禅語。
手放すから、得られる。
井戸の水を汲むから、次の清冽な清水が湧いてくる。
アウトプットするから、次のインプットができる。
私がブログを書いたり本を執筆したりしているのも、この
放てば満てる
を信じているから。
禅語? 仏教で
放下(ホウゲ)
って言いますよね。執着を捨て去る。
なんでもアウトプットする私の意識は、この放下に近い。
自分を全部曝け出す。
そうやって「見られている」意識をすることで、自分を成長させようとしています。
今年の、50歳代で初の年末年始を、備忘のため、ユビキタス・キャプチャー的に記しておきます。
- 年末年始は9日休
- うち毎朝平均朝2時30分くらい? に起きて、朝4時とか5時から正午前まで仕事
- 平均6ー7時間仕事かな
- 合計60時間くらいかな 自宅でも仕事したし
- 公判はほとんど執筆、インテグリティ第二弾
- 仮題『シン・コンプライアンスを浸透させる企業文化の創り方』
- 長いな、、、「コンプラ・カルチャーの教科書」にしようかな
- 中央経済社
- 155頁書いた
- でも右側は図とかだからテキストの分量は90頁くらい分くらい?
- 執筆にロックオンしたから他の仕事はかどらず、、
- でも50歳、弁護士20年目で、年末年始毎朝2時起きで元旦も出勤したのは褒めていい
- アキレス腱痛のため運動は控えめ
- 毎朝の国会議事堂一周ランだけ
クルマが故障したり、他の仕事が不如意だったり、執筆の成果がイマイチなためちょっと凹み気味なんですが、、、
まあこれだけ頑張ったんだからよしとする、、、
どの学者も言う。
宗教はそもそも権威主義的なもの。
だから、ある宗教が権威主義的だからといって、それは批判するに値しない。
問題は、どの程度権威主義的で、どの程度人権を侵害しているか、ってこと。
ただ、こう書いていながら、修行僧とかに、「人権」ってどれくらい観念できるんだろう。
もちろん、人権は権利としてはあるんだけど、阿闍梨になるための千日回峰みたいな修行を、「自ら進んで」やっていることなどをイメージすると、、、
みんなその境遇を理解して自ら引き受けているんだろうね、、、、
それを後になって「同意してなかった! あれは人権侵害だ! 権威主義だ!」っていうのは、、、
おかしいですよね。
霊感弁連がやっているのは全部これです、、、、
天を相手にする。
西郷隆盛の言葉で有名だが、中国史家の宮崎市定も、不遇時代にそう思っていた。
元の言葉は『史記』の
人衆き者は天に勝つ天定まりて亦た能く人を破る
…「人間が多く集まれば、その力は天の運行までを変更することができる。
ただし、長い時間が経過する時には、天の定めた法則が働いて、人間側の負けになるものだ」
から。
これは覚えたい。このブログに書くのは3度目、、、全然覚えてない、、
God works in mysterious ways みたいな意味。
人間万事塞翁が馬みたいな意味。
悪どい霊感弁連は、今は人気あるけど、数十年もすれば歴史に淘汰されるよ、ってこと。
人が天に最終的に勝つことはない。
東洋も、西洋も、結局人よりも天とか神が勝つ、って点では同じ。
僕はそれを信じて生きていく。
これはちょっとわかりにくい図かもですが、、、、
【執筆原稿を抜粋】
X(旧Twitter)のようなSNSが発達した今、SNSが企業のレピュテーションに大きな影響を与えます。
社会からの企業への影響が大きくなり、企業の社会的責任が増大しました。
これは、「どうあるべきか」(正邪)ではなく「どう見られるか」(美醜)が重要になってきたということです。
たとえ法的に正しかったり間違っているとは言えなかったりしても、社会に対する態度が真摯で誠実でなければ、醜い振る舞いだとして社会的・道義的に大きな非難が向けられます。
正邪と美醜の差(インテグリティ・ゾーン)が拡大したと言えます。
____________
通じますかね、、、
弁護士は、弁護士法と弁護士倫理で二重ガード。
企業は、正邪と美醜で二重ガード。
不祥事は、コンプライアンスとインテグリティで二重ガード。
これを図にしてみました。
『インテグリティ』の第二弾を鋭意執筆中、お楽しみに!
正邪の認識では補えない、美醜の感覚(インテグリティ)が最も重要になるところ
間違ってないけど、セコい/カッコよくない
を「インテグリティ・ゾーン」と名付けました。
皆さんの周りで「 間違ってないけど、セコい/カッコよくない」良い例があれば教えて下さい!
