
7/16(金)、シネ・ウインドで「夏時間」を観てきました。
予告編はこちら。
夏休みの間、父と弟と一緒に祖父の家で暮らすことになった、10代の少女・オクジュ。
途中から叔母も訪れ、オクジュ、父、弟、祖父、叔母の5人の生活を淡々と描きます。
全体的にこれといった大きな展開はほとんどないものの、本当にこういう人達がそこに生きているとしか思えないような、現実味のある登場人物達と日常の描写に引き込まれる映画でした。
本当に、これがフィクションであること、役者さん達が演技をしている劇映画であることを忘れそうになるくらいです。
登場人物達はもはや現実にしか見えないほど現実味がある上に、全体的に俯瞰のショットが多いので、ドキュメンタリーを見ているような気持ちになります。
しかし、ドクメンタリーのような俯瞰ショットの合間合間に、映画的にアップになるショットが挟まれることで、登場人物達の置かれている状況がドラマティックに伝わってきます。
とはいえ説明台詞はほとんどなく、というか台詞自体が非常に少ない映画なのですが、それでも次第にこの家族の中にある色々なことが見えてきます。
例えば、父が事業に失敗して今は働いていないこと、母がいないからおそらく父は母と離婚か別居をしていること、祖父が認知症で介護が必要なこと、叔母が夫と離婚寸前なことなど、次第に様々な物語が浮かび上がってきます。
この、台詞もほとんどなく、限りなくドキュメンタリーのような現実感のある映像の中で、次第に物語が浮かび上がってくる感じがすごく面白い。
どんどん「映画」に引き込まれてしまいました。
僕がこの映画で一番感動したのは、主人公オクジュの生々しい気持ちが、まるで自分が疑似体験したかのように伝わってきたことです。
オクジュが夏休みの間に祖父の家で暮らすことになり、友達も周りにいなくてただひたすら退屈な毎日を送るしかない感じ、いつもと違う微妙な非日常に戸惑う感じ、家族の意外な一面を知るけど子供だから何もできない感じを、僕自身も子供時代に味わっていたので、当時を思い出しぐっときてしまいました。
だから、そこまで物語を押し付けなくても、登場人物を本当にそこに生きているかのように生々しい現実感を持って描くこと、その中で一人一人の繊細な気持ちの変化や日常の丁寧な描写さえあれば、映画って面白くなるんだなあと思いましたね。
そして、それをしっかり描いていけば、ちゃんと「物語」になるんだなあという、「映画」というものの豊かな可能性も感じられる映画でしたね。