狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

学をなすに三要あり。志なり、勤なり、好なり。

2017年03月22日 20時24分10秒 | 知人、友人に関する日記




 本日3月22日は、屋島の戦いがおこなわれた日で、南アフリカのインド移民を制限する法律に反対して弁護士ガンジーが不服従運動を開始した日で、袁世凱が中華帝国皇帝を退位した日で、イワノフカ事件がおこった日で、ニコラエ・チャウシェスクがルーマニア共産党総書記に就任した日で、三月学運で李登輝政権が学生の要求受け入れを表明した日で、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件および地下鉄サリン事件で警視庁がオウム真理教に対する強制捜査を行った日です。

 本日の倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は十三度。最低気温は三度でありました。
 明日は予報では倉敷は曇りのち晴れとなっております。





 去年の冬に入る前のこと。
 知人が私の前に現れて言いました。
 「君が使っている文房具を分けてもらえないでしょうか?」
 はて? それは構いませんがどうしたのでしょう?
 「私の知り合いの姪が受験生なのです。それで君の文房具をお守りとしてその人に渡したいのです」
 ほほう? 私の知性にあやかりたいといふことでありますか。ふむふむ。
 「君の知性にあやかりたいわけではありません。君の知性など当てにはしていません。君に知性などありません。誤解しないでいただきたい」
 ほほう? 率直すぎる訂正の御言葉、痛み入ります。では如何いふ料簡なのです?
 「君の話にはいつもオチがありません。君はいつも投げっぱなしでオチがない。お話がオチないので有名です。オチがない。落ちない。そこにあやかりたいのです」
 ほほう? 随分と失礼すぎる御言葉、痛み入ります。
 しかしこれも人助けとなるならば私の文房具をお分けいたしませう。とシャープペンをお譲りいたしました。

 さてさて。
 その知人の知り合いの姪御様が志望校に合格したそうです。
 うむうむ。芽出度きことにございます。
 私のシャープペンがほんの少しでもお心の支えとなったならば、望外の喜びでございます。
 しっかりと学問に邁進して良い大人になっていただきたいと思っているところなのでございます。

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『古見さんは、コミュ症です。』第3巻/オダ トモヒト

2017年03月22日 16時04分35秒 | 漫画・ゲームに関する日記





 昨日の夜は、オダ トモヒトの漫画『古見さんは、コミュ症です。』の第3巻を読んでいました。

 古見さんは、周囲からは凛としていてしっかりしているように見られている。
 言葉を発しないがそれ故に神秘的に思われていて、周囲は古見さんを崇拝している。

 しかし実は古見さんは、他者とのコミュニケーションがとても苦手で話しかけられると(表情からはわからないけれども)ひどく動揺して上手く返答できないでいることに悩んでいる。
 いつも「どうやって話しかけよう?」とか「どうすれば友達が出来るんだろう?」とか考えている。
 自分は嫌われているのではないかと悩んでいる。

 クラスメイトの只野くんは人気者に見える古見さんの悩みを知って古見さんの目標である「友達を100人作ること」に協力することにした。
 のだけれども……。

 コメディ漫画です。


 夏休みに入って誰かを誘うか誰かに誘われるかしないとクラスメイトに会えない。
 古見さんは悶絶します。
 親戚の集まりでは、濃いキャラクターが登場します。

 古見さんは他者とのコミュニケーションを模索して悶絶したり上手くいったり上手くいかなかったり。

 今巻も面白かったですよ。
 続きが楽しみです。

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祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。それは地球の引力と同じ現実的な力である。

2017年03月22日 12時21分28秒 | その他の日記



 根拠のない事や嘘やデマで誰かを何かを公の場で批判したり非難したりした場合、事実が明らかにされると全てが反転して批判したり非難していた人に帰っていきます。
 この現象を呪詛返しと言います。

 データを無視し資料を無視し事実を無視し2重基準で誰かを何かを公の場で吊し上げるだけならば、それは呪詛でしかありません。
 しかもレベルの低い呪詛です。事実が明らかになるとその呪詛は呪詛を放った人に返っていきます。
 しかしマスメディアを利用した或いはマスメディアが加担した呪詛はとてつもなく巨大な呪詛なのでたとえ呪詛返しが発動しても社会を大きく蝕みます。

 呪詛返しを食らって慌てふためいている人達がいるようですね。
 人を呪わば穴二つ。呪詛を放っているのだから覚悟の上のはず。
 さてさて。呪詛が勝つのか呪詛返しが勝つのか?
 事実を無視した感情論が勝つのか? それとも事実が勝つのか?

 事実を無視した感情論が勝つならばルールは消滅することになりかねません。
 そして巨大な呪詛が放たれた時点で私達は多大な損害を受けて大きく蝕まれているのです。
 さらに呪詛を放った方も呪詛返しを受けてダメージを受ける。
 誰も得をしないやり方です。

 こんな幼稚な呪詛で社会を動かそうとするのはやめていただきたい。と思っているところなのでございます。


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