狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

Heaven Knows

2018年08月08日 22時11分35秒 | 曲名がタイトルの日記





 本日8月8日は、スペイン無敵艦隊がアルマダの海戦でイングランド艦隊に敗北した日で、ジャック・バルマとミッシェル・ガブリエル・バッカールがモンブラン初登頂に成功した日で、江戸幕府・諸藩の軍勢と天狗党が戦闘状態に入った日で、第二革命に失敗した孫文・黄興らが日本に亡命した日で、ソビエト連邦が日本に宣戦布告(モスクワでの通告の数十分後の9日未明に満州・朝鮮・樺太で一斉に進撃を開始)した日で、ソ連の漁業巡回船ラズエズノイ号が日本の領海を侵犯した日で、中国共産党第八期中央委員会第十一回全体会議で「プロレタリア文化大革命についての決定」が採択された日で、後に韓国大統領となる金大中が東京都内のホテルから拉致された(8月13日にソウルにある自宅で発見された)日で、湾岸戦争でイラクがクウェートの併合を宣言した日で、郵政民営化関連法案が参議院で否決されたことで第2次小泉内閣が衆議院を解散した日で、猫の日です。にゃあ。

 本日も倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は三十四度。最低気温は二十三度でありましたよ。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。






 或る日の事。
 倉敷美観地区の大原美術館の門の下にぼんやり空を仰いでいる一人の愚か者がありました。
 愚か者の名は狐といつて元は蝶よ花よと言はれて育つたにもかかわらずぽんこつでぼんくらで怠惰な性のままぼんやりと生きてゐるのです。
 哀れなる哉。愚かなる者。狐は呆けた顔でぼんやりと空を仰いでゐたのでございます。

 何しろ倉敷美観地区といへば名だたる観光地ですから往來にはまだしつきりなく人や車が通つてゐました。
 門一ぱいに当たってゐる油のやうな夕日の光の中に老人のかぶつた帽子や女の金の耳環や男の持つ寫眞機が絶えず流れていく容子はまるで画のやうな美しさです。
 しかし狐は相変わらず門の壁に身を凭せてぼんやり空ばかり眺めてゐました。
 空にはもう細い月がうらうらと靡いた霞の中にまるで爪の痕かと思ふ程、幽かに白く浮かんでゐるのです。

 「日は暮れるしお腹は空くしぼんやりと生きてきて此の儘で佳いのかしらん? というぼんやりとした不安に襲われるし、こんな思ひをして生きてゐる位ならいつそ倉敷川へでも身を投げて死んでしまつて鯉の餌になつた方がましかもしんない」
 狐は獨りさつきからそんな阿呆な取りとめもない本気でない愚かなことを思ひめぐらしてゐたのです。

 すると何処からやつて来たか、突然狐の前へ足を止めた老人があります。
 それが夕日の光を浴びて大きな影を門に落とすとぢつと狐の顔を見ながら、「うぬは何を考へてゐるのだ」と突然に横柄に狐に言葉をかけました。
 「私ですか? 私は理由もなく不安な気分が治まらずほとほと困り果ててどうしたものかと考へてゐるのです」
 老人の尋ね方が急でしたから狐はさすがに眼を伏せて思はず正直な答えをしました。
 「さうか。それは可哀さうだな」
 老人は暫く何事か考へてゐるやうでしたが、やがて往來にさしてゐる夕日の光を指さしながら、「では我がうぬに好い事を一つ教へてやらう。今この夕日の中に立つてうぬの影が地に映つたらその頭に当る所を夜中に掘つて見るが好い。きつとうぬの不安が治まるものが埋まつてゐる筈だから」
 「ほんたうですか」狐は驚いて伏せていた眼を挙げました。
 「嘘ぢや。その道は混凝土ぢや。掘れぬわ。ふおふおふおふお。早く家に帰つて飯をたらふく喰いぐつすりすやすや寝るがよい。ふおふおふお」
 不思議な事に老人の声はするものの老人は何処に行つたのか周囲にはそれらしい影は見当たりません。
 その代わり空の月の色は前よりもなお白くなつて休みない往來の人通りの上にはもう気の早い白鷺が寝床を捜してひらひら舞つてゐました。

 「揶揄われた。orz。見知らぬお爺さんに揶揄われてしまつた。orz。やれやれ」
 狐はやはり夕日を浴びて大原美術館の門の下にぼんやりと佇んで空ばかり眺めていたのでありました。
 「今日はたらふく食べて早くぐつすりすやすや寝やう」
 狐はそう呟いてやがて帰路についたのでございます。


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『まどからマドカちゃん』第4巻/福田 泰宏

2018年08月08日 14時54分07秒 | 漫画・ゲームに関する日記




 昨日の夜は、福田泰宏の漫画『まどからマドカちゃん』の第4巻を読んでいました。

 サラリーマンの小田君は、ある日、出勤途中で軒先で雨宿りをしているとその部屋に住んでいるマドカちゃんと窓越しに出会った。
 マドカちゃんは初対面の小田君を見てすぐさま窓を閉めてカーテンを閉めて「しばらくお待ちください」という張り紙を貼る。
 暫らくしてマドカちゃんは窓を開ける。
 そこに現れたマドカちゃんは……。

