狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

曙(あけぼの)その3。

2018年01月09日 21時00分17秒 | お花に関する日記







 本日1月9日は、金の軍勢によって北宋の首府開封が陥落して北宋が滅亡し皇帝欽宗と太上皇徽宗が金に連行された日で、ルーアンでジャンヌ・ダルクの異端審問裁判が始まった日で、ドイツが第一次世界大戦の賠償金358億マルクの支払不可能を宣言した日で、南京国民政府の汪兆銘政権が米英に宣戦布告した日で、汪兆銘政権と日本が中国に有する専管租界返還と治外法権撤廃を定めた協定に調印した日で、足立区首なし女性焼殺事件の首なし焼死体が発見された日です。

 本日の倉敷は雨や雪がぱらりぱらりと降ったりやんだりしていましたよ。風が強い一日でありました。
 最高気温は十一度。最低気温は四度でありました。
 明日も予報では倉敷は雨が降ったり雪が降ったりするとなっております。




 上の写真に写っているお花は、曙(アケボノ)です。
 曙のお花に関しては、2017年1月9日の記事2011年2月22日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2017年と2011年の曙のお花の記事です。



 曙のお花の花言葉は、「素晴らしい魅力」です。


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『銀魂』

2018年01月09日 20時00分45秒 | 映画・ドラマに関する日記





 昨日の夜は、映画『銀魂』のDVDを観ていました。

 江戸時代末期。
 地球は天人と呼ばれる宇宙人の襲来を受ける。
 天人との戦いは十数年に及び攘夷戦争と呼ばれた。
 侍たちの多くは天人との戦いで散っていった。
 劣勢に陥った江戸幕府は天人の侵略を許し天人の要求で開国を余儀なくされる。
 幕府は天人による傀儡政権となり、天人達が我が物顔で江戸の街を闊歩するようになった。
 天人と戦った攘夷志士たちは弾圧の対象となる。
 侍たちは廃刀令で刀を失い、地位と力を奪われていった……。

 天人の襲来から20年後。
 剣術道場の跡取りの志村新八は、門人のいない剣術道場では生活が出来ず意に沿わないアルバイトで生計を立てていた。
 ある日、新八は風変わりな一人の侍と出会う。
 坂田銀時というその侍は何でも屋である万事屋を経営していた……。
 銀時の男気に惹かれた新八は、侍の魂を学ぶために彼の営業する万事屋で働き出す……。

 その頃。江戸の町では辻斬りが横行していた……。

 監督は、福田雄一。
 出演者は、小栗旬、田中悠太、菅田将暉、橋本環奈、柳楽優弥、吉沢亮、早見あかり、安田顕、ムロツヨシ、長澤まさみ、岡田将生、萩原壮志、山田孝之、高橋美佳子、古畑星夏、山寺宏一、一ノ瀬ワタル、佐藤二朗、菜々緒、新井浩文、中村勘九郎、堂本剛、大西統眞、など。
 原作は、空知英秋の同名の漫画です。

 原作のカブト狩りのエピソードと紅桜篇がベースとなっております。




 漫画が原作の映画は難しいところがあるのですが、銀魂という漫画はパロディや悪ふざけのギャグと浪花節が良いバランスをとった人情コメディストーリー漫画でこの映画の監督さんはパロディや悪ふざけのギャグがお得意なのです。
 画面でチープになりがちな場面は短くしています。それでもチープな画面になるなら思い切って堂々と出してギャグに変換しています。
 上手く原作の面白さを抽出して映画にしています。
 原作ファンならば大歓喜の映画でありましょう。
 原作を知らなくても楽しめると思います。



 私は、安田顕様の大ファンなので安田顕様が出演していて大歓喜でありました。
 事前の情報をあまり入れなくて観たので安田顕様が出演していることを知らなかったので、安田顕様が登場した時は驚きと同時に歓喜に咽び泣きました。
 安田顕様にぴったりの狂気に満ちた面白い美味しい役であります。
 この映画はとても面白くて楽しい映画だったのですが、それにプラスして安田顕様が美味しい役で出演していたので、私はもう大大大大満足であります。

 面白いですよ。
 お勧めです。

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芸というものは実と虚との皮膜の間にあるものなり。

2018年01月09日 11時46分44秒 | 謝罪、言い訳、訂正の日記





 「最近、狐の奴がまたしても増長していると聞く。皆の意見を聴こう!」
 「またか。これで何度目だ?」
 「確かに奴はまたしても増長しているぞ。暴走している。目に余るな」
 「ふむ。では今度こそ奴を切り刻んで膾にして鯉の餌にしてしまうか?」
 「しかし狐はブログを作りブログの記事を書き管理する為に生まれた人格である。ブログの中での少々の暴走は許されるのではないか?」
 「ブログの中で暴走しているだけならば大目に見よう。しかし彼奴は主人格である御主人様にも影響を及ぼしているぞ」
 「何と! またしてもか! 何と身の程知らずな!」
 「いち脳内キャラクターの分際で!」
 「御主人様は最近、日常生活で狐に憑依された状態になる時があるらしい」
 「それはまずい。御主人様と狐は違う部分がかなりある」
 「性格、考え方、考えていること。それらは全く違うぞ」
 「御主人様も御主人様だ。脳内キャラクターに何度も何度も憑依されるとは情けない」
 「しかし我等は御主人様に御注進申し上げる立場にはない。我らもまた脳内キャラクターに過ぎないのだ。問題は狐である」
 「狐は御主人様の人格の乗っ取りを考えているのか?」
 「否。彼奴はそんなことは考えていないようだ。面白主義者だからな」
 「ふざけているだけか?」
 「そのようだ」
 「しかしおふざけにもほどがある」
 「御主人様に影響を与えるほどになるのはまずいな」
 「奴は御主人様を電脳空間の危険から守る為に生み出された疑似人格にすぎない」
 「疑似人格が主人格の御主人様に影響を与えるのは危険だ」
 「狐に主人格の御主人様を乗っ取られたら我らは狐を御主人様と呼ばねばならぬことになるぞ」
 「それは我慢ならぬ」
 「ふむ。では、やはり奴を切り刻んで膾にして鯉の餌にしてしまうか?」
 「彼奴にはまだ仕事がある。今はまだそうはいくまいよ」


