以前、人はみんな問題含み
みんな病気みたいなものと書いたことがある
10年近く前、ある団体で指導をしていた時、お母さんから告げられたことがある
「家の子は学習障害だと医者から言われました」
だから、配慮してほしいと
どう配慮すればいいのかその時は解らなかった
その後も数回、別の人から同様のことを告げられた
25年ほど前、私は心理学に関する本を一度に数十冊読んだことがある
子育てにどうしても必要だったからだ
色々な先生の本を読んだが、その時は『学習障害』という名前は出てこなかった
配慮を考えるため再び学習することにした
まだ情報は少なかったが色々な言葉を覚えた
しかし、読めば読むほど理解できなかった
今、『自閉スペクトラム』という言葉がある
これと似た言葉は多い
自閉症という言葉を知ったのは35年ほど前
同じ住宅街に息子より2歳ほど年上の子がいたのだが
そのご両親から「私達の子は自閉症なんです」と言われた
当時、自閉症は病気として扱われていた
そのためか、ご両親も育て方に苦心していた
私の子供がまだよちよち歩きの頃にその子のそばに連れて行った
興味を示し遊んでくれるかなと思ったからだ
ところが私が近づくとその子の様子が変わった
私は人見知りの子だなと感じたのでそれ以上近づくのを止め
私は自分の子供の様子を見守った
その時に、ご両親から病気のことを告げられたのだ
子供たちとも交わることが苦手でいつも一人遊びをするのだそうだ
大人からは避けようとするらしい
結局、息子をその子と遊ばせることはなかった
自閉スペクトラムのスペクトラムとは境目のないとか連続したという意味らしい
多分スペクトルから来ている言葉なのだろう
自閉症スペクトラムという言葉も見たことがある
その説明を読んでもはっきりと分かったとは言い難い
まだ研究が進んでいる途中なのかと思う
以前、『アスペルガー症候群』という言葉を学んだが
今ではそれも『自閉スペクトラムに含まれる』と説明する文にも出会った
言葉はどうでもよいのだが、少し他のことは違う子がいることは事実だ
しかし、理解しようと思えば思うほど判らなくなる
普通の子と言われている子供も本当に普通なのだろうか
そう思うようになった
自分自身のことも考えるようになった
私は自分自身で私のことを普通の人間だと思っている
しかし、昔から他人とは違う何かも感じていた
意見が私一人だけ孤立したりした
「よくそんなことが言えるな」と叱責されたこともある
私は私なりに何故そう言うのかの明確な根拠を持っている
だから、何を言われても怯えることもなければ主張を止めることもない
普通とは何か
普通の人なんていないのではないか
十人十色という言葉もある通り、人は一人として同じ人はいない
質問の回答を『yes』『no』と二分した心理学テストでは
普通とは違う人を見分けることが出来るかも知れない
しかし、人の気持ちはそんなに単純ではない
『yes』と『no』の間には少しずつの違いがあるからだ
それが『スペクトラム』という言葉に集約されたのだろうか
遺伝的な部分と後天的な学習により学んだこと
遺伝でも完璧な遺伝はなく
学習に至っては同じことを学んでも捉え方は異なる
簡単な数学のように、答えが一つしかない質問はほんの一握りだ
従って、人は一人とて同じ考えをもつ人は存在しない
『普通』とは一体何なのだろう