スタッフの”心の負担”が限界に ――「それでも飛ばしつづけるしかない」
「毎朝カウンターをオープンする時間には、山形から出発しようとする人たちですでに長蛇の列だったといいます。
仕事が始まると、空港スタッフたちは夜の8時、9時まで一度もバックオフィスへは戻れない。
休み時間なしで案内やチェックイン業務に追われました。
食事に行く時間もとれないのを承知で、朝6時にオフィスでおにぎりを食べると、気合いを入れて職場に出ていったと聞きます。
空港へはみんなクルマ通勤だったようですが、ガソリンがなくなると補充できず、仕事に行けません。
『飛行機を止めるわけにはいかないので優先的にガソリンを売ってほしい』と、スタンドの会社との交渉も自分たちで進めていました」
臨時便のキャビンを担当する客室乗務員たちには、体力的よりも精神的な負担が積もっていたようだ。
最初の1週間は出張先の東北から避難する乗客が多かったが、2週目、3週目になると乗ってくる客層に変化が起こった。
「身寄りのない子供が、ランドセル一つで乗ってきたりしました。
東北で家族を失い、遠い親戚を頼っての旅だったのでしょう。
客室乗務員たちは、そういう乗客をケアしながらのフライトで、心の負担が大きかったと思います。
乗務を終えてオフィスに戻り、ワンワン泣いていた若い乗務員もいました」
仙台空港に津波が押し寄せたときに、空港スタッフたちが防寒具として着用していた黄色いジャンパーがある。
それを、いまでも見ることができないと言っている人も多い。
思い出すのが辛い、黄色のジャンパーを見ると胸が苦しくなるというのだ。
「それでも、私たちは飛ばしつづけるしかありません。
3.11の5日後には花巻空港が再開し、山形と花巻に臨時便を集中させました。
東京からもJALの臨時便運航が始まり、震災後のJALグループの臨時便は半年間で約3000便に達しました。
そのうちの1900便以上が、ジェイ・エアの便でした」
「料金後払い」の額は1200万円超、その顛末は――?
前述したように、ジェイ・エアは
「緊急事態なので運賃は後払いでかまいません」
とアナウンスし、東北への臨時便を飛ばしていた。
料金を回収できなければ大赤字になってしまうのを覚悟の上だ。
収入がゼロというだけではなく、飛行機を飛ばすには燃料費も含めて膨大なコストがかかる。
「責任は私がもつから、とにかくチケットをもたない人も乗せて飛ばしてほしい。
そう指示したあのときの自分の判断が正しかったのかどうか──いまもわかりません。
正規料金でいうと、山形から大阪への運賃は3万円ちょっとで、76人が一人も払ってくれなければ200万円以上の損失になる。
それが6便になると、1200万円。ですが、社内で反対の声などはいっさい出なかったですね。
むしろ
『やりましょう!』
と、社員の気持ちは一つになっていたと思います」
山形から伊丹に到着すると、乗客たちは
「こちらにお並びください」
と空港スタッフやジェイ・エア社員に誘導される。
そこで一人ひとりに後払いをお願いするため、連絡先を聞くなどの対応がとられた。
では、実際にどれくらいの乗客から後で料金を徴収できたのか?
