12/8(火)、シネ・ウインドで「ゆきゆきて、神軍」を観てきました。
1987年の映画ですが、映画に登場する奥崎謙三さんの生誕100周年ということで再上映が行われ、新潟ではシネ・ウインドで、12/8(火)、10(木)の2日間限定上映。
また、この日は、原一男監督の舞台挨拶もありました。
予告編はこちら。
原一男監督は、アスベストの裁判を巡る「ニッポン国VS泉南石綿村」や、れいわ新選組のドキュメンタリー「れいわ一揆」など、社会派のトガったドキュメンタリーを撮っている方です。
中でも1987年のこの「ゆきゆきて、神軍」は、原一男監督の代表作と言われるほど評価が高く、「とにかくヤバイ」と聞かされていたので気になっていたので、念願叶って観ることができた感じなんですけど、本当にヤバい映画でした!
この映画「ゆきゆきて、神軍」は、原一男監督がアナーキストの奥崎謙三さんを追った1987年のドキュメンタリー映画です。
奥崎謙三さんは、過去には傷害致死罪、皇居で天皇陛下をパチンコ玉で狙撃、天皇陛下のポルノビラをばらまくなどの事件を起こして3回も懲役になっています。
そんな奥崎謙三さんは、「田中角栄を殺す」などと書かれた手作り街宣車で町を行きます。
個人的に鳥肌実さんとかを知っているとギャグにも見えてしまうんだけど、奥崎謙三さんは本気なのです。
奥崎さんは、警察に止められてもまったく怯まない。
奥崎さんをそこまで突き動かすものは一体何なのか…?
次第に、奥崎さんのそういう活動の原点に、戦争体験があることが判明してきます。
戦時中、奥崎さんが所属していた部隊で二人の兵士が上官に射殺されていた事件が起こっていたのです。
奥崎さんは事件の真相を知るために、全国を移動しながら当時の上官達の家を訪ね渡り(もちろん手作り街宣車に乗って)、時に暴力的な手段も辞さずに事件の真相を聞き出していきます。
そこで浮かび上がってきたのは、戦場で起こっていた恐るべき真実でした(ここはあえて伏せますが、「野火」を思い出しました)。
奥崎さんの常識すらもぶっ飛ばす怒りの力が、当時の日本軍の地獄をあぶりだしていきます。
最初は奥崎さんがただのヤバい人にしか見えないんだけど、次第に本当にヤバいのはその背景にある当時の日本軍や戦争であることが判明していきます。
奥崎さんの中で戦争への怒りが昭和天皇への怒りに繋がっているのだなあと思うと、そこに疑問を持ちつつも、完全には否定できない自分がいました。
今でこそ当時の日本軍の戦争責任などが問題視され普通にNHKなどでも報じられるようになってきましたけど、少し前までタブーみたいな話題だったと思うんですよ。
いやー、まさかこんなアナーキーな映画を1987年に撮っていたとは…
奥崎さんは亡くなってしまったそうですがこの映画はこれからも上映されてほしいです。
上映後には原一男監督の舞台挨拶もあり、原監督曰く、奥崎さんは自分の信じる使命のためならば犯罪も辞さない法的拘束力を物ともしない人物であり、そこに魅力を感じて映画を撮ったと語っていました。
また、原監督も終戦の直前に防空壕に生まれた方だそうで、そういう体験もこういうトガったドキュメンタリー映画を撮ることに繋がっているのかなと思いました。
というわけで、原監督ありがとうございました。
僕は12/8(火)に観たのですが、原監督は12/6(日)~8(火)の3日間、シネ・ウインドに滞在されたそうです…というわけで、「れいわ一揆」の感想に続く!