 ギャク漫画です。





 ほぼ出オチの一発ネタを毎回繰り返すパターンですね。
 誰しも見知らぬ人を驚かせてみたいと思う時があると思うけれども、ネタを思いついて披露したいと思う時があると思うのだけれども、悪戯心がふつふつと湧いてうずうずしてしまう時があると思うのだけれども、普通はぐっと堪えてしまうものです。
 ネタに全てをかけるマドカちゃん。
 御見逸れ致しました。
 楽しいよね。




 面白かったですよ。
 続きが楽しみです。


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全てのものに欲望がある。欲望があるから、薔薇は薔薇らしく咲き、岩は岩でありたいと頑張っている。

2018年08月08日 14時48分48秒 | その他の日記





 思考実験をしてみましょう。



 同程度の経済力をもった2ヶ国があったとします。
 A国は貧富の差がほとんどない社会を目指します。その代わり経済成長は0。
 B国は経済成長5%を目指します。その代わり貧富の格差は激しい。

 この条件下では初年度はA国とB国の福祉や医療や教育に回されるお金の量はおそらく同程度。
 そしてA国の平均的な国民の所得はB国の富裕層には及ばないけれども貧困層の所得と比べるとはるかに上となります。
 しかし10年後にはどうなっているでしょう? 20年後は?

 仮に初年度のA国とB国の経済力を100としたならば、
 2年目のA国の経済力は100のまま。B国の経済力は105となります。
 5年後のA国の経済力は100のまま。B国の経済力は約121となります。
 10年後のA国の経済力は100のまま。B国の経済力は約155となります。
 20年後のA国の経済力は100のまま。B国の経済力は約253となります。
 
 B国は20年後にはA国の約2.5倍の経済力を持つことになります。
 この状態だと格差が大きいB国の貧困層の所得は格差のないA国の平均的な国民の所得を上回ります。
 そしてB国の福祉や医療や教育の分野に回せるお金は、A国の約2.5倍となります。
 そしてB国の災害時や緊急時にまわせるお金の桁が違ってきます。
 災害時や緊急時に投入するお金の額が違えば救える可能性のある人の数が変わってきます。
 さらに余力ができたならば文化にまわせるお金の額も大幅に増えるはずです。


 もしA国の周辺国がそれぞれ経済成長5%を達成しA国が経済成長が0だったなら、A国は周辺諸国の中で最貧国となります。
 A国と周辺国との間に経済格差が生まれることになります。
 A国の国際的な影響力は一気に下がることになります。
 そしてA国は最貧国の状態で他国と貿易をすることになり不利な状態となります。
 さらに、何処かの国を助けたいと思っても余力が無い状態なら助けることもできません。
 ギリギリの状態であったなら非常時において脆い体制となります。
 そして最貧国では文化は花開くことが難しくなります。
 ギリギリの状態では人は文化面にお金を投入したがりません。
 A国は文化面で衰退していく可能性が高くなります。
 そしてA国の文化面での他国との交流は縮小していくでしょう。







 勿論、上記の論は机上の空論でしかありません。
 現実は様々なパラメーターが存在します。

 しかしレーニン・スターリン型の共産主義や毛沢東型の共産主義は構造上に欠陥があることが判明しています。
 レーニン・スターリン型の共産主義や毛沢東型の共産主義はある段階から必ず経済成長がストップしてしまいます。
 この欠陥を取り除くプランはまだ出てきていません。 
 原始共産主義も小規模で構成員の価値観がほぼ一致している状態ならば可能かもしれませんが、国家単位では無理なことは判明しています。
 そしてレーニン・スターリン型の共産主義の社会や毛沢東型の共産主義の社会は平等な社会を作り出すシステムではなく究極の格差社会を作り出すシステムであることも判明しています。
 レーニン・スターリン型の共産主義の社会や毛沢東型の共産主義の社会は貧困者を救うシステムではありません。



 共産主義を奉じるお方は理論の再構築をすべきです。
 共産主義で経済成長ができるプランを構築すべきです。
 社会主義を奉じるお方も理論の再構築をすべきです。
 社会主義で経済成長ができるプランを構築すべきです。
 もし出来ないのならば共産主義や社会主義を捨て去ることも視野に入れるべきです。

 福祉や医療や教育を重要視し格差を是正したい。と考えるならば、その為に経済を発展させて福祉や医療や教育に投入できるお金を増やそうと考えてもよいと思うのです。
 その為の方法論を考えるべきだ。と思うのです。
 お金は大事だ。と私は思うのです。
 そして人の欲望を軽視してはいけない。と私は思うのであります。

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