入浴中の日本人の溺死ってのは、年間2万人くらい、交通事故の3倍もあるんですね。
寒い冬にいきなり暑い風呂に入ることで、血圧が上がって、脳卒中とか心筋梗塞になるのかな。
気をつけよう、、、
車が故障して(サスペンション折れた)やや今私ブルーなんですが、ま、故障が原因で死ななかっただけラッキーだったとする。
【執筆原稿から抜粋】
言葉遊び、みたいな些末に感じるかもしれませんが、言葉を大事にする私は、「当事者意識」「自分ごと」って言葉の限界を感じています。
~~~以下引用~~~
「当事者意識」「自分ごと」の限界
コンプライアンス研修の多くは、個人の倫理観に訴え、当事者意識を高めて「自分ごと」にせよと説きます。圧倒的な当事者意識(ATI)という言葉を使う企業もあります。
いい試みですが、「自分」「当事者」という言葉には限界を感じています。
他人の仕事はやはり他人の仕事です。「他人」を「自分」にしろと言われても…。
むしろ「自分」の強調により、「自分は守ってますけど、何か?」という自己中心的な意識を持ちかねません。それは利己的で他責的な態度につながり得ます。
言葉としての「自分」の強調に危険を感じています。必要なのは自分ではなくチームを考えるチーム意識・仲間意識です。
仲間意識を育てるためには、素直に「他人ごとはみんなごと」でいいと思います。あるべき「自分ごと」(当事者意識)は「みんなごと」(仲間意識)に支えられています。
心理的にも、仲間意識を微塵も感じられない嫌いな他人の仕事を自分ごとと捉えることは難しいです。
ですから、いきなり当事者意識を目指すのではなく、まずはいい仲間意識を育むのが前提だと思います。
以下のように整理できます。
自分ごと(当事者意識):他人ごとも自分ごとみんなごと(仲間意識):他人ごとはみんなごと
~~~引用終わり~~~
いかがでしょうか。ご意見を募集します!
消費社会が日本をヨコにした。
と、執行草舟さんが仰ってました。
年末に彼のオフィスでそんな話を伺った。
ヨコ、というのは、欲であって、世俗であって、物質文明。
タテで表される、精神、崇高、哲学、宗教あたりとの対比。
1971年、54年前、日本に初めてのマクドナルドが銀座に。
1974年、51年前、日本に初めてのセブンイレブンが豊洲に。
この辺から、日本は変わった。
タテからヨコになった。
精神から物質になった。
宗教・哲学が廃れ、世俗・肉体、肉欲、欲望に負ける世の中になった。
なるほどそうだろう。
私が生まれたのが1974年だから、その時代の、タテからヨコへの変化はもちろん体感できない。
でも執行草舟さんは74歳だから、ちょうど二十歳の頃に、銀座にマクドナルドができた。
その時代の東京を生きてきて、「二十歳のころのマクドナルドが日本を変えた」とおっしゃっていた。
三島由紀夫が死んだのが昭和45年だから1970年。
三島はちょうどいいときに死んだんですね。
三島だけに、「あぁ、時代が終わった」ってのが分かっていたんですかね。
1970年とか1971年あたりってのは、それなりにエポックメイキング(画期的)な年だったんですね。
横井庄一がグアムから帰ってきたのは1972年。
小野田寛郎がルバング島から帰ってきたのは1974年。
この2人が帰ってきて、文字通り戦争が終わった。
そして、タテが終わった。精神の時代が終わった。
ヨコの時代になった。世俗が勝つ。物質が勝つ。
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執行草舟さんにこの話を訊いたのが2週間前。
今これをようやくブログにしている。
私の中で文章化できるほど咀嚼・腹落ちするのに2週間かかったということだろうか。
単に多忙であったからだけではあるまい。
2週間前は優先順位が低かったけど、今、やはりこれは書き残しておかねばならない、と優先順位が上がってきたということかな。
(ブログネタは常に20個とかもっとGoogle Keepに書き溜めていて、その時時の優先順位と気分で、ネタを選んでいます)