舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

映画「成れの果て」観てきました。

2022-01-18 21:42:32 | Weblog




1/17(月)、シネ・ウインドで「成れの果て」を観てきました。

故郷の田舎で暮らす姉・あすみは、東京で暮らす妹・小夜に電話で婚約を伝えるが、婚約相手の布施野は過去にある事件で妹の小夜を傷付けた相手だった。
突然帰郷してきた小夜が巻き起こす混乱に、あすみや布施野、その周りの人々の闇、そして消えない過去の傷痕が次々と暴かれていく。

全員が何かしらの闇を抱えていて、それが次第に浮き彫りになり、その結果、登場人物達がひたすら傷付け合うという、まったく救いのない人間ドラマでありながら、それぞれの人物像や過去の事件の真相が少しずつ浮かび上がっていく展開に最後まで引き込まれました。
演劇原作らしい会話劇を中心とした内容となっていて、途中でやや強引な展開は感じつつも、全体的に役者さん達の熱演によって一人一人にリアルな存在感があり、自然に受け止めることが出来ました。

演劇という限られた空間での会話劇を映画化するにあたり、田舎の風景を印象的に見せることで、昔の事件や人間関係がいつまでも後を引く田舎の閉鎖性が際立っていたと思いました。
冒頭に少しだけ登場する小夜の暮らす東京の風景ともいい対比になっていたし、田舎特有の閉鎖的な人間関係の中で抑圧される感情と、解放された時の暴走という、日本のリアルな地獄を表現していました。

気持ちを押し殺して事なかれ主義を貫くあすみと、不正を許せず感情を攻撃的にぶちまける小夜の姉妹の対比が、田舎と東京の対比のデフォルメとなる。
その両者が出会うことで田舎特有の地獄が暴かれていくという物語に、胸糞悪さとカタルシスを同時に感じつつ、最後の最後に静かに闇をぶちまけていく救いのないあすみの最後がが切ない。

登場人物それぞれの心境や過去の事件の真相は伏せますが、人は過去に誰かを傷付けた後悔をいつまで抱え続けるのか、許されることはないのか、傷付いた側の痛みは消えないのか、という重いテーマを描いていた物語だと思いました。
被害者、加害者それぞれの抱えた闇はすれ違い続け、最後まで解決しないのも悲しいところです。

萩原みのりさんの大きな目で一人一人の心の中に隠した闇を見透かし暴いていくような強烈な演技、「千と千尋の神隠し」で千尋の声優だった柊瑠美さんが30代となり気持ちを押し殺して振る舞うどこか人生に疲れたようなリアルな演技、どちらも見応えがありました。
2人とも本当にこちらの心をえぐるような体当たりな演技だと思ったし、その2人が出会ってしまうと常に不穏な雰囲気が立ち込めているという緊迫感も素晴らしかったです。

さらに木口健太さんは、ある意味この物語の過去の悲劇の元凶となった過去を抱えた、「おんなのこきらい」よりさらに闇が深い男性を演じていました。
唯一、後藤剛範さんの演じた、小夜の友人のゲイの男性の劇中のある展開での扱われ方に、これは同性愛者への差別や偏見を助長しないだろうか?と微妙に違和感がありましたが、ただあれは、あえて「間違ったことを描く」という表現だと受け取りました。
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