生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

声なき詩

2021-04-27 04:01:56 | 日々の暮らし

 

東京の障害者施設にいる重度の脳性マヒで寝たきり、体は動かず、
言葉も話せない20歳の女性の記事を見ました。

彼女はわずかに動く手をボランティアの添える手を借りて詩を書いています。その数1200点。
『せかいのなかで』
このひろいせかいのなかでわたしはたったひとり
たくさんの人のなかでわたしとおなじ人はひとりもいない
わたしはわたしだけ
それがどんなにふじゆうだとしても
わたしのかわりはだれもいないのだから
わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる。

『いきていてこそ』
いまのつらさも
かんどうも
すべてはいきていてこそ
どんなにつらいげんじつでも
はりついていきる。

『こえをだせない
わたしたちにも
ことばやいしがあることをしってほしい。
そんざいをみとめて』

このような人々がたくさんいると思います。
また、このような子を持つおとうさん、お母さんの苦しみ、悩みも
大変だと思います。僕達の勤める福祉施設にも体の不自由な方が大勢います。逆にこちらが生きる力をもらっている気がします。
声が出せる。
体が動かせる。
歩くことができる。
一人でトイレに行ける。
これだけでも幸せだと感じないといけませんね。
頑張って生きている姿に生きる力を頂いているのだから。
声なき詩に勇気頂きました。ありがとうございます。              

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聖者の行進

2021-04-27 04:01:56 | 日々の暮らし

孤独とは惨め(みじめ)、気の毒、かわいそう、情けない等のイメージがあります。私はよく味わいました。
「孤独とは自分一人だけで充分満ち足りて充足していること。他の人のお助けには及びませんという毅然とした誇り高い姿なのです」
    (三輪明宏)

孤独とは自分一人の足だけで充分大地を踏みしめて生きている証拠なのです。
そういう自信ある孤独になって欲しいと思っています。孤独に耐えたから人を思う力を頂けるのです。皆様の投稿やコメントから毎日精一杯生きている事が分かります。日々感謝しています。皆様は聖者の道を歩んでいるのです。耳で神の声を聞き、それを口で伝え、大地を踏みしめ歩んでいるのです。

 

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