水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《入門》第二十回

2009年04月11日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第二十回

 蟹谷は、一馬を左馬介に紹介した。
「宜しく御願い致しまする」
 左馬介は一馬を穏やかな視線で見ながら、軽く頭を下げた。一馬もそれを見て返礼する。
「さあ! 話はこれまでじゃ、解散!!」
 蟹谷の声が掛かり、門弟達は喧噪を起こして各自、立ち上がると、大広間を後にしていった。
 左馬介が後になって知ったことだが、勿論それは、道場での生活を一日、終えたときであったのだが、堀川道場には綿密に組まれた日程があり、幻妙斎を除く門弟達全てが、その日程に従って、日々、規則正しい生活を送っているという事実であった。
 蟹谷に命じられた一馬は、歳が余り違わぬこともあってか、左馬介にとっては割合と話し易く、その後、細部に至るまで面倒を見て
くれる朋友となった。
「これだけの人数なのですから、米も馬鹿にならぬでしょう?」
「そうですねえ…。一日に一升以上は炊きますが、全くもって足りません。ですから、粥になる場合が多いのです…」
 笑顔で魚を焼く一馬が、それを手助けする左馬介に、そう返した。米の調達は? と、喉に出しかけた言葉を押し止めた左馬介であったが、どうも、その辺りが気になった。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十九回

2009年04月10日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十九回

「こらっ! 伊織。余り脅すものではないわ」
 と、蟹谷が神代を窘(たしな)めると、ふたたび誰彼となく、笑声が起きた。その時、不意に左馬介は、
「私、本日より堀川道場にお世話になります秋月左馬介と申す者。皆様方には、先刻ご承知かと存じまするが、何分にも若輩者ゆえ、何卒、よしなに御指導の程、御願い申し上げまする…」
 と、両手を畳へ付き、身体を折るように深々と一礼した。十五の
歳にしては、大人びて聞こえた。緩んだ空気が一瞬にして引き締まり、笑声は止んだ。大広間は、ふたたび静まり返った。
「皆も心得ておる。まあ、堅い話は抜きにして、今日は、ゆるりとして下され。ははは…、伊織が申したとおり、明日以降の敬語は御免蒙るが許されよ。これより夕餉の支度にかかります故、見ておかれよ。明日からは、やって貰いますからな。一馬! 教え役じゃ」
「はいっ!」
 左馬介から見れば最も近い、左斜め手前の間垣一馬が威勢のいい返事をした。歳もかなり若く、左馬介以外では一番の若輩に見えた。
「この間垣は、今までの新入りでしてな。何かと訊かれるとよろしかろう」


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十八回

2009年04月09日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十八回

 門弟達は、名を呼ばれるごとに、左馬介を見つつ会釈をする。その都度、左馬介も幾度となく頭を下げ続けた。
 左右の視界に入る八名と真正面の一名は、全てが左馬介より歳長に思えた。それでも左馬介は、臆することなく背筋を伸ばし、堂々と構えていた。
「今日は先生にお目にかかれぬ。…明日、改めてお言葉があろう」
 と、蟹谷が切り出す。
「いえ、門前にて、お目通り致しました」
「ほう…、そんなことが…。で、先生は何処(いずこ)へ出かけられたか、御存知ではないか?」
「いいえ、そこ迄は…」
 左馬介は返す言葉尻を濁した。
「左様か…。先生にも困ったものじゃ…」
 渋い顔で蟹谷が嘆く。門弟達から初めて笑声が漏れた。その時、左奥、左馬介から見れば右奥だが、蟹谷の最も近くに座る案内係の神代が声を発した。この男、やはり全員の中では、抜きん出て身長があり、大男に見える。
「師範代は未だ敬語遣いじゃが、明日からは恐いぞぉ~」


