狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

想いがはらはら舞う故に私は迷いを禁じて。

2014年01月20日 21時25分45秒 | 謝罪、言い訳、訂正の日記




 本日1月20日は、鎌倉幕府が評定衆を設置した日で、イギリスが香港を占領した日で、マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCA訓練校で同校講師ジェームズ・ネイスミスが考案したバスケットボールの初の公式試合が行われた日で、第一次国共合作が成立した日で、日ソ基本条約が締結された日で、ヴァンゼー会議でホロコーストが最終決定された日で、イギリス空軍がベルリンを空襲した日で、将棋の王将戦で升田幸三が大山康晴名人を相手に香を引いて勝利した日で、東京大学が入学試験の中止を決定した日で、奈良市で『古事記』の編者太安万侶の墓誌が出土した日で、ジミー・カーター米大統領がモスクワオリンピックボイコットの方針をアメリカオリンピック委員会に伝達しやがった日で、イランアメリカ大使館人質事件の人質52人が444日ぶりに解放された日で、ズ・ダン号事件が発生した日です。


 本日の倉敷は晴れのち曇りのち雨でありました。
 最高気温は六度。最低気温はマイナス二度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。





 仕事で今年から事務処理の守備範囲が大幅に広がって私は現在、てんてこ舞いを舞っています。舞い踊っています。舞い狂っています。
 しかもここ数日間は業務の守備範囲も一時的に広がっていて、てんてこ舞い×2であそ~れっそれそれと舞って舞って舞い踊っています。
 でも、この程度ならど~ってことはありません。かつては地獄の鬼も裸足で逃げ出す超極悪環境の会社に勤めていたことがありますから。
 ただプライベートでもてんてこ舞いを強いられる事案が発生中で、てんてこ舞い×3となっております。
 ×3はきつい。×3は勘弁して。×3はまずいっすよ。しかしどうすることもできないので、是非も無し。
 やらねばならぬ時はやらねばならぬのです。立派に舞って舞って舞い踊ってみせねばならぬのです。
 本来の業務が忙しい時期でなくてよかった。まぢで。本来の業務が忙しいと×4っす。無理ゲーです。

 一時的に生活のサイクルを変更せねばならなくなっているのですが、急な転換なので慣れない。orz。
 本を読む時間や映画のDVDを観る時間は睡眠時間を削らないと確保できない。orz。確保するけど。
 私は睡眠時間を削ってでも本を読む派に属しているので睡眠時間を削ってるけど続けるのはきつい。
 生活のサイクルが変わったのでダイエットは中止。もりもり食べて体力を付けないと。体は資本です。

 ブログの記事のネタを考える暇もないので今まで以上に駄文の記事がしばらく続くかと思いますが、皆々様におかれましては以上のことを踏まえてどうか御寛恕いただきたいと思っている次第にございます。
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『8月17日、ソ連軍上陸す 最果ての要衝・占守島攻防記』/大野 芳

2014年01月20日 17時24分10秒 | 小説・本に関する日記

 昨日の夜は、大野 芳の歴史ノンフィクション『8月17日、ソ連軍上陸す 最果ての要衝・占守島攻防記』を読んでいました。


 1945年8月14日。日本はポツダム宣言の受諾と無条件降伏を決定する。
 翌15日正午・昭和天皇が「戦争終結の詔書」を読み上げる玉音放送によりポツダム宣言受諾・連合国への降伏が日本国民に伝えられる。
 しかし、17日深夜に最北の日本領であった千島列島の占守島へ対岸のカムチャツカ半島から突如としてソビエト軍の大部隊が上陸して日本軍に攻撃を開始する。
 軍使が来て武装解除されると思っていた日本軍は武装解除の為の準備を始めていた。
 不意を突かれて殺されるか反撃するか日本軍は判断を迫られる……。

 実際に8月15日以後の8月17日に占守島で起こった戦闘について資料と聞き取り取材を基にしたノンフィクションです。



 実に不可思議な出来事で、ソビエト軍が日本軍に軍使を派遣していたなら戦闘はおそらく起こらなかった。
 ソビエト側からしたら北海道・東北の軍事占領を睨んだ威力偵察の意味合いがあったのだろうか? 
 或いは終戦で機会が失われるであろう武功を得る最後の機会とみての有無を言わさぬ攻撃だったのだろうか?
 無条件降伏を宣言しても攻撃を続行して殲滅を図る者達がいる……。
 戦闘を終わらせることがこんなにも難しいなんて。

 鶴の一声で戦争をもっと早く終わらせることができたなんていう人がいるけど、そんなの無理っす。
 一声あげたら鶴は殺されていたかもしんないっすよ。鶴の一家の歴史にはそんな出来事が無数にあります。
 それに鶴は開戦に反対していたし開戦したら早期に鉾をおさめるよう主張していたけど無理でしたもん。



 いわゆる終戦の日以降に戦闘でお亡くなりになった人は占守島での戦闘以外にも大勢いるけど、何故か終戦の日以降に戦闘でお亡くなりになった人は居ないことにされている。
 日本国憲法制定後も戦死者は居るけど何故か居ないことになっている。
 是非はともかくとして居る者を居ないとして理論を構築するとしっぺ返しを喰らうと思うんだけどな。
 軍隊をなくすと宣言しても戦闘は存在する。
 軍隊をなくしても戦闘は存在するだろう。残念ながら。
 その上で戦闘をなくす為の理論を構築すべきなのではと思う。
 


 約3日間の日本軍の死闘は占守島にいた女性達が島から脱出する時間を稼いだ。
 そしてソビエト軍の北海道・東北方面の軍事占領を諦めさせる結果となったらしい。



 この戦いで命を落とした方々の御冥福をお祈りいたします。
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