悠翠徒然

画像中心

ホームラン王!

2023-10-02 12:24:00 | Weblog
おめでとう!
大谷!
ホームラン王!!!

ON時代から野球を見続けてきた者として、
日本人選手が大リーグでホームラン王になるなんて!
感無量です、、、、

技術では優ってもパワーで劣ってしまうのが日本人スポーツ選手
それを破った彼の実力はどれだけ多くの日本人やアジアのアスリートに元気を与えてくれる事か!
今にアメフトにも日本人スーパースターが出てくるかも!

夢の様な現実なのか、現実が夢なのか、、、

とにかくハッピーッ!

『散らし』

2023-10-02 08:15:00 | Weblog
寿司じゃありませんよ、かなの『散らし』についてのお話しです。
和翠塾では『かな一級』になると、お手本通りに書く臨書ではなく、散らしをかえて書いていただいています。
前回の競書までは、常に数名の方だけが優秀な散らしを披露してくれていましたが、今回は倍増しています。
散らしを変える事の面白さを感じていただいたようでとても嬉しく思っています。

競書の漢字課題も天位上級になり雅号を取得すると、お手本とその書き手をリスペクトしながら自分の感覚で漢字の一部や線質を変えオリジナル度を加えて書く『倣書』で提出していただいています。
こちらも今回かなり優秀な作品が増えてきました!
こちらも私の真意を深く理解していただいた様でとても嬉しく感じます。

書の楽しさの究極は創作にあります。
臨書はその為に行う習作と言っても良いでしょう。
ゴッホが浮世絵を真似て描いた作品が残っていますが、あれはもうゴッホが至る所に馴染み出過ぎていて( ̄∇ ̄)習作や模写とはとても言えるレベルの作品ではありません。
彼は浮世絵を見て描きながら学び、想像し、そして創作するに至ったのでしょう。
浮世絵の構図の大胆さを学ぶだけなら、真似て描く必要はなかったでしょうが、きっと彼は描いて学びたかったのです。
そこに臨書の必然性を感じるのも面白いところです。

臨書には想像力が必要です。
文章の意味を想像することはもちろんですが、文字の持つ構図や、それを構築する点画線の流れと書き手にとってのその必然性を想像しながら書くことで、時間を超えて書き手の追体験をする事ができるのです。

相手が王羲之であろうと空海さんであろうと、その先に自分のオリジナリティを求めるべきなのです。
大抵弾き返されてしまいますが( i _ i )

自分の生きてきた人生は他の誰のものでもない自分だけのオリジナルなものです。
そこを原動力にして書くことが書に求められていることだと私は考えています。
書は人を表していなければ面白くないのです。
どんな人にも歴史はあるので薄っぺらな人生なんてないけれど、薄っぺらな人物にならない様に心がけて生きたいものです。

本にしたらどんな感じ?
そうだなぁ、常に机の上にある使いこなした辞書の風合いのあるような本が理想的かな。
実践で鍛え上げてきた私の魂に恥じない生き方をそこに書けるかどうかはまた別の話しです(⌒▽⌒)