川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

人生は一瞬で決まる 

2024年10月26日 | 人生
執行草舟の名著『生くる』の「習慣について」の以下はいい。

「悪い習慣を身に付けている人は、うすうす悪いとわかっているから、つい卑屈になる。 この卑屈さが自負心を奪い、流行に振り回され、他人に認められたがり、誉められたがる小人を生み出す。
 自分を低めることにより、個性も人格もない浮き草となる。」

これを読んで、以下のひらめきを得た。

不誠実な振る舞いをする場合も同じ。
不誠実な、嘘や、ごまかし。
これらは、自分の心の「弱さ」から来る。
不道徳で、不誠実とわかっている。やっちゃいけないとわかっている。
でもその弱い、醜い、卑しい心に、負けている。

この「小さな敗北」が、積もり積もって、卑屈さを生む。
「俺はどうせ弱いんだ」「人間なんて弱い生き物だ」「誰だってミスするんだ」「多少は甘えていいんだ」という。

これが、自負心を奪う。矜持を奪う。自尊心を奪う。

そういう人間は、ゆくゆくは、「流行に振り回され、他人に認められたがり、誉められたがる小人」に成り下がる。

つまり、自分を低める、「個性も人格もない浮き草」になる。

執行草舟さんがいう「横野郎」「水平野郎」ですね。

____________

以上のロジック・心理は、「克己の工夫は一呼吸の間にあり」と言う佐藤一斎を思わせる。

ちょっとでも自分の弱さに負けることが、積もり積もって、自分の習慣、性格、そして人生を築いている。 

執行草舟的な言い方をすれば、「人生は一瞬で決まる」。

刹那の、呼吸、気合、心情で、人生は形作られる。

「ビジネスは一瞬一瞬が勝負」と思って仕事していますが、その「刹那の工夫」は、ビジネスのみならず、人生行路全般に、影響すると知りました。

 
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執行草舟 「人生」に関する言葉

2024年10月26日 | 人生
執行草舟サイトに、執行草舟さんの言葉がある。こちら

そのカテゴリー「人生」には145もの言葉がある。

そこから、いい言葉をいくつかピックアップ。

◆ 死生観というのは、つまるところは「美学」

◆ 人は死ぬまで満たされてはならない。断じて、利口になってはならぬ。自己の中で、思想として確立していないものは人生では役に立たない。

◆ 本当は誰の心にも、悪罵や化け物が巣食ってるんですよ。それを、どうにかして出さないようにするのが「人生の修行」じゃないか。

人生っていうのは、答えを求めて生き続けることに尽きます。
 …答えがある、と感じたときから、人間の成長は止まるんだろう。

◆ 成功したいやつはだめです。成功したら、人生はかえって小さくなると思ったほうがいい。

◆ 根本的に楽しいものはぜんぶ嘘なんだ。悲哀こそが生きるということであり、人生の真実であり、それを抱きしめなきゃだめなんです。

◆ 無限と永遠を志向する者は、未完で終わる人生を覚悟しなければならない。

◆ 前人未踏に挑戦することは本当の人生を生き切る者にとっては人生の本質なのだ。

◆ 先達の生き方が心の中でいつでも生きている人は、真の人生を生き切れる人である。

◆ 人生を生ききった人や、何事かをなし遂げた人で、古風でない人間は一人もいないことに気づいた。

◆ よく生きるとは日々の人生の中に毎日喜びを発見していくことなのである。 

◆ 日常が大切なのである。常を養うことが人生の全てなのである。その「常」が何によって裏打ちされているかが重要なのだ。真の「常」とは志または愛情を持ってそれを日常とすることなのである。簡単なことが難しいのである。 

