2/10(月)、ユナイテッド・シネマ新潟で、「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」を観てきました。
新潟市内では、ユナイテッド・シネマでのみ上映していたようでした。
予告編はこんな感じです。
映画冒頭、ドン・キホーテの物語が始まる…かと思いきや、実際はドン・キホーテの映画を撮影中の監督・トビーが主人公の映画。
ドン・キホーテの映画の撮影中のトビーは、ある日の夜、たまたま自分が学生時代に撮ったドン・キホーテの自主制作映画のDVDと再会し、見ているうちに、当時撮影した村が近くにあることを思い出し、どうしても行きたくなってしまった彼は、映画の撮影を放り出して村に行ってみる。
すると、当時自分の映画にドン・キホーテとして出演してくれた村の老人・ハビエルが、なんと自分自身のことをドン・キホーテと思い込んだまま過ごしていたではないか!
トビーはひょんなことから村で家事を起こしてしまって逃亡するのだが、道中で自信をドン・キホーテだと思い込んでいるハビエルと再会し、彼の暴走でトビーを追っていた警察が殺されたり、すったもんだあって、トビーとハビエルは行動を共にすることに。
そんな旅の行く先々で、謎の村に迷い込んだり、謎の王国に迷い込んだり、次々と謎の騒動が巻き起こり、その都度ハビエルは大暴れして、トビーは巻き込まれていく。
そういうエピソードの一つ一つがどんどん現実か妄想か分からなくなっていって、主人公は混乱するし、観客もそれに巻き込まれていくという、どこまでも人を食ったような映画でした。
トビーが映画を撮ったことで、ハビエルが自分がドン・キホーテだと思い込む物語ですが、最後には、トビー自信も自分自身が妄想の世界に囚われていきます。
さらに映画を観ている観客も、ハビエルやトビーの妄想に振り回されてどんどん混乱していく。
思うにこれは、映画を撮るということは、映画に関わった人間の人生を狂わせることだし、監督自身の人生、さらに観客の人生までも狂わせることだよ、と言っているように思えたんですよね。
映画では、そのことにトビーやハビエルが直面する物語になっていますが、もしかしたら、この映画のテリー・ギリアム監督自身が思ったことなのかも知れません。
思えば、ドン・キホーテという人物は妄想が激しいが故に魅力的なキャラクターですが、そこに映画というものが持つ狂気を重ねて表現すること、そしてそれを映画という形で表現すること自体が、テリー・ギリアム監督のメタ的で自虐的なギャグなのかも知れないと思いました。
正直、映画の内容全部を自分がちゃんと理解できているとはとても思えないのですが、今後は他のテリーギリアム監督の映画を観たり、あと「ドン・キホーテ」もあらためてちゃんと読みたいなとも思いました。