新島襄。同志社の創設者。
◆ 本名は「七五三太」(しめた)。
女子が4人続いた後の初の男子誕生に祖父・弁治が大喜びし、「しめた!」と言ったことから命名されたらしい。漫画か。
ちなみに七五三を「しめ」と呼ぶのはしめ縄から。
アメリカに行く船でJOE(ジョー)と呼ばれたので、そこから襄と名乗るようになった。
◆ 新島襄は、明治の前の江戸末期、密航してアメリカに行った。その時の格好が冒頭画像。。。
短躯ですね。渋沢栄一と同じ153センチくらいでは。
◆ 新島襄は、アマースト大学に行ってあのクラークに会い、クラークを日本に連れてくるきっかけを作った。
札幌農学校のクラークが内村鑑三を作り、内村が日本(や韓国)のキリスト教を築いた。
だから新島襄は日韓のキリスト教の始祖みたいな人。
ちなみに内村鑑三は、韓国では、日本以上に尊敬されている。韓国のキリスト教徒は人口の3−4割。ほとんどの人が内村鑑三を知っているらしい。
内村鑑三が日韓併合に反対したこと(韓国に優しい態度を取ったこと)もひとつの理由とされる。
◆ 新島襄は、アメリカに行く際、上海に立ち寄ったのですが、そこで自分が持ってきた長刀と聖書とを交換した。
江戸から明治、東洋から西洋への変化の、象徴的な出来事。
◆ 新島襄といえば、「自責の杖(つえ)」。
明治13年、同志社で、先生の方針に上級生が反対して無断欠席。それに対して新島校長は、生徒を罰することをせず、「私の不行届と不徳のせい」と自責して、手にしていた杖で、自分の左手を烈しく打擲。
なんでも自責するのは素晴らしい。すべからく、新島の爪の垢を煎じて飲むべし。