「石を投げられたら躯(からだ)で受けよう、斬られたら傷の手当てをするだけ、どんな場合にもかれらの挑戦に応じてはならない、ある限りの力で耐え忍び、耐えぬくのだ」
(山本周五郎、樅ノ木は残った)
いま耐えているあなたに贈ります。
イエス様の声がした気がしました。
「マタイ25.40を読みなさい。」私は目を覚まして、聖書を開けました。
「まことに、あなたがたに告げます。」「私の兄弟であるこの最も小さな者にしたことは、私にしたことなのです。」
「私にしなかったのは、永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠の命に入るのです。」
(マタイ23.40-46
)
よく意味が分かりません?
小さな者とは、例えば、葬儀の時に「こんな時に励ましてくれた」「あんな時にそばにいてくれた」「いつも明るくなごましてくれた」という小さな思いやりに涙してしまう。
神様は毎日の小さな心づかいこそが神の望んでおられることなのです。
「小さな愛の行い」が神の心だと気づきなさいとのお告げだと思いました。