羊日記

大石次郎のさすらい雑記 #このブログはコメントできません

累(実写)

2018-09-11 21:35:09 | 日記




 映画はニナ編にその後の要素を加え圧縮した物で、奪われるニナと奪う累という筋を純化した形になっていた。しかし原作よりも生命力の強い映画の累もまたゆくゆくは違う道程でも同じ結末は避け難いようでもあった。ニナとの関係は本質的には変わってない。ほぼ一方的な展開の果ての最後の一撃を含めて、原作よりも自分の思い通りになるニナに必要以上に寄り掛かってしまったようでもあった。なまじ映画のニナがタフに振る舞っていた分、あんな反応をすることが想定できなかったんだろう。母達の因縁も拭い去り難い物として痕跡が散らされていた。宿命はきっと変わらない。だが映画はそれらは深くは掘らず、最後半は簒奪者としての累を徹底して描いていく。クライマックスでは生身の女優の身体性が爆発する。普通なら顔のわかるカット以外は上手く顔を隠しスタントにしつつ、ニナの立ち回りを増やす件になるだろうが、土屋太鳳は踊れる。今作のサロメでは正に独壇場だった。原作の累にはない長い鍛練からくる力の発露っ! 舞踊以外も後半の土屋は累とニナを行き来しながら、決めの利いた芝居に高いテンションを伴わせて畳み掛ける姿は加虐的ですらあった。これも一つの女優のあり方なんだろう。対する芳根京子は本当に真逆。若い分、経験値の差は確かにあったが性質が違う。華奢で繊細な造形の体での非力だが牙を剥き、あるいはその上弱り切る表現には品があり、固有の眩しい身体性。大病を患ったことのある芳根京子はままならない陰鬱な感覚を間違いなく知っている。映画の累の陰鬱さに呼応していた。一方で累の顔のニナがポジティブに電話を掛ける件の芯からくる明るさは原作にもない芳根京子の陽性で、不思議な特性の持ち主だ。勘もいい。話の運びが荒い部分もあるが、業にまみれた女の争いが美しい映画。二人の今後の活躍を期待したくなる。