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十七回

2009年04月08日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十七回

 暫くして…、とはいっても、左馬介には些細なことでも気掛かりな心持ちだったから、ほんの僅かな“暫く”の時であったが、広間へと歩んだ。黒光りする廊下を右往左往する。神代が案内した大広間の位置は、たぶんあの辺りだった…という曖昧な記憶でしかない。だが今は、その記憶を辿るしかなかった。
 幸い、左馬介の眼前に大広間は現れた。門弟八名が四名ずつ左右に並んで座っている。正面上座と下座は誰も座してはいない。左馬介は正面下座へと座し、皆が見守る中、両手を畳へつき、深々と頭を下げ一礼した。その姿勢のままでいると、何者かが入ってくる気配がて、
「頭を上げられよ…」
 と、厳粛な一声が流れた。左馬介は、ゆったりと頭を上げる。正面上座奥には、道場に掛けられていた軸と同様に、『鹿島大神宮』、『香取大明神』の二柱の神名を墨書した掛軸が左右に一双、掛けられている。そして、その前方に威風堂々と座った男が左馬介を見て、
「師範代の蟹谷新八郎と申す、お見知りおかれよ」と一礼し、右手で門弟を指し示しながら、
「これより順に紹介つかまつる。まず、右奥より、井上孫司郎、塚田格之助、山上与右衛門、間垣一馬、左奥より、貴殿を案内(あない)致した神代伊織、続いて、長沼峰三郎、樋口静山、長谷川修理でござる」
 と、各自を紹介した。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十六回

2009年04月07日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十六回

 暗黙のうちに幾らかの金子(きんす)が父より支払われたのを自分が知らないだけなのか、或いは、幻妙斎には別に出資する者がいて門弟達からは金子を受け取る必要がないのか、将又(はたまた)、別の事由によるものなのか…。そうした疑問が消えては浮かび、左馬介は気になりだしたのである。山場下総守(やまば・しもふさのかみ)が、この堀川道場の後見をしており、更には道場に関与するあらゆる諸費を勘定出ししていることを左馬介が知るのは、それから数ヶ月も先のことであった。
「おう、待たせたな!」
 ふたたび、大男の神代が流れる汗を拭きながら現れた。拭いている布は、雑巾とも見える薄汚れた襤褸(ぼろ)布である。
「暫く後に大広間の方へ来るように…。場所は先ほど回ったから、分かっておるな? 今、皆が着替えをしておるでな。細かなことは、師範代が明日に致せ、と仰せられた故、今日のところは、皆に挨拶だけでもして貰おうか」
「はい!」
 神代の顔を見上げて、左馬介は大きめの声を素直に返した。その返答に満足したのか、神代は微笑んで奥へと消えた。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十五回

2009年04月06日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十五回

 少し偉ぶってそう云い終えると、神代は畳から立ち上がり、ドカドカと稽古場の方へ消えた。ドカドカというのは、飽く迄も左馬介のその時の感性であり、実際の神代は、摺り足で音も無く消えていたのである。左馬介の錯覚は、偏(ひとえ)に、神代が大男だった為だった。それは兎も角として、こうして解き放たれ一人になれば、人心とは自ずと落ちつくものである。若干、十五歳の左馬介とて例外ではなかった。剣の鍛錬は今迄、源五郎の相手に借り出され、充分過ぎるほどやってきた左馬介であったが、心の修練は? と訊かれれば、これといって積んではいない。飽く迄、同年輩の者達に比べれば、剣術の腕が少し立つ…という程度なのだ。心の度量は傑士とは云い難かった。
 それから大よそ半時ほどは、云われた自分用らしき小部屋で適度に寛(くつろ)いだ左馬介であったが、やはり家内とは異なり、心底からは安らげない。それと、一つ気になりだしたのは、道場の勘定方が如何に取り仕切られているのか…ということである。葛西を出立する以前より、その辺りのことについては、父の清志郎から全く何も聞かされていない左馬介であった。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十四回

2009年04月05日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十四回

 但し、この内の一名は地の葛西者らしく、日々、通っているらしかった。故に、日々、身近に寝起きする連中は、幻妙斎と通いの者一名を除く九名となる。無論、幻妙斎に従って身の回りの世話をする者は、孰(いず)れかがやる風であったが、それは番決めではないようで、幻妙斎自らが命じるらしく、しかも、明確な決めではないと云う。その時の左馬介は、そのことを余り気に留めていなかった。
 ひと通りの案内が済んだとみえ、神代は左馬介を離れの座敷へと通すと、自分は勝手に畳上へ座って胡坐(あぐら)をかいた。更に、左馬介に座れ…と云うでもなく、胡坐を崩しながら両脚をバタリ! と伸ばし、
「…と、まあ以上が、この堀川道場の大まかな有り様だ。云っておくが、ここからは敬語は省く。何か訊ねたき儀があらば、聞こう」
 と、取って代って、急に神代の言葉遣いは、ぞんざいになった。
「これといって、今、すぐには…」
 言葉を濁した左馬介であった。それもその筈で、左馬介は全てに面食らっていたから、気も漫(そぞ)ろで、訊ねることすら思いつかないのであった。
「ならば、よい。先ほど案内(あない)した小部屋で暫し休むがよい。門下の稽古が終われば、また呼ぶ故、それ迄は体を休めておくよう…」


