッチしない違和感があった。何の怨恨もない若者が通りすがりの通行人を数人、無差別に殺傷したのだ。咄嗟(とっさ)の犯行……、私達の研究が強(あなが)ち無意味ではないと、このとき初めて思った。
読み終えた私は、暫(しばら)く放心状態で何も考えずボォーとしていたが、真摯(しんし)に取り組まねば…という別の感情が、やがて芽生えていった。
━━通り魔殺人━━
発生前後のゴフンという時間に何があったのか・・・、このゴフンに秘められた行動心理は、私達の研究を成果とする大きな鍵に思えた。ふたたび少年探偵団か…と私は考えた。だが、この場合、白衣は目立ち過ぎるように思える。それはともかく、犯人の生活感、その育った環境、起爆剤となったゴフンという時間の状況、どれをとってみても、かなり難解である。精神的に覇気が生じない虚脱感は、いつの間にかすっかり失せていた。
二週に一度の会合だが、生憎(あいにく)、今日はその回りの土曜ではない。で、私は浮かんだテーマを忘れないよう、取り敢(あ)えず連絡だけはしておこうと考えた。
まず塩山に携帯をする。メール送信を適当な文章で綴り(携帯画面1→2→3、6)、その後、悟君にも同様のメール(携帯画面4→5→3、6)を送った。

第26回
古新聞を見ていると、スーパーボールの記事が目に飛び込んできた。サッカーなどでも同じなのだが、目的達成のため集団でオフェンスが相手陣のディフェンスを崩す訳だ。これはまさしく敵陣突破を目的とした火花を散らす格闘競技である。ブレーク・スルーだって同じである。真(ま)正面(しょうめん)からぶつかる肉体同士の闘争ではないが、既成概念を守ろうとする思考とそれを超越しようという思考の闘争なのである。私はふと、このことに思い当たった。
一日の流れのなんと早いことか…。悟君や塩山が帰った後、放置されたままの古新聞を読み耽(ふけ)り、時が経つのを忘れていた。もう昼近くになっている。
[時]が目指す咄嗟(とっさ)の判断とその思考研究、これにはかなりの蓄積されたデータが必要になるとは言った。心理学で説く1+(プラス)1=(イコール)2とならないのが人間思考の不思議さだから、前後ゴフンという時間の軌跡を追う。研究の原点はコレだった。私達は、また脇道へ逸(そ)れてしまったのだ。探偵団の必要はなかったし、他人を観察したって、その行動心理などは本人に訊ねなければ分かる訳がない。心理の変化は他人には洞察できない。だからそれを知るには、自分達が自分達自身を観察する以外にはない、というのが導ける結論である。だが、この結論は過去に試みた記憶があった。早い話、堂々巡りをしているようなのだ。だとすれば、同じ轍(てつ)を踏む訳にはいかないから、何らかの方策を考案せねばならない。私はアレコレ考えた。要は観察方法のブレーク・スルーである。
勤めで会社ビルにいても、途中の通勤車中であっても、[時]のことが脳裏を掠(かす)め、全てに集中できない。集中できないということは、全てに充足感がない。肉体的な疲れという虚脱感ではないが、精神的な覇気が生じないのだ。これでは駄目だ、と自分に言い聞かしてはみたが、一週間は瞬く間に過ぎ去った。
土曜の朝、グッタリ疲れて眠りについた昨夜の余韻がまだ残っている。ベッドの目覚ましをボヤッと虚ろに掴むと、既に九時半近くになっている。いつもの惰性でトースト、スクランブルエッグ、サラダ菜、コーヒーで朝食とする。全てが単調である。朝刊を適当に捲り視線を泳がせていると、そこに或る記事が載っていた。通り魔殺人事件の記事であった。私は一瞬、凍りついたが、ふたたびその記事を読み続けた。ブルマンの優雅な味わいと殺伐とした記事が、どこかマッチしない違和感があった。何の怨恨もない若者が通りすがりの通行人を数人、無差別に殺傷したのだ。咄嗟(とっさ)の犯行……、私達の研究が強(あなが)ち無意味ではないと、このとき初めて思った。
読み終えた私は、暫(しばら)く放心状態で何も考えずボォーとしていたが、真摯(しんし)に取り組まねば…という別の感情が、やがて芽生えていった。
━━通り魔殺人━━
発生前後のゴフンという時間に何があったのか・・・、このゴフンに秘められた行動心理は、私達の研究を成果とする大きな鍵に思えた。ふたたび少年探偵団か…と私は考えた。だが、この場合、白衣は目立ち過ぎるように思える。それはともかく、犯人の生活感、その育った環境、起爆剤となったゴフンという時間の状況、どれをとってみても、かなり難解である。精神的に覇気が生じない虚脱感は、いつの間にかすっかり失せていた。
二週に一度の会合だが、生憎(あいにく)、今日はその回りの土曜ではない。で、私は浮かんだテーマを忘れないよう、取り敢(あ)えず連絡だけはしておこうと考えた。
まず塩山に携帯をする。メール送信を適当な文章で綴り(携帯画面1→2→3、6)、その後、悟君にも同様のメール(携帯画面4→5→3、6)を送った。
携帯画面1
宛先1 ☆21
shioyama@<小> ◎◎◎◎◎.ne.jp</小>
↓
携帯画面2
タイトル ☆122
緊急情報
研究会テーマ
↓
携帯画面3、6
本文 ☆118
今朝、新聞を読んでいて、通り魔殺人という面白いテーマを発見、次回に報告したいので、これに関する多くの情報を入手してもらいたい
↑
携帯画面5
タイトル ☆122
緊急情報
研究会テーマ
↑
携帯画面4
宛先2 ☆19
satoru@ ○○○○○.ne.jp
本当のところを言うと、“今まで書いた原稿用紙にして約170枚にも及ぶ物語は、飽くまでプロローグに過ぎなかった…”と言っても過言ではない。時間研究所のドラマチックな物語は、実はこの時点から始まったのである。
続