人をだますときは、新しい言葉を使って概念を変えてくる
執行草舟『超葉隠論』 228頁
人間ってのは、ごまかすとき必ず新しい言葉を作る。
昔の人が使っていた言葉を大切にすると、必ず本当のものが分かるようになります。
昔の人が使っていた言葉を大切にすると、必ず本当のものが分かるようになります。
執行草舟『魂の燃焼へ』
飯干晃一の本でマインド・コントロールとかブレインウォッシュとか、何も定義せずに使っているのを見て、思い出した言葉。
今後も使いそうなので、改めてピックアップして再整理。
マニアックなネタを。
10年くらい温めてきたネタを初めて披露します。
世俗的に出世する知人がいる。羨ましいと思う反面、俗物が周りに集まってきて大変だろうなと思う(負け惜しみですねw)。
世俗的に大富豪になるわけでもなく、古典ばかりを読んでいる人がいる。山本七平とか執行草舟とか。彼らは新聞も読まない/読まなかった。
古典を読んで、世界の偉人と接している。そういう偉人を、英語で:
great minds
って言います。mind なんです。man とか personではなくて。
mind の辞書的な最後の意味に、「(偉大な)人」って意味がある。
日本語だと「偉人」って表現して、擬人化される。いや、擬人じゃないか、実際に人だったんだから。信長家康松陰西郷とかあの辺の人たち。
でも英語ではこういう、精神性を持つ偉人を、mindって言う。
なんだか印象的。
「人」って言わない。
mind (精神)って言う。
肉体を持った(そしてそれを失った)人として扱わない。
肉体とは離れた精神 mindとして扱う。
「偉人」と表現するより、great minds って表現する方が、身近に感じる。mind がすぐそこにあるよ、的な。
____________
「ほんとうに偉大な人は、世の中を浄化する力を持った人である」ってのが、私の好きな『無私の日本人』のあとがきで磯田道史さんが書いていること。
世の中を浄化する人。
beautiful minds である。
そういう偉人の、精神性は、そういう人たちを思う人の心(minds)の中に、生き続ける。
私が好きなTo live in hearts we leave behind, is not to die という言葉で象徴されるように。
私も、偉大なmind とともに生き、立派なmind を残すべく、頑張る。
以下参考(ChatGPT):
キリスト教神学の理解
- Body(身体): 物質的存在
- Mind(心): 理性・思考の中心
- Soul(魂): 神との関係性を持つ永遠の存在
- Spirit(霊): 神聖な力、神との媒介
比喩的理解
- Body: 楽器
- Mind: 演奏者のテクニック
- Soul: 音楽そのもの、表現されるメロディ
- Spirit: 音楽を包む空気、演奏に宿るエネルギー
安倍さん暗殺から2年半。
家庭連合問題が喧(かまびすし)くなった。
ただ、この家庭連合問題で、「顔を出している被害者」は、1人もいない。
橋田達夫、小川さゆり、、、みんな消えていった。
反駁されてシュンとなって、ジ・エンド。
「社会問題」とされたり、宗教法人解散!とかなってますが、、、
2年半経って、顔を出して被害を訴える人が誰1人としていない。
これがこの問題の本質。
社会問題なんか、ないんです。
代理人の霊感弁連が、キャンペーンしているだけなんです。
こちら(キャンペーン一覧)
それを政府攻撃でネタになる、おいしい、と思ったメディアが食いついただけの話。
被害者がほんとうにいるのでしょうか。
投資で失敗したりして、手元不如意になって、時流に乗って「信仰辞めた金返せ」請求をしている「被害者」はいらっしゃるけど。
信仰していたときの献金は法律的に返金するお金ではない。家庭連合はATMではない。
社会問題にしている割には、顔出し被害者が1人もいない。
いや、元家庭連合として差別されるから、とか、家庭連合の人から攻撃されるのが怖いから、とかで、顔出ししないことを正当化せんとする意見があるのは知っている。
でも橋田達夫氏と小川さゆり氏は顔を出しました。
だから「構造的に、絶対に顔を出せない」ってわけではないんです。
顔出しをした勇気のある人もいたんです。
でも今。
顔出しをする勇気のある被害者が1人もいない。
これが家庭連合問題の本質の一つです。
『組織不正はいつも正しい』の中原翔准教授が、『社会問題化する組織不祥事』の冒頭で、
SNS台頭で、社会の企業に対する影響は大きくなった
と指摘していた。企業の社会的責任が大きくなったということ。
一方で、SNSのいきすぎがカスハラ防止条例で規制される時代に。
どこからがカスハラになるのかの線引きが重要。
東京都カスハラ防止条例 こちら を見ると:
カスタマー・ハラスメントの定義は
①顧客等から就業者に対し、
②その業務に関して行われる著しい迷惑行為であって、
③就業環境を害するもの
だそうです。
家庭連合の棄教者の家庭連合への侮辱・攻撃も、東京都カスハラ防止条例に引っかかり得る? を検討する余地はある。