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水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

風景シリーズ  特別編 その後[4] 「静かに!」

2012年09月01日 00時00分00秒 | #小説

 風景シリーズ   水本爽涼

  特別編 その後[4] 「静かに!」

 こんなことは書きたくはないが、妹の愛奈(まな)の存在を認めるなら、家族全員が多少は我慢しなくてはならないのが静寂を保つことだろう。テレビの場合だと、僕が一人のときはイヤホンで聞くし、じいちゃんとかがいるときは今まで見ていた音量を極力、下げるようにしている。じいちゃんも、そのことは分かっていて、この件に関しては何も言わない。…っていうか、地獄耳のじいちゃんには音量の心配などは、さらさら必要ないのだ。ただ、じいちゃんの早朝稽古については、一時、困難を極めた。というのも、剣道のトゥ~リャ~~! キェ~! などという癇高い掛け声は寝た子を起こすからご法度だからだ。庭や離れの道場などでの稽古は無論、ご法度で、じいちゃんは少し離れた神社の境内で剣道やる羽目に陥ったのである。まあ、歩いて十分程度だから苦にはならないし、返っていい運動になる・・と、じいちゃんはいつもの強気で言い切った。ところがである。自然とは人間ばかりに都合よく出来ているものではないことを、じいちゃんは思い知らされた。まず、藪蚊である。筋骨隆々のスーパーマンもさすがに藪蚊には手も足も出なかった。しかし、じいちゃんも只者(ただもの)ではない。文明の利器の使用を思いついたのだ。利器といっても、ただの虫よけの市販のクリームなのだが…。
「正也! お前、虫のクリーム知ってるな。あれ、持ってきてくれ」
「虫のクリーム? ああ、虫よけか…」
「そうだ。頼みまする、正也殿」
 師匠だし、お武家言葉でそう言われては、もはや断ることはできない。僕は薬箱のある母屋へ小走りした。
 離れから母屋までは、取り合いの渡り廊下を挟んでも、すぐだから、僕は時折り行き来していた。じいちゃんは、クリームを身体の至るところに塗りつけた。そして、「ほれ」と僕に手渡したが、クリームは見事に使い切られ、チューブには、ほとんど残っていなかった。しかし、文句を言う訳にもいかず、そのまま受け取るとポケットへ入れた。じいちゃんは竹刀(しない)を振りながら意気軒昂(けんこう)に出かけた。ところが、悪くしたもので、この日は村の祭礼行事があるとかで神社境内は早朝から無人ではなかった。じいちゃんは稽古の竹刀を振る訳にもいかず、そのままUターンして家に戻ってきた。その憤懣(ふんまん)は会社へ出がけの父さんに降りかかった。まあ、僕でなくてよかったのだが…。
「お前な! たまには家族で旅にでも出ろ!」
「えっ!? なんですか、お父さん。出がけに…」
 父さんは不埒(ふらち)にも、じいちゃんへ言い返した。
「なにぃっ!!」
 この声で、愛奈が起き、賑やかに泣き始めた。母さんはバタついて、赤ちゃんベッドへ駆け寄り、抱き抱えるとあやした。
「静かに!」
 珍しく、母さんが叫んだ。罰悪く、父さんは無言で会社へ出かけ、じいちゃんも反省して意気消沈しながら離れへ撤収した。僕も「行ってきます…」と神妙に言って学校へ出かけた。
 ところが上手くしたものだ。団欒(だんらん)の夜にはそんなことがあったのか・・という感じで、皆に笑顔が戻っていた。まあ、いつもよりか静かにはなっていたのだが…。時の流れとは残酷な場合もあるが、こういう温かい場合もあるな・・と、大人びて思えた。もちろん、愛奈の前では、静かに! が、今や我が家の至上命題となっている。それと、これはどうでもいい話なのだが、こんなことがあってから、じいちゃんの頭をこねくり回す回数が、すごく増えている。


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