私は向こうっ気の強い人間だと思う
権威とか権力にはとにかく反発する
中学の学習要領の中には『反対の意見が言える』というような項目があるそうだ
私が通った中学は生徒が広域から来ていていろいろな価値観があった
そうした特徴を生かし、先生が生徒たちの意見を敢てぶつからせることが良くあった
しかし、こうした策動を見抜いた私はそれに乗ることはなかった、と思う
私が上に対して強くものをいう性質は大学卒業後に着いたものだと思う
青年海外協力隊に行く前、外国人の先生から色々な話を聞いた
それ以外にも色々な種類の人々と議論をする機会があった
赴任後も外国人の中で生活する中で自分の意見を強く持つようになった
自分の意見を通すような発言もするようになった
より強くそうなったのは確かにそうだ、と思うのだが
もっと前からその気(け)はあった
大学3年目でグリークラブの部長をやっていた時の夏合宿
作曲家の先生がその年の定期演奏会のために丹精込めた大作を披露してくれた
先輩やOBが先生に対し感謝の言葉を述べている席で私は発言した
「こんなに多くの曲をやったら、お客様たちが飽きてしまいます。
半分ぐらいに絞り込みましょう。」
先生はそうだな、と言って、やおら選曲をし始めた
そのあとで、先輩やOBが私に意見をした
「なんであんなことを言うのか」「せっかくのご努力を無駄にするではないか」
それに対しても、私は一切くじけなかった
演奏会の意義、曲のまとまり、自分の意見を繰り出し説得した
策動に乗ることはなかったが、傍から見ながら影響は受けていたのに違いない
だからかなぁ、何を言われても落ち込むことがない私