◆ 恩を知らねば人としての人生はない。恩に始まり、恩に終わる。それを人生と呼ぶのだ。 

◆ 人生は、思いっ切り生き切れば、失敗でいいのだ。 

◆ ユーモアの無い人生などつまらん人生である。しかし世界的なユーモア作家であるマーク・トウェインが言っているようにいつの世も「ユーモアの源泉は悲哀」なのである。

◆ 人生とは、つまらぬ思い出を美しい神話と化する、その生き様にかかっているのではなかろうか。 

◆ 生涯にわたって「単調なる困難」というものと、真に向きあえる者だけが人生を詩となせるのである。 

◆ 犠牲を恐れてそれこそ人生そのものを犠牲にするか、犠牲に立ち向かって使命を果たし燃え尽きるか。いずれにしても人生とは自らの生を犠牲にすることなのだ。 

◆ 真の人生とは、人間として自分自身の肉体と魂を含む全生命が、神のため、祖国のため、仕事のため、家族のため、友垣のために燃焼され尽くすことを言うのである。 

◆ もともと人生とは、未知の何ものかに挑戦する生命の躍動なのです。 

◆ 私は割と激しい方ですから、休息も求めない。休息しようという気がないのです。死ぬまで休まない。独立して三十五年、一日も休んだ日はないです。 

◆ 自分の存在を慎んで、他のために生きるのが人生です。自分のためだったら全員、我利我利亡者です。 

◆ 人生は自分で自分を戒めるのがすべての基本です。それを「修身」と言いました。 

◆ 自分が自分の生命を犠牲にして、誰に尽くすかというのが人生ですから、その対象に尽くす働きが愛なのです。 

◆ 私は価値ある人の人生は、すべて未完だと言っている。 

◆ 私の経験上、特に子どもに幸福になってもらいたいと思ったら、自分の人生は終わる。 

◆ 私は体当たりの人生を生きているけれど、私が他者に与えられる感化は、体当たりしかない。それ以外は何にもない。

◆ あらゆるものを勉強して、あらゆるものをその場で毎日捨て去らなければ、本当の人生は生まれない。 

◆ 理想に生き、理想のために死ぬことだけが私の人生観とも言えましょう。 

◆ 欲望は、捨てて捨てて、欲望なんて関係ないという生き方をしてちょうどいいということを言っているのです。 

◆ 本当に燃焼した人生はかえって世間的には不幸なのです。 

◆ 私は、不幸だと思われる人生を送ろうと思っています。

◆ 他人から見て幸せそうに見えるのでは駄目なのです。不幸のどん底で死ぬくらいの覚悟がないと、本当の人生は拓かない。 

◆ 不幸のまま死んでもいいと思わなければ、人生の本当の覚悟は生まれてきません。不幸でいいと思う心が、問答無用と体当たりの人生を招き入れるのです。 

◆ 自分の人生が幸福だったなどというのは、軽薄な人生を送った人間のたわ言です。 

◆ 自分の人生が纏まるような、小さな目的で生きている人は、まず魅力がないですよ。自分の人生では出来ないようなことに挑戦している人間にして初めて魅力がある。 

◆ 自分で自分を幸福だと言っている人の人生ほどつまらない人生はありません。 

◆ 自分の人生は不幸でいいと思うことです。不幸を受け容れる覚悟をすれば、自分の生命の輝きを得ることができるのです。 

◆ 人生で良かったと思うことは、すべてが悪かったと思われることだった。 

◆ 成功したら全部駄目だと思う方が良い。成功した奴が一番人生は駄目ですよ。失敗に次ぐ失敗の人間が、尊い人生を送る可能性がある。 
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肉体は魂を研ぎ澄ますための道具である

2024年10月24日 | 人生
魂(Soul)とは。

こんな問いは考えたことなかった。

でも、先日、メンターと慕うアメリカ人牧師が、「Tatsuもsoulをnurtureした(養った)ほうがいいよ」なんてボールを投げてきた。

soul をnurture する、、、 soul って何かなんて考えたことなかったけど、、、

数日、考えてみた。

soul =魂ってのは、本当の自分であって、死後にも遺るもの。肉体は現世の乗り物。借り物。

稲盛和夫さんみたいだけど、人生ってのは、与えられた肉体を使って、soulを研ぎ澄ますもの。研ぎ澄ますっていうか、磨くっていうか。

俗塵で塗れた垢を落とす、って感じ。俗事で錆びた錆を落とすというか。本来の力が鈍っているところを、本来の力を取り戻すというか。

って考えると、「肉体は、魂を研ぎ澄ますための道具である」と言えそうだ。人生は、「魂磨き選手権」ってイメージできそうだ。

与えられた、限られた人生で、どこまで魂を綺麗に美しくすることができるか。

私の大好きな『無私の日本人』のあとがきに、

ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほ んの少しもでいい、濁ったものを清らかな方にかえる浄化の力を宿らせた人である。

って磯田道史さんが書いている。

大きな人間になって、魂を磨いて、「浄化の力」を発揮する。それが人生の究極の目的では。

 
人生100年としたら後50年!