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十三回

2009年04月04日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十三回

「門人達のことは明日、お話を致すが、この洗い場の裏に続く風呂の沸かし番は輪番でござってな。これだけは新入り、古参の隔てはないのでござる。ただ、新入りの門人と、それ迄の新入り、早い話、門人の内の新入り二名が、門下の稽古着の洗濯をせねばならぬ決めがござる。それが最も辛うござろう。特に冬場は応えますなあ。今では中堅の私もそうでしたから…」
 辛い昔を回顧するように、神代は語った。
「委細については、その折々で他の門人に訊いて戴くとして、…では、そなたの小部屋を最後に…」
 言葉尻を濁して、ふたたび廊下伝いに神代が歩きだした。どうも思っていたような雑魚寝ではないらしく、個人部屋は与えられそうである。そう思いながら、左馬介は木偶(でく)となり、神代に付き従って歩くのみであった。
 後に分かったのだが、賄い番という役割も別にあり、これも風呂番と同じく、新入りがやるらしかった。この時、道場に寓居した者は、門弟八名、師範の幻妙斎、師範代一名の総勢十名で、左馬介が加わったことにより、計十一名で新たな体制が組まれることも神代は伝えた。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十二回

2009年04月03日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十二回

「今日のところは、ブラリと辺りを案内(あない)し申す。それと、日常の暮らし向きの心得、寝所、起床、就寝、食事のことなどを大まかに御話し仕(つかまつ)る」
 そう云って、神代は首筋をボリボリと掻いた。
「宜しく御願い致しまする」
「まずは、上がられよ」
 左馬介は大刀を腰より外して手に持つと、ゆったりと黒漆で光る敷居の上へ腰を下ろした。
 神代に先導され、黒光りする廊下が続く中を、右へ左へと案内されて進んでいく。神代の説明は分かり易く細やかで、しかも慣れて上手い。どうも、新入りの世話を専門で任されている節があった。四半時、アチコチと道場の各所を巡るうちに、結構、広い屋敷だぞ…と、左馬介は思うに至った。
「長い道中、お疲れでござったろう…」
 歩きながら、神代は敬語遣いで歳下の左馬介に対していた。堀川道場の門弟八名が稽古の後、水を被る洗い場と呼ばれる構造物を最後に案内しながら、神代は声が響く道場の稽古場を指さした。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第十一回

2009年04月02日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第十一回

 すると、入口正面に威風堂々と据えられた衝立(ついたて)の奥から僅かに声がした。
「やっと来た…と、見えるな…。ファ~」
 眠っていたのか、独り言を吐いて欠伸する大男が衝立の後方に立ち、姿を現した。左馬介は意表を衝かれ一瞬は怯(ひる)んだが、気を取り直すと、馬鹿の一つ覚えの如く、「た、頼もう…」と、噛みつつも小声を出した。
「先生から仰せつかった案内(あない)役の神代伊織(かみしろ・いおり)と申す。そなたは確か…秋月左馬介殿であったな? 以後、ご入魂(じっこん)に願いたい」
 神代伊織と名乗ったその大男は、歳の頃なら兄の市之進よりは少し下で、左馬介から云うなら、七つ八つは歳上の二十二、三に見えた。
「いえ、こちらこそ。宜しく御願いを申し上げまする…」
 裸足(はだし)に薄汚れた袴、稽古着は左馬介でも見たことがないような襤褸(ぼろ)を纏い、髷も手入れが行き届かぬ風情の神代は、両脚を少うし広げた横柄な姿勢のまま左馬介の言葉を聞くと、首を縦に振った。


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