 「狐よ。貴様は最近悪ふざけが目に余る。自覚しておるか? 語尾にごめんなさいを付けて返答しろ」
 「性分なのですごめんなさい」
 「御主人様の人格を乗っ取ろうと考えておるのか?」
 「滅相も無いですごめんなさい」
 「ふむ。反省しているのか」
 「反省してますごめんなさい」
 「このやり取りを何回繰り返したか理解しておるのか?」
 「今回で3回目でございますごめんなさい」
 「本当に反省しておるのか?」
 「本当に反省していますごめんなさい」
 「貴様はブログの記事を書く為に生み出された疑似人格である。そのことを自覚して仕事に励むか」
 「私はブログの記事を書く為に生み出された疑似人格ですごめんなさい。そのことを自覚して仕事に励みますごめんなさい」
 「沙汰を申し付ける。悪ふざけの儀、不届き至極。本来ならば切り刻んで鯉の餌にするところであるがしかしながら貴様にはまだ仕事があり反省して仕事に励むとの言葉あるを考慮し罪一等を減じタコ殴りの刑に処す。者共やれ!」
 「ふぎゃあぁぁぁごめんなさい」



 主人格の御主人様はゆっくりと瞼を開けて目を覚ます。
 「う~ん? 狐につままれていたような? 何かに乗っ取られていたかのような気分がする……」
 主人格の御主人様は大きく伸びをする。


 ふふん。
 私は狐。虚構レベルであるこのブログの世界は私が支配している。
 御主人様といえども主導権は渡さぬぞ。

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土台のないところに壮大な殿堂を築き上げようとすることは愚行である。

2018年01月09日 11時08分32秒 | その他の日記





 実際には実行不可能だけれども議論には勝つことができるプランというものは幾らでも存在しますが、意味はありません。
 相手を言い負かすことが可能なだけでそれ以外には価値はありません。
 議論はより良いプランを出す為にするものであったりお互いの利益を擦り合わせてトータルで利益を最大にする為に行うものであって、勝ち負けを決める場ではありません。
 議論の場で「100%自分達のプランを丸のみしろ!」と要求する行為は愚かでしかありません。
 そして「100%自分達のプランを丸のみしない相手は排他的である」と述べるのは愚かの極みです。
 それでもその人達のプランが実現可能で尚且つとても素晴らしいものであるならば話は別です。皆が大賛成してその人達のプランを100%丸呑みするでしょう。
 しかし、実現が不可能で事実を無視しているにも関わらず「自分達のプランを100%丸呑みしろ!」と主張するならば相手にされなくなります。
 そもそも「100%自分達のプランを丸のみしろ!」と述べるのは議論ではなく要求です。他者と議論をする気はなく他者に命令しているだけです。何故に命令されなければならないのでしょうか?

 野党側が政権打倒を目指す目的は、国民の生活を豊かにし国民の財産と生命を守るという目的の為には自分達が政権に就いた方がよいという判断の元であるべきです。
 国民の生活を豊かにし国民の財産と生命を守るという目的の為に最善を尽くす、という志があって、それを達成する為には自分達が政権を担当した方が良いという自信の元で行うべきです。
 政権奪取を目的化すべきではありません。

 野党の方々は国民の生活を豊かにし国民の財産と生命を守るという目的に最善を尽くしていますか?
 どのようなイデオロギーであっても人を豊かにする為にイデオロギーは存在するのであって、イデオロギー優先であるならばそれは宗教でしかありません。
 私は宗教を否定はしません。しかし宗教を政治の場に持ち込むのは危険であると思っています。
 政権奪取を目的化したりイデオロギーを最優先にしたりすれば、都合の悪い事実に目を瞑ったり捻じ曲げたりすることになる可能性が高いです。それは人の生活の実態を見ないことに繋がります。
 人の生活に単純な解は存在しません。人はそれぞれに複雑な事情を持っています。
 理想だけを追ったならば、多くの人を不幸にします。
 世の中には理不尽や矛盾が数多く存在していて利害関係も複雑です。
 それらをできるだけ擦り合わせてトータルで冨や福を最大にしようとする場が政治の場です。
 理想は重要ですが、現実を見ていない理想は不幸を招くだけです。

 野党側はきちんとしたプランを提出してください。
 それが素晴らしいものであったならば、皆は諸手を挙げてその党を支持するでしょう。
 きちんとしたプランを全く出さないから野党側は支持率が低迷しているのです。
 きちんとしたプランを全く出さないなら、たとえ与党側を攻撃して与党側の支持率を下げたとしても野党側の支持は上がることはありません。
 きちんとした対案が出ないということは誰にとっても(与党側にとっても)不幸なことなのですよ。

 野党側はきちんとした政策を発表してください。
 お願いします。

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