魂を磨いて、浄化の力を発揮できるように頑張ります!
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宿命と運命

2024年10月24日 | 人生
執行草舟さんも、宿命と運命を分けている。

前向きな人、立派な人は、おそらく必ず、宿命と運命を分けている。

宿命を受け、
使命に燃え、
運命を築く。

宿命と運命と使命を分けると、こうやって表現するのが1番良いのでは。

運命を「築く」は、運命を「創る」でもいいけど。安岡正篤の本に『運命を創る』というのがあるし。ただ、なんとなく語感的に、「築く」の方がしっくりくる。





  • 宿命は、過去。客観的。変えられない。
  • 運命は、過去から未来へ。全体。
  • 使命は、将来。主観的。変えられる。

変えられないものを受け止める平静さを持ち合わせたい。確かこれはラインホールドニーバーの祈りにある。

家庭連合の2世で、匿名であることないことを言って家庭連合を攻撃している、鈴木みらいさんなんかが、この宿命と運命を分けてくれれば。





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人は2度死ぬ。

2024年10月17日 | 人生
人は2度死ぬ。

肉体の死と、記憶の死。

亡くなった人が、
あなたの心の中で生きていれば、
その人はまだ、死んでいない。

ひすいこたろう

ーーーーーー

さすがひすいさん、いいこと言いますね!

To live in hearts we leave behind, is not to die. 







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わて、河合してまんねん

2024年10月14日 | 人生
心理学者河合隼雄さんの、「わて、河合してまんねん」。

花を見て、

「あんた、花してはりまんの?
 わて、河合してまんねん」

と言った。

仏教的。手塚治虫『ブッダ』的。森羅万象に八百万の神を認める日本的。


どんな人間にも仏性がある。どんな人間にも神が宿っている。

そう信じて生きていきたい。

____________

これも近著『笑って死ねる人生論』で紹介予定です!
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人生の目的は

2024年10月13日 | 人生
他人の為を図るにある。

他人の為を図りましょう‼️

王子の渋沢栄一資料館脇のお土産屋で。
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障害者の意味

2024年10月12日 | 人生
障害者の意味。
障害者がいる意味。
障害者の方がこの世に存在する意味。

具体的には、例えばダウン症の方は、おそらく有史以来ずっと、700人に1人くらい、必ず、生まれる。

神はいるのか。

神がいるんだったら、そしてこの世を神が創り出したのなら、なぜ、「700人に1人、必ずダウン症の方を創り出した」のか。

そんな問いかけを考えたことがありませんか。

神が全知全能なら、障害の方は、決して失敗作ではない。

なんらかの、肯定的な意味があって、障害の方が生まれるようなプログラムを創った。そのはずだ。

じゃあ「障害者が生まれる意味」ってなんなのだろう。

  • 「世俗的」価値からの隔離
  • 「結果」ばかりを求めることへの警鐘

あたりではなかろうか。

障害者の家族は、障害者から多くを与えられている。
私にはその辺を言語化する語彙に豊富ではないが、本稿の読者諸賢なら私が語らずともご存知のはず。

障害者の家族が障害から学ぶことを、神がプログラムされたのではなかろうか。

人生の価値とは。
人間の価値とは。

そんなことを考えるときに、私の頭の隅には、常に、障害者のことがある。

障害者の存在を忘れて、人生の意味とか、人間の価値を論じるのは、片手落ち(←これは差別用語ですかね)だと思う。

それは健常者だけのマスターベーションだ。

健常者にも、障害者にもあてはまるような、真理があるはずだ。
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ヘレン・ケラーも感謝している。

2024年10月12日 | 人生
聖書を学ぶ先輩に教わった『讃美の力』。

その冒頭で、ヘレンケラーが、その障害に感謝をしている。

大人とは、与えられた状況に感謝する者。
大人とは、宿命と運命を分け、宿命を引き受ける者。

もっと言えば、大人とは、与えられた宿命に感謝する者。

ヘレンケラーの感謝から考えると、そう言えるのかもしれない。

ーーーーーー

ちょいとしたトラブルに遭遇しているのですが、これに対する私の振る舞いも、「教科書的振る舞い」と言えるか、自分をメタ認知して丁寧にレビューしながら臨んでいる。

かつてのトラブルではここまで自分をメタ認知できていなかった。50歳になった年の功だろうか。

変えられない宿命を、引き受ける。
避けられない出来事を、粛々と、従容として、堂々と、引き受ける。

それが「大人」的態度だろう。




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従容として死ぬ

2024年10月11日 | 人生
従容として死にたい。

従容として。

calmly とか with composure って訳されるけど、いまいち「従容として」のニュアンスを伝えきれていないと思う。「侘び寂び」のように、完全には英訳できない日本語なんだろう。

