舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

自分の作品を自分で解説するというダサいことを敢えてやります。僕の言葉について。

2017-03-12 23:48:55 | Weblog
2017年も3月11日がやって来て、東日本大震災から6年が経過したんだと思いました。
僕は直接被災した人間でもなければ、被災地に実際に行った人間でもありませんが、それでも日本に住んでいる自分にとって、どうしたって忘れることも無視して生きることもできない出来事ことだなあと思います。



東日本大震災が発生した年から現在に至るまでに、自分がどんなことを体験して、どんなことを考えたのかは、去年の10月に「生きづらさを抱えた人間賛歌」で朗読した文章に、ざっくりとまとめてあります。
『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』で朗読させていただいた文章を公開します!その一『僕は忘れない』

この文章には、障害のことも震災のこともBLUESのことも與那覇のこともウオロクのことも書いてあるので、これを読めば僕がどういう人間なのか大体分かると思います。
で、自分の作品を自分で解説するほどダサいことはないと思うのですが、ちょっとだけしてみようと思います。



この文章を初めて書いた時は、ただ自分にとって大切な思い出だと思うことを並べて書いただけだったのですが、今読み返してみると、自分が言いたいことが思った以上にたくさん込められているなあと思います。
また、この文章を読むと、自分も色々あったけど意外と成長もしたしよく頑張っているんだなあということがよく分かります。

だから、人生が行き詰った時も、この国の行く末が心配な時も、希望は捨ててはいけないよ、というストレートなメッセージがこの文章には込められているなあと思います。
こう書くと、まるで僕が世の中に対してメッセージを投げかけているように思えるかも知れませんし、実際そういう側面はあるのですが、本音を言うと僕のこういう言葉の多くは、本当は過去の自分に伝えたいことなのです。

僕は基本的に、自分のことしか考えられないような人間です。
とは言え、例えば人が亡くなるような出来事に遭遇したら相当凹んでしまうんだけど、だからと言ってどうすることも出来ないような人間だと思います。

だから、自分は世の中に向けて大したことは言えない人間であるという自覚があります。
そのため、僕の朗読だったりブログだったりの文章の多くも、一見すると世の中の人達に向けて書いているようで、本当は全部自分に向けて、自分についてしか書いていないのではないかと思います。

誰かに向けて書いたような言葉も、本当は昔の自分に向けて「未来の自分はこんな奴だけど何とか生きているのだから大丈夫だ」と言いたくて書いている言葉なのではないかと思います。
何故なら、それは僕が子供の時に一番大人から言われたかった言葉だからです。

とはいえ、いくらそんなことをやったところで、僕の言葉が時間を超えて過去の自分に届くなんてことはあり得ないことですから、まあこれは自己満足なんだと思います。
ただまあ、たとえそれが自己満足なのだとしても、ほんの少しの僕の気持ちがポリリズム的に巡り巡って知らない誰かに届くこともあるかも知れないのがインターネットだと思っているので、これからも体験したこと思ったことは出来るだけ記録を残して公開していこうと思います。

これはもともと、今年の3月11日にTwitterとFacebookに書いた文章なのですが、ちゃんと記録を残しておきたい内容だと思ったので、あらためて加筆修正を加えてブログにも掲載しました。
3月11日だから言いたくなったということもなくはないのですが、これは基本的に僕がいつも思っていることです。





特にオチが思い付かないので、3月11日の翌日、3月12日の夜に見た月の写真でも上げておきます。





舞い上がる。の思い出はまだまだ続きます!
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