長らく無職でしたが、春からイオングループのイメージキャラクターに起用されることになりました。
と言うのは冗談で、2/17(月)にイオンシネマ新潟西に映画を観に行ったら、いい感じの壁があったので勝手に自撮りしました。
ところで、何度も書いていますが、2/15(土)には元 毒殺テロリストのイチロウさんにトークイベント「月刊おはなし図鑑」に出てもらいました。
「トークイベント「月刊おはなし図鑑」第14回、ぺがさす荘で元毒殺テロリストのイチロウさんとトーク、終了しました!」
本番前には、イチロウさんとトークをするにあたり、よしこさんから毒殺テロリストのアルバムを借りて予習していました。
「毒殺テロリスト、色々聞いてみた!」
毒テロを聞きまくったせいで、パンクとは何か?なんてことを最近よく考えます。
パンクな音楽は基本的に好きなのですが、音楽以外にも、例えば僕が好きな映画監督って、世の中に対する抵抗という意味でのパンクな精神を持っている人が多い気がします。
あと、アイドルが好きなのも、アイドルって人とは違う個性が魅力になっている人達なわけで、そういう風に周りに流行に流されずに自分の生き方を貫く生き方も、ある意味パンクなのかなと思ったりしました。
考えてみたら、「月刊おはなし図鑑」の相方のよしこさんも世間の常識に喧嘩を売りがちなパンクな人だし、僕自身も世間が勝手に決めつけた暗黙のルールには誰が従うか!俺は俺の人生を生きる!って思って生きているところがあるので、パンクな人が好きだし、自分もそうなりたいんでしょうね。
そんな気持ちで生きていると、そういうパンクな自分とは程遠い、保守的、権威主義的なニュースには敏感に反応してしまったり、ついつい反論したくなってしまうこともあります。
最近も、Twitter Japanが日本青年会議所と連携というニュースを見て、ふざけんな!って思ったばかりだし、そんなツイートがついつい多くなっていました。
そうしたら、友人から「ちひろさんは日本青年会議所にマークされてるんじゃなかったんですか!?」って言われて笑ってしまったんですけど、日本経済にとって何の生産性もないことしか毎日していないのでそろそろ本当にマークされてる可能性もありますね!
冗談はさておき、日本青年会議所と連携するなんてもうTwitterやめる、みたいに言ってる人も見かけたんですけど、逆に奴らが嫌いそうなことを堂々とやりながらへらへらと生き残っていった方が楽しくないですか。
基本的に僕は、「あんな奴でも自由に楽しく生きていていいんだな」ってことを自分の人生を以て表現したい気持ちが根底にはあるんですけど、これはつまり、僕自身が思春期にそういう大人に出会いたかったわけで、そういう自分が出会いたかった人間に自分がなりたいんでしょうね。
だから、凄いと思われたい承認欲求や自分よりダメな奴を見下して自己肯定感を満たしたい気持ちに溢れたこの時代で、杉田水脈大先生が言うような生産性のある人間じゃないと生きる価値が認められなさそうなこの社会で、それとはまるきり真逆の、別に凄くもなんともないけど素晴らしいちひろBLUESという人間がヘラヘラと生き残っていきたいんでしょうね。
最近では、自分の生まれ育った新潟のサブカルチャー的なものを探っていく中で、ここで一生生きていくのも楽しそうだななんて思えるようになりましたが、もともと自分が思春期を過ごした十代の頃は新潟にまったくいい思い出がなかったので、つい最近まで新潟って嫌いだったんですよね。
今では新潟も好きですけど、それは単純にいい場所だなと思うってだけで、いわゆる「故郷の誇り」的な郷土愛なんてゼロな人間なので、例えば母校とか地元の学校の部活とか応援したがる人の気持ちが全然分からないんですよね。
てか、同窓会にも行かないし、あんないい思い出の一つもない母校に思い入れなんてあるわけないだろ!
中学はそれでも部活が楽しかったりはしたんですが、高校に至っては今すぐ爆破したいくらい嫌いなので、OB会の案内的な書類たまに来るけど一文字も読まずに捨てます。
てか、高校って要らなくないですか?
中学卒業したら遊んだりバイトしたり趣味を見付けたりモラトリアムを満喫して、あ、ちょっと勉強したいなって思った人のために数年後に大学や専門学校があればよくないですか?
そう考えると、受験戦争とかも、もう本当に害悪の文化だと思いますよね。
これはもう、リアル受験生だった学生時代からずっと思っているし、大人になれば考えも変わるかと思いきやまったく変わらないどころか、この怒りは年々強まっています。
思えば、学校や勉強は実はそこまで嫌いじゃなかったけど、受験勉強だけは死ぬほど嫌いな子供だったんですよね。
そんな僕は十代の時に真面目に受験勉強をしなかった上に受験の話をする友達もいなかったので、新潟の高校とかの情報を全然知らなくて、たまに校風とか制服とか部活とか偏差値とかをネタにしたギャグとかを同世代から聞いてもどういう意味の面白さなのか全然理解できない。
偏差値に関しては未だに偏差値が何なのか分からないですよ!一生知らなくていいやという気持ちです!
興味ないことに関しては1秒たりとも頭を使いたくないし使おうとしても使えない、そういう人間なのです。
そういう自分に年々気付きつつある自分は、今までの自分を積極的に捨てたり古い人間関係を切り捨てたりすることがよくあるのですが、それを象徴する一つが、Twitterのフォローを外したり、ミュートしたりすることです。
昔の、まだ自分が何がしたくて何が好きなのか気付いていなかった時代に何となく仲良くしていたような人達のことも、ふと新しい自分になると「もうこの人とは仲良くやれないし、思い出すと先に進めない気がするからもう関わらないでおこう」ってなって、リムったりミュートしたりすることが本当にここ最近よくあります。
とは言え、リムった人やミュートした人のツイートがふとTLを流れてくることがあって、よせばいいのに怖いもの見たさで見に行くと、同じようにリムった人やミュートした人をRTしてたりしていて「ああ、俺が捨てたあの世界ってまだ存在してたんだな」って気持ちになります。
これがまさに、一つも思い入れがない母校の前を通ったみたいな感覚なんですよね。
別に懐かしさはないけれど、かつて自分はここにいたんだなという現実を突きつけられる感じです。
黒歴史も自分の歴史だと思っているので、過去を否定するつもりはないですが、時々そうして過去の闇を引っ張り出してきてダメージを受けながらも、前に進んでいけたらと思います。
なんか、話があっちに行ったりこっちに行ったりしましたが、要するに、Twitterのトレンドとか世間の流行とか古い常識とか周りの人間関係とか、そんなものに縛られずに自由に生きていきたいってことです。
思えば、子供の頃から周りで流行っている漫画やゲームにほとんど触れずに育ってきたから、直撃世代のくせに自分だけ全然知らないことがめちゃくちゃ多いし、かと言って自分より若い世代と話が合うかと言われても別にそうでもないわけで、なんというか、昔も今もそしてきっとこれからも基本的に流行に無頓着な人間なんですけど、そんな自分が結構嫌いではないんです。
そんな僕だって、好きな人のことを考えながらあいみょんのマリーゴールドを聞いたりすることもあるんですよ!
そしてそんな自分が結構嫌いではない!