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バレンタインデーといえば、2009年の2月14日、当時大学4年生だった僕が鬱で引きこもりだった時に、友人の與那覇くんがPerfumeの「チョコレイト・ディスコ」を歌いながら家にやってきて、「ちひろ、鉄道員見ようぜ!」と言って一緒に「鉄道員」のDVDを見た、という思い出があります。
この話は、僕が毎年話しているので、僕の知り合いには聞いたことがある人もいるでしょう。
しかし毎年この話について考えていたら、これはただの面白エピソードで片付けていい話ではないのではないか?という気持ちになってきました。
冷静に考えて、普通はこんな出来事は起こらないと思うのです。
というのも、これは決して與那覇くんを責めるわけではないのですが、まず鬱や引きこもりの友人に対して、家に上がり込むって多分決して「正解」ではないよな…ということ。
もしあなたの知り合いに鬱や引きこもりの人がいたら、プライベートに上がり込むことは必ずしも正しい行動ではないと思うし、もどかしくても遠くから見守ることが必要な場合もあるでしょう。
実際、僕は自分のペースを一度ちょっと乱されると、そのまま生活リズムが全部崩れてしまうような人間です。
與那覇くんに関しても、これはまあ僕と彼の仲だし今更時効だろうと思って話すのですが、元気な時なら家に上がり込まれても別に良くても、体調不調の時だと些細なきっかけで生活リズムが崩れて、そのまま登校拒否に…みたいなことも、今思えばあったわけです。
とはいえ、今だからこそ「それがどうした」と思える自分もいる。
人間関係は綺麗ごとだけではないし、仲が親密になるほど相手の良いところだけではなくて嫌なところも見えてくる、衝突したりすれ違ったり傷付けたり迷惑をかけたり、そういう経験を繰り返して人は成長していくのではないだろうか。
で、冒頭の與那覇くんの思い出に話を戻すと、冷静に考えたら鬱で引きこもりの時に知り合いが家に上がり込んできたら、普通は迷惑だと思うのです。
でも、人間の感情は複雑で、その時は迷惑だなあと思いつつ、同時に嬉しさもあったんだろうなあと思います。
それは結局、長い付き合いの中で與那覇くんとの信頼関係があったから奇跡的に成立したことであって、普通はこんな出来事は起こらないというのはそういう意味です。
それがなければ16年も経って思い出話として語り続けることもないでしょう。
そう考えると、鬱や引きこもりの人にとって大事なのは、どうやって人や社会と付き合うべきかよりも、まずは家族でも友達でもいいから信頼できる相手が誰かしらいることなんだろうなと思います。
本人も周りもどんな行動を取るべきかはケースバイケースでしょうが、孤立するべきではないというのはかなり重要な学びのような気がします。
長くなりましたが、僕が言いたいことはそういうことです。
バレンタインデーが話題になるたびに、「チョコレイト・ディスコ」や「鉄道員」を見聞きするたびに、思い出してみてください。