この「従容として」って言葉は、学生時代、城山三郎『落日燃ゆ』で知った。A級戦犯唯一の文人・広田弘毅が「従容として」死んだ。

衝撃だった。20歳くらいの私には、人がこんなにカッコよく死ぬことができるのか、って思った。

その日から、私も、広田弘毅に倣って、「従容として」死ぬことを目標にした。私が、今、「笑って」死にたいと言っているのも、この「従容として」の発展バージョン。

生き方ってのは死に方。
死に方ってのは生き方。

「どう生きてきたか」が、死に方に顕れるんだと思っている。

私の場合、「いい死に方」をするために、生きているようなことがある。
私のすべての努力は、いい死に方をすることに向けられている。そう言ってもあまり違和感がない。

すべて、以下の本の影響です。名著。タイトルのコンパクトさも唸らせますね。

 
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人は闘うために生きている

2024年10月01日 | 人生
人は何のために生きているのか。

闘うためだよ。

孤独になって闘え。

岡本太郎の言葉。







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全てが必然で全てが最善

2024年09月28日 | 人生
森信三の「最善観」つまり絶対必然即絶対最善というのは、現代語では要するに

全てが必然で、
全てが最善

ということ。

こう思い込む、こうこじつける、その「痩せ我慢」が問われている。

他に押し付けることではない。そりゃあ不幸な被害者はいる。

でも、自分が幸せに生きて他を幸せにするためには、まず自分が

全ては必然で、
全ては最善

って強がって歯を食いしばることから。

中島敦が言う「運命を笑殺」する痩せ我慢も、こういう呼吸から来るのだろう。

そう思ったので、短冊に書いてみました。


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絶対必然即絶対最善とは「やせ我慢」

2024年09月27日 | 人生
森信三が説いた、絶対必然即絶対最善。「最善観」と言われる。

何があっても、それは必然で、最善だと思うこと。

円覚寺の横田南嶺さんも推している。こちら

____________

明日明後日の、家庭連合信者への講演ネタを考えて、時事ネタを取り入れて、自民党総裁戦、袴田事件、新紙幣の渋沢栄一、、、

この辺を自分なりにつなげて(connecting the dots)いくうちに、結局、森信三が言う「絶対必然即絶対最善」に行き着いた。

古今東西のいろんな価値観があるけど、この「なにがあっても必然で、何があっても最善」に勝る価値観はなさそうだ。

こういう「とことん前向き」って感じの「こじつけ力」。英語でも:

Life is 10% how we make it and 90% how we take it 
(人生は、どう作るかが1割で、9割はどう捉えるか)

って言われる。

アランの言うとおり、

悲観主義は気分で、
楽観主義は意志

なんですね。

言い換えると、絶対必然即絶対最善ってのは、「やせ我慢」ですね。

中島敦『李陵』で、蘇武が片意地張ったやせ我慢をした。運命を笑殺した。そこにカッコよさ、美しさがあった。

 
笑殺ってのもやせ我慢ですね。

 
美しく、カッコよくあるためには、何かにやせ我慢していることが必要そうだ。

よし、「今、何にやせ我慢してますか?」って問いを立ててみよう。

私は何にやせ我慢しているだろう、、、 もっとやせ我慢しよう。




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10代はwant 20代はcan 30代はshould

2024年09月27日 | 人生
若者が、成長に伴って、何を目指すか。

10代はwant、20代はcan、30代はshould。

■ 10代は、野球したい、異性にモテたい、いい大学入りたい、のwantの時代。

■  20代になると、より広い世間を知り、「え、こんなすごい奴がいるんだ、到底オレには叶わねえ、じゃあオレは別の道へ行かなきゃ…」という、挫折(cannot)の時代。だから20代はcan/cannotの時代。

■ 30代になって、結婚したり子どもができたりすると、自分はこの家族のために何をすべきか、お世話になった分を社会にどう還元すべきか、世のため人のために…とか考えるようになる。
 だから30代以降は、shouldの時代。

このように、人生は、want からcan になり、やがてshould を考えるようになる。
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ダウン症の書家 金澤翔子さん

2024年09月21日 | 人生
ダウン症の書家がいる。金澤翔子さん。

とてもいい字を書く。 こちら

____________

ダウン症の方は、700人に一人。必ず、いる。

有史以来、神は、700人に一人は、ダウン症の方(21トリソミー。21番めの染色体が3本ある)を創り給われた。

その意義は何か。

なぜ神は人類をそうプログラムしたのか。

まだうまく言語化できない。

  • 人を慈しむことを教えるため? 
  • 「生きとし生けるもの」への思いを抱かせるため?
  • 命のありがたみを感じさせるため?

どうしても健常者目線の父権主義的、パターナリスティック、教条的になっちゃう。私の近親者にこういう方がいらっしゃらないからかな、、

もっとスッキリする、いい言語化ができるはずだ、、、

どなたかスパッと「なぜ神はダウン症の方々をお創り給われたのか」にクリアカットに回答できる方、お知恵を拝借したいです、、、

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