その質問に、山村氏は当時を思い出しながら目を細めた。
「結論から言うと、全員です。
お支払いいただけなかったケースは1件もありません。
社員たちも、みんな驚いていましたよ。
連絡先などは聞いてありましたが、社員が
『払ってください』
と個別に訪ねたわけでもありません。
名前も住所もウソを書かれたら、それで通ってしまう。
伊丹で降りた乗客に
『こちらで手続きをお願いします』
と誘導はしたものの、トイレへ行くと言ってどこかへ消えてしまったら、追いかける術もない。
しかし、結果は全員が後できちんと振り込んでくださいました。
日本人の素晴らしさだと思いますね」
3.11から5年。
ジェイ・エアの社員たちは、今日もそれぞれの現場で自分たちの果たすべき役割・仕事に取り組んでいる。
筆者:秋本俊二(Shunji Akimoto)
作家/航空ジャーナリスト。世界の空を旅しながら新聞・雑誌、Web媒体などにレポートやエッセイを発表するほか、
テレビ・ラジオの解説者としても活動。
『航空大革命』(角川oneテーマ21新書)や『ボーイング787まるごと解説』など著書多数。
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次世代を担う皆様
日本はこういう国なんです。
守っていってください。
お願いします。
「毎朝カウンターをオープンする時間には、山形から出発しようとする人たちですでに長蛇の列だったといいます。
仕事が始まると、空港スタッフたちは夜の8時、9時まで一度もバックオフィスへは戻れない。
休み時間なしで案内やチェックイン業務に追われました。
食事に行く時間もとれないのを承知で、朝6時にオフィスでおにぎりを食べると、気合いを入れて職場に出ていったと聞きます。
空港へはみんなクルマ通勤だったようですが、ガソリンがなくなると補充できず、仕事に行けません。
『飛行機を止めるわけにはいかないので優先的にガソリンを売ってほしい』と、スタンドの会社との交渉も自分たちで進めていました」
臨時便のキャビンを担当する客室乗務員たちには、体力的よりも精神的な負担が積もっていたようだ。
最初の1週間は出張先の東北から避難する乗客が多かったが、2週目、3週目になると乗ってくる客層に変化が起こった。
「身寄りのない子供が、ランドセル一つで乗ってきたりしました。
東北で家族を失い、遠い親戚を頼っての旅だったのでしょう。
客室乗務員たちは、そういう乗客をケアしながらのフライトで、心の負担が大きかったと思います。
乗務を終えてオフィスに戻り、ワンワン泣いていた若い乗務員もいました」
仙台空港に津波が押し寄せたときに、空港スタッフたちが防寒具として着用していた黄色いジャンパーがある。
それを、いまでも見ることができないと言っている人も多い。
思い出すのが辛い、黄色のジャンパーを見ると胸が苦しくなるというのだ。
「それでも、私たちは飛ばしつづけるしかありません。
3.11の5日後には花巻空港が再開し、山形と花巻に臨時便を集中させました。
東京からもJALの臨時便運航が始まり、震災後のJALグループの臨時便は半年間で約3000便に達しました。
そのうちの1900便以上が、ジェイ・エアの便でした」
「料金後払い」の額は1200万円超、その顛末は――?
前述したように、ジェイ・エアは
「緊急事態なので運賃は後払いでかまいません」
とアナウンスし、東北への臨時便を飛ばしていた。
料金を回収できなければ大赤字になってしまうのを覚悟の上だ。
収入がゼロというだけではなく、飛行機を飛ばすには燃料費も含めて膨大なコストがかかる。
「責任は私がもつから、とにかくチケットをもたない人も乗せて飛ばしてほしい。
そう指示したあのときの自分の判断が正しかったのかどうか──いまもわかりません。
正規料金でいうと、山形から大阪への運賃は3万円ちょっとで、76人が一人も払ってくれなければ200万円以上の損失になる。
それが6便になると、1200万円。ですが、社内で反対の声などはいっさい出なかったですね。
むしろ
『やりましょう!』
と、社員の気持ちは一つになっていたと思います」
山形から伊丹に到着すると、乗客たちは
「こちらにお並びください」
と空港スタッフやジェイ・エア社員に誘導される。
そこで一人ひとりに後払いをお願いするため、連絡先を聞くなどの対応がとられた。
では、実際にどれくらいの乗客から後で料金を徴収できたのか?
その質問に、山村氏は当時を思い出しながら目を細めた。
「結論から言うと、全員です。
お支払いいただけなかったケースは1件もありません。
社員たちも、みんな驚いていましたよ。
連絡先などは聞いてありましたが、社員が
『払ってください』
と個別に訪ねたわけでもありません。
名前も住所もウソを書かれたら、それで通ってしまう。
伊丹で降りた乗客に
『こちらで手続きをお願いします』
と誘導はしたものの、トイレへ行くと言ってどこかへ消えてしまったら、追いかける術もない。
しかし、結果は全員が後できちんと振り込んでくださいました。
日本人の素晴らしさだと思いますね」
3.11から5年。
ジェイ・エアの社員たちは、今日もそれぞれの現場で自分たちの果たすべき役割・仕事に取り組んでいる。
筆者:秋本俊二(Shunji Akimoto)
作家/航空ジャーナリスト。世界の空を旅しながら新聞・雑誌、Web媒体などにレポートやエッセイを発表するほか、
テレビ・ラジオの解説者としても活動。
『航空大革命』(角川oneテーマ21新書)や『ボーイング787まるごと解説』など著書多数。
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次世代を担う皆様
日本はこういう国なんです。
守っていってください。
お願いします。
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