名和高司さんの『エシックス経営』でも提示されていた、アメリカは演繹、日本は帰納という視点。
弁護士の私には強い違和感と抵抗感を感じる。
名和さんとか校條さんがおっしゃるのとは逆で、英米法は帰納で、日本の大陸法は演繹ですから。
そこに考察を加えないと、説得力に欠けます。
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挙句には本書の最後で「弁護士は帰納思考」だと、、、
え、、法律(三段論法)ほど演繹なものはないですよね、、
毎日毎日、特に日本の弁護士は演繹的思考しているのに、、、
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シンギュラリティ大学に行ったこともある私としては、名和さんとか校條さんがいう「演繹的思考」ってのは、要するに「MTP(Massive Transformative Purpose)から考えるか否か」なんじゃないか。
MTPから考えることを演繹的と表現するのは許せる。
でもそれをアメリカ人一般、日本人一般の思考回路に広げるのは、針小棒大の拡大妄想であって、なんでもアメリカがいいんだっていうデワノカミ的発想だと思います。